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離別なんて許さない

・科学の国




呼吸が落ち着くと、リンに水を手渡された。

ようやく話せるようにもなって、アルの名を呼ぶ。

だが、アルはドアの前から動かない。


「落ち着いたみたいだね、何してたの?」


「えっと……アルを、追いかけてました」


「どうして?」


「遊び……ですかね」


アルは走り出す前に鬼事をしたと話していた、思い出して遊びたくなったのかもしれない。

僕を翻弄していた時のあの表情は、確かに楽しんでいた。


「でも、僕は……アルが、離れていくのが怖くて、嫌で、それで…気がついたら」


「……やっぱり精神的なものだね、走ったのも悪かったのかもしれない。まぁしばらくはゆっくりしてろよ? 俺も大人しくしてないとだし」


そう言ってリンは右腕を見せた。

袖の中に腕はない、肘の上からは自前の肉体だと言う。

義手を作るのには時間がかかる。二、三日の間はこのままなのだと。

リンはアルを押しのけてドアを開け、もう一度振り返って安静にするようにと釘を刺した。

ドアが閉まると、アルは再びドアの前に陣取った。


「アル、おいでよ」


『………断る』


「僕のこと、嫌い? そりゃそうだよね、何にも覚えてないんだから。僕みたいな鬱陶しい奴嫌いだよね」


『……私はそんな!』


『でもごめんね? 僕は君が居ないとダメなんだよ……お願い、傍に居てよ。僕を嫌っていてもいいから、隣に居てよ』


僕を哀れんだからなのか、それとも僕が魔物使いの力を無意識に使ってしまったのか。アルはベッドの隣に座り込み、顎を縁に乗せて僕を見上げた。


「僕、魔物使いだって話したよね」


『ああ、聞いた』


「だから、君がいくら嫌がっても僕は君を無理矢理傍に置くよ。君がどんなに僕を嫌いでも、無理矢理好きだって言わせてやるから」


髪をかきあげて右眼を見せる。

説明した時にも見せたが、アルの耳は跳ね上がった。

妙な模様でも出ているのだろうか、アルはとても驚いている。

無理矢理だなんて、本気で言っているのか? それは自分でも分からない。


「だから……嫌だったら、僕を食べちゃっていいからね。きっと美味しいよ、今までにも何度も食べられかけたから」


『私が、貴方を喰えるわけが無いだろう!』


「…………アル?」


『嫌いなどと言った覚えはないぞ!』


「呼んでも……来なかった。僕の隣に、来てくれなかった」


アルはベッドに飛び乗り、僕の首に頭を擦り寄せる。


『貴方が……苦しそうだったから、私が近くに居ては治らないだろうと。私のせいで倒れてしまったのだから、私が傍に居ては気が休まらないだろうと、そう……考えて、私は!』


「ずっと言ってるじゃないか、僕は君が居ないとダメなんだって。君が居てくれないと治らないよ」


『私はもう貴方の隣から離れない、ずっと貴方の傍に居よう、だから……もう泣かないでくれ』


いつの間にか泣いていたようで、涙で歪んだ視界いっぱいにアルの辛そうな顔が映る。

そんな顔をさせないために、必死に涙を拭って無理矢理に笑顔を作る。

アルを抱き締めて、みっともない顔を見せないようにする。


「ねぇアル、僕の名前……分かる?」


『悪いが、貴方の事は何も分からない』


「……そっか」


『だが、貴方は私の大切な主人だ、それだけは分かる』


「認めないって言ったくせに」


『それは、忘れてくれ。貴方は弱いままでいい、私が守ってやる』


アルは僕を押し倒して、毛布をかけた。

もう寝ろとでも言いたげに横に伏せる。

僕を見張るようなアルの頭を撫でて、先程の言葉と思い出を反芻する。

守る……アルはずっと僕を守ってくれた、僕がアルのために何かをしたことはなかっただろう。

そのせいでアルは何度も傷ついて、その果てに………僕の、せいで。


真っ赤な光景が瞼の裏で明滅する、誰の血なのかはもう分からない。

僕を守ってくれた、僕を守って倒れた。

僕のせいで、死んだ。


『……なんて顔をしている、私はずっと隣に居るぞ、安心して眠れ』


「アル、本当に僕の傍に居ていいの? 怪我するよ、死んじゃうよ、僕なんか守ってたら」


『そんなわけない……とも言えないな、事実私は一度滅びたのだから。だがこのアルギュロスに二度はない、約束しよう』


「……ありがとう、ごめんね」


『もう寝ろ、眠っている間に消えたりはしない』


「僕なんかが魔物使いじゃなかったら良かったのにね」


『…………』


「僕なんか、生まれてこなきゃ良かったのにね」


『……寝ろ』


「うん、ごめんね、おやすみ」


目を閉じるとアルに頭まで毛布を引っ張り上げられた。

不器用な優しさに胸を締め上げられながら、僕は後悔していた。

僕なんかが魔物使いじゃなかったら、アルはもっと幸せだったのに。

もっと違う、もっと良い人がそうだったらアルはきっと幸せになれたのに。

僕がいなければ、生まれて来なければ、僕なんかが……


元々酷かった自己嫌悪の癖は、アルを一度なくしてから悪化した。

瞼の裏が熱くなってきた、また泣いてしまう。

堪えようのないそれを止めてくれたのはアルの声だった。


『……おい、眠ったのか?』


返事はしない、僕が眠ったのを見計らって逃げるつもりならばそれで良かった。

いや、そうして欲しかった。

僕が魔物使いの力を振るって止めてしまう前に、逃げて欲しかった。


『貴方の名前をきっと呼んでみせる、貴方との思い出をきっと取り戻してみせる。もう少し待っていてくれ、全て元に戻してやる』


顔にかけられた毛布が沈み、こつんと額に何かが当たる。


『これだけは分かる、記憶の無い今でもこれだけは言える』


その何かはアルの頭だと直感した、微かな体温が毛布越しに伝わる。


『貴方を最も愛しているのは私だ』


聞き覚えのある言葉だ、忘れる筈のない言葉だ。

アルが最期に伝えた言葉だ、それを今再現してみせた。

僕の最後の杞憂、今のアルと前のアルは全く別物ではないかという杞憂は、今消え去った。


頭の上の毛布が剥ぎ取られる。

微かな光が瞼を透して伝わり、柔らかい毛の感触が直接頬に伝わった。


『ふ……子供らしい寝顔だな』


目のあたりにアルの舌が触れた、涙の跡を舐めているのだろう。

頬を擦り寄せられて、幸せな重みを感じた。


『……私の可愛いご主人様』


アルはそうっと毛布に潜り込み、僕の腕を枕にした。


『貴方は全て私のものだ』


毛布よりも温かく柔らかい、馴染みのある翼。

足に絡むひんやりとした尾、肌に触れた柔らかい毛。


『……誰にも渡さん』


その全てが懐かしく愛おしい。

寝たふりをしながらそっとアルを抱き締めた。

そして僕は確信する。

アルが僕の元に戻って来てくれたのだと。

そして僕の決意は固まる。

もう絶対に離さないと、逃げようとしても離さないと。

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