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7/10

7灯

 煤の森は禁足地。入るのは三度目だった。


 一度目はこの世界にやって来た時。気付いたら森の端らへんに倒れていた。

 当時の灯屋であるジョー・クリウおじさんが崖上から偶然見つけ、拾ってくれたことで私は事なきを得た。


 二度目は7年前。ジョーおじさんが亡くなった時。

 足を踏み外し滑落したのだろう。街灯に照らされた、崖下の森に倒れたおじさんを見つけた時には既に手遅れだった。

 長雨の開けた日だった。しばらく街灯が灯されていなかったことで、霧が崖の上まで溢れたのだろうと町の人は言っていた。


 そして三度目。

 瘴気とも呼ばれる黒い霧の中に自ら足を踏み入れる。――ぴりりと焼けるような痛みを頬に感じた。霧に触れた時の初期症状だ。

 始めに現れるのが皮膚の痛み。そこで引き返せば何の問題もない。

 そのまま霧に身を晒し続ければ次に見舞うのは火傷のような傷だ。表面が爛れ、軽ければかさぶたとなりやがて治るが、酷くなると黒ずんだ傷跡が消えずに残る。ジョーおじさんの顔や腕にも小さな黒い染みがついていたのを思い出す。

 さらに症状が進行すれば激痛を伴う黒い傷が全身へと広がり、やがて精神をも蝕む。最期には発狂し、その身が黒い煤と化して死に至る――という。

 人がそうなった事例を私は知らないが、森で暮らす獣が発狂し町を襲うことは稀に耳にする。……恐ろしい事だ。



 ――何でこんな危険な場所で暮らすのか、ジョーおじさんに尋ねたことがある。町ごと引っ越せばいいのに、そう訴える私におじさんは……笑いながら話してくれた。


『危ないからこそ町が必要なのさ。ここは霧をせき止める砦であり、町そのものが辺り一帯にとっての灯であり、そして領主さまこそが真の意味での灯屋ってことだ』


 そう語るおじさんはどこか誇らしげで。


『灯屋ってのはなかなか立派なモンだろう?』


 ――私は小さく頷いた。



 森の中をひた走る。と言っても闇雲に駆けているわけではない。森と言っても道はあるから。

 昔は霧のエリアがもっと狭かったらしく、森の端は普通に人が出入りしていたらしい。その名残だ。

 地図も残っているし、ここいら一体の地理は把握しているつもりだ。だから最短で。崖上から確認した灯りを目指す。


 気が付けばぽつりと冷たい雫が頬を濡らす。また雨が降り出したようだ。

 ひりつく肌を冷やすには丁度いいかもしれないが、同時に嫌な記憶も浮かんでくるからやっぱり御免被りたい。


(ああ、うっとおしい!)


 張り付く髪を纏わりつく憂いを、振り払うように頬を拭う。

 言いたいことは山ほどあるし、伝えなければならないこともある。

 だからどうか、無事でいて。


 ◇ ◇ ◇


 ガサリと揺れる草に反応し足を止める。


(領主さま? いや――)


 ぜーはーと乱れる呼吸を整えながら注視していれば、森の奥の茂みから飛び出してきたのは小さな黒い塊で。


「っ⁉」


 間一髪、体を捻りその物体を躱す。

 顔を掠めたときにちらりと見えたその姿は――知っているはずの知らない姿。


「リス……だよね?」


 私の行く手を阻むよう道に降り立ったその小動物は、私もよく知る癒し系代表のそれだ。

 しかし毛を逆立てたその体には黒い霧がまとわりつき、漆黒に沈んだ瞳にはもはや何も映っていない。


(煤に侵されてる)


 こうなってしまえばもう助けることはできないだろう。

 いや今は自分の身を第一に考えるべきだ。目の前のリスは明らかに私を敵と認識し牙を剥いているのだから。


『キィエエエエエエー!!』


 断末魔ともとれる悲痛な声を上げ、再び私に襲い掛かる。

 咄嗟に背負っていた鞄を盾に構えるが――……いつまでたっても衝撃は来ない。

 伏せていた顔を上げると影が覆う。


「あ……」


 灯りを背に立つその人は間違いなく私が探していた人で。

 見上げた次の瞬間。


「……なぜハルチカが森にいる?」


 地を這うような低い声に、私の背筋が凍り付いた。



 領主さまの身体越しに奥を覗けば、小さな黒い塊がさらさらと崩れやがて消えていった。

 煤に侵された生命の末路だ。やるせなさに自然と顔が強張る。


「君自身がああなる可能性を考えたことはあるのか?」


 すかさず追い打ちが入る。ああ、これは怒っているな。

 久々に会ったその人は変わらず淡々と言葉を吐くが、その温度は極限まで下がっている。ただでさえ愛想が悪いのに怒りの感情が加わったことでその迫力は三倍増しだ。

 初めて見るその表情に思わず身が竦む。


「もう一度尋ねる。ここで何をしている」


 圧がさらに積み上がる。

 怯むな、覚悟していた事じゃないか。一つ息を吐き、領主さまを見据える。


「この森が禁足地であることは承知してますし、処罰は謹んでお受けします。それでも領主さまにお伝えしたいことがあって馳せ参じました」

「ならばすぐに戻れ。君のように力のない人間が立ち入ることは迷惑に他ならない。勇敢と蛮勇は違う」


 取り付く島もないとはこのことか。

 そりゃあ正論ですけど。ここは危険地帯で私が使える魔法なんてたかが知れているし、戦闘技術なんてそれ以上に持ち合わせてない。

 けどさぁ。言い方ってもんがあるじゃない?

 いつもいつもえっらそうに! いや偉い方ですけど!


「ちょっとくらい、こんな時くらい人の話を聞きなさいよ! 独りよがりにも程があるわ!!!」


 どこから声に出ていたのかは分からない。なんかもう、怒りと苛立ちと心配と不安で情緒がぐちゃぐちゃだ。

 ただ思ったことを勢いに任せてぶちまけていた。

 正面から喰らった領主さまは――ぽかんと面食らった顔をしている。

 いい気味だ。少しすっきりした。


 

 溜飲を下げるのも束の間。

 ぶわりと風が薙ぎ、黒い霧が肌を刺す。

 ……さあ、ここからが正念場だ。

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