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Dead Evening Killer Is Night Knife

作者: 藤出雲

「っ…」

北条椿の胸と下腹部に、ぽたぽたと汗が落ちた。

舌が這い、繋がる。

暑い。

熱い。

飛び散り、落ちる。

堕ちる。

暗い。

昏い。

まっくらだよ。

「あ、窓…」

開ければ、少しは涼しいかもしれない。

夕暮れ時。

好きなだけ、好きな事をした彼はとっくに帰った。

窓を開けながら、椿はふと考える。

「…今日はもう、いいかな…」

今夜は、家族も居ない。一人きりの夜。

夕飯も、何だか面倒になってきた。

小高い峠道にも似た、只々上へとのぼる、坂道。

その行き着く先に在る神社の、少し手前の一軒家。其処が椿の家だった。

和風の、所謂一戸建て。

縁側の、横開きの硝子戸を全て開けてみる。

濃いオレンジ色が、見降ろす街並を深く染め上げているのを生暖かい風と一緒に感じ乍ら、椿は少しだけ深呼吸をした。

肌に残る、汗と舌と息遣いの感触。

椿の中に、鈍色の感触。

世界はきっと、こんな感じで巡っている。

巡るのが世界なら、私は其処に居たくない。

何時の頃からか、椿はそんな事を考えて生きている。別に自殺願望なんて無いけれど。だからといって、生きていたくも無い。

ただ、「そういうもの」に対して嫌悪感を抱く。それだけ。

そんな時は、食べたり眠ったり、さっきみたいにやったりが、何だか疲れる。

そして今日も、何となく着替えて、縁側で景色を眺めていた。

「Confusion, homicide, and rape are not needed.…♬Where is such the world?…and…♬」

The Distinctionsの「World is Night」を口ずさむ。

「…and…」

イギリスでカルト的な人気を誇っていた、十代の少女ばかりで構成されたバンド。ロンドンの裏路地で、身体を売り乍ら歌っていた彼女達。

世界は夜に染め上げられ、やがて絶望が全てを包み込む。まるで、母親の愛みたいに。

闇の歌。

そんなところが、とても好きだった。

「あ…」

そうか。

良い…かも。

一瞬、そう、思った。


こんな時に死ぬのが、良い。


そうしようかな。


一人で、頷いてみた。


その時、敷地を区切る植え込みの中から、がさがさと物音がした。

肩が一瞬、びくりと震えた。

「あ…ども…」

「っ…?は、春…君?」

其処には、まだ制服から着替えていない汗だくの幼馴染の顔が在った。

「すんません…ちょっと通らせて貰いますね」

頭をぼりぼりと掻き乍ら、幼馴染…藤谷春夜は苦笑した。

「い、良いけど…何でまた…」

この家のもう少し上に在る神社。

其処から更に上へと向かうと、何やらの祠という、恐らく地神の類を祀っているらしき場所が在る。

街から其処を目指し、そして下る。

その近道として、この家を突っ切るというアイデア。

それこそが、今椿の眼前に現れた、二つ年下の春夜が思いついた事だった。但し、彼が小学生の頃の話だが。

「いや…久々に彼処に行ってて…」

上の神社を指差し、悪戯が見つかった子どもの様に、申し訳なさそうなカオで春夜は呟いた。

「びっくりするじゃない…もう」

「いやもー本当に、すんません…!あれ、今日は、おじさんは?」

「お父さんは今日から出張。暫くは気楽に一人暮らしよ」

思わず話を逸らす春夜の慌てる様子が可笑しくて、口調も優しくなる。

「そっすかー…」

「…何?」

逆に春夜の口調は、沈んでいる。

「いや、だからっすかね…何だか、椿さん、落ち込んでんのかなーって」

「え?」

「い、いやいや、間違ってるかもしんないけど、何かほら、ちょっと辛そうっつーか。おじさん居なくて寂しいのかなーって…」

確かに、幼い頃を思い出す分には父親が大好きで、離れられないタイプの子どもであったとは思うが…高校も三年生になるのに、と、椿はまた可笑しくなった。

「あれ?やっぱり違います?」

困った顔をしたまま、春夜が少しだけ縁側に近付いた。

さらさらとした色素の薄い髪の毛が、夕陽のオレンジに反射していた。

すっかりはだけたシャツ。鎖骨の汗が胸元へ落ちる。

白い肌は、走って来たからか少しだけ紅色の熱を帯び。

薄いグリーンの大振りのリストバンド。安物のウォレットチェーン。

きりっとした眉毛に、猫みたいな美しい流線形を描いたアーモンド型の瞳の色は、髪の毛よりも更に薄く…。

「…どしたんすか?まさか、どっか調子悪いとか…」

言って、縁側に座っていた椿の目の前迄来て、膝を折る春夜。

「…」

「…椿さん?」

心配そうに覗き込む幼馴染の顔が、近い。

何だか、羽織っていたオーバーサイズの真っ白なボウタイシャツを脱ぎたくなった。

「は…るくん…」

言いかけた、その瞬間。

「…っ…!!?」

春夜が、ぽんぽん、と、椿の頭を撫でた。

それが余りにも衝撃的で、椿は声にならない声をあげた。身体が、びくりと震え上がる。

「大丈夫っす?」

「…っ…あっ…」

こくこくと、頷くのに精一杯。

顔が赤くなるから、両手で口元を隠した。

「そっか、ならいーやっ」

今度は背伸びして、にっこりと笑い乍ら春夜が街の方を見降ろした。

暑くて苦しい。悪夢と闇が同化する前触れである、夕方のオレンジ。

それをきらきらと反射させて、彼は其処に居た。

「じゃ、俺行きます」

「あ、うん…」

踵を返して、春夜が歩き始めた。

何だかその小さな背中も愛おしくなってきて、裸足のままで椿が表に出た。

「あっ、そーだっ」

いきなり振り向いて、春夜がまた笑った。弾けそうなくらいの、満面の笑顔。

「今度はゆっくり遊びに来るんで、椿さん、コロッケ作ってくださいっ!」

「コロッケ?」

「そーそー!あれ食うと、力が出るんすよね!よろしくお願いしますっ!!」

「…懐かしいね。…うん、また作るね」

「残ったら、冷えたやつをパンに挟むのがまたいーんすよね!うわ、楽しみになってきた!!マジで、また来ますんで!」

走り去る春夜。沈む夕陽。


「…何か、こんなものなのかもね…」


椿が要らないと思っていた、絶望と喪失の夕陽と暑い夜。


無くしても良いと思っていた、あの気持ち。


それを、全部笑ってしまえる力を持った、とても純粋な子。


あの頃から、変わっていない。


変わっていくけれど。


変わらない。


全ては、きっと、其処に在って。


多分きっと、私の渦巻いている、どろりとした心。


それをすら、春夜は笑い乍ら。



「これ、食べましょ!取り敢えず、そっからです!」



って。


私の作ったコロッケで。


ただのそれだけで。


それだけで…。


「あの子ってば、本当に…もう」


椿のお腹は、何時の間にか、空いていた。


胸が暖かくなる程、純粋なすれ違い…。


END

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