重い星の終末の話
漆黒の宇宙よりも暗い塊、ブラックホール。
わたしは、ブラックホールはないと思います。ブラックホールがあるかどうかは、その辺のパブで一パイントのビールを賭けて議論できる問題であっていいのではないでしょうか。
かつては、ブラックホールは「なんでも吸いこむ宇宙の掃除機」と考えられていました。概念よりも観念が先行していたのです。それが、1974年にホーキング博士がホーキング・ベッケンスタイン放射を提唱してから、ブラックホールは概念的な取りあつかいが必要なもの、ということに急になってきました。1974年は日本では小松左京の『日本沈没』が出版された年です。
ホーキング・ベッケンスタイン放射は、どんな粒子も双子の片割れをもっている、という物理学的神話の産物です。光子にはスピン逆向きの片割れが、電子には電子の反物質である陽電子の片割れがあります。もし、たとえば陽電子が、ブラックホールに跳びこんだらどうなるでしょうか?片割れの電子は、陽電子との絆(「ほだし」と読みます)を失って、猛スピードでブラックホールの重力に逆らって飛びだします。ブラックホールの重力により、最初よりもスピードは遅くなりますが、けっきょく観測可能な速度で動く電子や光子の放射がブラックホールから観測されることになります。これがホーキング博士の見立てなのでした。
ブラックホールは、数学的概念としてはすでに道具としての有効性が実証されています。太陽を数学的にブラックホールとして水星の近日点移動を計算した結果、惑星ヴァルカンの存在が証明されました(ヴァルカンは、計算上の蜃気楼のような存在でした)。ブラックホール2つを解析接続することによる中性分子の宇宙模型も、アインシュタインによってとなえられています。
けれど、ブラックホール模型(ブラックホール概念)には、ブラックホールの中で時間を自由に航行できるようになり、半径方向は内向きにしか進めなくなる、半径方向に時間が流れるようになる、という大きな問題があります。これが、わたしがブラックホールが存在しないと考える理由です。時間は一方向にしか流れないからです。時間は一方向にしか流れず、宇宙は一つしか存在しない、これはアレクサンドレイアのフィロンに遡れる考えのようです。
仮にブラックホールから電子が、ホーキング・ベッケンスタイン放射として出てくるとします。そのときに、ブラックホールの中にはこの電子の双子の片割れの陽電子があるはずです。この陽電子は、時間軸上のどの時点に存在しているのでしょうか?はるか未来の陽電子でさえも、現在この時点で電子が放射されるのに寄与できるとすれば、そもそも電子と陽電子のペアの存在自体疑問視されてよいかもしれません。これは、最先端のファイアウォール理論の研究者の方などに考えてほしい問題です。
わたしは、「ブラックホールの掃除機模型」にかわって「ブラックホールの迷宮模型」を提案します。そしてこの問題は、迷宮が存在しないと考えたときにのみ解決できる問題のようです。
「時間は循環しない。だからタイムマシンはある」となるか、「時間は循環しない。だからタイムマシンはある」となるかは各人の脳の癖で分かれるところ。これって、タイムマシンはあるかないかが社会学的に重要じゃない決定であることを示している。(この議論の論法自体は社会学的に非常に重要。)