第1話 物語の始まり
なろう版更新! 今回から本編ですぜ!!
————きっと、誰もがある事だろう。圧倒的な無気力感、何をすればいいか分からずに誰も答えを教えてくれない孤独感。生きる希望が見つからない虚無感を、感じた事があるだろう。その時、彼もまた同様にこれらを感じていたのだ。
時は聖歴3216年。コントラット大陸、ミズガール王国の王都に構えた屋敷の自室にて————彼は眠りについていた。しかし、突然目を開けて勢いよく下半身を振り上げ、その勢いを殺さずベッドの傍らに飛び降りた。その有様は、とてもではないがつい先ほどまで眠りについていたとは思えない動きだった。
彼は静止し、数瞬後に独り言ちる。
「久しぶりだな、この夢は。ようやくだ、待ちに待った『その時』が来た! 始まるぞ……ついに物語が始まる…………」
彼はそう言うと、素早く着替え始める。今まで着ていた寝間着から、外行き用の服に着替える。
この服は、この時代、この国における…いわゆる紳士服だ。革靴にスラックス、シャツにタイを締めてベストを着けてジャケットを羽織る。それに、ベストとタイを着けずにジャケットをロングコートを変更し、革靴をロングブーツに。関節部を保護するプロテクターや胴体の主要臓器のみを保護するサイズとデザインのボディアーマーを装着したものが、彼が外行きとして使っている服装だった。
この服装は中々に目立つ。なにせ、従来の紳士服に大幅な改変や変更を加えているのだから。しかし、彼はこの服装を常に外行きとしている。だが、今までそれを彼に尋ねた者はいない。
彼が何者であるかを知れば、誰もが同じ結論に達するためである。
彼は、実に二か月振りとなる外出に少しばかり心を躍らせながら自室を出る。………それもステップを刻みながら…。
自室を出た後、長ったらしい廊下を数分ほど歩けば、そこはリビングだ。今この部屋に来たのは、この屋敷のメイド長に外出を伝えるためである。
「カリーナはいるか? 伝えておく事があるんだが…」
「ここにおります。マイマスター」
「俺はこれからブラックマーケットに行ってくる。その間の留守を任せた」
「かしこまりました。ついに例の――『その時』が来たのですね……」
「ああ、ついにな。ようやく計画を進められる。予定通りに従者を迎えてから、使い物になる程度には鍛えるつもりだ」
カリーナはそれを聞くと、妖艶に微笑む。目の色が変わり、自らを抱きしめるその様は肉食獣のようだ。
「ふふふ、もう楽しみになってまいりました……」
「あまり興奮して気取られるなんて事にならないようにな?」
この女の主は自分であり、そして逆らう事ができないのだとしても、彼は内心で冷や汗を掻いていた。この女は中々に狡猾であり、いくら手綱を握ろうが制御しきれるかが不確定な不安要素なのだ。
しかし、その不安要素こそ彼が彼女をメイド長としている所以でもあるのが皮肉なところか。彼女もそれを理解しているからこそ、自らの主に従順だ。屋敷を追い出されてはたまったものではない。
「ええ、分かっていますとも。どうかご安心を」
「まあ、それならいいがな。それじゃ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ、マスター」
―――
彼は屋敷を出た後、庭を通り大街道に到着した。この街道は王都の名物でもあり、また住民が迷わないような造りとなっている。
屋敷から見て、左手に進む。この街道を通って王都の北西部へ向かうのだ。
しかし、王都の北西部はあまり治安がいいとは言い難い。この辺りはマフィアの類が根城にしており、一般の人々は近づかないのだ。
30分も歩いたところだろうか、街道の先に噴水が中央にある広場が見えてきた。彼はそれを機に険しい顔つきに変わるも、直ぐに無表情になっていた。
「もうすぐだな。そろそろ……いや、もう中頃か…」
いくら夢を待っていたとはいえ、これでは遅れが甚大だ。彼は、自分に物語の始まりを告げるあの夢は何故もう少し早く知らせてくれなかったのかと思うと舌打ちしてしまう。
計算が狂ったわけではないが………目覚ましは早い方がいいのだ。予定を守るという意味でも、精神的な余裕を保つという意味でも。
そんな事を考えているうちに、彼は広場に到着した。ここから更に北に行ったところに、今回外出した理由があるのだ。
………気のせいだろうか? なにやら歓声のようなものが聞こえる。いや、気のせいなどではない! 目的地の方角から熱気のようなものを感じる。どうやら、自分を抜きにパーティが進んでいるらしい。
彼は少し急ぐべきだと判断し、歩みを早める。時期に、早歩きから転じて走りだしていく。
広場から北、大街道から外れた道の先に、そこはあった。途中に林があり、世間からの隠れ蓑になっているそこは……廃墟であった。
以前はそれなりに地位の高い貴族の屋敷だったのであろうそこは、今や見る影もない。この廃屋敷の奥に地下へと続く階段があり、その先が今回の目的地であるブラックマーケットだ。
そこでは定期的に、表社会では出す事のできない商品が取り扱われている。顧客は主に、貴族や黒魔導士、あるいは商人であり、基本は競売形式で商談が進む。
ここでは、ミズガール王国において、名目上は違法(例外は存在する)である奴隷も商品の一つだ。今日は珍しい奴隷市であり、あまり顔を出さない者でさえも顔を出すほどのイベントとなっている。
彼も、貴族でありながらその事実を知っている。だからこそ顔を出しに来たのだ。…………会場にいる者達が怯えるほどに驚愕すると知っていても……。
――黒魔導士とは、犯罪を犯した、あるいは禁術を手にした魔導士の事である。彼らはこの国において罪を犯すほどに不遜な愚か者であり、また禁忌を犯した咎人でもある。彼の者達には、偉大なる王が相応に裁き、永い苦痛と言う名の贖罪を与えるだろう。
――フレデリック・ディック・アッシュワース著『我が祖国の害敵達』より