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──私へ。

作者: 風島ゆう


 何か残しておきたかったので、手紙を書きます。

 だけど今更出す相手もいませんから、あの頃の私に宛てる形でこの手紙を書こうと思います。


 親愛なる私へ。親愛なる、十年前の私へ。

 これはこれからあなたに起ることの全てです。


 書くと死ぬよ、と言われたのは三十を二年ほど過ぎた頃でした。


 女が三十を過ぎて結婚もせず、定職も持たず、履歴書に書けるわけでもない、自分を食わせるだけの稼ぎも生み出すわけでもない物書きなんかをやっていることに、そろそろ限界を感じていた時期のことです。


 何か変だ、と気づいた時にはもう、その病は取り返しのつかないほど私の体を蝕んでいました。


 最初はやけに体が軽くなったと思ったものです。

 肌艶が増し、代謝も上がり、なんだか調子がいいぞ、と思ったほどです。


 やがて伸ばしているはずの髪がちっとも伸びず、靴のサイズが合わなくなり、届いたはずの高さの棚に手が届かなくなるに至ってようやく、私は自分に起っていることの奇妙さに気がついたのです。


「まあ、珍しくもない病です」と医者は私に言いました。

「物書きに多い病ですね」と肩をすくめて、「だけど死に至る病です」と続けました。


 死ぬような病気なのだと宣告され、私は動揺しました。

 しかし医者は怯える私に、なんでもないことのように告げたのです。


「大丈夫ですよ。あなたのその、書くのをやめれば死ぬことはありません」


 医者が言うことを再現すると、だいたいこのようなことでした。


 よく言うでしょう。物書きは命を削って文章を書くと。自分を作品に練り込むようにして、物語を書き上げる。

 この病は、その言葉が比喩ではなく実際に起こっているというところに特徴があります。

 つまりね、あなたが作品を書けば書くほど、物語を紡げば紡ぐほど、あなた自身が減ってなくなっていくのです。

 正確には、減った分だけ若返る。どんどん若くなって、幼くなって、やがて胎児になって消えてしまいます。


 だから書かなければいいんですよ、と医者は笑って言いました。


 聞けばあなた、別に売れているわけでもない。それどころか今の生活が潮時だと思ってらっしゃる。

 年齢的にも、まだ転職の可能性がありますし、家庭に入るのもいいでしょう。

 とにかく今まで書くことにかけていた時間を別のことにあてるのです。

 創造(アウトプット)さえしなければ、この病は進行することはないのですから。


「誰も求めていない話を書くために、命を削ることはありません」


 医者の言葉に、私は頷く以外ありませんでした。

 そうだ。誰も求めていない。私の話なんか、誰も。

 求められているなら売れているはずだし、例え売れていたとしてもすぐに代わりが現れるような時代です。まるで呼吸するような早さで、この世界は作家達の人生を消費していました。


 そうそう。大事なことなので先に言っておきますが、私は大学を卒業するタイミングで気まぐれに出した作品が新人賞を穫ります。


 それまで何をやってもぱっとしなかった私が、初めて華々しい結果を手にした瞬間でした。


 誰にも言わずこっそりと物語を書き溜めるようになったのは、文字を覚えてから間もなくのことです。

 思えば物心ついた頃から、想像の世界と現実を行き来するのは自分にとって当たり前のことでした。

 書き出して、捨て、書き上げて、捨て。

 そうしてどれくらいの物語を、ゴミ箱に捨てて来たでしょう。


 私は私の内側に広がるこの世界が、誰かに理解されるとは思っていませんでした。

 世界中の人が私に興味が無いように、私の描くものにも興味なんてあるはずがない。そう思っていたのです。

 ところが、何の弾みにか(いいえ覚えています。就職を前に、この積み上げてきた愛すべき無駄な時間を、ふいに哀れに思ったのです)、突然その気になって手近な賞に作品を投稿しました。

 

 出したきり忘れていたので、受賞を知ったのは出版社から直接連絡が来た時です。


 世の中に不必要だったはずの私(の作品)が拾われた。そのことは、私の心を大いに揺さぶりました。

 まるで自分に価値があるような錯覚を抱き、生きていて良かった、とさえ思ったものです。


 賞を穫ったとはいえ、作品はそのまま世に出るわけではありません。

 編集や校正の指摘を受けながら何度も書き直し、整え、ようやく日の目を見るのです。


 デビュー作の見本本が届いた時、私は大人げなく嗚咽して泣きました。

 店頭に自分の本が並んでいるのを見た時、夢のような気持ちでその場に何十分も立ち尽くしました。


 しかし現実とは世知辛いもので、賞まで穫ったデビュー作はさっぱり売れなかったのです。


 売れない作家は手のひらを返したように相手にされなくなります。

 具体的には担当者からの返信が遅くなり、企画を出しても通らなくなり、見てほしいと書き上げた作品にも目を通してもらえなくなります。

 それでもたった一度得た「生きている実感」。あの感覚を追い求めて、私は難民のように出版社を渡り歩いて持ち込みを続けました。


 書くことに障るので、決まっていた就職先を蹴ってアルバイトで生計を立てました。

 そこそこ売れてる作家でさえ食っていくのは難しい時代です。本来なら、兼業作家になるべきでした。


 しかしあなたも知っての通り、私は一度その世界に入り込むと長いこと現実に戻って来れないという癖があります。


 働いて、飯を食って、排泄して、眠って。

 その間にも、心はほとんど物語の中に生きています。

 登場人物達が苦しんでいる場面を書いている時は、どんなに笑顔を要求される場面でも笑えません。

 逆に物語の世界に平和が訪れれば、現実世界でどんなに叱られていても穏やかに笑っているような始末です。

 周囲から変な目で見られることも多いので、努力して物語の世界から脱しようとしたこともありました。

 すると自分の魂を引きちぎるような苦痛に見舞われて、そんなことが続くと頭を搔き毟って叫び出したくなるような衝動に駆られるのです。


 だから書いていくことを主眼に置くなら、普通の仕事は勤まらなかった。

 生きていくのに最低限必要なだけの稼ぎを得て、あとは書いて書いて、書きました。


 そうして何も持たないまま、今日を迎えることになるのです。


 書いたら死ぬよ。

 そう言われて私がまず考えたのは、書くのをやめよう、ということでした。

 だって死ぬのは怖いし。若返ると言っても程度を超えればホラーだし。なにより書き続けることに限界を感じていたので、辞める口実ができて安心さえしたのです。


 就職しよう。普通に生きよう。大丈夫、まだ間に合う。


 そう決意して、翌日から私は本当に就職活動を始めました。

 資格はないけどやりたいこともないし、勤められればどこでもいい。拘りがない分、働く場所なんてすぐに見つかると思っていました。

 しかし。

 ハローワークの待ち合い席で。面接会場に向かう電車の中で。面接官の目の前で。私の頭の中は常に物語で埋め尽くされていたのです。


 例えばあの不幸そうな顔でハローワークの担当者と向き合っている女性の椅子が、突然人食いの化け物になって彼女を飲み込んでしまったらどうだろう。それが彼女のこの世に対する絶望と恨みから来る化け物であったら。そうだ彼女だけが特別なんじゃなく、「こんな世界から消えてしまいたい」そう思った人が腰掛けた椅子が全て化け物に変わる世界なら。日本中そこかしこで人食い椅子が人を飲み込むだろうし、ハローワークなんかその最たる場所になるはずだ。そうしたらハローワークから椅子はなくなるかな。いや世界から椅子がなくなるかもしれない。それより、それより。あの女性と向き合って一見真摯に、だけど明らかに相手を馬鹿にして就活相談にのっているあの担当者は、どんな顔をするだろう。飲み込ませたのは自分だと自覚した時、彼はどんな顔で彼女が食われていくのを見るのだろう。見たい。見たい。それを書きたい。


 無秩序な思いつきはどんどん膨らんで、やがて登場人物を迎えてストーリーに帰結する。そうなるともう、結末にたどりつくまで想像を止めることはできなくて、結末まで思いつくと、次は書きたくてしかたありませんでした。


 上の空の面接はうまくいくはずもなく、困ったようにせせら笑うハローワークの担当者に、私は何度も何度も、何度も会うことになります。


 一ヶ月経ち、二ヶ月経ち、三ヶ月が経って、私はついにハローワークの陰気くさいフロアで絶叫しました。


 書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたい書きたいんだ!!!


 警備員が駆けつけて取り押さえられる間も、ああこの人のこの手が人に触れると植物になってしまう手だったら。誰にも触れず触ってもらえず、だけど誰かを好きになったら。どんな悲恋が彼を迎えるのだろう。それとも幸せになるストーリーがあるのかな。などと考え続けていました。


 書くと死ぬ。

 なんて馬鹿馬鹿しい。なんて、馬鹿馬鹿しい病でしょう。

 結局私は、書いていないと生きていけない、そういう生き物だったのです。


 別室に連れて行かれて警察を呼ぶと告げられた時、私が泣いて懇願したのは紙とペンを貸してくれということでした。

 警察なんか呼ばないでくださいとか、家に帰してくれとかいうことではなく、ただ、紙とペンを欲して泣いたのです。

 気味悪そうに受話器を取り上げた警備員は、それでも私に所望の物をくれました。

 私は……私は、警察が来るまでの間、涙で滲む視界の中、A4のコピー紙10枚にびっしりと言葉を書き付けたのです。

 

 生きている。生きている。生きている。


 文字を連ねている間、私は魂が歓喜で震えるのを感じていました。

 作品を拾い上げてもらって嬉しかった。賞を取れて嬉しかった。世間に認められたようで、存在を許されたようで。本屋という社会に私の一部が並んで誇らしかった。

 だけどそんなことより、もっとずっと確かに私を生かしていたのは、書くことだったのです。

 

 それから私は、就職先を探すことを辞めました。

 持っていた僅かな貯金を切り崩しつつ、ただただ書き続けました。

 書かなかった三ヶ月を取り戻してあまりあるほど、寝る間も惜しんで、食べる間も惜しんで、内側から出たがって暴れる物語を形にし続けたのです。


 体はみるみる小さくなり、一ヶ月もすると家にある服はどれもぶかぶかで着られなくなりました。

 コンビニに出かける時に困るので、服は通販で新調しました。

 それでも私は書くことをやめませんでした。

 死ぬことよりも書けなくなることの方がずっと怖い。そのことを知っていたからです。


 ところが、容姿が子どもに近づくにつれ、私はあることが気になるようになりました。

 語彙が減っているのです。

 表現したいはずの、表現できるはずの言葉が出て来ない。知っているはずなのに、失くしている。

 それが、「削って書く」ことの一部であると思い至るのに時間はかかりませんでした。

 

 細胞も、知識も、書き出す度に減っていく。

 この文章は、傍らに国語辞典と類語辞典と漢字字典と、それから何十冊もの小説を積み上げて書いています。(少しはまともな文章に見えているかな)


 それでも、アウトプットできない世界が日に日に増えているのは確かです。

 このままだと私は、胎児になって胚になって消えるよりも先に、書くことができずに息が止まる方が早いような気がします。


 十年前の私。

 あなたは馬鹿馬鹿しいと笑うかもしれませんが、書かない苦しみがどれほどのものか、これから身を以て知るでしょう。

 息するように文章を書き、物語をゴミ箱に捨てた。そのことがどれだけ尊いことだったか、今に分かります。


 その絶望を知っているからこそ、私は今日、命を断ちます。

 表現できる言葉がなくなってしまう前に、言葉と一緒に死にたいのです。


「誰も求めていない話を書くために、命を削ることはありません」


 あの時医者はそう言いましたが、誰かではなく私こそが、私の物語を求めていました。

 そうしてそれは、私にとって命を掛けるに相応しい行いだったのです。

 誤解しないで欲しいのですが、最後の時まで言葉を書き付けられたことは、私にとって幸いでした。

 物語の中に生きて、それを書いて、なんと幸福な人生だったでしょう。


 これが私に起ることの全てです。

 そして、物語のラストシーン。


 さようなら。

 これで、終わりです。


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― 新着の感想 ―
[一言] ストーリーセラーです。 「思考すれば寿命が減る」でした。 下げる必要ないと思いますよ。 あの先生の作品とは思えないくらい記憶に残らない作品でしたが、たぶん中身は全然違うと思いますし。
[一言] 作家が「書けば死ぬ病」は某有名自称ラノベ作家が書いてた気がします。 内容は忘れましたが
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