偽の王女
・お菓子の国
宿屋の簡素なベッドに寝ていたはずなのに、今は天蓋付きのベッドに寝ている。シーツのベタつきや甘ったるい匂いから、お菓子の国からは出ていないことが分かって一安心……いや、安心は出来ない。
ここはどこだ。
「アル! アル……居ないの?」
アルの名を呼ぶが、返事はない。それどころか生き物の気配もしない。起き上がる為にベッドについた手がぶにりと沈む。この弾力、色、匂い、間違いない。
「グミ……?」
このベッドはグミで作られている。それに薄い綿飴をシーツとしてかけているのだ。ベッドだけではない。極彩色の壁に床、窓枠までもがグミで作られていた。独特な感触に酔いそうになりながらも、何とか窓まで辿り着く。
水飴の窓は残念な事にはめ殺しだ、ここからの脱出は不可能。僕の力で割ることなど出来ないだろう。骨と皮だけの細い腕を睨みながら、溶けかけて上の方が薄くなった窓を軽く叩いた。
「はぁ……情けないなぁ」
窓から外を眺める。山、草原、川、そんなものばかり。城下町どころか海も見えない、僕の知っている景色は反対側なのだろうか。残念な事にこの部屋には窓はこちら側にしかない。
改めて部屋を眺める。赤や茶色、紫に黒……どこか生き物の体内を思わせる色合いだ。そう考えるのはアルが鹿を喰うのを見ていたせいだろうか。そう考えると気持ちが悪い、この部屋も、そんな事を思いついてしまう僕も。
虫唾が走る。
ぎゅむむ、とドアが開くとは思えない音を立てて、グミで作られたドアが開いた。入って来たのは少女だ。真っ赤なドレスを身に纏った美しい少女。ドレスに負けず劣らず彼女の髪も瞳も燃えるように赤い。この部屋にある意味ピッタリと言えるだろう。
そして何よりも、そのドレス。妙に露出度が高いような……その、胸元とか特に。
『目が覚めた?』
「あ……えっと、あの」
言葉に詰まる。何か話さなくては、聞かなくては。考えがまとまらない、焦るな、ダメだ。
少女は痺れを切らしてこちらに向かってくる。それでやっと気がついた。ドレスのスカート部分に入ったスリットの存在に、それが彼女の左足を腰元まで露出させている事に。
「…………嘘だろ」
『何か言った? ごめんなさい、聞こえなかったわ』
魔法の国ではこんな過激な格好をしている者は居なかった。魔法陣を服の裏に仕込む為に大量に着込むからだ。せいぜい顔と手のひらぐらいしか出ていなかった。そんなものしか見ていないのに、こんな。
「ちょ、ちょっと……その、目のやり場が」
『え? あぁ……へぇ?』
少女は何かに感づき、ニッコリと微笑んだ。その明るい表情に目を押さえていた手の力が緩む。
少女はそれを見逃さず僕の両手首を掴み、腰の横に押さえつけた。同い年くらいの女の子に力で負けるなんて……と悲観する暇もない。
『そうねぇ……ココなんかイイんじゃない?』
僅かに背を曲げ、肩を内側に寄せる。つまり、胸の谷間を強調している。僕の目の前で。
『ふふ、真っ赤になっちゃって、かーわいいの!』
僕の手を離し、額を軽く指でつき、ヒラヒラと手を振りながら少女は僕から一、二歩離れた位置に立つ。
『あぁ……ココでもいいのよ?』
と、今度はスリットから手を滑らせ、少しずつ捲り上げていく。
『見るだけならいいわよ? お触り禁止』
「さっ、触らないよ!」
『あらそう? ざーんねん』
楽しそうに笑う少女に誤魔化されていた。こんな話をしている場合じゃない、何故、何処、何時、聞きたい事は多い。
「えっと……質問に答えて欲しいんだけど」
『いいわよ? ベッドでならね』
ベッドに腰掛け、隣に座れと言わんばかりに僕を見つめる。仕方なく隣に腰を下ろすと少女は意外だと驚いた。
『断ると思ったのに、意外とダイタンなのね』
「……話すだけだからね」
『つーれないの!』
大袈裟に拗ねてみせる彼女の仕草は全てが嘘くさい。その演技じみた言動に少しずつ慣れてきた、彼女が膝の上に置いた手に指を絡ませてこなければ、もっと冷静にいつも通りに話せただろうに。
「あのさ、手……あぁもういい! ねぇ、ここどこ? 何で僕ここに居るの? アルがどこにいるか知ってる?」
一息で、彼女が聞き取れるかなんて気にもせずに言い切った。今まで僕を見つめていた赤い双眸はゆっくりと部屋を見回す。絡められた指に力が入り、赤く塗られた爪が僕の手のひらの下に隠れた。
『ここはねぇ……お城、お菓子の国のお城よ』
「えっと、それで?」
『呼んでもらったの、人一人動かす分の蝿は借りられてるのよ、ワタシ。アル……? とかいうのは知らないわ』
人一人動かす分の蝿? そういえばここに来る前、蝿に集られたような……アレは何か術の媒介だったりしたのか?
「呼んだって…………どう、して?」
声を荒らげないように必死で抑えると声が裏返ってしまう。少々変に思われても構わない、ここで怒鳴って泣き喚くよりはマシだ。
『欲しかったからよ? アナタが』
その言葉と同時にベッドに押し倒される。肩を押さえる腕の力は異常だ、赤い爪がくい込むと布の裂ける音がした。
『……そう、その魔眼。間違いない』
少女は赤い髪を振り乱し、赤い瞳を妖しく輝かせる。僕の両手首を頭の上で十字に左手で押さえつけると、自由になった右手で僕の髪をかきあげる。隠している僕の右眼を暴くと、少女は見た目相応の可愛らしさで微笑んだ。
『怖がらなくてもちゃんと可愛がってあげるわ、魔物使いさん。私の夢の為に、しーっかり働いてね?』
ガチャン、とお菓子の国らしからぬ金属音が頭の上で響いた。手首には冷たく硬いものが触れている。
手枷だ。これはお菓子じゃない、絶対に違う、何故こんな物が、何故こんなことを。
それにこの少女は今、僕を魔物使いだと言った。どうして知っている? 目的は何? そんな疑問をかき消すためか、口の中に甘ったるい液体が流し込まれた。何度咳き込んで涙目になっても無理矢理飲まされた。最後の一滴まで飲み干すと、少女は満足気に笑った。
『自己紹介がまだだったわね、ワタシはこの国の王の娘、王女よ。ウソなんだけどね。メロウ・ヴェルメリオって名乗ってるの。メルでいいわよ?』
「は……? えっ、ちょっと、何一つ分かんないんだけど!」
王女? それが嘘? 今のは偽名? どれが本物だ、どれが偽物だ。いや、本物なんてあるのか?
『スグ戻ってくるわ、まいだーりん!』
あぁ、あの言葉は間違いなく偽物だ。
閉じていく赤褐色のグミのドアを眺めながら、呆然とそう考えた。