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第9話:一日の終わり

 宿泊客は部屋へ戻り、食事客は大体帰った。残った常連客だけがカウンターで宿の主人と飲み続けている。


 広間の梁に吊り下げられたランタンも、空いたテーブルの上では消されていた。


「それでは、お風呂で汗を流して休みましょう。ワタロットさんは尚光さんに案内してもらってください」


「えっ、風呂あるんですか?」


 朗報ではあるが、尚光と入るのは気が進まない。しかし、ここはソフィアさんの手前、仲の良いフリをしようじゃないか。


「なんだ。お前ここのマスターに聞いてなかったのか」


 風呂は一階が男湯、二階に女湯があるそう。


「ユリアさん、背中を流しっこしましょうか」


 やべえ。リアルヒロインのソフィアさんとリアルアイドルのユリアが背中を流しっこだと。一瞬、邪な妄想が膨らんだ。


「いやあ、航が来てくれて助かったぜ」


 こっちは既に俺が背中を流すことになってるあたり。尚光め。


 そして、今頃気付いたのだが着替えがない。私服は複製するとして、明日にでも下着や普段着を買いに行かねば。



 ……。



 浴室は倉庫を改装して作ったもので、以前は冒険者をしていたという主人夫婦にソフィアさんが頼み込んでDIYしてもらったのだとか。


 ご主人が部屋をタイル張りにして浴槽を自作。外に設置した風呂釜で湯を沸かす仕組みだ。釜は既製品で、その火は魔道具で熾しているらしい。


 トイレも風呂も、宿で使用する水という水は全て、奥さんが毎日魔法で生成しているそうだ。井戸水よりも安全だから。下水はきっと町のどこかで処理されているだろうけど。物理的にか魔法的にか、いずれにしても。


 そんな手間のかかった風呂だが、利用料は宿泊費に込んでいる。ちなみに、宿泊費は一泊銀貨三枚、長期滞在は一泊銀貨二枚だ。



挿絵(By みてみん)



 ちょうど俺たちと入れ違いになるように、男湯から二人組が出てきた。年は俺たちと同じくらいに見える。


「尚光さん、チーッス!」


「よう、熊。今あがりか。こいつは俺の同級生の……」


「ワタロットだ、よろしくな!」


 変に紹介されてはかなわない。尚光の言葉を引き継いで名乗った。


「こちらこそ、よろしくッス! ええと、こいつが弦で俺は熊……じゃなかった、ここでは弦五郎と熊五郎ッス」


 標準語だが、発音とイントネーションに訛りがある。出身は今度聞いてみよう。二人は一階客室のほうへ歩いていった。


 男湯は脱衣所と浴室をカーテンに仕切られ、脱いだ服を入れる籠の脇にバスタオルとボディタオルが積んであった。


 浴室に入ると大きな木製の浴槽が目に付いた。これなら大人二人でもゆったりと入れそうだな。


 洗い場スペースには湯桶と椅子が二つずつ置いてある。鏡やシャワーはないけれど、この世界の宿に備えられた浴場としては上等なのではないか。


 少し熱めのお湯を水瓶の水でうめて、身体の汚れを洗い流してから湯に浸かる。冷めたら自動的に風呂釜が作動し、再び温めるようになっているので問題はない。尚光と風呂に入るのは修学旅行以来のことだ。


「いい風呂だな」


「これで混浴だったらいいのにな」


「変わんねぇな、尚光は」


「ケッ、航だって本当は女と遊びたいと思ってんだろ」


「そりゃまあ、少しは。って、お前は何しにここに来たんだよ」


「もちろん遊ぶためだろ。俺は遊ぶぜ。都合のいい女見つけてやりまくってやるかんな」


 ダメだこりゃ。


「そんなことより航……」


「断る」


「おい、まだ何も言ってないだろ」


「どうせまた何かしてくれって言うんだろ」


「まあ、聞けよ」


 曰く、二人はここに来てから疲れが取れない。そこで俺にマッサージをして欲しいのだと。だらしない話である。そういえば瞬発力では尚光にかなわなかったが、持久力では負けたことがなかった。


 どうしてもと言うので、結局、金で引き受けることにした。



 ……。



 階段を上るとソフィアさんとユリアが女湯から出てきた。バスローブのユリアより、ネグリジェにガウンを羽織ったソフィアさんのほうが断然男心をくすぐる。


「おやすみなさい」と言ってすれ違うソフィアさんのいい香りがふんわりと漂う。彼女の部屋は広間に最も近い101号室だ。


 俺の207号室は角部屋で、隣の206号室がユリアの部屋、その先の205号室が尚光の部屋だった。ユリアは着替えてから尚光の部屋にやってきた。



 高校時代、俺は昼休みになると必要な人数分のパンと飲み物を買いに行き、食後はこいつらのマッサージをやらされた。高級なソファーの置いてある生徒会室で。


 生徒会の連中までこいつらの味方だと知ったときは世も末だと思ったものだ。というわけで、俺は既に目を閉じていてもこの二人のツボを把握している。


 別に俺じゃなくても喜んでマッサージするやつはいたと思うが。特にユリアは、校内にも熱狂的なファンがいたのだから。



 寝間着になった二人を順に、脱衣所にあったバスタオルをかけて、背骨に沿って首から腰まで、足の裏とふくらはぎを揉んでやった。


 確かに凝っていると思った。尚光は水泳選手のように柔軟だった筋肉がガチガチになっていたし、細身のユリアは足がむくんでいた。


「やっぱ、マッサージは航じゃなきゃダメだよねー。カーッ! そこそこ×2! 効くぅー♪」


 オッサンみたいな物言いをするユリア。こいつら、卒業旅行の気分でいやがる。このあと元気になりすぎて眠れないとか言い出しても俺は知らない。


 二人合わせて銀貨六枚をふんだくってやった。今までパシリに使われたことを考えれば全然足りないけれど。俺は今日一日の出費を小一時間で取り戻した。


 もし俺がマッサージ師になることがあるとすれば、こいつらに感謝すべきかもしれないな。



 ……。



 自分の部屋に戻りベッドに横になると、火照った足から熱が奪われていくフワフワとした心地よい感覚に包まれる。


「疲れた……」


 と思わず言葉が口を突いて出るほど、人生の中で最も長い一日だった気がする。


 ランタンの灯りを消して目を瞑る。何度か寝返りを打ち、布団の中の温度が体温と等しくなる頃には、思考は枕に奪われ深い眠りに落ちていた。

お読みいただきありがとうございます。

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