その四
今回は馬についてのお話。
リアル先輩の攻撃はまだ続くのだ。
M・Y・クレフェルト 佐藤佐三郎訳『補給戦 何が勝敗を決定するのか』(中央公論 2006年)のある記述が私を壮絶に悩ませている。
馬の消費と消耗についてだ。
馬は人より食べる。
その食料は人の十倍にもなる。
ルイ十四世時代のフランス軍は、六万の兵を運用する場合に騎兵・砲兵・輜重隊で四万頭の馬を伴っていたという。
それでも補給が追いつかなくて、略奪のために移動し続けるという本末転倒ブリ。
特に致命的に足りなくなるのが飼葉だった。
四万頭の馬なんて伴ったら草地どころか畑すら食われてしまう。
だから、万の兵が集まっての合戦なんて悲劇以外の何物でもない。
現地調達。つまり略奪で賄うしか無いからだ。
ちょうど今週号の『モーニング』に連載されている『バンデット –偽伝太平記– 』がとても参考になると思う。
「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」
という言葉が残っているのは注目して良いと思う。
ん?
うちの八郎や珠姫に兵が飢えるような描写あったっけ?
ない。
それはこの二人、決定的な武器を真っ先に抑えているからだ。
船である。
特に河川交通と海運は西日本の物流の動向を決定的に左右する。
大商人とつながって筑後川上流の日田に物資集積の繋ぎの城を作ったのも、宇和島を拠点にして土佐周り太平洋航路を抑えたのも、堺-淀川-琵琶湖の交易路を三好長慶の名前で真っ先に抑えたのもこの為だ。
話がそれた。
さて、今度は馬の消耗の話だ。
『大友の姫巫女』時に騎兵運用を断念した記述がこの騎兵の消耗にある。
はっきり書こう。
騎兵は戦場につくまでに、半分が使い物にならなくなる。
主に飼葉不足でだ。
再度『えひめの記憶』に登場してもらおう。
データベース『えひめの記憶』 双海町史 第二編沿革 第二章中世より
http://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:3/40/view/11584
七城のうち、どの城が攻められても、機動隊とも言える八三騎が出動してこれを助けた。
この記述は防衛戦なので大丈夫と甘めに判断しよう。
では、八十三騎で攻勢に出る場合、この地域でどれだけの馬が必要になるのか?
戦場時に八十三騎あるという事は、半数が脱落したと仮定して百六十六頭。
当たり前だが、消耗分の補充はしないと行けないので領地に一頭残していると仮定したら二百四十九頭。
グーグル・マップで双海町の航空写真(道の駅ふたみ 伊予上灘駅あたり)を見て、この土地で二百五十頭養えるのか考えてみてよう。
……無理じゃね。これ。
さて、加筆修正しようと企んでいる教興寺合戦の兵力を確認しよう。
三好軍 六万
畠山軍 四万
この双海のデータを使って、騎馬一;足軽四で騎馬数を出してみよう。
三好軍 一万二千騎
畠山軍 八千騎
全兵力の一割だとしても、
三好軍 六千騎
畠山軍 四千騎
である。
多分書いたらリアリティーコメントにぶん殴られること請け合いの数である。
この数を見て、畠山軍が起死回生に馬廻を中心にした騎馬突撃を企み、それを八郎が流言で防ぐという感じのシーンを書きたかったのだが……