第5話「ゴースト・チワワ」(メイプルさん)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
「ふー。カチューシャ姫がいないと、ずいぶん静かだなあ」
朝の掃除を終えたあと。モンスター博物館の館長室で、僕は紅茶を飲んだ。紅茶といっても、僕の世界の紅茶とまったく同じわけではない。しかし、色と香りと味はほとんど同じだ。僕の世界の品物や人がドロップしているこの世界では、嗜好品の少なくない数が再現されている。
「さて、お昼ご飯まで、本を読んで過ごそうかな」
本棚に足を運び、前屈みになったところで、扉がトントンとノックされた。
あれ、おかしいな? 僕は疑問に思う。カチューシャ姫ならば、問答無用で扉を開けて入ってくる。
「はい、どうぞ」
僕は、扉に顔を向けて声をかけた。ノブが周り、とても丁寧な感じに扉が開いた。そして、僕より少し年上そうな女性が、部屋に入ってきた。
その女性は、青地に金糸をあしらった聖職者風の貫頭衣を着ていた。背は僕よりわずかに高く、青い髪に青い目をしている。髪は腰の辺りまであり、きれいな直毛だ。前髪はきれいに切りそろえられており、とてもきっちりとした性格を想像させる。顔は、少し可愛らしさの入った美人顔。ネコというよりはイヌ。そういった、印象を与える女性だった。
「あの、どちら様でしょうか?」
初めて見る女性だったので尋ねる。その女性は顔を真っ赤にさせて、もじもじとした。
「メイプルです。王立国教会の司教です」
なるほど、司教さんだったのか。だから、聖職者風の姿をしていたのか。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
宗教関係の人が、このモンスター博物館を訪れる理由が、いまいち分からなかった。
「カチューシャ姫を探しているのです。私は王立国教会の司教ですから、国王陛下の命に従う必要があります。カチューシャ姫は、陛下のすすめている結婚を、のらりくらりとかわし続けています。ですから説得するようにと、私が派遣されたのです」
「でも、なぜ、メイプルさんが?」
「年齢が近いという理由で、私に白羽の矢が立てられたのです」
聞いてみると、このメイプルさんは、なかなか優秀な人らしく、まだ成人前だというのに、教区を任される地位にいるそうだ。
「カチューシャ姫は、シュシュ王妃の宮殿にいるんじゃないですか?」
「そちらに行って、こちらではないかと言われたものですから」
「そうですか。とりあえず、紅茶でも飲んで待ちますか? 僕が入れますよ」
「あ、ありがとうございます」
メイプルさんは、頬を染めて、恥ずかしそうに自分の服の端を握った。
うん? 何だか、いい雰囲気な気がする。僕は、椅子をすすめて、紅茶を入れて、メイプルさんに運んだ。
「姫様は、自由人ですからね。来るまでは、僕が話し相手になりますよ。とはいえ、お忙しいお仕事なんでしょう?」
「いえ、忙しいわけではないです。仕事は、ぱぱっと片づきますので。話し相手、ありがとうございます。普段、周りは上司も部下も、年上ばかりで、近い年代の人と話すことはないので嬉しいです」
メイプルさんは、可愛らしく拳を握り、僕を正面から見て言う。
どうも、調子が狂うなあ。いつもは姫様相手で、無茶振りだらけで振り回されているからなあ。
「トート! 新しいモンスターが見つかったわよ」
激しい音とともに扉が開き、カチューシャ姫が、白い服をひらひらさせながら、部屋に飛びこんできた。
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きくて青い目。すらりとした肢体に、小振りな胸の美少女だ。身長は、同年代の僕と同じぐらい。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
そんな姫様の姿を見たメイプルさんは、しゃきっとした姿勢で、素早く立ち上がり、慇懃なお辞儀をした。
「姫様。王立国教会のメイプルです。陛下の命により、結婚の説得に参りました」
「げげっ、メイプル! トート、何でこんな奴を部屋に入れたのよ?」
「いや、別に、禁止されていませんでしたし。それに、メイプルさんの存在を知ったのは、ほんの数分前のことですし」
「いい、メイプルは、憎らしい人間なのよ。私が王宮で彫像を破壊したら、叱る係として派遣されてきたり、私が馬小屋を破壊したら、罰を与える係として派遣されてきたり、お父様は、何かあるとメイプルを私のもとにやるのよ」
「あの、それは全部、姫様が悪いように聞こえるのですが」
「どっちが悪いか何てどうでもいいのよ。メイプルは、私の天敵よ!」
カチューシャ姫は、怒ったネコのように、メイプルさんを警戒している。
「あの、もしかしてメイプルさんは、カチューシャ姫よりも強いのですか?」
僕は、メイプルさんとカチューシャ姫を交互に見ながら尋ねる。
「そんなに強いわけでは」
「アホほど、強いわよ! 大司教なみの神聖魔法を、幼少の頃から使えていたのよ。だから、五歳で助祭になり、十歳で司祭になり、去年司教になったのよ。王立国教会のリーサル・ウェポンよ!」
「そ、そんな。私なんか、まだまだ」
メイプルさんは、顔を真っ赤にして、おろおろとした態度で、姫様の言葉を否定する。
水と油だ。完全に反対の性格だ。僕は、二人を見てそう思う。真面目で控えめなメイプルさんと、不真面目で傲慢なカチューシャ姫。そして、実力はメイプルさんの方が上。きっと姫様は、小さい頃から、何度もやりこめられているのだろう。
よしっ。僕は心の中で、拳を握る。カチューシャ姫の弱みをつかんだ。何かあれば、メイプルさんというカードを切ればいい。そうすれば、今よりもましな感じに、姫様に使ってもらえるようになるはずだ。
「トート、あんた、何、にやにやしているの?」
「滅相もございません」
僕は、きりりと表情を引き締める。
「それで姫様。新しいモンスターが見つかったのですよね?」
「そうそう。郊外の遺跡に、出るらしいのよ」
「何がですか?」
「ゴースト・チワワが」
ワンッ! 僕は、可愛らしいチワワの姿を頭に思い浮かべる。
「チワワですか。何となく、弱いイメージなんですが」
「それが、そうでもないのよ。何だか、神聖なパワーを帯びたゴーストで、手強いらしいのよ」
「そうなんですか?」
姫様は、コクコクと頭を動かす。僕は、棚から『チワワのひみつ』という本を取り出す。どれどれ。そこには、意外な事実が書いてあった。
「チワワは、メキシコのチワワ地域が原産の、最も小さな犬種。アステカ文明の王族の時代から飼われて、儀式の生贄にされていた」
「つまり、神に供されていたということなの?」
「そういうことですね。この世界のチワワも、古代文明の儀式に使われていたのかもしれません。もしそうならば、神の力を得たゴーストが誕生しても、おかしくはありません」
さらりと自分で言ってみたものの、けっこうやばい話なのではという気がしてきた。
僕は、ちらりとメイプルさんを見る。神については専門家の人間がここにいる。僕のゲーム知識がそのまま適用できるのならば、メイプルさんはゴーストにも強いはずだ。
「カチューシャ姫。今回の探索には、メイプルさんを連れて行くのがよいと思います」
「どうしてよ。そのあいだ、結婚しろと言われ続けるのよ!」
「姫様は、幽霊を倒せますか?」
「ぐっ。難しいかも……」
「難しいのですね。もし倒せないのならば、一方的にやられることになりますよ」
「し、しかし……」
「この際、使えるものは、何でも使いましょう。メイプルさんに、協力してもらいましょう」
カチューシャ姫は折れた。そして、メイプルさんとともに、博物館の表に停めていた馬車に乗り、僕たちはゴースト・チワワが出るという遺跡に向かった。
◇ ◇ ◇
「何となく、チワワが出そうな雰囲気ですね」
森の奥深く、陰気な空気が漂う場所で、僕は言った。
「いや、チワワじゃないでしょう。ゴーストの方でしょう」
カチューシャ姫が、僕に鋭い突っこみを入れる。
僕たちは、メイプルさんを先頭に押し立てて、僕と姫様のツーバックで、遺跡へと入っていく。
遺跡は、何となくアステカっぽい雰囲気のする場所だ。チワワという言葉から、そういった連想をしているのかもしれない。左右は、カミソリも通らなさそうな石組みの壁が続いている。天井はなく、見上げると空がそのまま見えた。
「メイプルさん。ゴーストの気配はしますか?」
僕は、前を歩くメイプルさんに声をかける。
「はい。たくさんいます。トートさんの足下にも、ネズミの幽霊が集まっています」
「えっ! どこ、どこ?」
僕は慌てて、ダンスのように足をばたばたと動かす。
「ネズミに群がられるなんて、トートらしいわね」
カチューシャ姫が、楽しそうに声を漏らす。
「あの、申し上げにくいのですが、姫様の足下には、虫の幽霊が集まっています」
「えっ! どこ、どこ?」
「カチューシャ姫も、あまり変わらないじゃないですか」
うろたえるカチューシャ姫に、僕は言う。
「何よ、メイプル。あなたの周りには、どんな霊が集まっているのよ?」
悔しそうに、姫様は尋ねる。
「私の周りには、強い守護霊が複数いますので、雑霊は近寄ってきません」
「あっ、そう」
カチューシャ姫は、興味を失ったのか、周囲を探るようにして見渡した。
「それにしても、ゴースト・チワワは、どこにいるのかしらね」
「そうそう、姫様。幽霊を倒したあとは、どうやって体の一部を持ち帰るのですか?」
僕たちは、モンスター事典を編纂するだけでなく、その生前の様子を再生可能にするために、体の一部を持ち帰っている。幽霊だと、どうやって採集するのだろう。それに、ゴーストの生前の姿は、死ぬ前の姿なのではないかと疑問に思う。
「これを使うのよ」
姫様は、目薬ケースぐらいのクリスタルを取り出した。霊の一部を封じこめられる魔法具らしい。これを使えば、霊の時の記憶を固定して、映像として再生可能だと教えてくれた。
「だから、あとは倒すだけよ。トートが取りつかれて、メイプルが除霊するという作戦でいいんじゃないかしら?」
「いや、直接倒しましょうよ!」
僕は、涙目で姫様に訴えた。
◇ ◇ ◇
「いました!」
広い霊廟のようなところに出た瞬間、メイプルさんが前方を指差した。そこには、まごうことなきチワワの幽霊が立っていた。霊感のあまりない僕でも見えるということは、かなり存在感のある霊なのだろう。その高さは三メートルほどで、ゾウよりも大きかった。なぜ、チワワがこんなに大きいのかと思い、霊に詳しそうなメイプルさんに尋ねた。
「集合霊ですね。神の生贄にされたチワワの霊が集まり、巨大な霊に成長したものです。神との交信を経ているので、亜神のような存在になっています」
「それは、つまり、強いということですか?」
「強いです。デミゴッドですから」
僕は、嫌な予感がしてきた。
「ワンッ!」
ゴースト・チワワは、一声鳴いて、足踏みした。ドンッ! ドンッ! ドンッ!
「ほげえ~~!」
地面は激しく揺れ、僕たちはトランポリンの上にいるように、何度も床からはね上がった。どうやら、物理世界に干渉する能力を持つようだ。
「なかなか強そうね。トート、突っこみなさい!」
「はい!」
逆らえない僕は、槍を持ち、特攻する。ベチッ! チワワの一撃で、僕は床に叩きつけられた。ううっ、床を揺らしていたということは、当然物理攻撃も可能なんですよね。僕は、体が再生するのを待ち、入り口に引き返した。
「カチューシャ姫。僕の攻撃は届きませんでした。姫様の攻撃を試してください」
「じゃあ、火炎球!」
炎の塊が部屋の奥へと飛んでいく。チワワの体の色が薄くなった。炎は、そのままチワワをすり抜けて、奥の壁を焼いた。
「トート、敵はずるいわよ」
「ええ、亜神ですしね」
「そうよ、閃いたわ! 敵がトートを殴って実体化している瞬間に、魔法をぶつければいいのよ」
「その作戦、やめてください。僕が辛すぎますから」
僕と姫様が言い合いをしていると、メイプルさんが一歩前に出た。そして、手を前に出して、一声言った。
「お手っ」
「ワンッ!」
ゴースト・チワワは、メイプルさんに駆け寄り、手を差し出した。その瞬間、メイプルさんは呪文を唱えた。
「神魔覆滅、霊体浄化」
空間がぐにゃりと歪んだような気がした。それは、ゴースト・チワワの体が大きくねじれたからである。霊能力がほとんどない僕にも、わずかに見えた。メイプルさんの周囲を囲む、屈強な裸身の守護霊たちの姿が。そのうちの一体が、ゴースト・チワワの体をつかみ、ねじ切るようにして引っ張っていた。
パンッ!
風船が割れるような音がした。ゴースト・チワワがはじけ飛んだ。
「トート、欠片をクリスタルに!」
僕はカチューシャ姫からクリスタルを受け取り、慌てて走って欠片を集めた。こうして、僕たちはゴースト・チワワの断片を手に入れたのである。
◇ ◇ ◇
それから三日ほど、僕はモンスター博物館にこもって、モンスター事典のゴースト・チワワの項を書いた。この世界の幽霊について詳しくない僕は、メイプルさんに教えてもらいながら、ひたすらペンを動かした。
三日後、僕が記事を書き上げたことを知ったカチューシャ姫が、モンスター博物館にやって来た。そして、僕とメイプルさんの姿を見て、いらだたしげに声を漏らした。
「ところで、メイプル。あんた、なぜ、トートの横に寄り添っているの?」
僕の隣に座っていたメイプルさんは、恥ずかしそうに顔を赤く染める。
「カチューシャ姫の結婚も大切ですが、私自身の伴侶探しも大切だと、気づいたものですから」
「それは、つまり、どういうこと?」
「トートさんは、素敵な殿方です。献身的で、思いやりがあり、知的で、理想的なお方です」
「メイプル。あんた、間違っているわよ。トートは、不死化隷属の魔法で私に逆らえず、卑屈で、頭でっかちなだけよ。そんな理想の男性ではないわよ!」
しかし、メイプルさんは僕を見て、ぼーっとした顔をする。同年代との接触がほとんどないと言っていたから、恋愛に対する免疫がないのだろう。それに僕が、司教という立場をあまり考えない、身分の埒外の人間だから、距離を近く感じているのだろう。
僕は、カチューシャ姫の姿をちらりと見る。怒っている。これは、あれだ。自分のおもちゃを他人に奪われた時の子供の表情だ。
「トート、メイプルから離れなさい。これは命令よ」
僕は素早く離れる。命令に従わないと死ぬ。僕は、カチューシャ姫を刺激しないように、姫様の横に立つ。
姫様は、得意げな顔をして、メイプルさんを見る。メイプルさんは、しょんぼりした顔をする。そして、席を立ち、ふらふらと扉に向かった。
「分かりました、カチューシャ姫。姫様は、自身の子飼いのモンスター鑑定士にご執心で、結婚を断っていると、陛下にお伝えします」
「好きなように伝えなさい。トートは、私のものよ!」
ちょ、それは、新たな火種ですよ!! 僕は、国王に絶対に勘違いされると思い、頭を抱えて悶絶した。
『第5話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:13ポイント
変動:+5ポイント
現在:18ポイント
→メイプルさんからの親愛度
直前: 0ポイント
変動:+100ポイント
現在: 100ポイント
サブヒロイン三人目は、僧侶系です。
魔法使い、剣士、僧侶と、徐々にパーティーっぽい人材が供給されました。
メイプルさんの名前は、日本語に訳すと……。と、いろいろなことを、考えてつけました。