ライリー金のサンダルを履いて逃げて
「そもそも、彼に母親も姉も妹も彼女もいなんですよ。」
イラついて、その辺の壁に腕を叩きつける。
「乱暴だな〜、そんなとこ叩いたら、手が痛いだろう。
彼には、父親も叔父もその又上も下もないのは、ここにいる皆の共通認識なのだから。」
落ち着き払った上総利行の、言葉遣いが感に触る。
「では、彼の中に、誰が、いるんです。」
ポッドの中で、漂う一塊の細胞に、細かな泡がフツフツと湧いて来ている。
白っぽい身体に、青緑のラインが入っていた。
完全なる人工細胞の培養は、こんなヘンテコなところで足踏みをしていたのだ。
「データは、確かです。」
何人かが頷く。
「では、やはり彼は夢を見てるんですね。
その上、その中で誰かと語らってると。」
ありえない。
こんな、ペラペラの脳自体が発生してない原始的な細胞の塊に、意思が芽生えるなんて。
「自我の発生については、未知数だが、この実験体で、その謎が解けるかもしれないんだぞ。」
同僚の渡部大輝の、興奮した物言いが能天気すぎる。
「化け物だったら、どうするだ。
全身で考え行動されたら、アッと言う間に追いつかなくなるぞ。」
ポッドの細胞は、掌より小さい。
頼りなさげで、培養液の中に溶けていってしまいそうだ。
仲代嘉隆の意見は、多勢に無勢、簡単に無視された。
「名前、つけましょうよ。」
リーザ・野口が、気楽な発言をした。
「そうだね。
解析してても、長ったらしいナンバーやアレとか彼とかじゃね。」
上総は、レディファーストって言ったら聞こえが良いが、責任を取らされそうな事には鼻が効き、スルリと逃げる。
ムカムカして来た。
「ライリーだ。
それで良いだろう。
今日は、これまでだ。」
俺は、そう言い捨てると、研究室から、出て行った。
除菌ルームで、全て脱ぎ捨て、シャワールームに、入る。
何も入れないし、持ち出さない。
大学と民間の半々のこういった研究所が、最近増えていたが、どちらがイニシアチブを取るか、研究が進めば進むほど、これからも揉めるだろう。
出ようとした時、隣に上総が、入った。
「仲代。お前の意見、通ったぞ。
彼はライリーって、決まったぞ。」
「そうか。」
それ以上の意見はない。
先に出て、私服にロッカールームで、着替える。
上総を待たずに、退社した。
日がある内に、研究所から出るのは、久しぶりだった。
ライリーは、俺の犬の名だ。
種類は、バセットハウンド。
短い脚、垂れた耳、ダクスフンド的なホルムだが、がっしりしていて茶と白の毛並みが柔らかく美しい。
元々猟犬だが、室内犬としても適応していて、頭も良く飼いやすいが、どちらかといえば、男好みの犬種なのだ。
俺の好きな絵に、書斎でくつろぐ男の足元にバセットハウンドが寝転んでるのがある。
室内画で少し暗い色調だが、毛並みの一部の白さが、暖かさを出していて、暖炉の炎が色を添えている。
ライリーは、俺のお守りだった。
もの心着く頃には、ライリーの背中やお腹が、俺の居場所だったのだ。
お互いの温もりが懐かしい。
ボール投げや追いかけっこをよくした。
いくら追いかけても、ライリーには追いつかない。
魔法の金のサンダルを履いている様だった。
「ライリーか。」
明るい内に、宿泊施設の自室に着いた。
ご丁寧に、敷地内の建物だ。
下に、コンビニも入ってるが、ここの会社の社員が運営しているし、もちろん24時間開いてる。
社員食堂も完備され、ここから一歩も出ないで、何年でも暮らせる。
鉄格子の無い檻だ。
研究が進めば進むほど、それは仕方のない事なのだろうが。
殺風景な部屋に、俺とライリーの写真がある。
俺は片付けが嫌いだが、勝手に清掃して行ってくれる。
ある意味、プライバシーも無いな、ここは。
家族との写真に、必ず映っているライリーに、新しいライリーの事を話してる内に、俺は眠りに落ちていた。
そして、研究所のあの部屋の人工細胞のライリーは、脳波計に夢を見てると、何回も知らせてきた。
ライリーが見られるなら、珊瑚や蟻も夢を見ているのだろうか。
ライリーは、少しずつ大きくなり、ポッドが狭くなりつつあった。
外からの音に反応を示すので、みんなで話しかける事になった。
耳らしき外見は、見えないが、何処かの細胞が、音を拾うようだ。
その場所の特定も兼ねている。
リーザ・野口は、女性の感性で、ライリーに話しかけ、上総は気楽にダジャレや何処からか仕入れた芸人のギャグなんかを連発している。
渡部は、神経質な物言いでなんかの論文を読みあげていた。
時々、大学から教授クラスの先生が来て、データーを、見て行った。
ライリーは、完璧な人工細胞だ。
俺は、バセットハウンドのライリーとの思い出や教えた技なんかを話してやった。
ライリーの反応は、俺が話しかけると、グッと複雑な動きをする。
「恋してるみたいでしょう。」
リーザが、グラフの山の波を指差し微笑む。
「いや、友情だろう。
ライリーは、『彼』なんだからさ。」
上総のくだらない軽口は無視。
この男は誰に対しも、馴れ馴れしい。
ここの社員が出入りする以外、この四人で、研究所に閉じこもってるのだから、話さないわけにはいかなかったが、なんとなく好きにはなれないタイプだ。
まあ、いじましいよりは、良いか。
ライリーの反応が良いので、コンタクトしてのデーター取りは、俺の役目になった。
俺はそれから頻繁にライリーの夢を見るようになった。
夢は、不思議だ。
このライリーは、犬であり、人工細胞だ。
なんの違和感もなく、2つは混ざり、俺と遊ぶ。
脚が短い犬種に多い腰痛をライリーも晩年わずらい、段を越える度に手を貸してあげていたが、青年期の様に、走り甘えるライリーがいた。
森でも砂浜でも、夢は自由だ。
なんなら、虹の上も走られる。
おれは人工細胞のライリーに、夢の話をし、その続きを、考えてやった。
まるで、幼い頃に読んでもらった絵本の様に。
俺とライリーの冒険旅行記だ。
知識の断片と思い出と夢が合わさり、俺とライリーは何処にでも行けた。
実際は、研究所のポッドの横で、聴いているのは、人工細胞なのだが。
ライリーの細胞を一部取り出し、鑑定が、始まった。
体液がにじんだが、みるみる復元していく。
削り取られた細胞も元気だ。
ライリーには、遺伝子が1つしかない。
その1つを研究するのだ。
夢のライリーは、なんでも聞いてくる様な感じがした。
俺は持っている知識で、夢を夢以上に、していた様だ。
けたたましいサイレンと光の洪水の中で目覚めたのは、寝付いてから、直ぐの時間だった。
カーテンを、開けると研究所から、煙が出ている。
今夜の夜勤は、上総だった。
「ライリー。」
ペラペラの薄い身体から、増えた細胞で少し厚さを増してはいたが、ライリーは培養液から出た事がない。
出たのは、ほんの少しの身体の一部分。
それも切り刻まれ、シャーレに乗せられ、冷蔵庫や密閉容器に分散されていた。
その全てが、あそこにあるのだ。
トレーナーと、ズボンをどうにか着て、部屋のノブを回したが、開かない。
窓はもとより開かない設計だ。
固定された家具の中で動くのは、椅子だけなのだ。
途方にくれていると、ドアが開いた。
下のコンビニで働いてるここの社員だ。
「隣接してるので、避難指示が出ました。」
悪夢だ。
窓越しではわからない、火事の匂いがする。
悪夢が、現実化して、黒い炎で空を舐めていた。
混乱の中、この施設から、3年ぶりに外に出た。
山の中の一軒家。
それがここのあだ名だから、何処にもいけない。
みんなが火事の鎮火を待つ間、集められた場所で、高い塀越しに、中の様子をあれこれ話していた。
塀は夜の色に染まり黒く、そこから黒い赤の炎が、色と光と臭いを撒き散らせていた。
時々、爆発音があり、夜より暗い煙が、そこから、空を埋めていった。
上総の姿はなかった。
誰も俺に関心を向けなかったが、そんな中、視線があるのだ。
振り返ると、深い森の木の下に、犬のシルエットがあった。
混乱していたのだろう。
俺はライリーの名を呼んで、その影に走って行った。
犬は、距離を保ち、近づくと離れる。
誘われる様に、俺は夜の森に足を踏み入れたのだった。
翌日、助けられた時、俺は崖のそばの大岩の上でねていたそうだ。
研究所は、周りの建物にも延焼して、敷地内の建物の半分を黒焦げにした。
近い割に、宿泊施設は、無傷だったが、煙の臭いが充満していた。
火炎は渦を巻いた様に火の手を伸ばしたのに、宿泊施設の前でUターンしたらしい。
遺体は、二つ。
上総とリーザだった。
リーザが時間外にそこにいた事は、謎のまま。
見つけられ、助け出される前、俺は地球の生命の闘争を夢に見ていた。
原始の海の闘いだ。
喰って増えるだけではない。
生き物そのもの闘いだった。
細胞を、生き物の身体を、手に入る為の遺伝子達の生存競争がそこでは繰り広げられていた。
負けた遺伝子は、外に出ることなく、その生き物が死ぬまで、閉じ込められる。
外と接触出来るのは、勝った者だけなのだ。
負けた遺伝子は、何世代も冬眠し、次を待つ。
力をつけ、今生き物を牛耳っている遺伝子に勝ち、下から上に上がるのだ。
それらが、集結して、やがて螺旋になり複雑な遺伝子の形が作られて行ったが、出るものと押さえつけられるものとの、闘いは凄まじかった。
ひとつひとつに、それなりの意思と闘争心と、歴史があった。
では、遺伝子の意志は何処から来たのか。
その問いに答えようとしたが、ライリーが、ワンと、鳴いた。
全ては、悪夢。
目覚めた俺は、施設内の病院のベッドの中だった。
あのポッドは、壊れ焼かれ、培養液もライリーも、何も発見されなかった。
ライリーは、闘わない。
相反するものが存在しない完全な細胞なのだ。
彼は黄金の上に乗る完全体。
培養液から、逃れ犬の姿から、崖の下の水に戻り、流され旅をして、海に出られただろうか。
あの大岩で目覚めた時の現場写真に、土で押された、犬の肉球の跡がひとつついていたのだ。
俺は、ライリーの腹に顔を埋め、お互いの暖かさで眠っていたのだろうか。
それもこれも全ては、夢。
俺は、人工細胞の研究を続ける。
今度は海に近い研究所に移ろう。
俺は、アザラシによく似たライリーの後ろ姿を見た気がしてるからなのだが。
白っぽい身体に光合成の薄い緑のラインが不思議な模様を作っていた。
明るい水の揺らめきが、王冠の様にライリーの頭を照らす。
水の中の全ての生き物が、彼を王と認めているのがわかる。
彼の身体は無駄な争いのない完全体なのだ。
ライリーは、まるでラブレターの様に、俺に夢を運んで来るのだ。
今でも。
今は、ここまで。




