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色のない世界

作者: 犬塚てとら

初投稿です。

稚拙な文章、お許しくださいませ。

色のない世界


ある所に、老人と少女がいた。

老人は昔は目が見えたが、齢とともに視界が濁り、今はもう太陽の光の方向ぐらいしかわからない。

対して少女は、生まれつき目が全く見えない。

この家には2人しかおらず、必要最低限のものすらあるかわからない簡素な家であったし、身につけている衣服はその辺に落ちている布切れかと思うほどのボロであった。

2人はそれでも、仲良く手を取り合い暮らしていた。


「おじいさん、"いろ"ってなぁに?」

少女は何の気なしに老人に質問を飛ばす。


「色か…最後に見たのは随分と昔じゃて、よう覚えとらんが…」

老人は困ったように頭をゆらゆらと揺らしながら呟いた。

生まれてから光を知らぬこの子に、どうして色を教えられようか…老人はしばし考えるように黙り込む。

しばらく経っても一向に話し始めない老人に業を煮やしたのか、少女は覚束ない足取りで老人の元へと歩み寄り、その隣へと座り込んだ。

そうして2人で黙り込んだまましばらくの間すると、老人はポツリと呟くように言葉を紡ぎ出した。

「お前さん、日の出前の朝の空気はわかるかい?」

「えぇ、とても澄んでいて、モヤ?霧?っていうのが冷たく湿っていて鼻の中がひんやりして気持ちいいわ」

少女は大きく深呼吸する仕草で答える。

老人は布ずれと空気の動きでそれを感じ、微笑んだ。

「その後お日様が地の平から出てくるとな、その静かだった空気が一気に膨らんで世界が目覚めるじゃろ」

「虫も生き物も皆んな起き始めるわ」

「そうじゃ、その夜と朝の境目の僅かな時間に、世界がある色に染まる。それが赤色じゃ。夕方と夜の境にも赤色はやってくる。ほんの少しの時間じゃがな」

「住んでる世界が変わる感じ…あれが赤色…」

少女はまるで暁の陽が眼窩に映し出されているかのように遠くを見た。見えていないのだが、少女の肌が、鼻が、耳がその時の光景を思い出していた。

「なんだか…赤色って寂しいというか、儚い"いろ"なのね」

老人は眉を下げて笑った。

「そんなことはない。赤色は他にもいろんな所にある。今日食べた果実は赤色が強ければ強いほど甘みがあって美味い。お前さんの好きな、表に生えとる小さい花も、赤色が強いものがより強い匂いを発する。」

老人は立ち上がると部屋の隅に置いてある薪を取り、燻っている竃へと放り込む。そうしてからまた少女の横へと座った。

「それにいつも儂等に暖かい食事と寝床を与えてくれる火もまた、赤い色をしておる。お日様と同じ色じゃからの」

「あ、それなら好きかも。命がつまってる"いろ"って感じがして」

少女は笑った。老人も笑った。

「そうじゃな。赤色は命の多くを彩っておる。お前の体を流れる血も、赤い色をしている。」

「えっ、そうなの?じゃあ私も、おじいさんも赤いの?私の方が若くて瑞々しいから、果実みたいにより赤いのかしら?」

少女が焦るように体をさすり始めると、老人はその背中をそっと撫でた。

「ははは、人間は残念ながら果実ほどは赤くはない。もっといろんな色が複雑に混ざり合っているからの。」

少女はホッとしたようにさすっていた腕を下ろし、竃の方へ足を投げ出した。


「じゃあ、青色っていうのはどんな"いろ"?」

少女の新たな問いに、老人はまた暫し熟考する。

「昔、海に行ったことあるの、覚えとるか?」

老人は思いついた様に口に出す。少し歩くが、半刻ほどでたどり着く所に、海はある。何年だか前に、いつも遠くに小さく聞こえる波の音が気になると少女にせがまれ、二人で行ってみたことがあるのだ。

「もちろん、忘れるわけないじゃない。波っていうのが、ザバザバと足の指の間を通り過ぎていくのが冷たくて…その内、波に押されているのか引っ張られているのかわからなくなって、黙っていると頭の中が全部波の音になっちゃって、とても怖かった」

「そうじゃ、そして波は海の端っこで、海の真ん中に行くにつれどんどんと深く深くなっていく。海は広い。お前さんが何日も歩いたとしても到底向こう側に渡り切れる距離ではない。青色はその海の深い部分の色じゃ」

老人の話を聞いて、少女は投げ出していた足を体の中にしまう様にして丸まってしまった。

「青色…怖い… だって海の中なんかに入っちゃったら、本当にどっちがどっちだかわからなくなってしまうわ…そのうち足のつかない深い所にまで行ってしまって、上も下もわからなくなってしまうわ」

老人はそんな少女の翳りを感じ取りながら、ゆっくりと宥めるように頷いた。

「青色もまた、赤色の様に異なる面を持っておる。熱い季節の昼間、外が焼けそうに熱い時があるじゃろ。」

少女は顔を半分膝に埋めながら呟く。

「空気の焼けるような日のこと?」

「そうじゃ、そんな日は、空気が熱せられて、膨らみに膨らんで空がどこまでも広く感じられる、それはそれは見事な青色をしておる。海の青は重い、飲み込む青じゃが、空の青は軽い、心まで、軽くしてくれる青じゃ」

少女は老人の空の話を聞くにつれ顔色を良くしていく。

「じゃあ、空の青は好き。私は焼かれたくないから木陰にいるけど、その時に通る風は気持ちいいもの」

老人は網膜に焼き付いた景色を思い出す。

「その相反する性質を同時に持つのが青色じゃ。どちらか一方では駄目なんじゃ。全く違っても、海の平を隔てて2つで1つなのじゃ」

「なんだか難しいのね、青色って"いろ"は」

「そうじゃなぁ、青色は"いろ"の中でも難しい方の"いろ"かもしれんの」

少女は竃の火にあてられたのか、少し眠そうに頰のあたりを擦った。目が見えないので瞼が重いという感覚が良くわからないのだ。

「…私、あと気になる"いろ"があるの」

老人はそんなまどろみながらも何とか話を続けようとする少女を抱きかかえ、ベッドへと横たえた。


「白色、ってどんな"いろ"?」

ほぼうわ言のような少女の問いに、老人はベッドに腰掛け、背を向けたまま話し始める。

「白色というのは、体が芯まで凍るような季節に、フサフサとした冷たい氷の雨が降るじゃろう?名前は覚えておるか?」

「ゆき」

少女は横になったまま、その胸を浅く上下させながら答える。

「そうじゃ、雪じゃ。お前さんが産まれてから2回降ったかの。1度目はまだずっと小さい時じゃから、覚えておらんだろうが、2度目は去年じゃったから思い出せるか?あの凍る季節は寒かった…」

「そうね、寒かったね…」

「あの日、外に出て、お前さんは何を感じた?」

「…寒くて、寒くて、足は氷の中に突っ込んだみたいに冷えるし、いつも聞こえるはずの波や、風やなんかも何も聞こえなくて、ただ私とおじいさんの呼吸と足音だけが聞こえて、世界がまるで二人だけになったみたいな…」

部屋の中は竃の火で温まっているが、少女はその時のことを思い出し、寒そうに竃の火の方へと体を向けた。

「そうじゃ。白色とはそういう"いろ"じゃ。"いろ"でないのかもしれん。何も無いのが白」

老人は見回すようにして部屋をぐるっと見た。今は真っ白な彼の視界で。

「白色って、青より怖いかも…」

少女は手を伸ばし背を向けている老人の手を掴む。

「人は無を恐れる。死んだら無に還るからかもしれん。無とは白じゃ。生まれた時は真っ白で、色々な"いろ"に染まり、そして死ぬ時はまた真っ白になるんじゃ」

老人は達観したようにその言葉を告げた。


「……」スゥ…スゥ…

少女は何も答えない。代わりに、小さな寝息が聞こえてきた。


「続きはまた今度にでもしようかの」

老人は少女のベッドから腰を上げ、のそのそと竃の火を落とし、自分のベッドへと向かい、壁に背を向けるようにして、ゆっくりと体を横たえた。




少女は知らない。


この世界の色を。


老人は知らない。


この世界の色を。


この世界は老人が目が見えていた頃とは

何もかもが変わってしまっていた。

全てが灰色の世界。


太陽の光も、果実も、波も、海も、空も、雪も


人間の血さえも 灰色のこの世界を。


もう世界には二人しかいない。


だが、二人の世界には"いろ"がある。


老人と少女が紡ぐ、二人だけの"いろ" がある。







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