緑煙
・娯楽の国
最初は気がつかなかった。
だが、違和感はあった。
そしてそれを確信したのは、この国を納めるものを見た時だ。
この国は呪われている。あのお菓子の国と同じように。
大通りの先に城がある。
娯楽施設に囲まれたそれは、下品ともとれる程に豪奢だ。
そして、王の演説。
それは至って普通であったが、王の様子は普通ではなかった。
食堂にいた男達と同じ目をしている。
虚ろで、生理的嫌悪を感じるあの目。
「アル、あの人…なんか、変じゃない?」
『ああ、なんらかの呪いだな』
他人に聞かれないようにしゃがみ込んでアルに耳打ちする。
柔らかい羽毛が僕を包み、人目から隠した。
「呪い……ねぇ、まさか、さ。お菓子の国とかと一緒なのかな」
『悪魔や神との契約で成り立つ国は多い。王権神授……と言うヤツだな。時が経つにつれそれは歪み、契約は破られ、呪いに変わる』
「この国に、呪いをかけたのって……誰?」
『さぁな、私は呪いに詳しくはない』
城下の雰囲気は何よりも異質だ。
ネオン街の方がよほど健康的。
僕とアルの意見は一致し、大通りを引き返していった。
このまま宿に帰り、呪いについて調べる。
僕には隠しているようだが、あの禁書をアルが持っている事は分かっている。
この国の歴史が載っているかどうかは分からないが、呪いをかけられていると聞いた以上は放っておけない。
何か僕に出来ることを探したい。
そんな時だ、大通りを歩く僕達に声をかける人がいた。
『おっひさ、元気?』
『ゼルク! 貴様…何用だ!』
『そんなカッカすんなよ犬公。ラビにも色々と言われたし、なーんもしねぇから』
刺々しい金髪に、赤紫色の瞳。
レンズのない眼鏡は前に見た時よりも歪んでいる。
「ぜろ…さん? 天使、なんですよね」
『あ? 言ったっけ? まぁいいわ、それが何?』
背を曲げて僕と視線を合わせる。
それは気遣いなのか威圧の為なのか、僕には後者としか感じられなかった。
「この国の呪いについて、何か分かりますか?」
『呪いぃ? 何でンな事知ってんだよてめぇ。教えてやってもいいけど、条件付きだ』
「条件……僕に、出来ることなら」
『てめぇ、ただの人間じゃねぇよな? ナニモンだ? 闘えとは言わねぇからそれだけ教えな』
犬歯の目立つ口が、裂けるように笑う。
「……魔物使いです」
『魔物使いぃ? へーぇ、ナルホド。そんでかぁ、色々解けたわ』
『ならこっちの質問に答えてもらおうか』
ゲラゲラ笑うゼロを睨みつけて、アルは唸り声を上げながら言った。
『あ゛ぁ゛? あぁ…呪いね、あれは確か悪魔の……何かエラい奴』
眉間に皺を寄せ、頭を掻き毟る。
眼鏡の位置を意味もなく直し、そのままのポーズで止まる。
『マ……何だっけ、いっつもまーくんって呼んでるから思い出せねぇな』
『ほう…? 悪魔と関わりが深いのだなぁ。いい事を聞いたよ、天使様』
『あ゛ぁ゛! 性格ワリーなてめぇはよぉ! はぁ……確か『貪欲の呪』、マなんちゃらがかけた、これでいいか?』
「解く方法とかは?」
『知らね、ってかねぇだろ。かからない方法ならあるぜ? この国の烟草が呪いの道具だから…煙を吸わなきゃいい』
ゼロが指を指す方向には煙管を揺らす男。
くすんだ緑色の煙が揺らめき、大気に溶けていく。
「吸っちゃってるよ、多分。どうしよう」
『む……おい、ゼルク。』
『大したモンじゃねぇよ、『貪欲の呪』ってのはちょっと理性のタガが外れて、この国の娯楽に溺れちまうってヤツだからよ』
「それ、大丈夫じゃ無いよね、僕」
『何故呪いをかけた?』
『国の経営の為? ま、ただの趣味だろうな。人を弄ぶっつー趣味があんのよ、アイツ。で、監視的な意味で俺らが来てんの』
「うわぁ……嫌な悪魔」
『監視、しているのか?』
『……ハハハハッ』
大袈裟に腕を広げ、大口を開けて笑う。
その仕草は彼が誤魔化しているのだと直感させる。
そして、大きく手を叩いて僕に顔を寄せた。
『まぁ、この世界でなーんもされてねぇ国なんかねぇよ。大体国に一人二人は悪魔や天使が来てる。オマエら旅してんだよな? 他の天使と会ったら俺が真面目に働いてるって言っといてくれや』
そう言って大口を開けて笑うと、ゼルクは引き返して雑踏の中に消えていった。
『……出来ることなら悪魔とも天使とも関わりたくはない』
「でも……色々聞きたい事が出来るだろうし、知り合いは作っておきたいよ」
アルは深い深いため息をつき、僕を縋るような目で見つめた。
『貴方の血に混じる魔力は強力だ。悪魔はそれを欲しがるだろう、魔性の物を従えられるのだからな。そうすれば必然的に神々とのバランスが崩れる、今も崩れかけているんだ。それを阻止する為に天使が貴方を狙うとも考えられるだろう?』
ゆっくりと、子供に言い聞かせるように話す。
僕は理由もなくアルから目を逸らした、自分の考えの甘さを思い知らされたからなのかもしれない。
『貴方にとっては、悪魔も天使も神も等しく敵になりうるモノ。私では……それらから守りきれないかもしれない』
慈愛に満ちた声だ。
そっと尾を絡ませ、翼で包み込む。
寄せられた体は温かい。
宿に戻る、食堂からは相変わらず緑の煙が燻らせられている。
気休め程度に息を止めて、階段を上る。
部屋中に焚き染められた甘い香りにも、もうすっかり慣れた。
隣に横たわるアルの体を撫でながら、国境の兵士に貰った旅行雑誌を眺める。
次はどこの国へ行こうか。




