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その二

 そもそも騎兵の役割とは何か?

 『坂の上の雲』で秋山好古が窓ガラスを割った逸話が紹介されるが、これの意味を考えてみようと思ったが、色々あるので私でも分かる騎兵の役割というものを戦史から考えてみようと思う。

 私の話を読んでいる人ならあれだろうと気づき、一部界隈で『包囲殲滅』なる言葉を流行させた偉大な戦いかつ、真似して多くの将が敗北にまみれた魔性の戦い。


 第二次ポエニ戦争 カンネーの戦い


を。


 戦況の細かな所はひとまず置いておこう。

 ここでは、この戦いにおいて騎兵がどう動いたかを見てゆくことにする。

 この時のカルタゴ軍はこんな感じだった。


 騎兵  歩兵  騎兵


で、合戦時こうなる。



 騎兵  ローマ軍   騎兵

      歩兵


最後はこう。


    騎兵  騎兵

     ローマ軍

      歩兵


 かくして七万のローマ軍は、五万のカルタゴ軍によって殲滅された。

 要するに騎兵が背後と側面からローマ軍を攻撃して逃さなかったという訳だ。

 これができたのもカルタゴ軍が当時地中海最強のヌミディア騎兵を握っていたというのが大きい。

 なお、その後の決戦であるザマの戦いでは、このヌミディア騎兵がローマ側についており、カルタゴ軍敗北の一因になっていたり。

 優秀な騎兵の機動力による横や背後からの攻撃というは、これぐらい敵軍に衝撃を与えるものだったりする。

 これをやらかした日本の武将が実は一人いる。

 紛うことなき戦術の天才で、平家滅亡の立役者かつ、近年TSF化してスタイリッシュ武者として某ソシャゲで大活躍中の牛若丸……じゃなかった源義経が見せてくれた


 一の谷の合戦


がそれだ。

 福原の背後に回るという戦略的機動だけでなく、一の谷からの逆落しという衝撃が平家軍数万を敗走に追い込んだ。

 なお、この逆落しについてこれた精鋭坂東武者はわずか七十騎。

 騎兵による衝撃においてこれ以上のリターンを得た戦いは多分無いと思う。



 さて、その一で「馬廻ならばこの騎兵突撃できるんじゃね?」と私が書いた理由がこの史実を前提にしているからだ。

 『こんなことやった人間がいる』という前例は創作において実に楽な説明だからだ。

 で、人間はやられたら対策は立ててくるわけで、源平から鎌倉を経て時代は南北朝。

 ユニット化によって随伴歩兵と一緒になった戦車状態である騎馬武者は、その衝撃力よりもユニットとしての攻撃力を求められて戦国の世にという感じなのだろうとなんとなく思っていたりする。

 このユニット化での部隊編成の場合、必然的に歩兵の足に騎兵が合わせる事になるから騎兵単体というパータンが出ない。


……はずなんだが、それをやらかして勝ちをもぎ取ったキチガイ戦闘集団をご紹介しよう。


 そう。

 数百年九州の南で熟成され続けた関東武士の末裔で、現代では新しい妖怪『首おいてけ』を生み出したバーバリアン島津一族の対騎馬戦術を。


 なお、調べたあとガチ凹みして「勝てるかァァァァァ!!!」と本をぶん投げて某ビッチ姫の話が止まる直接的原因の一つである。

 何度も何度も何度でも言おう。


 あ い つ ら あ た ま お か し い (@-@)

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