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消失、捜索

・お菓子の国




宿に戻ると壊れた窓から投げ入れられたらしい鹿の死体が幾つもあった。


「なにこれ……嫌がらせ?」


『いや、寧ろ好意だ。カルコスだろう』


アルは嬉しそうに鹿を貪り喰う。肉なのか骨なのかは知りたくないが、ごりごりという音が部屋中に響いている。その音はアルが狼という肉食性の魔獣であると騒ぎ立てているようで、それを聞きたくなくてベッドに潜り込むと、目の前に血の滴る肉片を咥えた黒蛇が現れる。


『喰うか?』


「い、いらない」


『菓子ばかりでは健康に悪いぞ』


黒蛇は肉片を飲み込むとシャツの隙間に入り込み、脱がすように捲り上げる。


「ちょっと、やめてよ」


弱い拒絶を無視してアルはベッドに飛び乗った。


『この脂肪も無い筋肉も無い、細い体を保って欲しいものだな』


鹿の血に濡れた顔を腹に擦り寄せられる。冷たく濡れた感触が死んだ生き物を示すものだと思うと鳥肌が立つ。


「気にしてるんだからやめてよ」


長年部屋から出なかっただけあって筋肉の一つもついていない体はコンプレックスだ。そろそろ鍛えたりしようかと思っていたのだ、実行には移さないけれど。


『何を言う、ここまで庇護欲を掻き立てるモノは無いぞ? 勿体無い事を言うな。貴方はとても私好みだ……私のヘル』


生温い柔らかいモノが腹を這う。いつもは愛を実感するアルの舌も、先程の台詞の後では嫌なモノに感じてしまった。


「やめてったら!」


精一杯の力でアルの顔を押した。それでもアルは微動だにしなかったが、僕の言葉に従った。


『……済まない、調子に乗ったな』


残念そうに戻っていく後ろ姿になんとも言えない哀愁を感じながら、それを振り切るために質問をする事にした。


「ね、ねぇ、あのライオンは神獣とか言っていたけど、本当はなんなの?」


『ただの子猫だ、我儘で寂しがりのな』


「そういうんじゃなくて……さ」


『種族か?』


「それ! かな?」


ごきん、と一際大きな音を立ててアルは振り向く。口の周りは黒っぽい赤に染まり、牙には肉片がこびりついている。それを長い舌で舐めとる姿は恐ろしいの一言だ。


合成魔獣(キマイラ)だ、三体セットのな』


「三体セットって事はあと一人居るの?」


『あぁ、私達の中で最上級のモノだ。まぁ彼奴に会う事は無いだろう。魔獣の癖に天使と親交が深く、私を馬鹿にしているからな』


鹿の頭蓋骨を噛み砕くとどろんとしたピンク色の何かが垂れる。それを美味しそうに啜るアルを見て明確な恐怖を抱いた。


「あ……えっと、キマイラ? ってどんな魔獣なの?」


アルに抱く原始的な恐怖を振り切りたくて質問を繰り返す。


『難しいな、人に造られた存在で……強いていえばその辺の魔物には負けん、とかか?』


「強いんだ?」


『そう言われると肯定するのは気恥しいな』


照れてそっぽを向くアルは可愛いと思えた、その口と前足は血に濡れているけれど。少しからかってやろうか。


「へぇー、強いんだぁ、頼もしいなぁ」


『この話は終わりだ、もうやめよう』


恐怖がかなり和らいで、欠伸をして寝返りを打つと、目の前に蝿が飛んでいるのに気付いた。きっと鹿の死体のせいだと苛立ちながら蝿を手で払うと、僕の周りに居たらしい無数の蝿が顔に向かって飛んできた。恐怖に近い嫌悪感に目を閉じると、僅かな浮遊感と衝撃を感じた。ベッドから落ちたのかと起き上がると見覚えのない部屋に居た。




照れからヘルに背を向けて食事をしていたアルはポツリと呟く。


『はぁ……全く、確かに強いと言えば強いだろうが、それを言うのは、やはり……』


品性に欠けるだろう、血まみれの顔でそう考える。食事を終えたアルはヘルと戯れる為、顔や胸元の毛や前足を赤黒く汚したままベッドに飛び乗った。先程は少々調子に乗り過ぎた、長らく一人だったせいで距離の縮め方が分からない、どうすればヘルと仲良くなれるだろうか……なんて考えながら。


『ヘル……?』


いない。


『ヘル!』


返事もない。


『何処だ、ヘル!』


アルは甘ったるい匂いを我慢してシーツを破りベッドを引っくり返す。部屋中を探し回り、尾をぶつけて壁に幾つかの穴を開けた。

部屋を飛び出し、階段を転がり落ちる。宿屋の客が悲鳴をあげるのにも構わずに叫ぶ。


『ヘルは何処だ!』


宿屋の主人が飛んで来て、アルを壁の影に押し隠した。


「こ、困るよオオカミさん……そんな顔で出てこられたら」


主人は濡れた布巾でアルの顔を拭う、赤黒く染まったその姿は人間にとっては恐ろしいものだ。ましてやアルの翼や尾はとびきり魔物らしいモノなのだから。だが、今のアルにはそれを気遣う余裕などない。


『ヘル……ヘルは! ヘルは何処だ! 何処に行った!』


「えっと、あの細い男の子かい? 黒と白の派手な髪の……」


『そうだ! 何処だ! 私のヘル……何処へやった!』


「み、見てないよ。出かけたんじゃないかな」


店主はお前が喰ったんじゃないのか、なんて言いかける口を慌てて押さえる、そんな事を言ったらどうなるか分かったもんじゃない。


『私に何も言わずにか!? 足音も扉の開閉音も立てずにか!? 有り得ん! 階段を降りたのを見たか? 貴様の居た位置なら見えた筈……いや、扉の音はしなかったんだ』


「あの子は派手な見た目してるから気がつかないなんてないだろうし、今日は昼から誰も階段を降りなかったよ」


今日は城下町で小さな催し物がある。それを見に行っていて朝から宿屋に客はいなかった。さっきまでは食事をしに来た商店街の店番達が居たが、アルを見て逃げ帰ってしまった。


『ならヘルは何処だ』


「知らないったら……あぁ、城下町の方に行ってみれば? 人が多いし何か分かるかも」


店主は苦し紛れにそう言った。話をしながら何とか血は拭き取れたものの、鬼気迫る表情のアルと顔を突き合わせるこの時間を早く終わらせたかったのだ。


『外には出ていないと思うのだが……まぁ、窓からなら私は気付かず……いや、窓から降りる必要なんて…………まぁいい、とりあえず行ってみる。ヘルが戻ったら部屋に居るよう言ってくれ』


店主の足の間をすり抜けて商店街を走り抜けるアルを目で追う。やはりと言うべきか、あちらこちらで悲鳴があがる。


「オオカミさん、悪い子じゃないんだろうけどなぁ」


もう少し辺りを気にして欲しい、店主はそう思いつつ、アルの口元を拭いて赤黒く染まった手拭いを見て深いため息をついた。

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