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第3話

 マルドゥクとともに旅を続けながら、私はこの世界のことを学んでいった。


 エオスというのが世界の名前だが、これは私が住んでいた世界を地球と呼ぶようなもので、すこし括りが大きすぎる。

 日本人もアメリカ人もドイツ人も中国人もオーストラリア人も全部ひっくるめて地球人。それはそれで間違いではないが、少し乱暴すぎる分け方だろう。


 当然のようにこの世界にも国があり、地方領があり、街があり、村がある。

 日本的なものではないが、領主や代官もいるらしい。


 ただ、マルドゥクは人間社会にそこまで造詣(ぞうけい)が深いわけではない。

 各地を旅して美味いものを味わうのを趣味としているため、日常生活に困らない程度の常識を持ち合わせているだけだ。


 そしてそれこそが、私の求めているものである。

 政治体制や支配構造の講釈を聞いても、私としてはまったく意味がないから。


「これから訪ねる街には、かなり美味いものがあるらしいの」

「そうなのか」


 街道を並んで歩きながらの会話。

 旅程はそろそろ一ヶ月を越えようとしている。


 なんというか、世界食べ歩き紀行だ。

 徒歩で旅を続けながら、ふらりと街に立ち寄って名物を食べる。


 最終的な目的地があるわけでもなく、次にどこへ向かうかのプランがあるわけでもない。

 のんきというか、寿命の長い竜だからできるような無目的な旅行である。


「路銀も心許なくなってきたしの。どうせだから少し逗留(とうりゅう)して、稼ぎつついろいろ食べてみるとしようかの」

「都合良く仕事があればいいけどな」


 私は苦笑を浮かべた。

 竜でござい、異世界人でござい、と吹聴したところで、金が空から降ってくるわけではない。

 働かねば金を稼ぐことはできず、金がなくては飯を食うこともできない。


 どんな世界でも、世知辛さは一緒である。

 ちなみに私とマルドゥクは、流しの傭兵ということにしている。ただ、傭兵といっても戦争にいくのではなく、盗賊退治やモンスター退治、家畜の世話や失せもの探しまでなんでもやる、いわゆる何でも屋だ。


「あるじゃろ。世に厄介事の種は尽きぬよ」


 苦笑するマルドゥク。

 人間というのは、とかく争いが好きだ、というのが彼女の持論だ。


 成功者がいればそれを妬む者が現れる。

 日本では刃傷沙汰(にんじょうざた)に発展するケースは多くないが、それは法治国家だからである。


 剣と魔法と暴力が支配する世界では、富を持っているというだけで危機にさらされることになるのだ。

 殺してでも奪う、というのがまかり通ってしまう。


 もちろんそれぞれの国で法を作り、処罰はおこなっているが、きちんとした司法警察(けいさつ)があるわけではなく、あるのはむしろ治安警察(ぐんたい)である。


 犯罪の取り締まりより、住民たちが領主なり国王なりに刃向かわないようにするための武力なのだ。

 彼らが住民を守るのは、納税者の絶対数が減るのは困るからで、べつに住民を愛しているからではない。


 ゆえに、守備範囲は領主のいる街とその周辺に限定され、地方の町や村は定期的に巡回が訪れる程度である。

 これでは盗賊団などが跋扈(ばっこ)する余地はいくらでもあるだろう。


 そのため、町や村では自警団が組織されてゆくのだが、専門の兵士でもない彼らに盗賊団やモンスターの相手は荷が重い。

 より正確には、犠牲を出さずに勝つというのは難しい。


 まともな医療機関もないのだ。

 ちょっとした怪我だって容易に致命傷になる。戦力の減はそのまま生産力の減である。これは簡単な問題ではない。

 そこで登場するのが、傭兵や冒険者と呼ばれる人々である。


 彼らは金銭によって危険を肩代わりする。

 雇う村や商人にしても、彼らの命を計算に入れる必要がない。怪我をしようが死のうが、知ったことではないのである。そのための報酬なのだから。


 必要な間だけ力を借り、必要がなくなったらお引き取りいただく。

 けっこうドライな関係だ。


 まあ、雇った冒険者が強盗に早変わりとか、報酬を出し惜しんだ雇い主に冒険者が殺されたりとか、そういう事件が後を絶たないのも事実ではある。


 いずれきちんとした契約を取り交わし履行を監視するための機関……たとえば同業組合(ギルド)なり互助協会などが登場し、台頭してゆくだろう。

 そのあたりは地球の歴史を見ても明らかである。


「ほれ。さっそく厄介事の匂いがするようじゃぞ」


 マルドゥクが指をさす。

 街道の真っ直ぐ先。

 なにも見えないが、私は彼女の聴覚と気配探知が尋常ならざるものであると知っている。


「どのくらいだい?」


 両腕を広げた私の胸に飛び込んでくる美女。


 ラブシーンではない。

 念のため。


 私が彼女を抱いて走るためだ。

 どういうものか、マルドゥクは自分の足で走るのを嫌がるのだ。

 変なポリシーである。


「汝の全速力で十秒といったところかの」

「了解。しっかり掴まってて」


 軽く前傾姿勢をとって駆け出す。

 私の背後でソニックブームが巻き起こった。


 きちんと調べたことはないが私の全力疾走は秒速で四百メートルほど。情けないが、従妹などに比べたらぜんぜん遅い。


「いつも思うのじゃが、ヒジリは本当に人間なのかの」


 耳に口を触れさせながらささやくマルドゥク。

 そうしないと声か届かないのだ。

 むしろ、この速度で振り落とされない彼女の方が人間離れしている。人間ではないが。


「女神の血脈らしいからね。嘘か本当か判らないけど」


 会話を続けるうちに目的のものが見えてきた。

 モンスターに襲われている馬車、に、見えたのは一瞬、私はそれに見覚えがある。


軽トラック(けいとら)!?」


 白い車体。荷台を覆う緑のビニールシート。

 響き渡るクラクション。


「けたたましい音じゃが、あれは悪手じゃな。魔物どもを呼び寄せるだけじゃ」


 魔物は異音ごときで逃げない。

 野生動物ではないのだ。


「どけっていってるだろ!!」


 運転席のあたりから怒鳴り声が聞こえる。

 ゴブリンやホブゴブリンに囲まれた状態で勇ましいことだが、音程が完全にひっくり返っていた。


「助ける!」

「謝礼など期待できなさそうじゃがな」


 私の腕の中、美女が苦笑した。

 加速する。





 ちなみに、戦闘にはならなかった。

 マルドゥクの姿を見たモンスターどもは、算を乱して逃げ散ってしまったからである。

 さすが竜王の娘。

 眼光だけで魔物を退けるとは。


「これはこれでつまらぬの。ヒジリの美技を見たかったのじゃが」

「戦わずに済むなら、殺さずに済むなら、それに越したことはないさ」


 マルドゥクを降ろし、軽トラに近づいてゆく。

 そして失笑してしまった。

 なんと運転席にいる青年は、(くわ)を抱えていたのである。

 まさか農機具で戦うつもりだったのか。


「怪我はなかったですか?」

「アンタらは……それよりあいつらは……っ」


 通じた。

 私は日本語で話しかけた。これに応えたということは、どうやら彼は日本人のようである。

 まあ、黒髪黒眸の黄色人種だから、さして疑っていたわけではないが。


「説明を要しますね。私は津流木聖。あなたと同じ日本人です」

「え? え?」


 混乱の小鳩が青年の頭上を舞っている。

 そりゃそうだろう。

 この状況下で冷静な分析ができるのは、私の従弟である双子の弟の方くらいのものだ。

 あれはあれで、いろんな意味で人間をやめているが。


「まずは、その物騒な農機具を置いて、出てきてくれませんか?」


 笑顔で促してみる。


「あ、ああ……」


 面食らった顔で、青年がドアをあけた。

 この危機感のなさは日本人特有だろう。こんな場合だが、私は少しだけ嬉しくなった。


 他人を見たら盗賊を疑え、というこの世界の常識には慣れてきたが、それで楽しさが増すわけでもないのだ。

 他人が突然牙を剥くはずがない、と、無邪気に信じられる国というのは、きっとかなり幸福である。



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