二人の夏が始まりました
とある夏の昼下がり、糞欝陶しい蝉どもが合唱してるような時間帯のことである。
「……むにゃむにゃ」
新校舎三階にある一年三組の教室。そこで女生徒が一人、ぽつんと机に突っ伏して寝ていた。見知ったやつである。
出席番号33番の宇田川青子だった。
それを見つけた仮にも担任教師でである俺は当然――。
パシンッ。
一発、頭をひっぱたき。
「寝てないで起きろ、宇田川」
声をかける。行動の順番は間違ってない。
「おふっ」
宇田川は妙な声を漏らして、むくりと顔をあげた。
「……なにすんだよ。くらじー」
「寝てるおまえが悪いんだ。それとくらじって呼ぶな。先生と呼べ。先生と」
「くらじを先生とよぶのは他の先生に失礼じゃん」
「おまえが失礼だ」
パシンッ。
「おふっ……暴力はんたーい」
「愛で叩いてるから痛くない」
「愛とか気持ち悪いこといってんなよ。くら爺」
「俺はまだ25だ。爺とか言われる歳ではない」
まだまだ余裕で現役だ。2、3日完徹したあとにフルマラソンを完走することだって可能だ。
「そんなことより、宇田川。プリントは終わったのか?」
「ほれ」
ぐいっと目の前に突き出されたプリント。俺がさっき補習のまとめとして宇田川に渡したモノで、戻ってくるまで終わらせておくように言ったものである。
パシンッ。
「おふっ」
「なにやってんだ。真っ白じゃねーか」
真っ白だった。それはもう青空の下で風に揺れる洗い立ての白いシーツのように。
本当に洗剤だけでこの白さなの!?当たり前だバカヤロウ。
「おまけに波打ってるぞ」
「私のよだれだけど、舐める?」
「んじゃ、ちょっと味見」
ベロンと舐めてみた。紙の味しかしなかった。
「うわ……今のは流石にヒクわ……変態かよ」
「なんだおまえ知らなかったのか?俺は変態だぞ」
「自信もって言うなよ。そんなんでよく教師やってられるな」
「まぁ、学校で俺の本性知ってるやつなんておまえしかいないから別に何の問題もない。どいつもこいつも適当に調子合わせて、笑っとけばコロッと騙されてくれるもんだ」
「反面教師」
「変態もバレなきゃ一般人」
「私にバレてるぞ」
「おまえには別にいーんだよ」
「惚れたか?」
「乳臭いガキには興味ないな」
「なら、なんで私にはバレててもいいんだよ」
「俺だっていつも皮被ってると疲れるんだよ。溜まったモノを吐き出せる奴がいると都合がいい」
「なんだよそれ。疲れる生き方だな。自分に素直にやりたいことやって生きりゃいいだろ」
「はっ、まだまだガキだな」
「おまえみたいな大人にはなりたくねーな」
「今はそうかもな。おまえも年取ればいずれわかるさ」
「そうかよ」
つーんと拗ねた。
「かわいいなおまえ」
「急になんだよ。やっぱり惚れたか?」
「宇田川、確かおまえ16になってたよな?」
「それが?」
「俺と結婚しろ」
「くたばれロリコン」
「嘘だ。ちょっとドキッとしたか?」
「するか」
「おまえ、俺が週に何回ガキ共にコクられてるか知ってるか?手の指だけじゃ数え切れないぜ」
「イケメンで誰にでも優しい先生とか、あー、惚れそ」
「人の本性も知らないでキャッキャッウフフと馬鹿な奴らばっかだよ。こっちはガキなんかにゃ興味ねーのに」
「くらじはガキだけじゃなくて人間そのものに興味ないんじゃないのか?」
「お、わかるか」
「なんとなく」
人間そのものに興味がない。
宇田川の言うとおり、俺はいつのころからか人間に興味をもてなくなっていた。
人間はどうしようもなくつまらない生き物だ。
※
宇田川青子は馬鹿である。具体的に言うと成績が悪い。
そのため、宇田川は夏休みであるにもかかわらず学校に登校しなければならない苦行をあたえられていた。つまりは補習授業。宇田川にとって夏休みなどあってないようなものだ。
そして、その補習に付き合って永田倉次、つまり、俺にとっても夏休みなんてあってないようなものになっていた。
が、そんな日々も今日で一先ずの終わりをむかえる。宇田川の補習は今日で最後だ。
これでやっと宇田川も俺も夏休みをむかえられるわけだ。この際、夏休みが今日も含めて、あと一週間しかないことは眼をつぶろうと思う。
「宇田川ー。終わったかー?」
教室の端っこに置いてあったパイプ椅子を引っ張り出した俺はそれに腰掛け、茹だるような暑さに団扇一つで対抗していた。パタパタと。
俺はすでに仕事を終えているので、あとは宇田川次第だった。
「……」
「おーい、宇田川ー」
「……」
「……?」
「……むにゃむにゃ」
パシンッ。
「寝てんじゃねーよ」
「おふっ」
「早くヤレよな。おまえが終わらないと帰れないだろ」
「……だってわかんねーもん」
「おまえ、今まで補習でなにやってきたんだよ」
「補習とか知らん。私ほとんど寝てたし」
パシンッ。
「おふっ」
「……教科書見ていいから、さっさと空欄埋めろ」
「教科書見るより、くらじが教えてくれたほうが早いと思います」
「面倒臭い」
「ヘタレ」
「意味わからん。ヘタレ言うな」
宇田川はぶつくさ文句を言いながら、机の中から教科書を取り出すと、パラパラとページをめくっていく。
もくもくと作業に取り組む。
俺はそれを視界の片隅にパタパタと団扇をあおいだ。
しっかし、今日は暑いな。
早く夏終わってくれないかなぁ。
「おーい、宇田川ー」
「まだ終わってない」
「今日、暑いなー」
「みなまで言うなよ」
「おまえアイス買ってこいよ。俺、ガリガリ君な」
「くたばれ」
「なんだよ。60円ぐらい奢ってくれてもいいだろ」
「しかも、私が奢るのかよ」
「当たり前だろ。当然だろ。普通だろ」
「異常だろ」
「だったらなにか?俺がおまえにアイス奢るのか?ふざけんじゃねーよ、バーカ」
「60円ぐらい自分で出せ。社会人がケチケチすんな」
「ちっ、そう言われると言い返せないぜ。しゃーない。自分で買いに行くか」
「私はあれだ。メロン型の容器に入ったメロンアイスが食べたい」
「あいよ。任された」
「お、素直だな」
「買いに行ってくるから、おまえはプリント終わらせとけよ」
まっ、任されたふりなんだがな。買ってきたアイスを宇田川の目の前で食べてやろうとたくらんでる。誰も買ってきたやつをやるとは言ってない。
教室を出て、廊下に出て、校門から学校の外。夏の日差しに曝される。暑さでぼやける町並みを前に早くも屋外に出たことを後悔した。
糞暑い。
夏は好きに馴れそうにないと思った。
※
「くたばれ変態教師」
「アイスうめぇ!ガリガリ君うめぇ!」
最寄りのコンビニから戻った俺は先程企てた計画を実行していた。
宇田川によく見えるようにと、わざわざパイプ椅子を宇田川の席の前に設置して、シャクシャクシャクシャクとガリガリ君をほうばっていた。
「私のメロンアイスはどうしたんだよ」
「宇田川、俺が素直に買ってくると思ってたのか?」
「……」
あ、ちょっと拗ねた。
「それちょっとくれ」
「いや、もう食べ終わったし」
すでにガリガリ君はただの木の棒に成り果てていた。残念なことに当たりはでなかった。棒の側面にはなんの文字も刻まれていない。
「それともなにか?この棒が欲しいのか?」
「そんなのいらん」
「ま、遠慮すんなよ」
「うぐ……!?」
言うが早いか俺は持っていた棒を宇田川の口の中に突っ込んだ。
「……!?」
「俺との間接キスに嬉しくて声も出ないか?」
「――っ!!」
なんて冗談めかしに言うと、途端に宇田川が顔が赤くなっていく。いつも仏頂面な宇田川にしては珍しい反応だった。
「お?照れてんのか?」
「……」
宇田川はぺっと棒を吐き出すと怨みがましく俺を睨みつける。
「やっぱり、照れてんだな?照れてんだろ?」
「……のに」
「あ?」
ぼそりとなにかを呟く宇田川。あまりに小さい声だから聞き取れなかった。
「……初めてだったのに」
初めて?なんだ間接キスのことか?
「間接ぐらいなんだ。初めてもなにも間接だろ?ノーカウント、ノーカウント」
「……お返しだ」
不意に宇田川の手が伸びた。がしりと俺の顔が両脇から固定されて、そのままぐいっと俺と宇田川の顔が近づいて――。
「むちゅー」
「んー!?」
キスしやがった。間接なんて生温い。口と口だ。
一瞬、頭の中が真っ白になったが、すぐに状況を理解した俺は高速で宇田川から距離をとった。そりゃもう物凄い勢いで。
「う、宇田川、てめぇ……!急になにしやがるッ!」
「やったら倍にして返す」
「だ、だからって、おまえ!今のは……ッ!」
「なんだよ。照れんなよな。なんだ?まさか、くらじも初めてだったとか言わないよな?」
「……んな!?ふざけんなバカヤロウ!誰が初めてだ!」
「図星だな。くらじは25にもなってチューもしたことなかったんだな。うわっ、はずかしー」
「はぁ!意味わかんねーし!?」
「顔真っ赤になってんぞ」
「はぁ!意味わかんねーし!?別に赤くなってねーし!?」
「あんなにモテるのチューもしたことなかったのかよ。まさか、彼女もいたことないとか?」
「別に彼女とかいらねーし」
「ヘタレかよ」
「なんでそうなる。ヘタレ言うな」
「ヘタレ、ヘタレー」
「だー!!うるせー!!おまえはとっととプリント終わらせろっつーの!」
※
永田倉次、つまり、俺の彼女いない歴はイコールで年齢に結び付く。俺は生まれてから恋人がいたことがない。
モテないわけではなかった。顔はそこいらの芸能人なんかより断然いいし、性格にしたって上手く本性を隠している。
いいよる女なんて、星の数ほどいた。
故に、俺は彼女が出来ないのではなく、つくらないのだ。
理由はいろいろとある。別に好きでもないやつと付き合いたくないとか、付き合ったら付き合ったでなんか面倒臭さそうだなとか。簡単なもんだ。
別に過去にトラウマがあったりとかそういうわけではなかった。
『なんとなく』という理由が一番しっくりくる。
「くらじー」
「……あ?なんだ?終わったのか?」
「いや、全然」
「おまえ、いい加減にしろ」
「くらじ。私ってさ寮生活だろ」
俺の言葉を無視して宇田川は無理矢理話を展開してきた。
「うちの学校に通ってるやつは大体そうだろ」
「それでな。今、寮に帰っても誰もいないんだ」
「やったじゃん。貸し切りだな」
「ほとんどが夏休みを利用して里帰りしてるし、居残り組は居残り組で親睦を深めるためにとかいって、みんなで沖縄旅行だって」
「で、おまえは一人だけ取り残されたわけか」
「補習あったし」
「おまえの両親海外だしな」
「面倒臭いし」
「おまえ友達いないもんな」
「みんな夏休み終わりまで帰って来ないって」
「なるほど、おまえは残りの夏休みを寮で一人淋しく過ごすんだな。うわ、花の女子高生が悲しいわぁ」
「うるさい。25歳で初ちゅーもすませてなかった悲しい奴には言われたくない」
「おまえだって人のこと言えないだろ」
「私の初ちゅーは16歳の夏、担任教師に奪われましたとさ。私の勝ち」
「早い遅いに勝ち負けの概念はない。だいたい奪われたのは俺の方だから。人聞きの悪いこと言うな」
「そんなん知らーん」
「はぁ。わかったよ。もう俺の負けでいいや」
「認めたな。よし、新学期始まったらくらじに襲われたって言い触らす」
「ふーん。で、おまえはまず誰に言い触らすんだ?友達か?あ、おまえ友達いなかったっけ?ごめん、ごめん」
「話す相手ぐらい、いる」
「嘘つけ」
「しまったバレた」
「おまえの話しを聞くような物好きなんて俺しかいない」
「思い上がるな。自惚れるな。捜せば他にもきっといる」
「いや、いないと思う」
「うん、私もそう思う」
「自覚あるのかよ」
「乙女だから」
「はい、そうですか」
「信じてないな。くらじ、私だってな、ちゃんと乙女の恥じらいっていうものをもってるんだぞ」
「おまえに恥じらいって言葉ほど似合わないモノはないと思うけどな」
「私は恥じらって、さっきチューした時に舌を入れなかった」
「うわ、すごい恥じらってますね奥さん」
「認めたか。私の勝ち」
なんだかんだいいつつも俺は宇田川との会話を楽しんでいた。
宇田川との会話は他の奴らとの会話に比べ面倒臭くないし、楽だ。
多分、俺と宇田川は似た者同士なんだと思う。
※
「残りの夏休みを家で一人、淋しく過ごす、くらじ先生」
「急になんだ。今度こそ終わったんだろうな?」
「終わるわけあるか、バーカ」
「バカっていったほうが、バカなんだよ、バーカ」
「なら、くらじもバカなんだな」
「俺はバカじゃない。変態だけど、バカではない」
「なら変態」
「わーい!」
「バカより変態のほうがいいのかよ」
「いいんだよ。俺は変態に誇りをもっている」
「くらじの誇りなんて埃みたいなもんだろ」
「宇田川、別にうまいこと言えてないからな」
「そんなことあるかも」
「でだ。宇田川、残念だけど俺は残りの夏休みを家で一人、じめじめっと過ごすつもりはないから」
「ナンパ?」
「そんなことしないし、そういうことでもない。それに俺はナンパされるほうだ」
「言ってろ。で、どういう意味だよ」
「俺は残りの夏休み、友達のいない宇田川の部屋で寝泊まりする予定」
「汚される。犯される。近寄んじゃねー。変態教師」
「嘘だ。本当は里帰りする」
「裏切り者」
「裏切りという行為は、それらが仲間同士であることが前提だ。故に俺達は仲間でもなんでもないため、裏切り者というのは当て嵌まりません」
「お互いに初めてを捧げあった仲じゃん。超愛してるぜ」
「実は俺、多額の借金を抱えてる」
「あー、ポケット叩いたら中から離婚届けでてきたー。ほら、さっさとサインしやがれ」
「金の切れ目が、縁の切れ目。せちがらい世の中だぜ。そのまえに俺達、結婚してないからな」
「くらじ、さっき私にプロポーズしたじゃん」
「あらやだ、この娘。現実を自分の都合のいいように湾曲していらっしゃるわ」
「つーか、里帰りって言っても、どうせ隣町とかなんだろ?往復するのに1時間もかかんない近場なんだろ?」
「いや、俺の故郷、東北のど田舎」
「夢見んな。幻想だ」
「俺の故郷ではな夏の終わりに祭があるんだ。この時期には必ず帰省して、祭の準備云々を手伝いをすることになってんだよ」
「祭があるのか」
「夏の風物詩だ」
「私も行きたい。連れてけ」
「はあ?」
俺は宇田川の唐突な発言に思わず、そう返していた。
「補習ないなら暇だから。だから私を連れていけ。祭の手伝いっていうのも気が向いたらやってやるし」
「嫌」
「……」
「……」
「むちゅー」
「んー!?」
なにを思ったのか、宇田川はまたキスしてきやがった。俺はそれを速攻で引っぺがす。
「な、なにしやがる!」
「連れてけ」
「だから嫌」
「今度は舌いれるぞ」
「そう何度もキスされない」
「連れてけ」
「嫌」
「連れてけ」
「……」
「連れてけ」
「……はあ。わかったよ。連れていってやるから、黙れ」
「嘘だバーカ。誰がくらじと一緒になんか行くか」
俺はその一言でカチンときたのはいうまでもないことである。
「宇田川」
「うけるー」
「変態に二言はない」
「あぁ?」
「言ったからには俺はおまえを絶対に連れていくからな」
「ふざけんな。私は残りの夏休みを部屋でじめって過ごすんだ」
「そんなこと知るか。おまえは俺と一緒に来い。もう強制だ」
「だから嫌」
「俺と一緒に来い」
「やだ」
「つーか、今すぐに行くぞ。今から出れば夜には着く」
「補習終わってないし」
「そんなんどうだっていいわ」
「教師の言うことじゃねー」
「ちなみにあれな、始業式前日まで帰って来ないから、泊まる用意も必要な」
「だから行かないって」
「とりあえず、おまえの寮に寄って、それから俺ん家。用意出来たらそのままゴーだ」
「おい、くらじ」
「さ、行くぞ」
なにか言おうとしている宇田川の腕を引っ張り無理矢理に立たせる。話しなんて聞いてやらない。
「お、おい!離せ!」
「ぐだぐだ煩い。黙って俺について来い」
「だから嫌だって!」
なおも嫌がる宇田川、俺は面倒臭かったので。
「……ん」
「うぅー!?」
無理矢理唇を奪って黙らせた。今更、キスの一回や、二回、なんてこたない。それに、やられっぱなしは嫌だった。
べつにしたかったわけじゃない。
「来い」
「……わ、わかったよ」
「よし。なら行くぞ」
俺は宇田川の手を引いて教室を出た。
※
「ほら、やるよ」
校舎を出る前に職員室に寄る。俺はその職位室に備え付けられている冷蔵庫の中から取り出したモノを宇田川に渡した。
「アイス……?」
「おまえの言ってたのそれだろ?」
メロン型の容器に入ったメロンアイス。
「一応、ご褒美だ。有り難く感謝しろ」
「ツンデレかよ」
「つんくがデレデレ?なんだその気持ち悪い状況」
「失礼だ。つんく様に誤れ」
「めんご、めんご。はい、謝った」
「よし、私に免じて許す」
「おまえ何様だ」
「神様だ」
「そりゃ偉いな。あー、偉い、偉い。よし、頭撫でてやる。なでなで」
「やめろ、触んな。ハゲが移る」
「移してるんだよ。って、まて、俺はまだハゲてないから」
「ふむ、まだ自分では気がついてないか。それに、まだってことはどういうことかな、くらじ君」
「んなわけあるか。そろそろ行くぞ」
「ふっ」
「……」
宇田川は不敵に笑っていた。
言っておく。俺はハゲてない。
宇田川と共に職員駐車場にとめてあるマイカーのもとへ。道すがら、宇田川は美味しそうにメロンアイスを食べていた。
「うお。大気圏突入可能なシールドも溶けそうだ」
「こんなとこ入ったら茹でる」
車内は超暑かった。とりあえず窓全開。冷房はつけない。ガソリンをくうし、それに冷房は嫌いだった。
エンジンがかかる。アクセルを踏むと車が動いた。窓から僅かに風が入ってくる。熱風だったけど。
まずは学校から徒歩5分の近場にある学生寮へ。
「勝負下着は忘れんなよ。ちなみに俺は黒が好き」
「そんなもんあるか。気持ち悪いぞ変態教師」
しばらく待つと荷物を抱えて宇田川が戻ってくる。
「合言葉は?」
「変態教師」
「愛下着は?」
「黒のレース」
「よし合格だ。乗れ」
宇田川を乗せて際発進。今度は愛しの我が家へ。1DKとちっちゃいアパートだけど、家賃安いし、コンビニ近いし、結構いいとこ。
「車にいるか?」
「動くのめんどう」
「わかった。すぐ戻ってくる」
「避妊具忘れんなよ」
「そのジョークはちょっとブラック過ぎる」
「私も言って気がついた。忘れろ」
「忘れる」
すでに用意はしてあったので、荷物を持ってすぐに車へと戻る。
「合言葉は?」
「初めてはソーダ味」
「ガリガリ君な。乗ってよし」
「つーか、これ俺の車だから」
三度車に乗り込み再々発進。
「なあ、くらじ」
車を走らせてしばらく、不意に宇田川が口を開いた。
「あー、どうした?」
聞き返す。
「飛行機乗る?」
「乗る」
「私、パスポート持ってないんだけど?」
「国内だ。バカ」
「え?いらねーの?」
「いらねーよ」
「飛行機乗れんの?」
「乗れるよ」
「全財産3000円しかないぞ?」
「だしてやるから心配すんな」
「今から行ってのれんのか?予約とかしなくて大丈夫なのか?」
「さあ?行けばなんとかなんだろ」
「……」
「宇田川」
「なんだよ」
「なんだかんだ言って、結構、不安なんだろ」
「……んなわけあるか、くたばれ」
「まあ、なにがあっても俺がついててやるから安心しろ」
「気持ち悪い。変態」
ぶつくさ言ってはいるが、宇田川の言葉に棘はなかった。
※
「だははははははははははははははははははは!」
「うるせぇ!バカ!笑うな!くたばれ!変態!変態!変態!」
腹を抱えて大笑いする俺。
顔を真っ赤にして俺をパコパコと殴る宇田川。全然痛くない。ここは愛を込めてうたちゃんとでも呼んでやろう。
「いや……!だって……!おま……!く、ははは……だははははははははははは!」
「わ、笑うんじゃねー!」
しばらく、まともに話すことが出来そうにないので、簡潔に回想で説明しよう。
飛行機に乗った俺とうたちゃん。
そこで問題が発生したわけである。
うたちゃんは飛行機に乗るのが初めてだったのである。実は途中から薄々気がついていたのは言うまでもなかった。
そんな、うたちゃん。飛行機が離陸するまでの間、ビビりまくりで、離陸するや離陸するであろうことか気絶した。
そして、さらに――。
「だって……!おまえ……!その歳でおも――」
「それいじょう言うなーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
仕方ない。うたちゃんの名誉のために、これ以上はやめておこう。
ま、今後このネタで弄りまくってやるけどな。
高校一年生にもなってーとか、誰が後始末しってやったんだーとか。
ニヤリニヤリ。
※
空港を出て電車に乗り換え、目的地の駅に着いた時にはすでに日は沈んでいた。
「元気になった」
「やったな。うたちゃん」
「うたちゃんってなんだ変態」
しばらくだんまりだったうたちゃんが、ようやく元気を取り戻したようだ。
「ここがそうなのか?」
「そう、ここが。俺の故郷の仁崖町」
――上營市、仁崖町……。
それが俺の生まれ育った町の名前だった。
「田舎つったわりには結構普通だな」
「まあ、田舎って言っても駅前だし」
無人の駅で、改札から一歩外に出れば見渡す限りの畑が!なんて、ど田舎ではない。
そこそこ普通のところである。
最近はぼちぼちと近代化が進み、一目見渡してみても、ちらほらとあっちで見たことがある店が立ちならんでいる。心なしか視界が狭く感じた。昔に比べ随分と便利になったと思う。
それでもやっぱり田舎は田舎、町行く人はどこか無理をしているように俺には見えた。
まあ、俺には関係ないことだ。みんな好きに頑張ればいいと思う。
「折角だから夕飯でも食べてくか?」
夕飯をまだ食べていないことを思い出して、俺はうたちゃんにそう提案した。
「焼肉食べたい」
その一言で今日の夕食が決まった。
※
「くらじ、タダ飯って旨いな」
「バカ言うな。さっきの分は全部借金だ」
たかられた。結果、奢ったような感じになってしまっている。
いくら全財産が3000円しかない苦学生だからといって、焼肉を奢ってやるいわれはない。そんなに俺は人間出来てない。ちょっと痛い出費だったし。
そんなわけで、後々、取り立てる気満々だった。
「身体で払う」
「それはなんだ?おまえの身体が焼肉様より高価な品物だと?失礼なやつだ。焼肉様に謝れ」
「私、実は凄いテクニシャン」
「黙れ処女」
「自主トレだって朝昼晩と一日三回欠かさない。ちなみにさっきもトイレに行ってイッてきた」
「あー、やたらとトイレが長いと思ったら……顔赤くして、息が荒かったのはそのせいか。つーか、そのトレーニングだと気持ち良くなるのおまえだけだろ」
「女の子だってエッチな気分になるんだから」
「おまえが言うと凄くがっかりな台詞だな、それ」
「しゃーないだろ。焼肉食べてたらたぎってきたんだから」
「わからなくもないが。ここはわからないと言っておく」
「それと私は実は処女じゃないからな」
「すまん。辛いこと思い出させたな」
GO!そして、完!
まさか、うたちゃんにそんな辛く、悲しい過去があったとは!あったとは!
「私の初めての相手はマイケル」
「外人だと!?ガチムチの黒人だと!?」
「いや、ただのバイブの名前」
「自分でやったのかよッ!!」
「あれな、死ぬほど痛い」
「男は死んでもわからない痛みだ」
うたちゃんはことごとく男の子が描く女の子の幻想を打ち砕いてくれた。いや、俺は幻想なんか抱いてなかったけどさ。それでも、これはちょっとヘビーだ。
「気が変わった。やっぱり、焼肉は俺の奢りってことでいいわ」
「くらじ、超愛してる」
「あーそうかい。俺もちょーあいしてるよ」
「でも、なんで急に?」
「いや、なんかおまえ不憫なやつだなーと思って」
心なしか。
うたちゃんの俺への態度に遠慮がなくなって来ている気がする。いや、もともと図々しいやつではあったんだけど。
更にというか、もっと深いところまで俺に曝してくれているような、そんな気がした。何と無く。
そんな俺も、うたちゃんにたいして気がつくと言わなくていいことまで言っていたりする。
悪い意味ではなく良い意味で。なんというか、言葉にして言うのはちょっと難しい。
※
田舎の畦道を走るタクシーの中、不意に肩に柔らかい感触が。
見ると隣に座るうたちゃんが俺に寄り掛かってきたことがわかった。
離れろと悪態をつこうと思ったが、聞こえる安らかな寝息にそれを思い止まった。
「……すぅ」
まあ、お子様はもう寝る時間だからな。幸せそうな顔で寝てやがる。
窓の外に目をやると、そこには闇が広がるばかりで、目を懲らしても、ほとんどなにも見えなかった。
駅から車で、ものの数十分走らせれば、畑が一面に広がるばかりで建物もあまり見掛けなくなる。街灯ですらも見つけるのに苦労するほどだ。
俺の実家はそんな町外れで、畑と山との境目あたりにひっそりと突っ立っている神社がそれだ。
神卸神社といって、地域限定で少しだけ知名度があったりなかったり。実を言うと俺はその神社の後継ぎだったり、なんだったり。ま、今、話すことでもない。
もう少しで、愛しのわが家につく。
ふと、そこで気づく。
「……すぅ」
俺に寄り添い寝息をたてているうたちゃん。
――なんて説明しようか……。
連れて来たはいいが、そのことをまったく考えていなかった。
でも、まあ、大丈夫だろう。
変態と変わり者(母さん)のことだ。なんやかんやでわー!な感じでとくに問題にはならないだろうさ。
「……くらじぃ」
不意に呟いたうたちゃん。
「あ?」
「……じゃむ……むにゃむにゃ」
「寝言かよ」
寝言で俺の名前を呼ぶって……どんな夢を見てるんだよ、こいつは。幸せそうな顔しやがって。
ぐにぐにとほっぺを突いてやる。柔らかくて気持ち良かった。悔しかったのでむにっとひっばってやった。
「……うぅぅ」
呻くだけでうたちゃんは目をさまさない。俺はさらに調子にぐいぐいと引っ張る。
「……うー……うー」
強くやってもうたちゃんは起きなかった。
「くくく」
面白いヤツ。
そういえば、今更だが、俺の名前は永田倉次なわけだが。
読み方は『くらじ』ではなく『そうじ』な。
うたちゃんはくらじ、くらじ言ってるが俺の名前はそんな名前ではないわけだ。
「……ふぅ」
今日は疲れた。
家につくまで、もう少しかかるし、俺も一眠りしておくことにしよう。