その五
なんとかリアル先輩にはお引き取り願って、リアリティー後輩のもとで上手な嘘をつくことができたらと考えている。
で、日本の戦国時代における騎馬突撃は二つの意味合いがある。
1)予備戦力もしくは決戦戦力の投入
決戦戦力については従来のイメージである長篠合戦の武田騎馬軍団の突撃と壊滅をイメージしてくれるとありがたい。
もう片方の予備戦力の投入とは、戦線が崩壊しかかる所にその機動力を用いて戦線を支えることを目的にしている。
実際やった史実がある。
織田家の戦いの中で最も死闘を演じた対石山本願寺戦。
天王寺砦の救援だ。
三千の兵で一万五千の一向宗(雑賀衆つき)の兵を撃退した戦いだが、河内若江城に入った時は百人しか居なかったらしい。
前にも書いたが、騎馬武者は上級指揮官なので、彼らを中心に足軽が集まりとりあえずの編成ができるのだ。
このあたりは騎馬の持つ移動力の勝利と言っていいだろう。
2)騎馬そのものが持つ戦術・戦略的衝撃
これを説明するには出したくはないが出したほうがいいので登場してもらおう。
某ゲーム公式チートである踊る毘沙門こと上杉謙信である。
これもこれで頭おかしいのだが、その極めつけは唐沢山城の戦いだと私は思う。
永禄3(1560)年に北条氏政率いる三万の軍勢に攻囲された唐沢山城主佐野昌綱は上杉謙信に救援を求めたのだが、上杉謙信は甲冑もつけずに黒い木綿の道服のみを着、白綾の鉢巻を付け、黒馬に金覆輪の鞍を置いて十文字槍を携え、四十騎ほどを率いて一直線に敵陣突破を図ったのである。
まずこの時点で頭おかしい。
で、ここからが更におかしいのだが、
「夜叉羅刹とは是なるべし」
と伝わるほどの凄まじさで北条軍は手足も出せずに彼らを見送り、上杉謙信を城内に迎えた佐野昌綱は、その馬前で感涙し城内の士気は最高潮。
逆にわずか四十騎に三万もの兵が何もできなかった北条軍は士気だだ下がりで撤退し、上杉謙信はこの後の追撃戦で千三百近い首を上げて見事後詰めに成功したのである。
え?「弓鉄砲で狙えばいーじゃん」ですって?
それで当たればいいよねー。
なお、この毘沙門天様、こんな事もしている。
上杉謙信と不思議な弾丸
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4044.html
ああっ!またリアル先輩がぶん殴りに来た!!!
という訳で、計五回に及ぶ騎馬隊考の話はおしまい。
ここで、未だ悩んでいる作者敗北の一言でこの話を〆ようと思う。
「……こんな話とか見ていると、たとえそれを読者が望んでいたとしても『なろうチート』とか『オリ主』で彼らに勝てるなんて考えるのがおこがましくなってくるんですよね……」
補足。
私がサイコロを使いだしたのもこれが理由だったりする。
「勝てるかぁぁぁ!」
と私が捕らわれている以上、それをぶち破ってくれる『運』を欲したのだ。
「あ。これなら仕方ないわ」
という納得が欲しかったのだ。
まあ、その結果女神様が荒ぶって色々困るんですけどね。
ご都合主義よりはましと私は思っている。