その三
さて、島津一族の対騎馬戦術の話をしよう。
大兵を用意してやつらと戦って家の中核たる重臣層をごっそりと失う家が四家ほどある。
日向国 伊東家 木崎原合戦
豊後国 大友家 耳川合戦
肥前国 竜造寺家 沖田畷合戦
土佐国 長宗我部家 戸次川合戦
これらの共通点は何かご存知だろうか?
実はこれらの合戦、負けた方が渡河している合戦なのである。
沖田畷は渡河では無く深田なのだが、広い範疇で条件に入れている。
これが何を意味しているか。
敗走時に再度川を渡らないといけない。
この時代の川は流れが速くて深い。
つまり、水死が増える。
ここまでは『大友の姫巫女』時に調べて、まてやこらと本をぶん投げた話である。
ここからが、今回の話に繋がる騎馬隊の話だ。
『耳川合戦屏風』という屏風がある。
ネットでも見れるのでこんな感じなのかと見て欲しい。
で、よく見るとある点に気づく。
大友軍の渡河シーンだ。
前までの話で、戦国時代の騎馬武者はユニット化していると書いた。
という事は、耳川渡河は当然騎馬と足軽が同時に行われる。
当たり前だが、騎馬武者は馬に乗っているので渡河できているのだが、足軽達はというと胸まで浸かって必死に渡ろうとしている。
「足軽と騎馬が分断されてやがる……」
その時の衝撃たるや!!!!
島津一族のお家芸『釣り野伏』のエグい本質はここにあった。
① 敵に渡河させて敵を消耗し、『騎馬武者』と『足軽』を分離する。
② 偽の敗走を追撃するから必然的に『騎馬武者』が突出する。
③ そこを伏兵で叩いて指揮官である『騎馬武者』達を先に潰す。
④ 士気崩壊した『足軽』に突撃をかけて水辺に追い落として討死か溺死を選ばせる。
⑤ ついでに総大将を討てたら儲け物(討ちました)
こいつらひでぇ。
というか、戦車に随伴歩兵がついている場合は先に随伴歩兵を潰すのだが、先に戦車から潰すというその発想がまずおかしい。
当たり前のように騎馬武者の突撃を撃退できるというその前提にも仕掛けがあって、先にもちらと話したが、島津家は実は侍が鉄砲を撃つ。
竜騎兵とほざいたのはこれで、島津軍の侍が鉄砲で待ち構えている所に弓か槍を持った疲弊した騎馬武者が突っ込んでくる……そりゃ負けるわ。
なお、島津軍には基本騎馬武者が居ない事になっているが、追撃や指揮を考えると上級指揮官には馬が与えられていたのだろう。
耳川合戦屏風でも島津軍馬に乗っているし。
なお、馬に乗っていない場合、島津軍には足軽が存在せず、全兵が徒武者で全員鉄砲装備だったというわけわかめな情報(関ケ原合戦)とか、島津義弘が実はニンジャマスターで、くノ一を用いた計略による情報誘導で敵を誘導したり(木崎原合戦)とかもあったりするのだが……。
やめよう。
私が書いているのはラノベで架空戦記だ。
歴史警察が史実を知って、史実を糾弾するような非常識は控えるべきだ。うん。
という訳で結論!!!
騎馬突撃はあった!!!!
そして、その全てでカウンターを食らって、見事なまでに大敗した!!!!!
……………あれ?