呪の影響
・温泉の国
真っ暗な部屋、砂嵐のモニター。
もう何年も見飽きた光景。
今日こそはこの国の料理を食べようと思っていたが、ある用事を片付けるために『灰』に譲った。
真っ白な私はこの部屋に拒絶されたように浮き彫りになる。
真っ黒な『黒』はこの部屋に完璧に受け入れられている。
『ねぇ『黒』、少しいい?』
『灰』のいない静かな部屋。
砂嵐の音だけが響く会議室。
『呪いについて聞きたいの。貴方の口からは何も聞いていないけれど私には分かる、私は貴方だから。貴方はきっと呪いに詳しいわ』
返事はない。
『黒』の目は本に張り付いている。
だが本のページはずっと変わらない。
『私の事についても聞きたいわ、私はなんなの? どうして角が私にだけあるの? 私達は一体何なの? 人なの? 違うの?』
『鬼、または守護神、若しくは精霊、あるいは天使。そしてそのどれでもないもの』
『黒』の口から曖昧な返事ではないものが初めて飛び出した。
だがそれは意味のあるのかないのかすら分からないものだ。
『何よ、それ。ふざけないで真面目に答えて!』
『君は鬼、そして意志』
『……どういう意味よ』
『呪いは術者だけに解けるもの』
『黒』が立ち上がる、こんなのは初めてだ。
モニターの砂嵐が消える、真っ黒に塗り潰される。
『まだ自分でいたいのなら、この国は出た方がいい。君は感情なのだから、この国の呪いはよく効くだろう』
『この国の……呪い?』
真っ暗な部屋には何も無い。
ただ『黒』の声が響く。
上も下もなくぐるぐると回り出したように錯覚する。
『純真で馬鹿な子供には呪いは効かない』
『それ、『灰』の事?』
何も見えないはずなのに、『黒』の意地の悪い微笑みが見えた気がした。
扉が開く。
『灰』が帰るとモニターは砂嵐に戻り、『黒』もまた本を読み出した。
今日は宿から出る事にした。
外を見て回ろうと思ったのだ。
観光もあるが、それ以上に呪いについて調べたい。
「呪いとかってどこで調べたらいいのかな」
『ふむ、定番だが古書店か。この国の古い本は書物の国にも無いと言うしな』
「へぇ……でもそんなのパンフレットに載ってないよ」
薄っぺらなパンフレットを捲る。
載っているのは観光名所ばかりで、そんな古書店などどこにも無い。
『ならここに行こう』
「温泉? 好きだね。別にいいけどさ、後で古書店も探してよ」
アルは温泉の挿絵を尾で指す、山の中腹あたりにあるようだ。
ここからそう遠くもない、行ってみるのもいいだろう。
途中で何かを見つけるかもしれない。
山を登っていくと、人影が増えてきた。
その人波にならっていき、僕らは無事に温泉に辿り着いた。
思っていたよりも険しい道のりに僕の足はもう限界に近い。
「ちょっと山を登れば入れると思ってたのに、結構遠かったよ。なんだか疲れちゃった」
『まぁ、その分の価値はある』
宿のものとは違ってこの温泉は濁っている。
成分が濃い、と言うやつなのだろう。
僕の肩に顎を乗せて、蕩けた顔をするアル。
可愛らしく思いながら山からの風景を楽しむ。
ぼうっと下を眺めていると、黒蛇が僕の顔を這う。
アルは先程までとは打って変わって不機嫌そうだ。
『景色ばかり眺めているな、もう少し私を見たらどうだ』
「どうしたのさ急に」
『貴方は最近私以外のものばかり見ている、貴方の一番近くに居るのは私だぞ、貴方を一番理解しているのも私だ』
「分かってるよ? 別に蔑ろになんてしてないじゃないか」
様子のおかしくなったアルを宥める為に頭を撫でる。
不思議に思うと同時に、妬いているかのようなアルを可愛らしくも思う。だが嫌な予感が拭いきれない。
『ウサギや雀を可愛いと言ったり、少しぶつかっただけの女を探し回ったり』
「アル……ちょっとおかしいよ? のぼせたの?」
『おかしい? おかしいのは貴方だろう、私は貴方だけを思っているというのに、貴方は違う』
いつの間にか体に巻きついていた黒蛇が、だんだんとその力を強くする。
アルの黒い瞳は微かに、だが確かに狂気を孕んでいる。
「アル……苦しいよ」
『そうか、ならもっと絞めようか? そうすれば私を見る気になるだろう』
明らかにおかしい。
いきなり何を言い出したんだ。
息苦しさに耐えながらこの国の呪いを思い出す、『嫉妬の呪』。
この異変は呪いのせいではないのか。
アルは呪いへの耐性が低かったはず、それにこの言動は嫉妬しているようにも思える。
なら、どう言えばいい?
「何言ってるの、僕はずっとアルを見てるよ。君が一番大切な友人だって思ってる」
『友人……まぁ、信用してやる』
黒蛇は僕の体を離れ、アルは湯を上がった。
僕が必死に考えた台詞はお気に召したらしい。
翼や体を振り、水滴を飛ばしている。
僕もその後を追いかける。
体にはくっきりと鱗の跡がついていた。