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月に輝く

・牢獄の国




呼吸が嫌になるほどの寒さ、瞬きが困難になるほどの寒さ。

そんな中で雪華は教会を走り回り、壁に描かれた模様に何かを塗っている。

先程まで黒かった模様は暖かい赤に変わり、壁にかけられた蝋燭の火が灯る。

少しずつ少しずつ、室温は上がっていく。


「大丈夫ですか? 皆さん、すぐに暖かくなりますからね!」


「雪華、なんなんだよこれ」


「神父様の力を弱める為の呪詛紋様です!」


「呪詛ぉ!? なんなんだよこの教会!」


セレナの言うことはもっともだ。呪詛が壁一面に描かれた教会など聞いた事がない。

砂漠の国で雪華は神父の力は非常に強く周囲のものを凍てつかせてしまうと言っていたが、まさかこれほどとは夢にも思わなかった。

その神父の姿も見えていないというのに、その力はひしひしと感じる。


「神父様に御挨拶に参りましょう、防寒具を取ってきますので、少々お待ちくださいね」


雪華はそう言って別の部屋に駆けていった。

この部屋は教会と聞いて一番に思いつくような部屋だ。

色とりどりのステンドグラスに、綺麗に並べられた長椅子。

祭壇の横にオルガン、奥には神の像……だろうか。


「なぁヘル、神父……会いたいか?」


「悪いけど出来れば会いたくない、この寒さの中心だよ? 外なんか比べ物にならないって事だよ?」


『ヘル、私は狼だ。貴方のペットだ』


「だから何?」


『ペットの分の挨拶は飼い主がすべきではないか?』


「僕を身代わりにしようって? ダメだよ、死なば諸共って言うだろ」


「おいヘル、アタシ達死ぬのか?」


「セレナは大丈夫そうだけど、僕は死ぬよ。多分」


きゅうん……と可愛らしく鳴き、甘えるようなアルを無視し、雪華の帰りが出来るだけ遅くなるように祈る。

だが、その祈りには何の意味もなかった。


「ただいま戻りました! さぁ皆さんこれを!」


分厚い全身を覆う服を渡される、まるで手足のついた寝袋だ。

顔の部分には網がかかり、ゴーグルとマスクまで渡された。

アルには子供の用の靴下と先程よりも分厚い毛布が巻かれている。


「行きましょう! レッツゴー地下!」


「なんでお前そんなにはしゃいでんだよ」


「神父様に会えるのは久しぶりなので、少し取り乱してしまい……申し訳ありません」


「はぁ……とっとと挨拶済まして帰ろうぜ」


コンクリート剥き出しの壁に取り付けられたレバーを上げる。

巨大な歯車の回る不気味な音が響き渡り、ゴリゴリと不快な音を立てながら''檻''が上がってきた。


「エレベーターです、中々お洒落でしょう?」


「……ごめん、どこが?」


自称……いや、エレベーターは話さない。雪華称エレベーターこと檻に乗り込む。

天板に取り付けられた太い鎖が金属音を響かせエレベーターは下に向かう。

鼓膜に響く高い音は酷く不快だ。

脳を直接擽られるような感覚に襲われる。


不安な音と大きな揺れと共にエレベーターは最下層に到着する。

これまでの寒さとは一線を駕す冷気が廊下の奥から漂ってくる。

コンクリート剥き出しだったはずの壁は氷の壁に変わっていた、歩く度にガリガリと氷が削れて靴にこびりつく。


真っ暗な廊下の最奥に、鉄格子の扉。

申し訳程度の小さなベッドだけが置かれた、囚人の部屋よりも酷い部屋。

そんな部屋の中に''神父様''は居た。


「お久しぶりです、神父様!」


雪華は元気に挨拶し、僕にもそれを求める。

だが、神父を目の前に僕の口は少しも動かない。


雪華の持った蝋燭の光をてらてらと反射する黒い革製のガウンと手袋、つばの広い黒の帽子。

そして極めつけに鳥の嘴の形をした白いマスク。

一切肌を露出しないその服装は僕の潜在的な恐怖を掘り起こす。


「あー、セレナっす、雪華……さん、とはいいお友達、やらせてもらってます?」


「ふふっ、変わった挨拶をしますね、セレナさんったら」


くい、とセレナは僕の袖を引く。

それに現実に引き戻され、何とか口を開いた。


「ヘルシャフト……です。その、よろしくお願いします?」


『アルギュロス、見ての通り魔獣、ヘルが主人だ』


神父はゆっくりと立ち上がり、鉄格子の前に立つ。

異常な冷気はこの人から溢れているのだと明確な実感が湧く。


凍堂とうどう……れい。よろしくね」


鳥の嘴型のマスクの下から優しい声が漏れる、姿の不気味さとは対照的なその声は逆に恐怖を煽った。






挨拶を終え、相変わらず檻としか思えないエレベーターに乗って上へ戻る。

先程よりもずっと暖かく感じ、蝋燭の火をとても愛おしく思う。


「神父様、お元気そうで良かったです!」


「元気……なのか、良く分かんねぇな」


「この寒さはいつもより強いんですよ、体調が優れている証拠です!」


「なんでそんな時に来ちまったんだか……」


「何であんな格好してるの?」


「力を抑える呪詛を仕込む為ですよ」


「何であんな力持ってんだ?」


「見習い時代に天使様の加護を受けたそうです」


「加護って、どっちかっつーと呪いだろあんなモン」


セレナの呟きを無視し、雪華が防寒具を片付ける。

その帰りにパンとハムとチーズを持ってきた。

少々物足りない夕食を済ませ、僕達は別々の部屋で眠りにつく。







小さなパイプ式のベッドに腰掛け、足の間に体を挟ませたアルの頭を撫でる。

アルの翼には細やかな霜がおり、触れた指の感覚を奪っていく。

霜を取り終え、すっかり冷えた僕の指先をアルは丁寧に舐めて暖める。


『何故ここに来た? 何か理由があるのだろう』


「人探しを頼まれて、アルに言うと止められそうだったから、黙ってた。ごめんね?」


『貴方に危険が及ぶのなら私は止める、だが決定権は貴方にしかない。

貴方は私の主人だ、貴方の決めた事ならば私は黙ってついて行くのみ』


「……そっか、ありがとう」


アルの頭を引っ張り、前足を僕の膝に乗せさせた。

抱き締めて、尖った耳に唇を寄せる。毛並みにそって手を這わせ、翼の付け根を優しく揉む。そのまま手を下ろし尾を撫でる。

閉ざしていた目を開き、尾に刻んだ僕の名を見つめた。

罪悪感がこみ上げると同時に、これさえあればアルは僕の物なのだという歪んだ感情まで引っ張り出される。

僕のドロっとした気味の悪い心を曝け出しているようで、刻印は嫌いだ。

だが、刻印は僕にとって何よりも大切なものなのだ。


『ヘル? どうかしたか? 今日は随分と私を撫でているな、寒いのか?』


「うん……寒いね、そのせいなのかも」


狭いベッドでは横に並べない、僕は仰向けになってアルを上に乗せた。

少し遠慮しているようだったが、抱き寄せると大人しく体を預けてくれた。

月光が小さな窓から差し込み、アルを銀に輝かせていた。

僕の上で瞳を閉じ、銀に輝く狼。

その光景は酷く幻想的で、夢ではないかと不安を煽る。


「……綺麗だね」


『ん? ああ、月か? 三日月だな。綺麗な月夜は吠えたくなる』


「そうなの? ちょっと見てみたいな。でも、そっか、月が綺麗なせいなのかもね。今日の僕がちょっとおかしいのは」


『確かに、少しおかしいな。だがいつもこうなら私は嬉しいぞ?』


悪戯な笑みを浮かべて、アルの翼が僕を包み込む。

僕は寒さなんて欠片も感じずに眠りについた。


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