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第1話

 目が醒めると、そこは見たことのない場所だった。

 草原を吹き抜ける風は清涼感に満ちており、うだるような暑さの東京とは大違いである。


「まるで北海道の大草原って風情だが……」


 呟き、私は頭を振った。

 わけがわからないが、まずは現状を確認しなくてはなにもできない。

 じたばたするのは、その後で良いだろう。


 手早く身体的な異常がないかチェックする。

 怪我をしている様子はない。各関節も正常に稼働するようだ。


「……問題ない」


 次は頭の中身。

 直近の記憶を反芻する。


 昨夜はたしか、同僚と遅くまで飲んでいた。帰宅したのは、たしか午前二時を過ぎていたはずだ。

 私と同年の二十六歳のくせに、やたらと同僚は酒が強く、付き合わされる方はたまったものではない。


 だったら一緒に飲みになど行かなければ良いのだが、私も彼女もいわゆるぼっちなので、他に誰も相手をしてくれないのだ。

 ともあれ、泥酔していた私は着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。


「そして起きたら、ここにいた」


 謎すぎる状況だ。

 ただ、私の精神は多少の謎では動揺しない。

 なにしろ私自身が謎の塊のような存在だからである。


 私や、私の血族に比べたら、目が醒めたら知らない場所にいたなど、可愛らしいものだ。

 具体的には、目が醒めたら隣に知らない女が裸で寝ていた、という程度の衝撃しかない。


「ていうかものすげーショックだよっ! ぜんぜん可愛らしい状況じゃねえよっ!」


 思わず自分のモノローグに自分で突っ込んでしまった。


 冗談ではない。

 ここは一体どこなのだ?


 日本なのか、外国なのか。


「くぉら火口っ! てめえの仕業だなっ! ふざけんなよこの脳筋女っ!!」


 ひとしきり同僚を罵倒する。

 もっとも、同僚たる火口華乃(ひぐち かの)がこの事態を仕組んだという証拠など、どこにもないのだが。


 三十分ほどストレスを発散し、ようやく気持ちを落ち着けた私は、あらためて周囲を見渡した。

 どこまでも広がる大草原。

 大草原の小さな家って感じだが、あちらは家と家族がある分だけでも私よりはマシだろう。


 なにしろこの私、津流木聖(つるき ひじり)は、自分がどこにいるかも判らず、家もなく、家族もいない。


「家族がいないのは日本でも同じだけどなっ あと友達もいないっ」


 叫んでやろう。

 誰の迷惑になるわけでもない。

 聞いている人間もいない。


 そこだけがこの場所の長所(とりえ)だ。

 もちろん、叫んでも喚いても、事態の解決に一グラムの寄与もしない。


「仮説としては、あれだ」


 火口の阿呆が、何らかのチカラで私をテレポートさせた。

 これが最も蓋然性が高い。


 そういうチカラを持っているという話は聞いたことがないが、なにかと隠し技の多いやつだから。


「この仮説を元に、今後のプランを検討すると……」


 一、このまま動かず救援を待つ。


 ないな。

 修好が成立しているとはいえ、あいつらは本質的に私や私の血族の敵対者だ。

 私が日本から消えれば、喜びこそすれ悲しむ道理などない。


 救援など来るわけがない。

 あるいは私の血族が異変を察知して動いてくれる可能性もあるが、それに期待するのはいささか虫が良すぎるだろう。


 私は故郷を裏切った人間だ。

 助けてほしいなんて、口が裂けても言えるわけがない。それに現実問題として彼らに救援できる能力があるとも思えない。


 ここがどこかは判らないが、どこか外国だと仮定したら、小さな街の町役場の総力を結集したところで、どこにいるかすら特定できないだろう。諜報機関ではないのだ。


 最後の希望は私の上司だが、これも望み薄である。

 彼の私設秘書は私を含めて十名ほどいる。たかが十分の一を助けるために全力を尽くすとはちょっと思えない。


 二、自力で東京に戻る方法を探る。


「どう考えてもこっちだな……」


 立ち上がり、軽く腰を叩く。

 道に迷ったときには、無理に動き回らず救援を待つというのが常識だが、どうやっても救援がこないなら、自分で自分を助けるしかない。

 そして動くなら、動ける余力のあるうちに。


「とにかく、人のいる場所を探さないと」


 歩き始める。

 痛い。

 靴を履いていないから。


「あー 服を着たまま寝るなら、靴も脱がなきゃ良かった」





 

「嘘だろ……?」


 私の足で駈けること一時間。

 距離にして二百キロほどの場所に街らしきものを発見した。


 所要時間と距離の計算がおかしいと思うかもしれないが、私が全力疾走した場合、速度は音速を超える。時速二百キロというのは、小走り程度の感覚である。

 だが、そこはどうでも良い。


 問題は私の能力ではなく、眼前の景色だ。


 まるで中世ファンタジーのような光景。

 土壁や木造の家に粗末な衣服の人々。


 それだけならまだしも、明らかに人間でないものまでいる。

 少なくとも、地球上には獣の頭をもった人間などいない。いないはずだ。


 呆然と立ちすくむ私の前に、槍を持った獣人が近づいてくる。


 衛兵だろうか。

 なにやらぎゃんぎゃんと吠え立てる。

 あたりまえのように、何を言っているのか判らない。


 わからないが、誰何しているのだろう。

 このような局面で、ようこそ我が町へ! などという言葉が向けられるわけがない。


 両手を挙げて見せる。

 抵抗するつもりがない、という意思表示だ。


 伝わらないとしても、武器を持っていないことくらいは判ってもらえるだろう。

 一次接触である。とにかく慎重に、誤解を生まないように。


「私は、ヒジリ。ここは、どこですか?」


 文節ごとに区切って訊ねる。

 獣人たちが首をかしげた。

 やはり通じない。


 ゆっくりと手を下ろし、身振り(ジェスチャー)を交えて繰り返す。


 言葉ではなく、動きで判ったのだろう。

 獣人の一人……おそらくは隊長格……が部下に何事か指示する。


 伝令兵と思わしき者が街の中へと駈けていった。

 槍を向けられたまま、私はじっとしていた。


 どういう行動が非礼にあたるか判らない。

 異文化交流の難しいところである。


 待つことしばし、なかなかに緊張感のある沈黙が続くなか、街の方から女性が近づいてきた。

 遠目からでも、陽光に踊る金の髪が見事である。


 さして急いだ歩調ではない。

 なのに、一歩ごとプレッシャーが大きくなってゆく。

 かなり強い。


 私の血族と互角か、あるいはそれ以上。

 知らず、私は唾を飲み込んだ。


「見とれるほどの美貌じゃったか? なかなか見る目があるの。汝は」

「日本語!?」


「ではないの。我らの魔法のひとつじゃ。互いの言葉がわかるようにしておるだけじゃの」 

「……それは、便利ですね……」


「これが使えなくては、人里に降りてきてもなにもできんからの」

「ははあ……そうなのですか……」


 何を言っているのか、割と理解の外側だが、相槌をうっておく。

 こうみえて、曖昧な(ジャパニーズ)受け答え(ソリューション)は得意分野だ。


「で、汝は何者じゃ?」

「話して理解が得られるかどうか……」

「ほう? 語らずに理解し合えると申すか?」


 人の悪い笑みを女性が浮かべた。

 二十代の前半だろうか。金の髪と赤い瞳のコントラストが華やかな美女。街を歩けば十人に九人は振り返るだろう。


「失言でした。私はヒジリと申します。日本という国の東京という街からきました」


 一礼してから名乗った。

 なかなかに鋭いところを突いてくる。


 理解してもらえるかどうかは先方の問題。こちら側で決めることではない。まず話さねば理解もへったくれもないのである。


「ふむ。聞いたことのない国に、聞いたことのない街じゃの」

「そうですか……」


「むろん我が知らぬだけという可能性もあるがの。徒歩(かち)で訪れていることや、言葉が通じないことを鑑みれば、違う解釈のほうが現実的じゃな」

「それは?」


「ここは、汝のいた世界ではない」


 異世界。

 ここは日本ではない。

 それどころか、地球ですらない。


「そうですか……そうじゃない可能性を信じたかったんですがね……」

「期待には添えそうもないの」


 婉然と女性が笑った。




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