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第二十章 番外編その一

ヘル君が八歳頃のお話。




・料理修行を始めた日





母も父も「仕事が忙しくなった」と言って家に帰らなくなった。正確には三日に一度、深夜に着替えを取りに来るだけだ。

これでは家族とは言い難い。ただでさえ僕は引きこもっているのに、さらに家族がバラバラになっていくのを感じた。

別に父母が好きな訳ではなかった。だが「親なのだから」という自身の説得に負けて嫌いにもなりきれなかった。


「ヘールー、今日は何食べたい?」


兄が突然目の前に現れる。空間転移魔法だと分かっていても驚いてしまう。だが兄を前に口篭ることはこの世の何よりも危険な行為だ、と僕は理解している。


「おにく」


「お肉? 分かった。買ってくる」


食事は兄が作ってくれる。僕は一日をベットの上で寝て過ごす。兄が僕への魔法教育を諦め、僕をストレス発散用の玩具として扱うようになってから、僕は怠惰に生きている。

生きているのか死んでいるのかも分からない、ただ自分がダメな奴だという実感だけを背負い、日々をやり過ごす。

僕はこのままではいけないと体を起こし、覚悟を決めた。


「…………ヘルが作るの?」


「うん」


「別にいいけど、料理できるの?」


「できない。にいさまにおしえてほしいな」


買い物袋を背後に浮かせ、キョトンとした顔で僕を見つめる兄を見上げる。

兄は最近急激に身長が伸び始め、声も低く変わった。僕はその変化に戸惑いつつも兄に甘えるのがさらに好きになっていた。


「……まぁいいか。おいで」


兄は僕の手を引き、部屋をでる。

自室を出るのはいつぶりだろう。心臓が激しく脈打った。


「ここがキッチン。ヘルはまだ小さいから包丁は使っちゃダメ、いいね?」


兄が指を鳴らすと踏み台が出現する。階段状のそれは僕が料理するのにピッタリの大きさだった。


「買ってきた肉は細切れのやつだから、そのまま煮ていいよ」


「にて……?」


「水入れて、具を入れて、火にかける。これを煮るっていうの」


「にる……」


「炒めるのは油が飛んで危ないからヘルはしちゃダメ、揚げるのも危ない、焼くのも危ない。蒸すのは道具がないから無理、だからヘルに出来るのは煮ることだけ」


「にることだけ……」


兄は僕の安全の為と言って包丁やハサミ、皮剥きなど刃物を全て棚に入れた。


「ここは危ないから開けちゃダメ」


「ここはあけない」


「よし、じゃあまず水入れて」


「みずー」


兄は僕に水桶を手渡す。僕はその水を兄に手伝ってもらいながら鍋に移した。


「おもかった」


「頑張ったね、えらいえらい。ヘルはいい子だよー」


「にいさまになでられるのすきー」


「んー、よしよし。可愛い可愛い僕の弟、ずっとそのままでいてね。僕だけが君を愛してあげられるんだから」


「……ぼく、おっきくなっちゃだめ?」


「そういう意味じゃないよ。ずっと……お兄ちゃんを好きでいて欲しいんだ」


「ぼく、にいさまのことだいすきだよ、きらいになんてぜったいならない」


「…………殴ったのに? 蹴ったのに? 痛いこといっぱいしたのに?」


兄は不安そうな目で僕を見つめる。そんな顔をするなら僕を虐めなければいいのに。

僕は兄の機嫌を取るために、八割くらいは本心で首を激しく横に振った。目眩を起こして倒れそうになると、兄に抱きとめられる。


「…………ヘル。ごめんね。酷いお兄ちゃんで、ごめん。ごめんね、ごめん」


兄は泣いていた。


「にいさま?」


僕はその涙の理由を理解出来なかった。


「……続きしようか。火をつけて水をお湯にして、そうしたらお肉を入れるんだ」


「ひで……おゆ?」


「水は火に近づけるとお湯になるんだ」


「すごーい」


「お湯も水も出せるから僕の方が凄いけどね」


兄は魔法陣を手のひらに浮かべ、そこから流れ出す水を手の器に受け、僕に向けた。

恐る恐る指を入れると、お風呂に丁度いい温度のお湯だった。


「にいさますごーい!」


「お兄ちゃんは凄いよ」


兄はそっと鍋に触れ、また魔法陣を現す。すると鍋の中の水がグツグツと音を立てて泡を吐き出した。


「今日は近道しちゃおうね。明日からは一人でやるんだよ」


「うん!」


「じゃあ調味料……味付けの説明ね。まずコウモリの干物で出汁をとる」


「こうもりのだし」


「次は乾いたマンドラゴラの手をすり潰して入れる」


「まんじょらぎょら……」


長い名前に噛んでしまった。兄に手渡されたマンドラゴラの手を握り締めながら、そっと兄を見上げる。


「…………マンドラゴラ」


兄は冷たい目で僕を見下していた。


「まっ、まんどらぎょ……ごら!」


兄は僕の髪を掴み、調理台に叩きつける。何度も何度も。泣き叫んでも、鼻血を出しても、謝っても、兄の気が済むまでそれは止まらなかった。


「……ごめん。でもヘルが悪いんだよ。ヘルがいつまで経っても舌っ足らずだから僕が苛立つんだ。ヘルが悪い。いつになったらちゃんと喋れるようになるの?」


「ごめんなさい……」


「謝るなよ! 聞いてるんだよ! いつになったら喋れるの!? ねぇ! 僕の弟のくせにっ、この出来損ないがっ! それでも本当に僕の弟なの!?」


兄は棚から肉叩きを取り出し、それで僕をぶった。


「ごめんなさいっ、ごめんなさい、わかりません。ぼくにもわかりませんっ!」


「はぁ……? はぁ、もういい。続きやるよ」


兄は僕に治癒魔法をかけ、笑顔に戻って料理の説明を続けた。


「野菜も入れてね。包丁は危ないから、そのままでいいよ。次は火吹きトカゲの目玉。一人三つの計算だよ、出来る? に、かける、さん、だよ。いくつになる?」


「ろく……?」


「よく出来ました! ヘルは賢いねぇ、出来た子だ。流石は僕の弟だ!」


兄に頭を撫でられ、僕は頬を緩ませる。さっきの暴力を忘れた訳ではないが、それよりも優しい兄が好きだった。


「あとはまぁお好みでヤモリやイモリの丸焼きを崩して入れて、お終い。分かった?」


「やもり、いもり、くずして……うん! おぼえた!」


「一回で覚えたの? 凄いねヘル、流石は僕の弟、頭が良いよ。物覚えもいい。可愛いいい子だ」


兄は鍋に蓋をし、取手に手を置いたまま魔法陣を現す。

しばらくして蓋を開けると、具はすっかり煮込まれていた。兄は肉の欠片を掬い、僕の口元に差し出す。


「味見は大事だよ。口開けて」


「う、うん。あー……んっ!? あ、つっ! っ……!」


「……ヘル?」


熱い。熱過ぎて味が分からない。火傷をしたかもしれない。

だが僕は僕を見つめる兄を見て、熱さを我慢して肉を噛まずに飲み込んだ。喉が焼けるように熱い、熱は次第に下に落ち、胃のあたりで熱さを感じなくなった。


「おいしかったよ」


僕は熱を越した痛みを押し退け、嘘を紡いだ。

兄は涙目になった僕の頭を撫で、鍋を机に運んだ。


「じゃ、いただきまーす」


兄はこの国で一般的な神への祈りを省略し、取り分けた料理を口に運ぶ。


「にいさま……おいのりは?」


「要らないよ。僕は神よりも優れてるから。あぁそうだ、ヘルは僕に祈るといいよ」


「え? えっと……にいさまに、かんしゃします。にいさまに、しんしんをささげます。にいさまをたたえ、にいさまのおしえをひろめることをちかい、にいさまがあたえてくださっためぐみをしょくします」


僕は神への祈りの言葉をそのまま神を兄に置き換えて唱えた。


「かおのないわれらがにいさまに、えつらくがみちんことを」


手を合わせて頭を下げ、二秒数えて兄を見上げる。


「及第点。僕顔あるし。でも可愛かったよ、これからもやってね」


「うん……じゃあ、いただきます」


どろどろに溶けた野菜を口に運ぶ。火傷した舌は味を伝えてくれず、ただ熱と痛みを与えた。

僕は兄に美味しいと伝えながら、出来るだけ舌に触れさせないように務めた。

皿の中の料理が半分ほど減った頃、水脹れになっていたらしい舌の皮が剥がれた。流石にその痛みは誤魔化し切れず、僕は食器を離して口を抑えた。


「……ヘル? どうしたの? 舌噛んだ? 見せて」


兄は席を立ち、心配そうに僕を見つめる。

口を開けて兄に見せると兄は治癒魔法をかけてくれた。もう大丈夫と頭を撫でられ、僕は兄の手に手を添えて、もっと撫でてと甘えてみた。


「もう痛くないね? よしよし、いい子いい子。ヘルはとってもいい子。価値が無くて、出来損ないで、救いようのない可愛い可愛い僕の弟……」


兄は僕を撫でてくれる。甘やかしてくれる。愛してくれている。

こんなにも価値が無くて、どうしようもない僕を見捨てないでいてくれる唯一無二の人。

だから何をされたって何を言われたって僕は兄に縋り付く。そうする事でしか愛を手に入れられないのだから、仕方ない。

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