魔法使いの国で無能だった少年は、魔物使いとして世界を救う旅に出る

第一章 お菓子の国のおかしな日常

契約者の権限

・お菓子の国

肉が裂け、骨が軋む。焼けるような痛みに絶叫する。声を上げる度にカルコスは噛む力を増した。

楽しんでいる。薄れる視界の端には愉悦の笑みを浮かべたカルコスの顔が映っている。

ばぎ。と嫌な音が体を伝わる。左手の感覚がない、動かない。ぷらんとちぎれかけの肉が垂れ下がり、砕けた骨片が落ちていくのが見えた。

『声を出すなと言ったろう？ これだからガキは嫌いだ。まぁ上出来と言える方ではあるがな』

「ひっ、酷い……よ、なんでっ、こんな……」

『何を言っている、 我は命令に従ったまでよ。契約者の血は契約した魔物にとって万能薬となる。それくらい知っておけ』

「……血？」

痛みと出血で意識が朦朧とするなかで、アルが起き上がるのが見えた。尾、翼、ボロボロだったそれらが時間が巻き戻ったように治っていく。完治したアルの姿を見て安心した僕は意識を手放した。

目を覚ませばそこは病院だった。甘ったるい匂いがして、綿飴で作られたベッドに寝かされている事を理解した。

「目が覚めた？」

白い制服の看護師らしき人が僕の顔を覗き込んだ。

「……ここ、って」

「病院。痛みはある？」

ゆっくりと起き上がると、左腕に包帯が巻かれているのに気がついた。飴細工のそれに包帯の意味があるとは思えなかったが、不思議と痛みは無かった。

「大丈夫……です。あの、アルは？」

「オオカミさんなら入口で待ってる。悪いけど人の病棟に魔物を入れるわけにはいかなくて、特に毛が多い子は……ごめんなさい」

「いえ、えっと……もう行っても？」

「一度診察を受けたら」

診察室は真っ白でミントのような匂いがした、実際そうなのだろう。医師に二、三質問を受けると、飴細工の包帯が新調された。受付で料金を払い、念の為にと痛み止めを貰い、病院を後にした。

痛みはもう殆どない。包帯が巻き直される時に見た傷は僅かな歯形だけだった。肉が裂けて垂れたような痕も、骨が折れて散ったような形跡もない。半分夢の中にいるような気さえした。

『ふざけるなよ貴様！　ヘルにあんな傷をつけて！　痕が残ったら許さんぞ！』

『助けてやったのに何だその言い草は！　恩も礼儀も知らぬ馬鹿犬め！』

病院の手前の小さな木陰から言い争う声が聞こえてくる。懐かしさも感じるこの声はアルのものだ。

『誰が犬だ誰が！　私は狼だぞ！』

「アル！ 」

『ああ！　そうだ私は美しき銀狼アルギュロス……ヘル！　無事だったか、傷の具合はどうだ』

アルは僕の姿を見つけると飛びついて来た、その体重に踏ん張り負けて倒れた僕の上に乗り、嬉しそうに顔を舐める。

『……やはり犬だな』

振り回された尾が背の低い木を薙ぎ、カルコスの顔を打つ。

『傷は？　傷はどうなった、見せろ、早く見せろ！』

左手の包帯を舐め、剥がし、腕に残った歯形を見つける。尾の黒蛇がカルコスの眼前で牙を剥く。

『貴様！　こんな痕を残して！』

『大したことないだろう、この駄犬め』

「アル……大丈夫だからさ、落ち着いてよ。あと、説明して欲しいことが多いんだけど」

『……そうだな』

病院の裏庭、ビスケットで作られたベンチに腰掛ける。僕の前には大型の魔獣二体が行儀よく座っている、よくよく考えれば異様な光景だ。

「えっと……まず最初にさ、アルが居なくなった事だけど」

『食欲を抑えきれなかった。だとよ』

『勝手な事を言うな、家猫が！』

「しょっ、しょく……よ、く？」

『違う、違うんだヘル！』

そういえばアルはずっと肉が喰いたいと言っていた、人を喰ったこともあると言ってたし、まさか僕を食肉として見ていた？　あの時の目は爛々としていて──

『違う！　私はそんな意地汚い真似はしない！』

『嘘だぞ、ガキ。騙されるなよ、此奴は無類の肉好きだ』

『黙れ、貴様に言われたくはない！　食欲の権化め！』

焦るアルの頭を撫でる。すると途端に大人しくなり、しおらしく一鳴き。それを見たカルコスはまた笑い始めた。

僕はアルの精神を逆なでする事のないように、慎重に大胆に、僕にとって一番大事な疑問を口にする。

「僕を……食べたいの？」

『なっ……！？ 違う、断じて違う！』

「嘘吐きは嫌いだよ、本当の事言って」

『………違う！』

「なぁに？　今の、間は……ねぇ、アル？」

きゅうんと可愛らしい鳴き声をあげてアルは僕の太腿に顔を埋め、それきり黙ってしまった。隣ではカルコスが下品に大笑いしている。

「ねぇライオンさん、君 が 教 え て くれるかな」

『その声を出すな！　不快だ！　耳が痛い！　全く……単純な話だ、其奴は呪いへの耐性が低い』

「呪い？」

『そう、『暴食の呪』。理性のタガを外す呪いの一つだな。この国にはそれがかけられている、其奴はそれに当てられたわけだな』

「呪いとかよく分かんないけど……アルが僕を食べたいって思ってるわけじゃないんだよね？　ただ、お腹が空いただけなんだよね？」

『どうだかな、強力な魔力の混じった血は美味いからな……』

意地の悪い笑みを浮かべたカルコスを黒蛇が押し退ける。アルは潤んだ瞳で僕を見つめていた。

「……僕を食べたい？」

黙ったまま弱々しく首を振る。

「…………僕は、アルに助けられなきゃ死んでたんだから、アルには僕を食べる権利があるよ？」

アルは激しく首を横に振り、僕に抱き着くように前足を膝に乗せ、首を伸ばして僕の顔を舐めた。

「……でも、できれば食べないで欲しいし、アルは僕を食べたりしないって信じてるよ」

アルは僕の胸元に頭を擦り付けて嬉しそうに尾を揺らした。カルコスは気に入らないと言いたげな目で見つめている。

「あ……あと、この怪我なんだけど」

『痛いだろう？　私のヘル……可哀想に。この仔猫は加減が出来ん、これだから猫は駄目だ』

『百獣の王に向かって、恩人に向かって……駄犬が、飼い犬がっ！』

僅かな赤みを帯びた皮膚の凹みをなぞる、血が出たとは思えない傷痕だ。

「痛くはないけど……どうして？」

『ふんっ！　神獣を舐めるなよ、その程度造作もない』

『済まない、ヘル……私のせいで痛い思いをさせたな』

「大丈夫だって……って、神獣？」

『勝手に言っているだけだ、ただのキマイラのくせにな』

骨を貫くような傷をつけておいて、それを癒した、と？　アルはああ言ったが神獣なんて言うのも案外ホラではないのかもしれない。そんな思索の間にも魔獣達は口喧嘩を始めた。「私のために争わないで！」なんて言える訳がないし、僕はそんな展開に憧れていない。

「ねぇアル、僕大丈夫だから怒らないで。痛くないし、本当に平気」

『いや、許せん。此奴なら傷痕など残さずに出来た筈だ』

『ふんっ、飼い犬が……ご主人様に自分以外の痕がつくのがよほど嫌らしいなぁ、全く……犬は独占欲が強い。これだから犬はダメだ』

『わざわざ傷痕を残しておいてよくもそんな口を。独占したいのは貴様の方ではないのか？』

僕の膝上から頭をどけ、カルコスと睨み合うアル。

獅子と狼では圧倒的な体格差があるように思えるのだが、話を聞く限りアルの方が強いらしい。

「ライオンさん、この歯形ってそういう意味？」

犬猫が匂いをつけるような、熊が木に爪跡を残すような、そんな縄張りの印なのか。

『はっ！？　なっ、そっ、そんなわけあるかガキが！　調子に乗るな！』

「違うの？」

『当然！　我の下僕にはガキはいらん！』

「ふぅん……そっか」

カルコスは気分を害したと言って飛んでいってしまった。相当焦っていたのだろう、辺りの家にぶつかってチョコレートの屋根を幾つも壊していった。