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エッセイ 富岡八幡

富岡八幡 ―― 直会と哲学的思索

初出:カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818023211859483133

 前回は、浜の恵比須様、富岡八幡宮に詣でた話だったが、その参詣前、京急富岡駅に向かう電車の中で僕は非常に葛藤していた。

 今月末には、病院の定期受診日があり、血液検査が待っている。

 前回、秋に検査したときは、やや数値が思わしくなく冷やりとした。結果の紙を手に、ここはひとつ心を入れ替えて節制した生活を送る必要があると、そのときはそう感じていたのである。しかし、そんな当初の決意も日が経つにつれて段々と薄れてくる。僕のせいだけではない。ハロウィーンだの、クリスマスだの、忘年会だの、お正月だのと、世間一般、あまねく浮足立つから仕様がないじゃないか。内心煩悶しながらもついつい調子に乗って、食べたり吞んだり、とりわけ般若湯の方面をいささか過ごしてしまうようなことも多少―― 否、少なからずあった。

 こんなことでは次の検査でも、好い成績を納めかねる可能性が、冷静に判断すると極めて高いようにも思われ、万が一にもそうなったら、お医者様の前で言訳に困じていたたまれぬ思いをするは必定である。

 そこで、是が非でも三箇日さんがにちが明けたら、今度こそ断々固節制をと思っていたのが、なぜだかいつの間にかに、七草が過ぎたら断固ということになって、その七草前日の六日の晩には、明日からはきれいさっぱり品行方正になるのだから、今宵ぐらい多少のお目こぼしがあってもということで――

 そういう紆余曲折があったものの、七日以降は何とか面目を保っている次第。

 そもそも論からするならば、検査の前の数日だけの節制で何とか平穏無事な数値を一時的にも獲得して安心しようなどというのは、健康管理の本質において小手先しのぎのまやかしであり、随分と愚かな所業である。しかし、そんな道理は、諸賢に言われなくとも百も承知なのである。百も承知なのだが、道理どおりには物事が進まないというのが人間の人間たる所以であり、哲学だの、信仰だのというものの面目も、こういった道理ならざる矛盾にこそ根を張っていることは論を俟つまい。


 何が言いたいかというと、人生はままならぬという哲学的真理である。


 そうして、京急富岡駅に向かう車中においても、家人の隣に腰掛け、草野心平の詩集のページに目を落としていた僕は、そこに並んだ文字列を毫も認識することなく、先述したような真理と言おうか、哲学的大問題について、飽くことなく思案していたのである。

 すなわち、参拝の後は、頃合いもちょうど昼飯時ではあるし、そもそも、神事のあとには直会なおらいを執り行うがしきたりであるから、当該昼飯と直会とを兼帯した儀をどこだかの食堂なりで挙行すべきであろうけれども、この際に及んで、吾が節制の禁を犯して、お神酒を口にするも可なりや否やという大問題である。

 しかし、そうこう考えている間に電車は刻一刻と目的地に近付いて行く。僕の頭の中では、あれかこれかの懊悩――

 やがて車内アナウンスが「まもなく京急富岡、京急富岡です」と告げる。支度をしてドア付近に向かい、停車、開扉の後、ホームに足を踏み入れた途端、天啓に導かれるように、僕の決心は固まった。

 否、実際に天啓に他なるまい。

 つまり、神慮に曰く、神事のしきたりは大切にしなければならぬ。そうして、そこから敷衍するに、しきたりには、是非ともお神酒が必要だという大悟も得た。

 かくして、僕の肚は定まった。定まったのではあるが、本件を行動に移すにはまだいささかの手続きを要す。何となれば、従前から僕は家人の前で、月末の定期受診の前には節制が必要であり、殊に食生活には気を付けねばならぬので、貴女きじょも大いに含んでおいてもらわねば困ると宣言していたからである。

 この宣言に背き、否、背くとは言わぬまでも、一時的にでも留保する旨を家人に開陳する必要がある。さてさて、その弁明にいかなる策を講ずべきか。

 駅舎を出てから参道までの道すがら、数年ぶりの街並みを二人で懐かしく話題にしながらも、僕の真の心はそこにあらずで、かかる哲学的大問題を解き明かすべく呻吟していた。しかるに妙案は浮かばない。

 そうして、交差点で信号待ちをする際に、このままではタイミングを逸してしまう、ええいままよとて、駅のホームで得た、先の天啓の端緒を、それとなく舌頭に上らせてみたところ、敵はあきれたような苦笑を浮かべつつ、案の定ですね、そうだと思っていましたとでもいうような、言外の表情を浮かべた。そうして、憐れむように、そんなことはいちいち私の赦しを乞わずともよいとのたもうたのである。

 思えば、人生の半分を僕と共に過ごしてきた家人である。何かにつけて、僕が偉そうに高らかなる宣言を行いつつも、しばらくすると、惰弱なる稟質ひんしつからそれを撤回せざるを得ない仕儀になる場面を、幾度となく目の当たりにしてきたことは間違いない。その四半世紀以上の経験から、御酒ごしゅの誘惑を前に僕がどのような体たらくになろうかは、うにお見通しであったという次第であろう。

 怖ろしや、怖ろしや。且つ、ありがたや、ありがたや。


 かくして、僕は直会にてお神酒を頂戴することになったのだが、その具体的な顚末については、更に稿を改めることといたしたい。



                         <了>





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