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断章

・砂漠の国




見覚えのない文字が読めるという不思議な現象は僕にはよくある。銀の鍵を手に入れる時に読んだ本もそうだった。


「……ぉ、まぇ……読め……のか」


『まだ喋れますか……ヘルシャフト様? 食べていいですか?』


いい、と返事したいところだがヴィッセンの前で人命を軽んじるのはよくない。首を横に振った。

……神降の国に居た時は民間人の安全を気にしていたのに、どうして急に人命がどうでもよくなったのだろう。自分で自分が分からない、気味が悪い。


「頼む…………の、はち……みつ……を」


自分の知識ではない知識が頭にあり、数分で価値観がガラリと変わって──これは、まさか。


「…………兄さん、入ってる?」


そう呟いた途端、僕の視界は黒く染まった。次の瞬間には濃霧に包まれた十字路の真ん中に立っていて、思わずため息が零れた。


『……入ろうとした訳じゃなくてさ、ちょっと損傷があって……修復には君の中に居た方がいいから』


霧の向こうから黒い人影が歩いてくる。背の高いそれは霧から出ることはなく、薄ぼんやりとした細長い影に留まった。


「別に入るのはいいんだけど、何か……性格、変わる気がするんだ。僕……人間が死ぬとこ見ても何とも思わなかったんだよ、兄さんが石に戻ったらこの冷たい性格も治るよね?」


『どんな影響が出てるのかはボクにもよく分からなくて……ごめんね? でもね、ヘル。それを気にするってことはキミは優しい子ってことだよ。それとね──』


霧の中から手が伸びる。細長い指先が頬を掴み、寒気を覚えるほどの美顔が目の前に現れる。


『──人間を「人間」って呼ぶのは、人間でない者である証拠だよ。ま、基本的に……だけどね』


瞬きをすると目の前の美顔は黒い青年から翠髪の少女に変わる。


『……ヘルシャフト様? ボーッとしてますけど、大丈夫ですか?』


「………………ベルゼブブ、僕……人間だよね」


『え? ええ……そうですけど』


「……人間、人間か。人間って……何だろうね」


『黒』の名を奪った僕は一時的に人間ではなくなっているのかもしれない。だが、そもそも人間とは何だろう。生物の一種? それとも精神の傾きの話?


『コスパのいいご飯ですね』


「……………………なら、僕は人間だね」


喰っても喰っても再生して、味は最上級で痛覚を消しているから叫んだり暴れたりもしない。これほど良い食材はない。


「君……読めるのか?」


「あ、はい……なんとなくですけど」


「何が書いてあるか教えてくれないか? テロリストに協力する気はないが、学者として興味がある」


紙が崩れてしまわないよう慎重にページを捲る、張り付いているページもあった。書いてある文字は読めるが、知識として頭に残らない。脳の表面を滑って出ていってしまう。


「……まぁ、大したこと書いてませんよ」


誤魔化しではなく本当にそう思った。

この文字を読んでいるのはライアーの知識が混ざっているから、そしてライアーの知識にはこの本の内容もあったのだろう。しかし僕が意識してライアーの知識を使うことは出来ず、結果として「知っていた情報の冗長な文」という感覚だけが残る。


「ふざっ、けるな……」


足首をギリギリと掴む血に染まった手。痛覚を消して無視し、本を机に戻した。


「この国戦争してるんですよね? ヴィッセンさん避難しなくていいんですか?」


「……こいつらに捕まって出来なかったんだよ、すぐそこだったのに」


「…………送りましょうか」


「頼めるか? ありがとう」


痛覚を消したせいで足を掴まれていたことを忘れ、扉に向かおうとした僕は派手に転んだ。


「……大丈夫か?」


『一人で行った方がいいんじゃないですかぁ?』


「だ、大丈夫です大丈夫です、行きましょう」


男の手を透過し、予定通りヴィッセンを避難所まで送った。僕は場所を知らなかったから付き添いと言った方が正しいだろうか。

避難所に大した広さはなく、軽く首を回すだけで全員の顔が確認出来た。地上の街もそう広くはないとはいえ避難所がここだけというのも考えにくい。


「リンさーん! 居ませんかー? ヘルです、ヘルシャフトでーす!」


返事はない。ただ住民の視線だけが集まる。


「……リンさーん! 今出てきたらドレスでも何でも着てあげますよー!」


返事はない。


「…………居ないね」


『ドレスって何です?』


「リンさんは子供に女装させるのが趣味なんだよ」


避難所を後にし、静かな道を戻る。大学……学校か、苦手だな。


『イイ趣味してますねぇ』


「ベルゼブブ本当に知らない? 会ってないかな」


『……覚えてませんね』


立ち止まり、ベルゼブブの瞳を真正面から見つめる。網目状の模様がある白目のない真っ赤な眼球──いや、小さな赤い球が集まった二つの複眼。白目も黒目も見当たらず、目線は当然分からない。感情など読み取れるはずもなく、再び歩き出す。


「バアルは人間の目してたのになぁ」


『人間に化けるなら出来ますけど……目悪くなるんですよねー、動体視力ガクッと落ちます』


化けた姿によって身体能力が左右される。面倒な特性と取るか、選択肢が増えて良いと取るか。

別の避難所を探そう、別の避難所はどこにある、そんな話をしながらヴィッセンが本を解読させれていた部屋の近くに差し掛かると、その部屋でベルゼブブが攻撃を加えた男達と同じ服装の者達に囲まれた。


『……呪術って魔力多く溜められる方や痛みに強い方が三流では上の方にいけるんですよね。だから……今囲んでる連中が八割女なのはそういう訳ですね。色気に負けないでくださいよ?』


「手足の動きを止めて。避難所の場所とか、何であの本解読させたかったのかとか、そういうの聞きたいから殺さないで」


『…………ヘルシャフト様、随分と思考が人間離れしてきましたね……嫌いじゃありませんよ、そういうの』


ベルゼブブは無邪気な笑みを浮かべ、翅を震わせる。その次の瞬間には呪術師達は床に転がり、腱の切れた手足で蠢いていた。そのどこか毛虫を思わせる動きは気持ちが悪い。


「ぁ、ヴィッセンさんのとこに居たのが全員男だったのってなんで?」


『呪術かけて脅すってのは難しいんですよ。呪い殺したのを見せるとかならまだしも、一人しかいない奴に呪いかけて痛めつけるってのも加減やら代償やら面倒ですし……腕力欲しかったんじゃないですか?』


ベルゼブブは答え合わせだとでも言うように近場に転がっていた呪術師を足蹴にする。その瞬間、その足の皮膚が裂けて丸っこい虫が這い出た。

いや、足だけではない。手からも、喉からも、顔からも──無数の虫が皮膚を突き破って現れ、喰いちぎった肉をコロコロと丸めていく。


『……ヘルシャフト様っ! 浄化、されるっ……これは、神の呪術…………私、に……』


破れた喉で無理に声を出す。奇妙な音になった言葉は僕に全て伝わらない。


「ベルゼブブっ!」


『……ゃ、く……』


浄化されると言ったか? 神の呪術? 神術ではなく? 神が呪いを扱うのか?

いや、今考えるべきなのはどう浄化を止めるかだ。呪いについては後。彼女の浄化を止めるには──浄化を打ち消すのは──穢れ。血だ。


「……小烏! 来い!』


影から刀を引きずり出し、喉を掻っ切った。


『……っ! は…………げほっ……』


僕の血を浴びた虫はパラパラと床に落ちた。ベルゼブブの身体は急速に再生し、元通りになった彼女は僕の首に手を添えた。傷はもう塞がっている。


『……ベルゼブブ、大丈夫? 僕を食べたいなら食べていいよ』


『ヘルシャフト様……貴方、いつの間に…………人間でなくなったんですか?』


刀を影の中に落とし、ベルゼブブの頭を撫でる。翠の髪は絹のような手触りで、飛び出た触角は鋼線のようだった。温かい気持ちになれる何よりの理由は彼女の低身長だろう。


『まさか、あの時ですか? 図書館で……そうです、あの時も奇妙だとは思ったんです。すり抜けて……』


『…………ベルゼブブ」


『……って何頭触ってんですか無礼者! やめてください気持ち悪い!』


父性のようなものまで湧くほど心地よい時間は手を払われる痛みを残して消え去った。

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