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闘技場に舞う深紅

・娯楽の国




この国での初仕事を終えた僕は闘技場を探していた。


「この辺の筈なんだけど、どこかな」


『迷ったのか』


「迷ってないよ!」


相変わらず外を歩く時は腕に黒蛇が絡みついている、そのおかげなのか道を譲られる事が多い。地図を眺めつつ無警戒に歩いていると、路地の奥から野太い絶叫が聞こえてきた。


「こっちかな」


『おい、何故そうなる』


声の方へ進んでいくと少しずつネオンが減り、薄暗い路地裏に辿り着く。そこには見覚えのあるスキンヘッドの男が立っていた。


「あぁ、この間のお坊ちゃん。さあさあ中へ! 丁度今から始まるよ!」


「は、はい、失礼しまーす」


入口には意味もなく遮光カーテンがかけられている。爆音が体に響き、夕飯が食道を上がろうと打算する。明らかに不機嫌になったアルを説得しながら空いている席を探した。

客達が向いている方には薄汚れた檻がある、これが闘技場だろうか。それを眺める最前列に僕は居た、皆が席を譲るのだ、これもアルのおかげだろう。


『あぁ……煩いな、この国を出たら私の耳はもう使い物にならんだろうな』


「大丈夫だよ、多分」


不機嫌を通り越して遠い目をし始めたアルに雑な慰めの声をかけ、開演を待つ。会場の電気が落とされ、鳴り響いていた音楽も止む。騒いでいた客達も静まり返る。

静寂が訪れて数十秒、スポットライトが檻の中を照らした。檻の中には大きな黒い毛の塊……熊か? 僕三人分は遥かに超える巨体に鋭い爪、何よりもあの血走った目が恐ろしい。どうして熊が居るのだろう、まさか……格闘技ではないのか?


『嫌な匂いだ、興奮剤だ』


「よ、よく分かるね。熊……どうして熊なんだろ」


続いて反対側も照らされる。檻の中にいたのは人だ。レンズのない赤ぶちの眼鏡、尖った金髪、熊と同じく血走った赤紫の目。背は高く、それなりに筋肉もある。だが武器は持っていない、あの猛獣とまともに闘えるとは思えない。


「ね、ねぇアル……これって」


『だからまだ早いと言ったろう。ほら、私の翼に包まれ』


これから始まるのが闘技などではなく、殺戮ショーだと予測したアルは僕に見せない為に翼を丸める。だが、僕は好奇心に勝てず、柔らかい羽毛の間からこっそりと檻を覗いた。アルは僕が檻を見ていると気付いていない。


『ヘル、もう少ししたら帰ろう。興奮した者が多いから今は動かない方がいいだろう』


「……うん」


不安と恐怖を解消するためにアルの頭を撫でる。

檻の中心にマイクを持った男が立つ。彼は司会者らしく、大きな身振りで話し始めた。


「さぁさぁ皆さん! 今宵もやって参りました! このルクスリアで最も熱い闘技場! その中でも最も熱い闘い!」


ルクスリア……この裏路地を指しているらしい。二つのスポットライトが一つに重なって熊を照らす。


「さぁさぁこちらに現れたるは最強の魔獣! 遠方の山の主でございます! その規格外な体格はまさに最強の証!」


熊への歓声が落ち着くのを待ち、熊を照らすライトが消えた。そして今度は反対側の男を照らした。


「そしてこの男! ルクスリア最強の戦闘狂! ゼェェェルクッ! そう、今宵はこの男! 勝率百%のこの男! 負けなしのZERO!」


スポットライトが司会者を照らし、観客の絶叫が消えるのを待つ。


「さぁさぁ最強同士の闘い! 賭けはもう終わりましたか? 皆様どうぞお楽しみあれ!」


司会者が下がると二つの檻を分ける鉄格子が開かれる。ゆっくりと檻を這い出た熊はライトの影響で何倍にも大きく見えた。男は熊に臆することなく、欠伸をしながら歩いていく。


『あの男……本当に人間か?』


そんなアルの呟きは観衆にかき消された。

男は真っ直ぐに熊に向かう。興奮した熊は男の頭にその鋭い爪を振り下ろす。だが、その手は簡単に止められた。男は片手で易々と熊を投げ飛ばす。丁度僕の目の前に熊は叩きつけられ、鉄格子に赤い液体を塗りつけた。


『あの男……そういう事か。ヘル、絶対に見るなよ、耳も塞げ』


アルは忌々しげに低く唸り、全く違う優しい声で僕に念を押す。だが、僕の目は檻から離れない、離さなければと思っているのに離せない。

男は片手で熊の巨体を何度も何度も投げた。檻の四方に叩きつけられ、次第に熊は弱っていった。だが、あの熊も魔獣の端くれ。その血には魔力がある。流れ出た血はゆっくりと時間が巻き戻るように熊の体内に戻っていく。それを見せつけるように熊は下卑た笑みを浮かべる。すると男は今日初めて口を開いた。


『へぇ……面白ぇ』


煮え滾るような赤紫の目は熊を対戦相手などとは見ていない。アレはただのオモチャ、そう言っている目だ。僕には分かる、兄が同じ目を僕に向けていたから。

ビリ、なんて分かり易い音とともに毛皮が剥がれる。ぐちゃりぐちゃりと聞くだけで感触を思い起こさせる音は、きっと肉を手でむしっている音だ。残酷な音、鉄格子をすり抜けて飛び散る血、それに比例して歓声が増す。


「……アルっ、アル……ねぇ、アル!」


『落ち着け。大丈夫だ、こっちには来ないよ』


冷たい黒蛇の鱗が額に触れ、頭が冷やされていく。改めて目の前の惨状を見た。鉄格子をすり抜けた血は辺りを染めている。鉄格子には幾つもの赤い塊がこびりついている。檻の中心では男がつまらなそうに肉塊を踏み、ちぎり、むしり、投げている。男の投げた肉片は鉄格子にぶつかり、観衆を湧かせた。

それから先は覚えていない。気がついたら宿に居た。アルの話ではあの闘技場の観覧料をちゃんと払って、一人でしっかりと歩いて帰ったという。

何も覚えていない。赤い光景だけが残っている。


『相応しくないと言ったろう、私の助言は聞いた方がいい』


「……うん、格闘技とかだと、思ってて……ごめんね」


湯船に浸かり、ぼうっと頷く。頭が働いてくれない。


『貴方が謝る必要は無い。私もあそこまでとは思わなかったが……しかし、落ちないな。洗ってくれ』


アルの黒翼は鉄格子をすり抜けて客席まで飛んできた血で汚れていた。


「……うん、痛かったら、言ってね」


赤というよりももう黒くなってきた血を落とすため、アルの翼に石鹸を塗りつけ、羽を抜いてしまわないように優しく洗う。

手が、泡が、流れる水が、赤黒い。


「……っ、やだっ、嫌……いや」


『ヘル? 落ち着け、大丈夫…………おい! ヘル!』


赤い、赤い、何もかもが赤に染められる。

あぁそうだ、皆、全部、赤い水たまりになって、それで──




風呂場で気を失った僕はいつの間にかベッドに寝かされていた、机の上に放置された夕食はすっかり冷えてしまっている。


『ヘル……大丈夫。ヘル、貴方を傷つけるものはいない。大丈夫だよ、ヘル……私の可愛い子』


ふわ、と柔らかい羽毛が頬を撫でた。

温かい、生き物の体温だ。生きている誰かの温もりだ。


「母さん、父さん……?」


怖いものが見えませんようにと祈りながらゆっくりと目を開く。ここは家? 僕の名前を呼んでいたのは誰? 魔物が攻めてきたなんてただの夢だったんだ。


「…………にいさま、迎えに来てくれたの?」


起き上がって見回しても兄どころか母も父も居ない。

違う。夢じゃなかった。僕の両親は死んだ。僕には何もない。


『ヘル……! 起きたか! 心配したぞ!』


何もない? それも違う。

もう独りじゃない。


「……アル」


『ああ、アルだ、私が分かるな?』


「アル…ギュロス、僕の……狼」


『あぁそうだ。貴方の、いや、貴方だけの狼だ』


目の前はもう赤くない。美しい銀が赤を消してくれた。

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