第6話「フライング・ニードル・フィッシュ」(リンリン)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
「トート。あなたの身の回りの世話をさせるための、奴隷を連れてきたわよ!」
モンスター博物館の私室。僕が、朝の着替えをしていると、扉が勢いよく開き、カチューシャ姫が飛びこんできた。
カチューシャ姫は、いつものように白い服をひらひらさせている。そんな姫様は、美しく長い金髪に、大きくて青い目。すらりとした肢体に、小振りな胸の美少女だ。身長は、同年代の僕と同じぐらい。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
「わっ、姫様。見ないでください!」
「きゃっ、トート。何で、私が来る前に着替えておかないのよ!」
「そんな、無茶な」
「あなたは、三百六十五日、二十四時間、私がいつ来てもいいようにしておかないと駄目じゃない!」
そ、そんな~。そう思うとともに、この世界も、不思議と僕の住んでいた地球と同じように、一年が三百六十五日で、一日が二十四時間なんだよなあと考える。
僕は慌てて服を着て、きりりとした顔でカチューシャ姫に向き直る。
「それで、姫様。僕に奴隷とは、どういうことでしょうか?」
「そうそう。このモンスター博物館は、今はトート一人で切り盛りしているでしょう?」
「ええまあ。とはいえ、雑役をしてくれる人夫や、警備の人は配してもらっていますから、それほど大変ではないです。僕一人でも、がんばれば何とかなるレベルです」
「そこよ、そこ。トートには、モンスター事典の編纂に力を入れて欲しいのよ。お父様が、政略結婚をせっつくから、なるべく早く、それなりの成果を上げたいの。そこで、身の回りの仕事をする奴隷をつけて、トートが仕事に集中できる環境を整えたいわけなのよ」
「はあ」
意図は分かるけど、現代日本の平凡な家庭からやって来た僕には、奴隷という存在はあまりなじまない。それに、身の回りの世話をされるなど、とてもではないけど気後れする。これは丁重に断った方がよさそうだと僕は思う。
「それでね。この子が、トートにつける奴隷よ。名前はリンリン。十歳よ」
カチューシャ姫は、扉の向こうに顔を向けて、手招きをする。姫様の横に、短髪の可愛らしい女の子が現れた。
その女の子は、身長は僕より頭一つ分低く、肌は日焼けしており元気そうだった。目は大きく、目と髪の色は、鈍い灰色に近い銀色だ。その子は、布一枚しか身に着けていない。身分が低いから、そういった薄着をしているのだろう。いちおう透けていないけど、目の毒だと思った。
「リンリンです。姫様に買われて、ここに来ました。トート様のために、懸命に働きます。何でもお申しつけください!」
流暢な日本語に僕は驚く。確か、日本語をしゃべれるのは、貴族やその周辺の人間だけだったはずだ。この子は、どういった素性なのだろうと思い、カチューシャ姫に尋ねる。
「驚いたでしょう。この子、見た目は幼いけど、かなり優秀よ。ニホン語だけでなく、いろんな言葉をしゃべれるわよ。
商船で様々な雑用をしていたんだけど、頭がいいからということで、商人たちが、仕入れや販売を手伝わせていたそうなの。それを、うちの出入りの商人が、私の冒険の雑用や準備にちょうどいいのではと、紹介してきたので面接して買ったの。
トートの仕事を手伝わせようと思うんだけど、どう?」
「お願いします、トート様。私をそばに置いてください!!!」
リンリンは深々と頭を下げる。その拍子に、薄い布の胸元から、胸の谷間が見えた。まだふくらみかけとはいえ、きちんと女の子している。こんな子に、身の回りの世話をしてもらうのは、さすがにやばいのではと思い、狼狽する。
その僕の様子をリンリンはちらりと見て、訴えるような顔をした。
「このモンスター事典編纂事業が成功した暁には、解放奴隷にしていただけると、姫様からお言葉をいただいているんです。人助けだと思って、私をここに置いてください!」
「そ、そういう事情なら、仕方がないから、仕事をしてもらおうかな」
「ありがとうございます。トート様!」
何だか、押し切られた気がする。そして、僕は身の回りの世話を、少女奴隷のリンリンにしてもらうことになった。
◇ ◇ ◇
「それで、姫様。今日の来訪の目的は、それだけですか?」
「それだけじゃないわ、トート。新しいモンスターの情報を手に入れたの」
カチューシャ姫は、嬉しそうに言う。
「今日は、どんなモンスターですか?」
「地元の人たちに、フライング・ニードル・フィッシュと呼ばれている、未確認飛行魚よ」
UMAならぬ、UMFといったところか。しかし、どんな生き物か想像がつかない。
「あの、トート様」
振り向くと、褐色の肌に銀髪、短髪のリンリンが、控えめに立っていた。
「何だい、リンリン?」
「その、フライング・ニードル・フィッシュの噂は、船に乗っている時に聞いたことがあります」
「リンリン、その話を教えなさい!」
カチューシャ姫が、身を乗り出して言う。リンリンは、その迫力にびびりながら、語りだす。
「船で聞いた話では、フライング・フィッシュの特性と、ニードル・フィッシュの特性をあわせ持った魚ということでした」
フライング・フィッシュと、ニードル・フィッシュ。僕は辞書を引き、それがトビウオとダツという魚であることを知る。僕は本棚に行き、『トビウオのひみつ』という本と、『ダツのひみつ』という本を出す。
「トビウオは、ダツ目トビウオ科の魚。胸ビレが発達して著しく大きく、滑空時にはグライダーの翼の役割を果たす。
時速七十キロほどで水面下を泳いで助走して、百から二百メートルほど飛ぶ。最高では、高さ十メートル、飛行距離四百メートルという例も記録されている。
ダツは、ダツ目ダツ科の魚。両顎が前方に長くとがり、顎には鋭い歯がある。小魚の鱗に反射した光に、突進する性質を持つ。体長は一メートルほどで、トビウオと同じように高速に動き、獲物に銛のように突き刺さる。さらに、刺さると回転して相手の傷を広げる」
僕は、二つの本を読んだあと、リンリンに顔を向ける。
「リンリンが船で聞いた話では、フライング・フィッシュの特性と、ニードル・フィッシュの特性をあわせ持った魚なんだよね?」
「はい」
「ということは、時速七十キロほどで泳ぎ、空を飛び、針のような顎で突進してくるというわけか。……それは、かなりやばくない?」
「船乗りがフライング・ニードル・フィッシュの群れに遭遇すると、死を覚悟するそうです。そして、ほとんどの人が生き残らないので、幻の魚になっているそうです」
僕は血の気が引く。そして、カチューシャ姫に顔を向ける。わくわくしている。姫様は、興奮してご満悦の顔をしている。
「いいわね。私のモンスター事典に相応しいモンスターよ!」
「姫様。もっと難易度の低いモンスターにしましょう。これほど危険が明確な相手のもとに、行く必要はありません」
「そうね。少数精鋭で行った方がいいわね。リンリン。あなた、船は操縦できる?」
「ええ、小舟から大船まで、一通りの操縦はしたことがあります。ただ、大きい船は、私一人では操れませんが」
「三人乗れる船なら大丈夫よね。私とトートとリンリン。この三人で、海に乗り出して、フライング・ニードル・フィッシュを倒して、体の一部を持ち帰るわよ」
「姫様!」
「さあ、行くわよ!」
「無茶です!」
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「喜んで、お供します!」
カチューシャ姫は遠征を決定した。僕は、不死だけど、死の予感しかせず、あたふたとした。
◇ ◇ ◇
三日後、僕は船の上にいた。十人乗りぐらいの帆船を、リンリンは巧みに操っている。優秀だ。そう思いながら、このままフライング・ニードル・フィッシュと出会わなければいいなあと、ぼんやりと考える。
「いました。前方、十一時の方角に」
優秀なリンリンは、姫様の命令通り、フライング・ニードル・フィッシュの群れを発見した。
「トート。モンスター事典を書くために、しっかりと観察しなさい!」
「はい」
僕は船首に行き、遠方を見ようとして、体を乗り出す。
ブスッ! 派手な音とともに、腹に痛みがした。うん? ブスッ! ブスッ! 連続して、腹に何かが突き刺さった。
それは、全長一メートル、顎が針のようにとがり、胸ビレの翼で空を滑空する魚だった。僕の体に突き刺さったフライング・ニードル・フィッシュは、獲物を仕留めるために、体をドリルのように回転させ始めた。
「ふんぎゃ~~~~~~~!」
フライング・ニードル・フィッシュが来たら、船の上で立ってはならない。そのことは、必ず事典に書こう。僕はそう思いながら、背後を振り向いた。姫様とリンリンは、船底に貼りつくようにして、体を低くしている。
「あの、姫様?」
「リンリンのアドバイスよ。頭を低くすれば、ダメージを受けないそうよ」
「ねえ、リンリン。僕にアドバイスは?」
「すみません。命令の優先順位は、姫様、トート様です。姫様はトート様に、モンスターの観察を命じましたので」
優秀なリンリンは、命令の優先順位をきちんと守った。うん。そうだよね。そうなるよね。
さらに、二匹が僕にズブリ、ズブリと刺さり、ぐるぐると回転を始める。僕は、悲鳴を上げながら、船底に転がり落ちた。しばらくすると、フライング・ニードル・フィッシュの群れは、僕たちの船を通りすぎた。
「あ、あの、カチューシャ姫。倒せなかったのですが、どうしましょう?」
姫様は僕の姿を見たあと、すらりと白銀の剣を抜いた。そして、僕の体に突き刺さったフライング・ニードル・フィッシュをぶった切り、その死体を手に入れた。
「ミッション・コンプリートよ! トートの尊い犠牲により、フライング・ニードル・フィッシュの死体の一部を、持ち帰ることができたわ!」
カチューシャ姫は、魚の断片を高々と掲げる。リンリンは、拍手をして盛り立てた。僕は、体が再生するまで、痛みに耐えて、よよよと涙を流した。
◇ ◇ ◇
三日後、モンスター事典のフライング・ニードル・フィッシュの項が完成した。その執筆作業のあいだ、リンリンは僕の身の回りの世話を甲斐甲斐しくしてくれた。しかし、そのあいだ、僕が危惧したような、男女が一つ屋根の下にというイベントは、一切発生しなかった。というか、リンリンは有能すぎて、まるでロボットのように正確無比に振る舞う。そのため、そんなイベントが発生する余地がまるでないのだ。
原稿を書き終えたあと、その点についてリンリンに尋ねてみた。
「処世術です。そもそも、船は女人禁制の場所が多いですし、海の上には女性がいないので、男性に襲われる可能性があります。完璧な振る舞いと仕事で、ぐうの音も出ないほどの有能さを見せつけなければ、やってられませんから」
十歳の女の子のリンリンは、こともなげに言った。
なるほど。だからこそ、奴隷の身でありながら、王族の子女のもとに買われるという、離れ業をしてみせられたのだろう。
「というわけで、トート様、期待しております。仕事を是非とも成就してください。私、早く解放奴隷になりたいですから」
リンリンは、真面目な表情をして言った。ううっ、僕を使う気満々だ。カチューシャ姫と言い、リンリンと言い、僕の周りには、こんな女性ばかりな気がする。そのことに頭を悩ませながら、僕は姫様のもとに原稿を届けに行った。
『第6話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:18ポイント
変動:+1ポイント
現在:19ポイント
→リンリンからの親愛度
直前: 0ポイント
変動:+20ポイント
現在: 20ポイント
サブヒロインの四人目は、奴隷少女。ただし、スキルとしては商人になります。
可愛い顔して、有能な女の子です。