遅い朝と長い夜
連載始めさせて頂きました。
どうぞ宜しくお願い致します。
・魔法の国
朝……いや、太陽は中天を過ぎている、昼と言った方が適切だろう。だが僕にとってはまだ朝だ、目が覚めたという意味で。
ベッドの脇の棚に置かれたトーストにホットミルク。そのどちらにも保温魔法がかけられているらしく、置かれて数時間はたっているだろうにまだ湯気が立っている。
「……熱いの苦手だって言ってるのに」
保温魔法をかけたのはおそらく母親、僕の母はそれなりの魔法の腕を持っている。
この国の全ては魔法で成り立っている。
そう、ありとあらゆるもの……生物以外の万物が。魔法の発達したこの国でも生命を創り出すことは出来ないらしい、まぁ生まれた後は魔法に全てが左右されるのだが。
魔法を扱う力は先天性のもの、所謂才能。才能の無いものがいくら努力したって無駄なのだ、僕がそれ。生まれた時は「強い力がある」なんて言われた僕だが、蓋を開けてみればただの無能。強い力がどうのなど、兄が天才であるが故の間違いだったのだ。
魔法学校に行って最初の授業で脱落。
その時の両親と兄の落ち込みっぷりたら……思い出すだけで嫌になる。
だからこうして部屋に閉じこもっているわけだ。もう何年も外に出ていないせいで近所の人には死亡説を立てられている。
三年ほど前に兄が国を出てから、両親も僕に近寄らない。兄は少し歪んではいたが僕を可愛がっていた、その兄の手前僕を無視することは出来なかったのだろう。自分の子の顔色を伺うなんて、ご苦労なことだ。
陽の光を浴びていない影響なのかなんなのか、伸びっぱなしの髪は何故か毛先から白くなってきた。元々は両親譲りの綺麗な黒髪だった筈なのに。
根元が黒くて毛先が白いとは随分と派手な見た目になってしまった。これでは外に出られない、新たな言い訳を手に入れた僕はもうひと眠りすることにした。
外が騒がしい、おかげで中途半端な時間に目が覚めてしまった。
八を示す壁掛け時計はカチカチと規則正しい音を鳴らしている、あの音を聞いているとなんだか不安になってくる。いや、時計なんてどうでもいい。僕の安眠を邪魔したのは何だろうか。
兄が遮光魔法をかけてくれた黒いカーテンを僅かに開き、外の様子を伺う。こうやって外を見るのは何ヶ月ぶりだろうか。
窓に顔を寄せた瞬間、目が潰れるかと思うほどに眩い光が突き刺さる。おかしい、今は夜のはずだと時計を確認する。
振り子の先に揺れているのは三日月のモチーフ、あれがもし太陽なら昼。で、今は三日月だから夜。
もう一度カーテンを僅かに開き、薄目を開けて外を見る。眩しいと感じたのは浮遊する極彩色の光の玉だ。祭りの時なんかによく見られる、誰が作ったのかも分からない魔力の塊だ。耐性のない者は触れない方がいいだろう……僕のことだ。
あぁそうだ、今夜から三日間収穫祭をやるんだったな。光の玉にカボチャの模様が入っているのを見て漠然と思い出した。
収穫祭はこの国の一大イベントだ、城下町は大賑わいだろう。僕は何があっても外に出ない事を心に決め、再び布団に潜り込んだ。
何時間かたった頃だ。
ドォォーーーーン! と、轟音が響いた。
とてつもない振動に壁掛け時計は床に落ち、棚の上の花瓶やらが割れる。
当然そんな状況では眠っていられず、すぐにカーテンを開き窓まで開けた。数時間前までふわりふわりと楽しそうに飛んでいた光の玉が一つもない。
代わりに町を照らしていたのは炎だった、家を焼く赤い炎。横の家にも火が移っている。
このまま家にいては危険だと、僕は仕方なく窓から外に出た。寝巻きのまま裸足のまま、火の手が回っていない場所を目指して走った。
城下町の噴水広場、ここには水属性を付与された結界が幾重にもかけられている。だから大丈夫だろうとその場所を目指す。
考えは皆同じようで、噴水のまわりには黒山の人だかり……人、僕の一番苦手なものだ。だが命には変えられない。
僕は噴水広場の端に植わった背の低い木の影に隠れた。広場の中心辺りに両親の姿を見つけた、知らない人達に囲まれて何かを話している。僕は両親を見つけた事に安堵しつつも、彼らの元に行こうとは思えなかった。
広場に新しく結界が張られた。
張ったのは王宮お抱えの魔法使いだ、式典か何かで見覚えがある。
張られた結界は防火の類ではない、結界に描かれた文字からそう判断する。この文字は、この結界は、超強力な防護魔法。
それはこの火事がただの火事でなく、何者かに襲われているという事を表していた。
バンッ! と、短い音。
結界に何かがぶつかった。広場に集まった人々の悲鳴が響く。
再び、いや幾度となく同じように何かが結界を叩く。結界を破壊しようとしている。
頭に短い角を、背には蝙蝠のような羽を生やした醜悪な顔をしているモノ。骨の浮き出た体は腹だけが飛び出している。
間違いない、アレは魔物だ。
魔物。
人知を超えた力を持つ怪物。普通の人間は決して敵わないモノ。人を喰らう魔獣や人を騙す悪魔などの、魔性のモノの総称だ。
この国だけではなく世界各地に生息し、人を喰らっている。人はもちろん天使との戦争も多い、一番大きな火種だ。
だが、この国は今まで魔物に襲われた事などなかった。国全体を囲うように張られた結界は決して壊れないと信じられていた。だから誰にも対応が出来なかったのだ。
もしもここに兄が居たならどうにかなったかもしれない。彼は神童とも呼ばれた天才だ、僕とは違って。
一際大きい魔物が降り立つと地響きが起こった。その魔物の指先が軽く結界に触れた瞬間、軽い音を立てて結界はいとも容易く崩れ、消え去った。破壊ではなく、消滅だ。
醜悪な顔が更に醜く歪み、咆哮が国中に響き渡った。その咆哮を合図に小さな魔物達は次々に人を喰い始めた。
耳を劈く悲鳴、噎せ返る血の匂い、魔物達の醜悪を極めた高笑い。
そして、浮遊感。僕は情けなく泣き叫び、命乞いをした。
「嫌、やだ……離して!」
そう言って僕をつまみ上げた魔物の顔を蹴った瞬間、僕は地に落ちた。魔物は僕を口の中に放り込むことなく、その場に僕を落としたのだ。
周囲を見渡せば他の魔物達も同じように立ち竦んでいた。混乱しているとあの一際大きい魔物が怪訝な顔をして覗き込んできた。
『コノ白髪ニ……コノ右眼。魔物使イカ』
魔物の鋭い爪が僕の髪を掻き揚げ、髪に隠されていた右眼を見て、忌々しそうに言った。
僕の右眼──数ヶ月前から虹彩に奇妙な模様が浮かび上がり、光の角度によって七色の輝きを放つようになった瞳。目立つから隠していたのだが、この眼がなんだと言うのだろう。
魔物使いとか言ったような……聞き間違いか?
『マァイイ……マダ弱イ、コノ程度ナラ』
大きな魔物が一声吼えた。すると小さな魔物達は思い出したように人を喰らった。
地の底から響くような声は「芽は早く摘むに限る」なんて言ったような気がする。
僕は鋭い爪が頭に振り下ろされるのを察して、全てを諦めていた。
魔物使いだなんて、僕がそれだったとして、だからなんだって言うんだよ。こいつには効いてないじゃないか、だったら何の意味もないんじゃないか。あぁ、くだらない人生だった、もう少し早くこの力に気付いていたら楽しい事もあったのかな。
そんな、後悔にも満たない無意味な自嘲が頭を巡る。
振り下ろされた爪は僕の予想とは違って僕の頭を掠っただけだった。だが、それだけでも酷い激痛だ。
意識が飛ぶようなそれに僕は叫んだ。それでもどこか他人事の僕がいて、こんな大声がまだ出せたんだななんて呑気に思っていた。
突然誰かに抱き締められて、全身が暖かい何かに包まれたようになった。この暖かい光は回復魔法だ。
母が泣きながら僕の名前を呼んでいる。父が震えながら魔物に立ち向かっている。
なんだ。
結構、ちゃんと、愛されていたんじゃないか。
「嫌……死なないで、ダメっ! あなたが死んだらエアに殺される……!」
次の瞬間には優しい光も両親も消え、大きな血溜まりだけが残った。寸前に聞こえた母の涙混じりの声はよく聞き取れなかったけれど──僕を心配する言葉だった? 愛情を初めて見せてくれたんだよね?
『親……カ? 鬱陶シイ、少シ遊ンデヤロウト思ッタガ、モウイイカ』
忌々しそうに僕を睨みつけ、僕を掴んで大口を開けた。僕は血溜まりと化した両親を見てなのか、先程とは変わって生を諦めきれずにいた。
「誰か……助けて」
そう弱々しく呟いた僕を見て魔物は嬉しそうに口を歪めた。その命乞いが聞きたかったとでも言うように。
次の瞬間には僕はまた地面に落ちていた。だが体は魔物の腕に掴まれたままだ。
空気を震わす咆哮。吹き出す青黒い血。
魔物は腕のあった場所をもう片方の手で掻き、悶え苦しんでいる。
僕の目の前には美しい銀狼がちょこんと座っていた。僕が何も言えずにいると、狼は僕を掴んだままの魔物の指を食いちぎった。
青黒い血がどろりと流れ、服を染めた。これで動けるようになった……が、この狼は一体? 輝く銀色の毛に大きな黒い翼、黒蛇の尾が揺れている。
こんな状況でも見蕩れてしまう程に美しい。この狼も魔物のようだが、もしかして僕を助けてくれたのか?
「あの、君は……」
次々に生まれてくる疑問を解消しようとした瞬間、遮るように魔物が再び吼えた。
『貴様……アルギュロス! 何故、気デモ違ッタカ!』
魔物は狼に向かって残った腕を振るう。だが、それよりも早く魔物の首は落ちていた。意志を失った腕は狼の横に力なく落ちた。
首の断面から血が噴水のように噴き出し、辺り一帯を青黒く染めていく。首を落としたのは狼に生えた黒蛇の尾だ。狼は返り血を浴びて不機嫌そうに身体を振るっていた。
「ね……君、僕を助けてくれたの?」
そう尋ねると狼は身体を振るのをやめて黙ったまま僕を見つめる。真っ直ぐな黒い瞳に気後れし、思わず目を逸らした。
すると、狼は僕の頬を舐めてきた。くすぐったくてやめさせようと手で押しのけても動かない。僕の力で押し返せるような大きさでも力でもない。
頬に与えられる感触に笑いがこみ上げてきた瞬間、頭から頬にかけての鋭い痛みに気が付いた。
魔物の爪が掠った、母が回復魔法をかけてくれたあの傷だ。治りきっていなかった、狼が舐めていたのは傷があったからだ。
異常な緊張状態で気がついていなかった痛みを急に思い出した僕はそのまま意識を失った。




