第2話:「VR」or「異世界」
それから俺は岩瀬の会社の事務所へ向かい、小さな会議室に通された。
いくつかの書類に必要事項を記入し、拇印を押した。控えは事務所前のポストから自宅へ送る。しばらく帰れないと言われたから。
次に岩瀬が取り出したのは一枚の羊皮紙。ドラマや映画でしか見たことがないので、本物かどうかは判別できない。
「これは何ですか?」と聞いてみる。
「そうだな、さしずめあちらの世界の契約書といったところだ。こちらの世界のはさっき済ませただろう」
「えっと、あちらの世界というのはその、俺がこれからテストするVR空間のことでいいんですよね」
「ああ、そうだ」
VR空間に契約書が必要って、どういうことだ?
「ただし、キミが認識しているものとは若干違うかもしれない」
「というと?」
「うーん、何から話したらいいかな。キミはワンメモシリーズの元になっている話が、ボクの空想か夢のようなものだと思っているだろう」
「はい。確か設定としては、異世界に召喚された勇者が魔王を倒して姫を救い現実世界に帰る、という王道ファンタジーだったかと。オンライン版では中々魔王が出てきませんが」
「それは間違いないんだが、実はその勇者というのはボクのことなんだ」
「はい?」
自分のことを勇者って言う人、初めて見たんですが。宇宙人にでも会ったような顔をしている俺に、岩瀬が続ける。
「信じられないかもしれないが、二十年前、ボクは召喚されて行ってきたんだよ。その異世界に」
「それって、つまりワンメモの?」
「舞台になった世界だよ。王様に召喚されて魔王を倒し、お姫様を助けてお嫁にもらって帰ってきた。それから作ったのが、あのワンメモってわけさ」
ゲームの舞台と言っても、海外旅行で世界遺産を巡ってインスピレーションが沸いたとか、せいぜいその程度の話かと思いきや……。
「マジで、本当にあるんですか、そんな世界が」
「キミも行けばすぐにわかることだが。いいだろう。それならこれを見るがいい」
そう言うと岩瀬は徐に服を脱ぎ出し、上半身裸になった。
小会議室の照明の下、こんがり焼けた筋肉質な身体には大小様々な傷痕が見えた。それは彼が過去に数多の戦場を潜り抜けた証拠。
「特殊メイクなんかじゃないよ。正真正銘、向こうで負った名誉の負傷さ」
異世界で魔王を倒してきたなんて信じがたい話だけれど、彼が嘘を言っているようには見えないし、身体についた後遺症レベルの傷痕も確かに本物。
行けばすぐにわかるって?
「それじゃ、その異世界があるとして、俺もこれから行くんですか?」
「もちろんだ」
「どうやって行くのかもわかりませんが」
「そこで、これの出番だよ」
岩瀬は羊皮紙を指して言った。ああ、それで。あちらの世界の契約書ですか。
「行って何をするんですか?」
「難しい仕事じゃないよ。一言で言えば生活だ」
「生活?」
「よりリアルなVR空間を構築するためには、ボクたち人間が日常・非日常の生活の中で味わっている一つ一つの体験を、データとして蓄積する必要があるんだ」
岩瀬は続けた。
「そのための実験体としてキミは選ばれた。キミたちが異世界へ行き、色々な体験をすることで、システムはアップデートが可能となる」
「なるほど。他にも行く人がいるんですか?」
「初期メンバーはキミを入れて五十人。随時増員する予定だ」
なんだ。結構参加者はいるじゃないか。
「わかりました」
「デスペナルティは可能な限りゼロとなるよう配慮したつもりだ。安心してくれたまえ」
えっ、今デスペナルティって言った? 異世界でデスペナって死ぬのか?
それはゼロじゃないと困るんですが。いくら大学受験に失敗したからって、童貞のまま死ぬのはゴメンだ。
急に参加を辞退したくなったが、このまますごすご家に帰って「やっぱりバイトするのやめました」などと言おうものなら……。
既に退路は断たれてしまった俺である。
「データを得るため、コンピュータの代わりに異世界に行ってきてくれ。異世界で生活すること――それがテストプレイだ」
俺のやるべきことはデータ収集か。行く先々で何かを体験すればいい。簡単なアルバイトじゃないか。異世界でも皿洗いってのは嫌だけど。それも一つの体験には違いない。
「なら、思う存分遊ばせてもらいますよ。それがVRなのか異世界なのかはともかくとして」
「よろしく頼む」
岩瀬は羊皮紙を広げて、こちらへ差し出した。
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