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出立

・娯楽の国




娯楽の国では珍しい、ネオン看板のない店。

開放的な店内には健康的で優しい明かりが灯る。

木の匂い漂うこの店は喫茶店だ。

店先の素朴な看板には『ラビ』の文字がある。

そう、あの天使が経営者。

喫茶店、風呂屋、その他にも店を開いているらしい。

金貸しもやっているという噂を聞いたが……どうなのだろうか。


柔らかな音楽の流れる店内、蒼いグラデーションのかかった髪の青年は向かいに、アルは机の横に行儀よく座っていた、


「もう行くの? さみしーなぁ」


「次に行きたい国も決まりましたから。それにこの国に長居するのはちょっと危ないかなって」


サンドイッチを頬張りつつ、先輩は頼んだメロンソーダが来ないと文句を言った。


「僕もそろそろ実家に顔出さないとなぁ、兄弟がうるさいかもだけど」


「ヘルさんってこの国出身じゃないんですか?」


「違うよ、この国で人はまず生まれないって。ここに居るのは移住者と不法入国者or労働者、後は旅行者くらいのもんだね」


最後に「俺のメロンソーダまだ?」と付け加えて先輩は店の奥を覗く。


「不法……なんですか」


「俺はちゃーんとした手続き踏んだもん、ほぼ強制だけど」


「強制って?」


にぃと仲悪いんだよね。だからって弟を国から追い出すとか酷いよねぇ」


図らずして先輩の家族関係を聞くことになった。

それにしても、国を追われるほど兄に嫌われる事などあるのだろうか。

……僕も兄には嫌われていたな。追い出されはしなかったが。


「そんな。何したら追い出されるんですか?」


「これといったきっかけは無いんだよね、子供の時から仲悪くてさ、そもそも血ぃ繋がってないし……ああ、あれが原因かな」


サンドイッチの最後の一口を飲み込み、真剣な顔をして話した。


「俺が三歳くらいの時に(にぃ)のお気に入りのぬいぐるみを盗った」


「へぇ……いや、は?」


「輸入品でね、可愛かったんだよ。『牛頭ゴズぬい』、当時アニメとかやってたしさ。

中々売ってないから俺の分がなくて、でもどうしても欲しかったんだよ」


「それで追い出されるんですか」


「いや、それが直接の原因じゃないよ、未だに根に持ってはいるみたいだけど」


メロンソーダが来ないと最後に付け加え、先輩はカバンを探り出した。

小さな青いカバンは相当年季の入ったものらしく、ところどころ塗装が剥がれて白くなっている。


「あ、あったあった。コレだよ『牛頭ぬい』、可愛いだろ?」


カバンから出てきたのはかなり古いぬいぐるみだ。

ちぎれたらしい手足は雑に縫い付けられ、おそらく本来の形ではない。

だが、マッチョな人の体に牛の頭が引っ付いたようなそのぬいぐるみは可愛いという言葉とは無縁に思える。

新品であろうと可愛くはないだろう。


「可愛い……?」


「知ってる? 『ぷりてぃまっする牛頭馬頭ゴズメズ!』っていうアニメ、僕の国では放送してたけど。ヘル君とこは?」


「多分やってないと思いますけど」


「そうなんだ、大人気魔法少女アニメなのに。まぁ、そのぬいぐるみをいつまでも持ってるってのはちょっと恥ずかしいんだけど」


魔法の国にはテレビはなかった。

絵や写真が動いて喋るので、そんな物が必要なかったのだ。

そもそも電気があったかすら怪しい。

本の挿絵が動かないという事は国を出てから一番驚いた事かもしれない。


「別にいいんじゃないですか? 好きなら」


「あ、そう言ってくれるタイプ? 君」


「僕も怪人とか応援しちゃうんですよね、結局負けちゃって悲しくなるんですけど」


幼い頃に兄に読んでもらったヒーローものの絵本を思い出す。

あの頃の兄は優しかった。


「へぇ…あ、『牛頭』は主人公だよ?」


「え? でも魔法少女って」


「魔法少女なんだよ、『ぷりてぃまっする』な」


「へぇ……そうでしたか」


懐かしさでこみ上げた涙が一気に引っ込んでいく。

熱くなった目頭が一気に冷め、空になった皿を見て虚しくなる。


「ところで俺のメロンソーダは?」


先輩の言葉を掻き消すように、アルが骨付き肉の骨を噛み砕く音が店内に響く。


「アル、骨は食べなくていいよ」


『そうか?』


「メロンソーダ……来ない」


『ふむ、だが骨髄が美味いのだ』


「なら好きにしていいけど、大丈夫?」


「大丈夫じゃないよ、喉乾いた」


『平気だ、骨は喰うものだ』


「ならいいけど」


「よくないよ、俺のメロンソーダが来てないよ。 」


店内に流れていた爽やかな音楽はすっかり骨の砕ける音に取って代わった。

何故か悲しそうな顔をする先輩を尻目に、僕はオレンジジュースを飲み干した。





会計を済ませたのは太陽が中天に到達する頃だった。

店を出た後でアルの口が汚れているのに気がつき、濡らしたタオルで拭う。


「ねぇアル、もう少し汚さないように出来ない?」


『………済まない』


「出来ないんだね」


「喫茶店行ったのになんで俺喉カラカラなの?」


自販機を探す先輩の姿はどことない悲壮感を醸し出している。

アルの口が綺麗になる頃には乗車予定の定期便が来た。


「じゃあねヘル君、またどこかで!」


「はい、絶対ですよ」


先輩に頭を撫でられるのにも慣れた、僕よりも大きな手はとても優しい。


『よぉ、魔物使い。天使に会ったらヨロシクな?』


「うわっ……ゼロさん。はい、かしこまりました」


先輩を押しのけ、ゼルクは僕を脅しをかけるように睨んだ。


『てめぇ俺を蹴ったヤツだろ、いい蹴りだったぜ、また今度()ろうぜ』


「嫌だよ……ちょっと、馴れ馴れしい、離せ。っていうかお前呼んでないし、なんで来たんだよ」


組んだ肩を払わられ不機嫌になったゼルクが先輩の胸ぐらを掴む、と同時にゼルクは宙を舞った。

淡いピンク色の髪の女性にビンタされている。


「ラビエルさん? 来てくれたんですか」


『あなたは大事なお客様だから。また来てちょうだいね?』


今日は羽と光輪は見えない、普通の人間としか思えない姿だ。

ゼルクを足蹴にしていなければ見惚れるほどの美女だっただろう。


『あなたもね?』


「は、はい! 通います!」


先輩は顔を耳まで真っ赤にして、勢いよく頭を下げた。

足下のゼルクも相まって借金の取立てのように見えてきた。


『いつまでも踏んでんじゃねぇぞクソ女! 俺の方が強いんだからな!? 分かってんのか!』


『力しか取り柄のない馬鹿に何が出来るの? 馬鹿言う暇があるならお金返してくれる?』


『……好きなだけ踏めや』


抵抗を諦めたゼルクの眼鏡は先程のビンタで曲がっていた。


「また今度!」

「バイバイ!」


出発ギリギリにやって来た桃色の髪をした少女達に手を振る。

車窓から見た娯楽の国は、初めて来た時よりも輝いて見えた。


「そう悪いとこでもなかったよね」


『ふん、匂いも明かりも気に入らん事に変わりはない。人は……良い者も居たがな』


名残惜しそうに外を眺めるアルの背を撫でながら、僕は次の国に着くまで眠る事にした。

体勢はあまり良くないが、夢見はきっと良いだろう。


第二章閉幕、第三章をお楽しみに!

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