きみの口輪筋は素敵だ
「サラ、きみの口輪筋は素敵だ」
「……は??」
王宮で久しぶりに催された夜会でダンスを踊りながら、学生時代からの親友ロイド・ラスボーン侯爵令息に満遍の笑顔で言われて、私サラ・ジョーセフ伯爵令嬢は一瞬呆けた。
不幸にもロイドの不可解な言葉が聞こえてしまった周りの貴族たちも、私と同じように凍りついていた。
彼は一体何を言っているのか。
「ロイド、何言ってるのよ。冗談はやめて」
「冗談なんかじゃない。心から素敵だと思っている」
ロイドは会場によく響くように心持ち声を張っている。まるで誰かに聞かせるかのように。
「ああ、そういえばサラは、昔から母君に教わっていた表情筋トレーニングをずっと続けているんだったか。どうりで笑顔が輝くように生き生きしていると思ったよ」
なんだか言っていることが説明っぽく、且つ台詞臭い。
「ふざけないで。私たち二人とも婚約を解消されて、新たなご縁を探さなきゃいけないってのに、馬鹿な発言してる場合じゃないわよ!」
大声で怒鳴りつけたいところを、理性の力でなんとか堪えて、囁くような小声で睨め上げる。
公衆の面前で顔面筋肉を部位で褒めちぎる男と、褒められる女。
普通に考えたら、どちらにも良いご縁など繋げられそうもないのだが……。
「それでも貴方はまだ良いのよ」踊りながらも続ける「侯爵家の嫡男だし、金持ちだし、優秀で将来を有望視されてるし、イケメンだし」
「ありがとう」
「多少の頭のおかしい発言だって、許されるほどの優良物件だからね。でも、私は違うの」
金持ちの婚約者には逃げられたばかり。
家の商売は赤字続きで、援助してくれるお人好しを探し出して結婚まで漕ぎ着けなければ、一家離散で露頭に迷う。
どん詰まりなのに、後がない。
私の結婚に家の命運がかかっているのだ。
「サラは心配いらないよ。大丈夫だ」
「この状況でなぜそう思うの?」
現状を見てから言ってほしい。
貴方のトンデモ発言のせいで変人コンビ確定だ。今も周りの人たちから窺うようにチラ見されているんだぞ。
「そりゃあ、きみには俺がついているからな」
「なによ、ロイドが結婚してウチに援助してくれるっての?」
「ふむ。今のきみの家の状況じゃあ、俺の両親が許さないだろうな」
だろうね。
国内有数の貴族であるラスボーン侯爵家ともあろうものが、傾きかけてる伯爵家と縁を結びたがるものか。
「でも、きみなら絶対に大丈夫さ」
「あっそ。なんの根拠もない大丈夫をありがとう」
ここ何年もの間に、世界中にタチの悪い流行病が蔓延し、私たちは多くのものを失った。
人から人に感染していくそれは、大切な家族や友人、そして恋人を二度と会えない所へ連れ去った。
私の大好きだった優しい母も、連れ去られた人々の中のひとりだ。
それでもこの国はよく踏みとどまった方だ。
以前この世界にやって来て、今も活躍をされている聖女さまの生まれ育ったという異世界でも、かつて酷い感染症が流行ったことがあり、その際に手洗いや換気、身体的距離を保つ事で感染が拡大するのを抑えたのだという。
国王陛下は聖女さまのアドバイスを受け、これらの感染症対策を片っ端から取り入れた。他の国より感染者数の増加が緩やかだったのはその成果だ。
そうして感染を抑え込んでいる間に、王宮薬師たちが総力を上げて予防薬を作り出した。
国民に無償で使用された予防薬の効果で、重症患者の数は減少傾向を継続し、人々は将来に希望を持てるようになった。
感染者は0ではないものの、未知の病に怯え震えている時期はやっと過ぎたのだ。
これからは国の経済を立て直して、国民の生活を豊かにしたい。
そんな願いを込めて、王宮で何年かぶりに開かれた夜会だった。
私にとっては、新たな婚約者を探す絶好の機会であったにも関わらず、ロイドとの無駄話に終始してしまった。
夜会の数日後。
何故か会話すらした事がないアナ・ラッセル公爵夫人から、お茶会の招待状が舞い込んだ。
お呼ばれする心当たりが全く無い。
でも貧乏な我が家に、この先公爵家の方とお近づきになれるチャンスは二度と訪れないだろう。
勇んでラッセル公爵家を訪問すると、私を含む4人──国が推奨する適正な飲食時の人数だ──の御夫人たちとお茶のテーブルを囲む事となった。
「わたくしたち、どうしてもマスクが外せないの」
縋るような潤んだ目でラッセル公爵夫人は言う。
その顔は、豪華な刺繍の入った特大マスクで覆われていた。
マスク。
これも聖女さまの勧めで、国の感染症対策に採用されたもののひとつだ。
国王陛下は莫大な国家予算を注ぎ込み、身分の差なく国民全員にマスクを2枚ずつ配布した。
聖女さまの「小さいものじゃ意味がないの。必ず大きく作ってね」のリクエストで特大サイズになったそれは、平民たちに大層感謝されて、国王陛下の株を崇拝レベルにまで押し上げることとなった。
私たちの子孫は、我が国の歴史の授業で当代の国王陛下を『マスク王』と学ぶであろう。
「はあ、マスク……ですか」
私の気の抜けたいらえに、3人の御夫人たちがこくこくと頷く。
因みに先日の夜会の日より、マスクの着用は強制ではなく個人の判断に委ねられている。
「王宮主催の夜会に顔を隠すのは失礼だと思ってマスクを外してみたものの、何だか心許無くて」
「鏡を覗き込んでみたら、顔面がバキバキに強張っていてピクリとも動かないの」
「マスクを着けずに外に出るなんて、服を着ないで出歩くのと一緒だわ」
なんということか。
顔の大部分を覆い尽くす特大マスクの弊害がここに……。
「夜会の時は、お守りのようにドレスの内隠しにマスクを忍ばせておいたの。途中でマスクを掛けたい禁断症状が出て、マスクを取り出そうと暴走する左手を、自制心の右手が死に物狂いで押さえ付けていたわ。表面では平静を装いながら心の中はブリザードが吹き荒れていた……」
その時のことを思い出したのか、ラッセル公爵夫人は両腕で自分を抱きしめるようにして、ぶるりと震えた。
「必死に耐えていたその時、天から神の声が降ってきたのよ! 『きみの口輪筋は素敵だ』と」
あー、ロイドの言ったヤツ。
「踊る貴方たちから『表情筋トレーニング』というワードも聞こえてきたわ! ラスボーン侯爵令息を睨みつける貴方の表情はクルクルと変わって、本当に素敵だった。──お願いよ! 私たちに表情筋トレーニングを教えて下さらないかしら。自分の表情に自信が持てればマスクを外す事が出来ると思うの! もちろん謝礼をお渡しするわ」
「ラッセル公爵夫人。私でお役に立てるのなら、喜んで」
即答だ。
助けを求める御夫人方を放って置くことなど出来ない。
け、決して謝礼に釣られたわけではないのだ。
鏡を見ながらトレーニングを行いたいと言うと、ドレッシングルームに案内された。
さすがは公爵家、姿見も壁一面に作り付けられた大きなものだ。鏡の前で4人並んで立つと、私は教師然として言った。
「顔の筋肉を鍛えると引き締まって、はつらつと健康的に見えます。貴族はあまり感情を表に出さないものですが、高貴で厳かな表情も、気品のある優美な微笑みも、全て表情筋があってこそです」
姿勢を正し、口角を綺麗に上げてみせる。
御夫人方から、まあっ! と感嘆の声が上がる。
「美しい笑顔を浮かべるためには、口元の口角が上がっていないといけません。だからといって口輪筋だけを鍛えれば良いというものではないのです。大頬骨筋も鍛えないとたるんで口角が下がるし、眼輪筋が緩んでいると不自然な笑みになってしまいます。だから顔の全ての筋肉が大事なのですよ」
上を向いて舌を思いっきり突き出してみたり、口元を大きくへの字にしてみたり、頬を極限まで膨らませたり。色々なトレーニングをレクチャーする。
「あの……、トレーニング中の顔は絶対人に見られてはいけないと思います……」
下瞼を引き上げて薄目を開ける──目つきの悪い人が他人を小馬鹿にしたような顔(眼輪筋を鍛えるのよ)をしながらラッセル公爵夫人が躊躇いつつ漏らす。
確かに、こんな表情を見られたら、まず間違いなく愛想尽かされるでしょうね。
「これは私の母の言なのですが『女はね、美しさのために努力している姿を他人に見られてはいけないのよ。特に夫には絶対に。死ぬまで秘密を守れる事がミステリアスな良い女の最低条件よ。ふふっ』だそうです」
「「「ミステリアスな良い女……!」」」
3人揃って、うっとりと頬を上気させて呟く。
おおっと、心を鷲掴みにされてるぞ。
「最後に。表情筋トレーニングは決してやり過ぎてはいけません。過度なトレーニングはシワやたるみの原因になってしまうので。何事も程々に、です」
「分かったわ」
帰る頃にはすっかり昔からの女友だちのよう打ち解けて、トレーニングの成果を見せてもらう再来訪を約束させられた。
謝礼のほかに沢山のお土産を持たされ、ホクホクしながら帰宅した私を、父の驚き顔が出迎えたのだった。
3週間もすると、私の名前はラッセル公爵夫人経由で社交界中に広まっていた。
表情筋スペシャルトレーナーのサラ・ジョーセフ伯爵令嬢。
何故か自分で名乗ったこともない、謎の肩書きがくっ付いてるよ。
今まで全くご縁の無かった貴族の令嬢や夫人から沢山の招待状が届き、お茶会の席で手鏡片手に表情筋トレーニングのレクチャーをする毎日。
マスクを外せなくて悩んでいる人は思いの外多くいて、亡き母に教わったことがみんなの役に立っていることが素直に嬉しかった。
流行病で、人となるべく会わないようにしていた日々が嘘みたいだわ。
「──という訳で、毎日忙しく飛び回っているのよ」
「へえ、そんな過密スケジュールの合間を縫って、俺にお茶をご馳走してくれるなんて有り難いな」
「今が充実しているのは全部ロイドのおかげだから、お礼を言いたかったの。どうもありがとうね」
愉快そうに笑っているロイドに、我が家で用意できるいちばん最高級の茶葉で淹れたお茶を勧める。
今思えば、ロイドが夜会の日に口輪筋なんて言い出したのも、こうなるように仕向けていたのに違いなかった。
彼は学生時代にも色々と裏から手を回して生徒同士の揉め事を解決したり、学園内の秩序を守るために暗躍したり、型破りな生徒会長だった。
「どうしたリサ、思い出し笑いか?」
「ちょっと学生時代を思い出しちゃって」
懐かしいエピソードのあれやこれやが、ふと胸をかすめて口元が綻んでしまう。
「無意識に記憶の改竄をしているな。生徒会に持ち込まれた面倒事の殆どが、副会長のきみが何とかしてくれと俺に頼んできたものばかりだったぞ」
「ええっ! そうだったっけ?」
「ああ、おかげで俺はいつも雑事に追われて目の回る毎日で……でも、凄く楽しかった。あの頃とは何もかもが変わってしまったな」
在学期間の後半は流行病のせいで家から出られなくなってしまい、授業も出来なくなってしまった。私たちは中途半端な気持ちのまま卒業してしまったのだ。
あの頃とは世の中の何もかもが変わってしまった。
当時、私にもロイドにも親に決められた政略の婚約者がいて、卒業したらそれぞれ結婚するものだと思っていた。
私は家が傾いて婚約者に逃げられ、ロイドの婚約者は病に罹患して重い後遺症が残り、結婚することが出来なくなってしまった。
誰にも言えなかったけど、学生時代はロイドに淡い想いを寄せていたのだ。
今のお互いフリーな状況は、当時の私にとっては歓迎すべきことだったかもしれないけれど、家格が違い過ぎて絶対に叶うはずのない恋だと、大人になった私は痛い程知っている。
このままでいい。
このままの、一番大切な親友同士のままで……。
「ところで、王宮の夜会でのことだが──あれは全部がきみの為ってわけでもないんだ」
「そうなの?」
でも、お陰で我が家が経営している商会の化粧品が凄い勢いで売れている。
あの大評判の表情筋スペシャルトレーナー、サラ・ジョーセフの実家の商会で扱っている化粧品なのだからきっと効果が高いのだろうと、貴族だけではなく平民までこぞって来店し、山にように購入していくのだ。
良い流れだわ、この調子で借金を完済したいところね。
「貴方に何かお礼をしたいから、考えておいてね」
「何でもいいのか?」
「もちろん良いわ。恩人への大出血サービスよ」
「じゃあ今度我が家で開く夜会に、必ず出席してくれないか」
そんなんで良いの? お安い御用だけど。
「意外ね。学生時代からの腐れ縁だから、きっと無茶ブリされるかもと思ってたわ」
「ちょっとしたイベントがあるんだ。きみがいないと始まらない」
「ふ〜ん??」
ラスボーン侯爵家の夜会当日。
煌びやかなシャンデリアの下、談笑する令嬢や婦人は見知った顔ばかり。
改めて私は表情筋トレーニングを通じて多くの人脈を広げたのだわと実感した。
「リサさま。ご機嫌よう」
声を掛けられ振り返ると、ラッセル公爵夫人がニッコリ微笑んでいた。
その顔に以前の大きなマスクは無く、トレーニングの努力が報われて口角が綺麗に上がった美しい笑顔だった。
「ラッセル公爵夫人。お会いできて嬉しいです」
「ふふふ、アナと呼んで頂戴と言ったじゃない?」
「そうでしたわ、アナさま」
「今夜は、幸せを少しだけ分けて貰いたくて参加しましたのよ。楽しみにしておりますわ」
今夜何かあるのですかと、ラッセル公爵夫人に問い掛けている最中、いきなり乱暴に肩を掴んでくる手があった。
フォレス・ベンバートン伯爵令息──私の元婚約者だ。
「リサ! 間に合ったか。──お前まだ何も言われてないよな!」
「お久しぶりです、ベンバートン伯爵令息さま。何も言われてないとは、何のことですか?」
内容を知らなければ、それを言われたかどうかさえ分からないではないか。
援助が無くなって金策に走り回っていた父には申し訳ないが、自己中心的な彼とは昔から話が噛み合わなくて結婚後の生活が危ぶまれたから、婚約が解消された時は内心ほっと胸を撫で下ろしたものだ。
「その様子だと、まだのようだな。──いいか、よく聞け。この僕がお前ともう一度婚約を結び直してやろう」
「結構です」
「あぁ? どうせお前は僕に捨てられて、毎日泣き暮らしていたんだろう?」
開いた口が塞がらないわ。
婚約が解消されて赤の他人となった私の耳にも、彼が幾人もの女性を渡り歩き、自堕落な生活を送っているという噂は届いている。そんな不誠実な男と再度婚約したいと思うわけがない。
どうせこの男のことだ、少しだけ社交界に名前が知られた私を、さも自分の手柄のように自慢したいだけなのだろう。
ハッキリと婚約の申し出を断るために口を開きかけると、ラッセル公爵夫人が、すいっと前に出る。
「ベンバートン伯爵令息。貴方は本日の招待客ではありませんよね。何故この場にいらっしゃるの」
「そうよ。ジョーセフ伯爵令嬢の幸せを邪魔しにきたのね。最低!」
「浮気者の悪評は、この場にいる全員が知っておりますわよ」
驚くべきことに、私の周りにいた全ての女性たちがフォレスを囲んで攻め立て始めた。
「な……何だよっ! お前らは……!!」
「わたくしたちは皆、サラ嬢の友人で味方ですわ。彼女に何らかの悪意を持って近づく人間を許しません!」
壁際に追い詰められていく彼の顔が、恐怖に歪む。
そう、彼女たちは全員、あの顔をしていたのだ。
あの──目つきの悪い人が他人を思いっきり侮蔑する眼差し。
下瞼の筋肉を正しく意識していなければ出来ないその表情を、彼女らは毎日のトレーニングで完璧に体得していた。
それを綺麗に上がった口角と組み合わせれば、誰もが震え上がる薄気味悪い顔の出来上がりだ。
「ひいぃぃぃ〜〜〜っっ!!」
一目散に逃げていくフォレスを笑いながら見送る彼女たち。
「ざまをみなさい。夜毎の悪夢にうなされるといいわ」
「あの男を“人”だと思っていないから、トレーニングの顔を見られたって平気ですわ」
「私たちの『ミステリアスな良い女計画』はこれからも継続よ」
そう言って何度も頷き合っている。
ありがとう、みんな! ……ミステリアスじゃあないけれど、すっごく良い女だよ。
「サラ、大丈夫か!!」
人混みを掻き分けるようにロイドが息急き切って駆け付け、私の無事を確認すると安堵の声を上げた。
フォレスをみんなが追い払ってくれたことを説明すると、ロイドは全員に謝意を示し丁寧に頭を下げた。
私にはなんだかそれが、夜会の主催者としてではなく、自身の大切な人を助けてくれたお礼のように聞こえて、ちょっとくすぐったい気持ちになったのだ。
「正直、口輪筋の話題を持ち出した時には、ここまで皆の表情が明るく変わるだなんて思っていなかった。きみはいつも俺の予想を良い意味で裏切るな」
「えっへん。みんな出来の良い生徒たちですから」
「もっと威張って良いぞ。俺が許す」
こうしてロイドと踊っていると、先日の王宮での夜会の再現のようだった。
でもあの時とは、私の心持ちが違う。
婚約者を探さなければいけない焦りとか、将来への不安だとか、そういうものが消え去って身体の奥から力が湧いてくるのだ。自信を持たせてくれたロイドには感謝の気持ちでいっぱいだ。
「今はまだ、外を歩いていてもマスク姿の人々は多いけれど、今夜の夜会のように徐々にマスクを外していく動きが広がっている。遠くない将来、誰もがマスクを外して胸を張って歩ける日が来る。──この国はきっと大丈夫だ。悲しい日々を必ず過去に出来る」
「……うん。根拠のある大丈夫をありがとう」
根拠はある。
周りを見渡せば、心に大きな希望を秘めた眩しい笑顔たちが溢れているから。
この国はきっと大丈夫。
マスクを外した顔を上げて、胸を張って、ようやく自分自身の新しい人生を歩き出す私たち。
色んな場所に出掛けよう、沢山の人たちに会いに行こう、とびきりの笑顔で。
別れを告げぬまま旅立って行った大好きだった人たちも、そんな私たちを空の上から見てくれると良い。
「リサ。どうか俺と結婚してくれないか」
ダンスの動きを止めた直後、ロイドは私の手を握ったまま片膝をつき求婚してきた。
「ほ、ほぇぁっっ??」
「ずっときみのことが好きだった。これからの人生を俺と共に歩んで欲しい」
嘘っ!? ロイドが私のことを……?
「だ、だ、駄目よ! ウチは貧乏で……」
「ジョーセフ伯爵家は商会が繁盛していて、負債は無くなったと聞いたが」
「私が相手じゃ家格の釣り合いが……ご両親が反対するわよっ」
「今や、きみは社交界のインフルエンサーだ。影響力のあるきみとの婚姻を反対する理由などないよ。両親には頑張れとハッパを掛けられている」
「でも……でも……」
どうしたらいいのか分からず戸惑う私に、彼はニヤリと笑って見せる。
「夜会の招待客は全員、今夜俺がきみに求婚することを知っている。周りを見てごらん」
ロイドの言葉に会場中を見渡すと、ふたりを中心に生暖かい笑みを浮かべた人々の、大きな輪が出来ていた。
女性たちの瞳はこれからの展開を期待してキラキラと輝いているし、ラッセル公爵夫人の口角の上がった綺麗な唇は『頑・張・れ!』と形作られている。
「俺だって求婚を受けて貰うために必死だからな、外堀は埋めさせてもらった────で、どうかな。返事を聞かせてくれないか」
返事はもう決まってる。
自分に素直に、いっちばん幸せになれる選択をする。
けれど、こんなの恥ずかし過ぎるわ。
人前で注目されるのが苦手だって知ってるくせに、絶対ワザとだよね。最初から──王宮の夜会の時から全部計画済みだよね?!
ああもう! 顔が熱すぎるし、抑えようとしても嬉しさで口元が緩むし、これって表情筋スペシャルトレーナーの名折れだわ。
今すぐ顔を覆い尽くすマスクが欲しい。でも、持ってない。
うわーっ。ちょっと、誰か。
お客さまの中で、国から支給された特大マスクを、今この場でお持ちの方はいらっしゃいませんか??