幻の新元素ナンシウム
民衆物理学ということをいう人がいます。
では、「民衆化学」はないのでしょうか。「ものがなにからできあがっているかについてのプリミティブな思想」ということになります。
日本では、世代によって「ものはなにからできているか?」の最大値的な答えが違うようです。
①〜大正生まれまで 「エーテルからできている」②昭和一ケタ〜昭和10年代 「電子からできている」③昭和20年代〜昭和40年代 「原子からできている」(文化的退行。)④昭和40年代〜昭和61年まで 「クォークからできている」⑤昭和62年〜平成生まれ 「超ひもからできている」
昭和20年代から昭和40年代生まれ世代は重化学工業が輝いていた世代、昭和62年からは高校の授業で「情報」の科目が入ったことから独断と偏見で世代論に仕立ててみました。
この民衆化学ゼマンティークからも、「ものはなにからできているか」はかなり社会の状況から解答のしかたが制約されてくることがわかると思います。とくに、クォークの存在については、疑問を投げかける観測的事実がみつかっています。
それが、ローパー共鳴N(1440)です。
宇宙が物質と物質概念の未分化な状態から時空や物質のかたちにみずからを自己限定する場所、宇宙の果てをビッグバンといいます。ビッグバンからはビッグバンの外側に跳びこんだ陽電子や光子の絆を解きはなたれた、電子や片割れの光子が宇宙の中心に向けて飛びだします。この電子や片割れの光子は地球の大気圏までくると大気中の陽子とぶつかり、一定の確率でこのローパー共鳴N(1440)になるのです。
クォーク理論が成立しない、ということは、超ひも理論も成立しないということです。超ひもは、クォークとクォークを結びつけるグルオンから数学的類推によって構成された概念だからです。
わたしたちは、クォーク理論を守ろうとするより、湯川博士の中間子論に帰って、試行錯誤のうちに新たなハドロン物理を構成するしかないのではないでしょうか。
なお、ローパー共鳴をあらわす「N」の識別符号は、かつて新元素ナンシウムNcから放出されると予言された未知の放射線「N線」を思い起こさせます。アルミニウムのレンズで曲げられるN線は、わたしたちにレンズに忠実であるよう迫りつづけているのかもしれません。
重大な事実誤認があった模様です。ナンシウムというのはぼくの「想像力」の捏造だったようです。N線は鉄管に熱した針金を通すことで放射されると主張されています。N線はアルミニウムのレンズで屈折されるとではなく、アルミニウムのプリズムで屈折されると主張されていました。「アルミニウムのレンズ」とは、「N線が実在し、かつ幾何光学の法則に体系的に従ったら興味深い」というぼくの願望的思考が産み出したフレーズのようです。ただ、民衆的想像力ってたいがいそんなもんだろうなとは思います。ぼくも民衆のつもりでいます。