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第5話


 ゴンタが運転席に、マルドゥクが助手席に乗り込んだ。

 私は荷台である。


 トラックの荷台に人を乗せて走るのは道路交通法違反であるが、この世界にそんな法律はないので、たぶん問題にはならないだろう。

 軽快なエンジン音を響かせて軽トラック街道を走る。


 舗装もされておらず道幅も狭いが、ゴンタはまったく気にしなかった。

 田舎道などこんなものだ、ということらしい。


 いわれてみれば、私の生まれ故郷だって似たようなものである。

 彼が生きていた時代より、四半世紀近くも未来なのだが。


「馬のいらない馬車か。便利じゃの」

「ああ。けど燃料がなくなったら捨てにゃあならんべ。この世界にガソリンがあるとも思えねえし」


 マルドゥクとゴンタの会話が聞こえてくる。

 もっともな話だ。

 燃料が切れたら自動車など役に立たない。


 積載量だけはあるので、ギアをニュートラルにしておいて馬に牽引させるという手もあるだろうが、運転席から馬を御すのは難しいだろう。


「ちなみにガソリンの残量は?」


 窓越しに訊ねてみる。


「昨日入れたばっかりだからな。しばらくビンボーランプもつかねえだろ」


 給油警告灯のことだ。

 軽トラックの燃費は良く判らないが、一リットルで十五キロも走れば御の字だろう。一九八〇年の車ならもっと悪いかもしれない。


「燃料タンクの大きさって?」

「四十じゃなかったかな」


 ということは、いま満タンに入っていると仮定して、四百キロから五百キロくらいは走れる。

 しばらくは一緒に旅ができるだろう。


「エサが必要なのは、動物も軽トラとやらも一緒というわけじゃな。上手くはいかんものじゃて」


 からからと笑うマルドゥク。

 膝の上には鍋。吸水中の米が入っている。

 研いですぐ炊いても美味しくないので、野営できる場所まで軽トラで移動しているのだ。


 このまま街まで走るという手は、さすがに避ける。

 人間だけならまだしも、自動車はいささかまずいだろう、という判断だ。

 パニックが起きてしまう。


 問われたとき、周囲を納得させるだけの言い訳を考えなくてはならない。

 そのため、少なくとも今夜くらいは野営して作戦を練ろうという話になったのである。


「それにしても、ヒジリといいゴンタといい、異世界人は肝が太いの。この状況でも取り乱さぬとは」

「いやいやお嬢ちゃん。けっこう一杯一杯だぜ。一人だったら泣いてたな」


 冗談を飛ばし、懐から煙草を取り出て火をつけるゴンタ。

 同乗者に「いいか?」の一言もない。


 荷台で私は苦笑した。

 ゴンタの時代には、嫌煙権などという言葉はそもそも存在しない。

 煙草を吸うのが格好いい。

 そういう時代である。


 たしかときの皇太子殿下だって結婚前は煙草をたしなまれたし、皇家から下賜されるもののひとつに「恩賜のたばこ」なるものもあった。健康増進法とかが制定されて、廃止されたのは平成の十八年だから、ゴンタなどは煙草全盛の世代だ。


「汝はケムリを食うのかの? ゴンタや」


 不思議そうにマルドゥクが見つめる。

 興味津々だ。

 さすが食の冒険者である。


「食い物じゃねえし、子供は吸っちゃダメだぜ」

「汝の世界では何歳(いくつ)で大人なのじゃ?」


「二十歳だな」

「なれば問題ない。我は二百をこえておる」

「は?」


 ゴンタが胡乱げな声を出す。私は彼にマルドゥクの素性を説明していなかったことを思い出した。


「マルドゥクは人間じゃないんだよ」


 窓越しに教えてやる。


「馬鹿言うない。どびきりの美人じゃねえか」

「これは変身魔法じゃ。我の正体はドラゴンじゃな」


「ドラゴン……? 恐竜なのか?」

「あー 説明が難しいなぁ」


 国民的人気となったコンピュータロールプレイングゲームが登場するのが一九八六年。それまでドラゴンが登場する作品は、日本にほとんど存在しなかった。ただ、強さの証明のようなものとして、名称はさまざまに使われてきた。


 名古屋に本拠地を置く球団の名称とか、映画俳優の名前とか。


 とはいえ、日本でのイメージはあくまでも東洋的な竜(オリエントドラゴン)であり、西洋的な竜(オクシデントドラゴン)が定着するのは、多くのファンタジー作品が世に出る八〇年代の後半になってからである。


 ゴンタがドラゴンから恐竜を連想したのは、前述の球団がしばしば恐竜軍団と称されるためであろう。


「マルドゥクの真の姿については、また機会を見て説明するよ。ともかく、俺や君よりずっと長い時を生きてるんだ」

「そうなのか……バケモノがいる世界だしな……何が出てきても不思議はねえか……」


 ストレスと煙を吐き出すゴンタに、マルドゥクが右手を差し出す。

 よこせ、という意思表示である。


 抵抗は無駄だと悟ったのか、ゴンタが煙草の箱と使い捨てライターをその手に乗せた。

 しげしげとマルドゥクがライターを見つめる。


「これは面白いの。ボタンを押すと中から燃える空気が噴き出し、火打ち石の火花で火をつける仕組みじゃな。良くできたマジックアイテムじゃ」


 感心しながら、しゃこしゃこと火をつけたり消したりしている。


「予備はねえから、ガスを使いきらねえでくれよ……」

「判っておるわ」


 そういって煙草の先に火を灯し、不健康な煙を吸い込む金髪の美女。

 むせるかなと思って見ていたが、べつにそんなことはなかった。


「ふむ……これは煙草じゃの」

「見れば判るだろうがー」


 思わずハンドルに突っ伏してしまうゴンタ。


「なにかで巻いてあるのかの。これは。で、このふわふわしたもので、煙をすべて吸わぬようにしておるのじゃな」


 助手席でマルドゥクが興味深そうに分析している。

 つまり彼女は煙草の存在は知っていても、紙巻きもフィルターも知らないということだ。


「さすがマルドゥクは博識だね」


 煙草の歴史は、地球でもかなり古い。

 古代マヤ文明やアメリカ先住民の遺跡からも煙管が発見されているほどだ。


 嗜好品ではなく、魔よけや儀式などに使われていたと推測されている。

 この世界にも、似たような風習があってもなんら不思議ではない。


「さして美味いものではないの。じゃが、燃している葉には鎮静作用がありそうじゃ。依存性も高そうじゃがの。成分的には、どちらかといえば有害じゃろうな。人間の身体には」


 味わったり分析したりしながら、それでもフィルター近くまで吸ったマルドゥクが備え付けの灰皿で煙草を揉み消す。


 これは彼女のポリシーのようなものだ。

 ただの一度のお残しもなく、ただの一度のおかわりもない。


 どれほど不味い料理でも、マルドゥクは一人前をきっちり食べる。

 どれほど美味い料理でも、際限なく食べたりしない。


 それが作った者への礼儀であるかのように。

 煙草もまた同様だった。


 頭ごなしに否定することもなく、試し、確かめ、評価する。


「ゴンタや。汝ら人間の身体には、これは益より害の方が多そうじゃ。たしなむなとまでは言わぬが、ほどほどにしておくが良い」

「……まあ、これがなくなったら手にも入らねえだろうしな。禁煙せざるをえねえだろうよ」


 苦笑を浮かべるゴンタだった。

 愛煙家たちにとっては、こういう言葉の方が堪えるのだろう。

 私は元々吸わないので判らないが。


 やがて、軽トラックは少し開けた河原へと乗り入れる。

 今夜の野営地である。





 ぱちぱちと音を立てはぜ割れる(たきぎ)

 焚き火を囲んで、三人の夕食。


 天空には満天の星々。

 炯々と輝く月。

 パーツは地球と何も変わらないのに、目に映る星座はひとつとして知っているものがない。


「知らねえ土地に来ちまったんだなって、実感するな」

「だよね。俺も最初に夜空を見たときが一番きつかったかな。東京は星なんか見えないけどさ」


「ヒジリも道民なんだろ?」

「高校まではね。道南の小さな漁師町。それが嫌で東京に就職したのに、流れ流れて異世界だよ」


 事情を四捨五入して説明し、私は肩をすくめた。

 手に持ったおにぎりをかじる。


 海苔も巻いていない。塩すらかけていない。ただ、試食会用にゴンタが持参した瓶入りの海苔の佃煮が具として入っている。

 シンプルすぎる料理。


「うまいのう。心に染みるような、優しい味じゃ」


 マルドゥクが目を細める。

 正直、さほど美味い米ではなかった。私はグルマンではないが、普段食べているものより、一ランクは落ちるだろう。


 だが、染みる。

 不味い北海道米から脱却すべく試行錯誤を重ねられた魂の米。


『ゆめぴりか』へと続くはるかな道程。

 その一歩目の米。


「米ってのはよ。口に入るまでに八十八の手間がかかるっていわれてんだ」


 にかっとゴンタが笑う。

 自分が作ったものを美味いと言ってもらえた。

 その喜びは、きっと生産者にしか判らないだろう。


「八十八の。それは、不味いわけがないの」


 応えるようにマルドゥクが微笑む。

 金色の髪が、焚き火を映してきらきらと輝いた。



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