追影
・牢獄の国
柔らかいベッドに、見覚えのある天井。
横を見れば銀色の毛、アルだ。
ほら夢だった。
僕は体を起こして、いつもとは違ってねぼすけなアルを揺り起こす。
「アル、起きて」
起きない。
「アル? 今日は僕の方が早起きだよ、珍しいよね。
初めて君に勝てたかも、ねぇ早く起きて褒めてよ」
起きない、おかしいな。
「……アル、ねぇ? どうしたの、起きて」
どうして起きないの、どうして冷たいの。
不意に視線をずらすと、ベッドの隣に人が居るのに気がついた。
神父に少女達、大臣まで居る。
「ヘルシャフト君、落ち着いて聞いてくれるかなぁ」
重苦しい沈黙を破って、神父は僕の目をじっと見つめた。
嫌な予感がする。
聞きたくない。
「えっとねぇ……遺体が酷い有様だったからさぁ、縫わせてもらったんだ。
それで……横に、寝かせるのはやめようって言ったんだけど、雪華がどうしてもって聞かなくてねぇ」
「何の話してるんですか?」
「……葬儀はどうしたい? この国では水葬とか鳥葬は禁じられてるから、埋葬か火葬になるんだけど、火葬の方は設備が整ってないからお勧めしないよ」
神父は膝に乗せた鳥の嘴型のマスクを指でつつきながら、淡々と意味の分からない言葉を羅列していく。
「誰の、葬儀」
「……君が今抱いてる仔だよ」
「何、言ってるんですか? アルは死んでませんよ、まだ起きてないですけど、すぐに起こしますから」
アルを抱き上げて揺らす、それでも目を覚まさない。
背を撫でると、ぼこぼこと太い糸の感触がした。
銀色の美しい毛をかき分けて見れば、醜い縫い目が現れる。
僕がそれに目を奪われていると、皆は再び沈黙の海に落ちた。
だがそれは壁を叩き割るような音と怒声で壊される。
「目ぇ背けてんじゃねぇ! ちゃんと見ろよ! そいつはもう死んでんだよ!」
「セレナ、何言ってるの? アルは……」
「死んだ! 分かってんだろ!?」
「セレナさん! やめてくださいよそんな言い方! ヘルさん……その、辛いならもう少しだけでも一緒に居てください。
葬儀の準備はしておきますから、ヘルさんはアルさんとゆっくり過ごしてください」
「お前がいつまでもそんな甘い事言ってるからこうなってんだろ!? ちゃんと現実見せなきゃダメなんだよ!」
「今じゃなくてもいいでしょう!? もう少しだけ時間をあげてください!」
二人の少女は言い争いを始める。
胸倉を掴みあげて壁に押し付け、睨み合う。
喧嘩の理由は……分からない、彼女達の言っていることは理解出来ない。
「乱暴っ、なんですよ。セレナさんのやり方は、誰もがあなたみたいに強いわけじゃないんです!」
「二人ともやめなさい! それ以上騒ぎたいなら部屋から出ていきなさい!」
神父の一喝で部屋の温度が下がる、少女達は黙り込み力なく壁にもたれた。
神父は呆然とする僕の頭を撫でて、抱き締めていたアルを取り上げた。
僕はそれを止めも神父に縋りもしなかった、出来なかった。
ただ言われるままに神父の後に付いて行き、言われたことを言われた通りにこなした。
そして、気がついたら教会の裏庭に座り込んでいた。
目の前にあるのは小さな十字架だ。
三つの花束が置かれ、僕もいつの間にか神父に握らされた花を持っていた。
「風邪を引きますよ、そろそろ中に入られてはいかがですか」
僕がそれを了承するはずもないのに、雪華は何度かその言葉を繰り返した。
そして諦めた雪華は僕の隣に座って、布に包まれた何かを手渡した。
赤い石だ。
微かに暖かく、また鼓動のようなものがある。
どこか心臓のように感じられるそれは少し欠けているように思えた。
「その石、アルさんを縫っていた時に出てきてしまったものなんです。元々体の中にあるものなのか、飲み込んでいたものなのかは分かりません。でも何故か、ヘルさんに渡さなきゃって思ったんです」
「アル、の?」
「はい、アルさんのものです」
「そ、う。綺麗……だね」
「ええ、とっても綺麗ですよね」
「僕に、くれるのかな」
「きっとそうですよ、贈り物です」
「そっかぁ、そうかなぁ、直接……渡して欲しかったなぁ」
アルが死んでしまってから、僕は初めて涙を流した。
現実感のなさがやっと消えた、僕はようやく現実に向き合った。
途方もない虚無感が浮き彫りになり、それを埋める為に石を握りしめる。
温かく静かに鼓動するそれは、普通ならば気味悪く思うのだろう、だが僕には何故かそれが愛おしくて仕方がなかった。
「中に入りましょう、あなたが風邪を引いてしまったら、きっとアルさん悲しみますよ」
「そうだね……それで、僕を叱りに来てくれないかなぁ」
「……入りましょう、ね?」
「うん、今、行くよ」
雪華はアルが来ないとも居なくなったのだからもうやめろとも言わなかった。
ただ、それこそがアルの意思を伝えてくれているようでとても嬉しく思った。
僕はその後しばらく教会の手伝いをして暮らしていた。
冷たい岩山には花は咲かない、僕は毎日山を降りて花を摘んだ。
何の為にって、供える為に決まっている。
僕はその日も買い出しの帰りに花を摘んで供えた。
昼は本棚の整理で、埃だらけの部屋を雪華と掃除していた。
その中で僕は興味深い本を見つける。
僕がその本の表紙を眺めていると、雪華が肩に顎を乗せて覗き込んできた。
「読める? 僕はこの言葉知らなくて」
「私もあまり詳しくは……神父様なら読めるでしょうか」
「この表紙の絵ってさ、アルに似てると思わない?」
「……翼を生やした獣、ですね。狼ではないですし尾は蛇ではありませんが、似ているような気もします」
その本だけを外に出して、僕達は本棚の整理を手早く終わらせた。
そして今日は調子が悪いからとあの妙な服を着込んだ神父に本を見せた。
「科学の国の本だねぇ、ずっと前に古本屋で買って読まずに置いといたんだよ。『合成魔獣とは』か、よく見つけたねぇ」
「何が書いてあるんですか?」
「うーん、基本的な材料と作り方、それから著名な合成魔獣製作者とその作品。
あれ? この『合成魔獣最高の出来、三体の獣』ページに載ってるのってさぁ」
「アル!? それに、えっと……カルコスとクリューソス」
挿絵には狼と獅子と虎が描かれ、その姿は紛うことなきあの魔獣達だ。
翼に尾、光輪、間違いない。
「天使を模した金虎、悪魔を模した銀狼、人を救う為の銅獅子。作った人は……もう亡くなっているだろうねぇ、あまり大したことは載ってないよ、秘密だってさ」
「そう、ですか」
神父は本を閉じ、僕の頭を撫でる。
懐から数枚の紙幣を取り出し、僕に握らせる。
「足りるかなぁ、多分大丈夫だと思うけど」
「あの、これは?」
「旅費だよ、行くんだろう?」
「あ……そ、その」
「ここでのお駄賃って思っていいよ、だからいつか返そうなんて思わなくていい」
「私、そんなの貰ったことな……あ、いいえ、なんでもありません」
神父は珍しくも真剣な声色だ、その表情は分からないが、きっと声と同じだろう。
神父は僕の考えを完全に見抜いていた。
科学の国、僕はアルの生まれた場所を見てみたい。
僕はアルの事を何でも知っている気になっていたくせに、何も知らないのだから。
アルが居なくなっても、僕はずっとその影を探している。
「……ありがとうございます、行ってきますね」
「いつでも戻っておいでよ」
神父は僕を抱き締めて、頭を撫でた。
温かい。
アルの言っていた通り、僕は独りではないのかもしれない。
でも、それでも、君に会いたい。
せめて君の影だけでも追っていたい。
それくらいなら許してくれるよね?




