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覚醒と破壊

・獣人の国




淡い虹色の光を放ちながら、魔物はゆっくりと頭を擡げる。


『貴様が喰った腕と、数日前に失った右眼を元に戻せ。貴様の扱う魔法なら可能だろう?』


美しい鈴の音と共に魔物の体が溶ける、粘度の高い液体は気味悪く蠢き、その形を歪めていく。

数秒と経たないうちに液体は人型に……ローブを着た青年の姿へと変わる。


『当たり前だろ? 僕を誰だと思ってるの? この馬鹿犬』


彼は空中に魔法陣を描く、完成した魔法陣はヘルの腕があった場所に貼り付き、光り輝く。

魔法陣は次第に形を変え、輝きを失う。

完全に光が消えた後には元通りになったヘルの腕があった。


『このエアオーベルング・ルーラー様に不可能はないんだよ、分かる? その小さな頭で理解出来るかな』


そんな煽り文句を無視し、アルはヘルの右眼を確かめた。

ハートは呆然と元通りになった腕を見つめ、言葉を完全に失っていた。


『……礼を言う』


『要らないよ、別に君の頼みでやった訳じゃないし……寧ろ僕が礼を言いたいね、君が僕を起こしてくれなきゃ僕は馬鹿のままだった、全く不愉快なことにね』


さて、と両手を広げる。

アルはその仕草に嫌なものを察知し、後ずさる。


『ありがとう、僕の物を預かってくれて。でももういいよ、返してくれるかな?』


『……ヘルの事か? お断りだ、ヘルは貴様の物ではない』


『そう言うと思ったよ。だから馬鹿犬だって言うんだ。所有者を分かってないなんて』


白々しい溜息を吐いて、肩をすくめる。

そんな彼らの応酬を止めたのはヘルの声だった。

言葉にならないただの音、寝言。だがそれはヘルの目覚めが近いことを意味している。


『……史上最大のサバトよ、今こそ甦れ。凡人共を恐怖の底へ突き落とせ、至高の夜を再現せよ』


邪悪な詠唱に呼応して、地に染みていたはずのヘルの血が流れ出す。

血は魔法陣を描き出し、詠唱の終わりと同時に完成した。

アルはヘルを背負って逃げようとしたが、それは無駄に終わる。


『幾千年の時を経て、今ここに開こう! ヴァルプルギスの夜を!』


魔法陣から──いや、そこら中の闇から、無数の影が肉を得て迫り来る。

小鬼のような黒い肉の塊はアルの翼に、尾に、身体中に喰らいつく。


『召喚魔法!? いや、違う、これは……! ハート! ヘルを連れて逃げろ!』


払い切れない無数の影を押し戻しながら、アルはハートに指示を飛ばす。


「無茶言うな……っ、うわっ! け、結界!」


群がる影はドーム状に広がりアルとハートを包み込む。

急拵えの結界は二、三体を弾いて割れる。

翼を振るい、眼前の肉を噛み砕き、アルは大量の敵を屠った。

何とかアルの視界が開けた頃には、ヘルは既にアルの隣を離れていた。

耳障りな笑い声の方に目を向ければ、城壁の上にローブがはためいている。

その傍らには眠ったままのヘルの姿があった。


『ヘル! 待て、返せ!』


脇目も振らずに飛び立った。

だが、崩された城壁によってアルの視界は再び闇に閉ざされる。

アルは瓦礫の下敷きになった程度で死ぬような魔獣ではない、だからといって無事でもない。

数十秒の間、負傷により動けなくなる。

再生を終え瓦礫の下から這い出た時にはもうヘルの姿はない。



神降の国の夜明けと同時に、狼の遠吠えが虚しく響いた。



目を覚ます……と、知らない場所。

いい加減にしろと言いたくなる気持ちを押さえ、周囲を見回す。

一般的な家屋、石造りの平屋だ。

僕は暖炉の前のソファに寝かされていたようで、淡い青のブランケットがかけられていた。

それを畳みながら窓を見ると、白んできた空の美しい景色があった。

僕が気を失った時は暗かった、深夜……だったと思う、あれから数時間は立っているのか?


ふらつく足で窓に向かう、見覚えのない街並みが目に映る。

獣人の国でも、酒食の国でもない、静かながらに豊かな街だと伺える。

ふと、扉を隔てた先から歌が聞こえた。

機嫌良さそうな鼻歌には聞き覚えがあった。

何もかもが分からない場所で懐かしいものに出会えば、誰もが飛びついてしまうだろう。

だが僕はそれをすべきではなかった。

どこで聞いたのか、いつ聞いたのか、誰が歌っていたのか、ちゃんと考えるべきだったのだ。


『あ、ヘル。起きたんだね、今日は早いじゃないか、偉いよ』


「……にいさま?」


それは幼い頃に良く聞いた童謡、何度も何度も兄にねだったお気に入りの歌。


『まだ朝食は出来ていないんだ、もう少し眠っておいで。それとも……僕と遊びたいかな?』


僕がまだ学校に行く前、無能だと分かる前、本当に優しかった兄の笑顔がそこにあった。

扉を開けて兄の姿が見えた時、反射的に逃げようとした。

だがその笑顔を見て足は止まった。

この状況への疑問は全て吹っ飛び、「また兄に優しくしてもらえる」という愚鈍な期待だけが残った。


兄への恐怖と警戒心は薄れ、僕は兄の隣に座った。

木製の椅子と机、それは家族四人用の物に思える。


『腕の調子はどうかな?』


「腕? 平気だけど」


返事をしてから思い出す、腕を喰われて気を失ったのだと。

だが特に動きに支障はない、アレが夢だったのではないかと疑ってしまうほどにいつも通りだ。


『右眼は大丈夫かな?』


「眼? うん、ちゃんと見えてる」


左眼を閉じて視界を確認する、こちらも特に問題はない。

その後で髪の色が抜けているのに気がついた、毛先から白く変色しているのだ。

魔物使いの力が目覚めた兆候、右眼を失ってそれも消えていた。

これも戻っているということは、兄が治してくれたということだ。

酒食の国を出た時からの目的が達成された、アルにも言わなければ……アル? そういえばアルはどこに行ったのだろうか。

気を失う前の記憶には確かにアルが居る、僕が眠っている間に何があったのだろうか。


兄に聞くか? いや、下手な質問をすればまた殴られる。

アルを話題に出せば確実に失敗する。

具体的に言わなければまた「出来損ない」と罵られる。

……嫌だ、この温和な兄のままでいて欲しい。自ら幸せな時間を壊したくはない。


「……ねぇ、にいさま。ここどこ?」


このくらいの質問なら大丈夫だろう。


『ヘルは知らなくていいよ。別に危険なところじゃないし……危険だったとしても僕がいれば安全だからね』


大丈夫ではなかった。

いや、暴力を振るわれなかったという意味では大丈夫だったが、期待していた返答ではなかった。


「そ、そうだね。にいさまがいるなら大丈夫だよね」


機嫌取りも含めて兄の言葉を反芻する。

兄の機嫌を損ねないように空白の時間を探るのは楽な行為ではなさそうだ。

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