第21話「ラビリンス・カーテン」(バレッタさん)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
モンスター博物館の館長室。その場所で、僕は朝のラジオ体操をしていた。眠気覚ましにもなるし、柔軟運動にもなる。僕は、薄手のシャツ一枚で、一人でどたばたと体を動かしていた。
その時である。窓が開く音が聞こえた。あれ、閉め忘れたかな? そう思い、顔を向けると、窓がこじ開けられていた。そして、窓枠のところに足をかけた、バレッタさんがいた。
バレッタさんはカチューシャ姫のお姉さんで、家を出て怪盗をしている人だ。そのバレッタさんは、いつものように胸が半分露わになった革製の服を着ている。髪は、カチューシャ姫と同じように豊かな金髪で、脇辺りの長さに切りそろえてある。目は青で、顔は人目を引く美しさを持っている。そして、声はとろけそうなほど甘く、セクシーだ。バレッタさんは、その声で、僕に話しかけてきた。
「何だ、朝から運動か?」
「あの、バレッタさん。なぜ窓から入ってきたんですか? それも、窓を壊して」
正面玄関から来ればよいのにと、僕はバレッタさんに言う。
「まあ、家を出た身だからな。このモンスター博物館は、貴族がよく来る場所だろう。だから裏口から入った方がよいと判断して、ここの窓を壊したんだよ」
バレッタさんは、明るい笑い声とともに、館長室に入ってくる。この人は、この場所を自分専用の通用口だと思っているのかもしれない。僕は、げんなりしながら、「何の用ですか?」と用件を尋ねる。
「何だ、つれないな」
「いや、バレッタさんには、散々ひどい目に遭わされていますから」
「何を言う。いつも、露出度の高いセクシーな服で、若いトートの劣情を刺激してやっているではないか」
「そういうのは、いらないですから。それで、用は何ですか?」
本当は、少し劣情を催している。バレッタさんは、カチューシャ姫の数年後の姿を彷彿とさせる。そして、その肉体の成長具合も想像させる。カチューシャ姫も、あんな風に豊かなおっぱいになるのだろうか?
「実はな……」
バレッタさんは、大きな胸を見せつけるようにして前屈みになりながら、話しかけてくる。
「……モンスターの情報を手に入れたんだよ。だから、教えてやろうと思ってな」
バレッタさんは、僕の目を見て、返事を待つ。
「あの。それは、直接カチューシャ姫に会いに行き、言った方がいいんじゃないですか?」
「バカ。カチューシャは、宮殿にいるだろう。そこに近づいて捕まったら、しゃれにならんだろう。家を出た身なのに」
「あっ……」
言われてみればそうだ。そして、僕はバレッタさんと顔見知りで、カチューシャ姫によく会っている。メッセンジャー役としては最適だ。
それに、僕がバレッタさんのことを、カチューシャ姫以外に話すことはない。なぜならば、話せば、バレッタさんと一緒になって泥棒をしたことが、ばれてしまうからだ。だから、バレッタさんは、安心してここに来たというわけだ。
「じゃあ、カチューシャ姫を呼びましょうか?」
「ああ、頼む」
僕は手紙を書き、こっそりと下男を呼び、カチューシャ姫のもとまで走ってもらった。
◇ ◇ ◇
「バレッタ姉さん!」
元気な声とともに、館長室の扉が開いた。
「しーっ!」
バレッタさんが口元に指を添えて、素早く扉を閉める。カチューシャ姫は、イヌが尻尾を振るような勢いで、嬉しそうにバレッタさんにじゃれついた。
カチューシャ姫は、いつものように純白のひらひらの服を着ている。そして、明るい笑顔を振りまいている。
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きな青い目の美少女だ。すらりとした肢体に、小振りな胸で、身長は同年代の僕と同じぐらいである。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
「それで、モンスターの話って本当?」
「ああ、本当だ。外都の地下で、モンスターが発見された。この情報は、まだ市井には出回っていない。なぜならば、その土地の持ち主の財産問題がからんでいるからだ」
バレッタさんは、詳しい話をしてくれた。
外都に古くからある老舗の質屋。その当代が、店の建て替え工事を、一年前に決めた。荷物を運び出し、建物を取り壊したところ、地下への入り口が見つかった。これは何だと思い、調べてみたところ、数代前に口伝が途絶えていた地下宝物庫だということが分かった。
当代は、「やった、財産が増えた」と小躍りした。しかし、その地下宝物庫には問題があった。モンスターが住んでいたのだ。質屋の記録を調べたところ、その場所にいるのは、ラビリンス・カーテンという名前のモンスターらしい。
地下空間は、質屋の敷地以上に広大だった。どうやら次元掘削をおこない、別の世界の地下空間につながっているようだ。その地下世界に、複雑に折れ曲がった壁が存在して、地下迷宮を作り上げている。そのせいで、宝物庫のはずなのに、宝の場所がまったく分からないそうだ。
質屋の人間たちは、頭を抱えた。そして、泥棒などがやって来て、宝物を奪わないように、情報を隠蔽して沈黙してしまったらしい。
「その話を、裏の人脈の人づてに聞いてな、私もこっそりと潜入してみたんだよ。壁は、液体と固体の中間の、柔らかい素材でできていた。そこに触れたものは、酸に触れたように溶けてしまう。
まあ、ラビリンス・カーテン自体は、こちらから触れなければ問題ない。それよりも問題なのは、肝心の宝物が見つからないことだ。迷宮を歩き回っても、どこにも宝がないんだ。
あるいは、すでに宝物は持ち出されたあとだという可能性もある。しかし、何らかの方法で、宝が隠蔽されていることも考えられる。調査の結果、そこまで分かったんだ。
というわけで、珍しいモンスターがいると分かったから、こうやってカチューシャに教えに来たわけだ」
「ありがとう、バレッタ姉さん。それじゃあ、さっそく、トートと私と三人で調査ね!」
カチューシャ姫は、嬉しそうに言う。
僕は、何となく嫌な予感がした。バレッタさんにしては親切すぎる。こんな優しい人ではない。絶対に裏がある。僕は、忍び足で部屋を出ようとした。
「どうしたの、トート?」
カチューシャ姫が、僕に声をかけてきた。
「いえ、腹痛がしてきたもので……」
「大丈夫よ。痛みで死ぬことはないわ。トートは不死なんだもの」
カチューシャ姫は、にっこりして言う。その背後で、不敵な笑みを浮かべるバレッタさんが見えた。やはり何か企んでいる。僕は、ゆっくりと扉に向けて移動する。
「トート」
カチューシャ姫が、叱るような口調で、僕の名前を呼ぶ。
「何でしょうか、姫様?」
僕は、引きつった顔で尋ねる。
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「姫様。喜んで、お供させていただきます」
僕とカチューシャ姫とバレッタさんは、馬車に乗りこみ、外都に向かった。
◇ ◇ ◇
質屋の建物があった空き地。そこから少し離れた場所に、馬車を停めた。
更地の土地には、柵が巡らせてある。何もない地面の上には、雇われた兵士だろう三人が陣取って、カードゲームをしていた。さすがに宝物庫の可能性がある場所を、何の見張りもなしに放置しているわけがないよなと、僕は思う。
「帰りますか?」
馬車の窓から覗きながら、僕はカチューシャ姫とバレッタさんに尋ねる。
「うーん。町中で火炎球はまずいわよね」
「姫様。無関係な人を殺したり、怪我させたりしないでください。モンスター事典編纂事業に、中止命令が出ますよ」
僕は、何でも力で解決しようとするカチューシャ姫をいさめる。
「ふっ、そんな時こそ、私の出番だ」
バレッタさんは、リュックサックから一本の棒を出す。その棒を口にあてがい、ふっと息を吹いた。見張りの兵士が一人倒れた。続けざまに、矢をこめて、残りの二人も仕留める。吹き矢だ。話を聞くと、即効性の魔法睡眠薬が塗られているらしい。
「これで、一、二時間は大丈夫だ」
バレッタさんは覆面をして、得意げに馬車を降りる。
「いつも、こんなことをしているんですか?」
僕も仮面を被り、顔を隠したカチューシャ姫とともに外に出る。
「ケース・バイ・ケースだよ。さっさと地下に行こうぜ!」
仕方がないなあ。僕は、バレッタさんの先導で地下宝物庫の入り口に向かった。
◇ ◇ ◇
階段を下りて地下に来た。
バレッタさんは魔法のランプを出す。そして胸の谷間から、一枚の紙を取り出した。この地下空間の地図だそうだ。とても丁寧に書かれており、僕は驚く。
「これ、バレッタさんが書いたんですか?」
「ああ。何度か侵入してな」
「もっと、おおざっぱな仕事をしているかと思いました」
「おいおい、怪盗はな、予備調査や仕込みに時間をかけるものなんだよ。盗む時は一瞬だから、楽な仕事に見えるがな」
僕は、地図をしげしげとながめる。バレッタさんはランプを掲げ、カチューシャ姫は黄金の杖と白銀の剣を構えて地下迷宮を進む。
足下は、じゃりじゃりとしている。白い砂のようなものが敷き詰めてある。その下は、硬い石畳のようだ。空気はかなり乾いている。
僕は迷宮の壁を見る。ラビリンス・カーテンという名のモンスターだ。その姿は、ぱっと見るとゼリーか寒天のようだ。おそらく、スライムの亜種だろう。天井に目を移すと、頭上はラビリンス・カーテンに覆われており、そこからカーテンのように一部がぶら下がり、床と接続している。
試しに服の端を、壁に押しつけてみた。じゅっという音を立てて、短い時間で溶けてしまった。
バレッタさんを先頭にして、僕たちはしばらく歩いた。僕は、地図と実際の迷宮の様子を見比べながら、地図が正確であることを確かめる。
「モンスターと言っていましたから、もしかしたら壁が動いて、迷宮の配置が換わっているのかもと思ったのですが、そんなことはないみたいですね」
「ああ。配置が換わるわけではないみたいだな」
答えたバレッタさんに、僕はさらに尋ねる。
「そして地図を見る限り、迷宮の奥の方が、ラビリンス・カーテンで完全に遮られているようですね」
「ああ。それが、ここだ」
バレッタさんは足を止めた。僕たちも停止する。目の前には、他の場所とは変わらない、ゼリー状のラビリンス・カーテンの壁がある。地図から推測すれば、この先にも地下空間が広がっている。そして、おそらくそこに宝物があるのだと想像できる。それ以外の場所は、石の壁に突き当たり、迷宮が終わっているからだ。
バレッタさんは、ナイフを取り出して、目の前のぷるぷるした壁を切りつけた。ナイフの切っ先は、ぶすりと壁に刺さるが、じゅわーという音とともに、溶けて小さくなっていく。これは、通り抜けられそうにない。
「カチューシャ。魔法の火で燃やせるか?」
「はい。やってみます」
カチューシャ姫は、黄金の杖を振りかざして、火炎球を放つ。激しい蒸発音がしたが、穴は空かずに、すぐに元の状態に戻った。どうやら、この壁全体がつながっており、全部を一度に倒さないと元に戻ってしまうらしい。地味で攻撃力はないけど、厄介なモンスターだ。
僕は、カチューシャ姫をちらりと見る。姫様は、渋い顔をしている。どうやら、全部を燃やしきるほどの魔力は、カチューシャ姫にはないらしい。
「どうやら、この先にはいけないみたいですね」
僕は感想を漏らす。
「いや、最後の手段が残っている」
バレッタさんは、自信に溢れた声で言う。
「どんな作戦ですか?」
「カチューシャが駄目なら、トートだ」
「えっ?」
「何のために、二人を連れてきたと思う?」
バレッタさんは、言うが早いか、素早く動いて僕の背後に回った。そして、勢いよく、僕の背中を突き飛ばした。
「えっ、わっ!」
僕は、目の前のスライム状の壁に突っこむ。じゅわっ。肉を焼く音が響き、僕は壁の中に半ば埋もれる形になった。
「ふんぎゃあああああ!!!!!」
僕は悲鳴とともに考える。つまり、バレッタさんの作戦とは、不死の僕を壁に突っこませて、溶けるよりも早く、その先に行かせるというものだったのだ。
僕の体を溶かす煙と音が続く。僕はごろりと床に転がった。壁を抜けられたのか、抜けられなかったのか分からない。
眼球が再生したところで、カチューシャ姫とバレッタさんの姿が頭上に見えた。残念ながら、壁を抜けることはできなかったようだ。
カチューシャ姫が、がっかりとした顔をしている。バレッタさんが、悔しそうな顔をしている。いや、そこは、心配してくださいよ、二人とも! 僕は、大ダメージを負っているのですよ!!
僕は、足下に横たわったまま、ぼろぼろと涙をこぼした。
「うん?」
床の上で涙を流した僕は、あることに気づく。涙がぽろりと落ちたところの砂が、溶けたのだ。
何だ? 僕は、あぐらをかいて、砂を取り、指の上で弄ってみる。
もしかして、これは……。僕は、意を決して、その砂粒を舌の上に載せる。そして、すべてを悟って、カチューシャ姫とバレッタさんに顔を向けた。
「分かりましたよ。この地下宝物庫のからくりが」
「えっ、どういうことだ?」
バレッタさんが、驚いた顔をする。カチューシャ姫も、びっくりした様子を見せた。
バレッタさんやカチューシャ姫のような王族ではなく、地べたを這いずり回る立場の僕だからこそ分かった、この迷宮のからくり。
僕は、足下の白い砂を集めて、壁の近くにまく。壁が、その砂を恐れるようにして、後退した。さらにまくと、周囲の壁はうごめき、避けるようにして天井へと上がっていった。そして、先ほどまで壁があった場所に、それまでなかった道が現れた。
「トート。どいうこと?」
カチューシャ姫が、僕のそばに来て、からくりを尋ねる。
「塩ですよ」
「塩? あの、なめるとしょっぱい塩?」
「ええ。なめくじに塩をかけるとしぼむでしょう。あんな感じで、このラビリンス・カーテンは、塩が苦手なんですよ。
ラビリンス・カーテンの正体は、おそらくアメーバ状生物です。天井を這い、地面に偽足を伸ばして、その足に触れた獲物を溶かして吸収する。しかし、その偽足を伸ばす先の地面に塩がある場合は、それを避けて、偽足を垂らさない。
この迷宮を作った人間は、床一面に塩をまき、その一部を取り除いて、迷宮を描いたんです。つまり、床に塩がない場所にだけ、偽足が下りてきて、カーテン状の迷宮を作っているんです。
そして、宝物庫は、壁の向こうにある。そこに行くには、足下の塩を動かして、道を作る。
仕掛けを知っている人間以外は、その方法が分からず、迷宮をうろうろしているうちに、足を滑らすなどして、ラビリンス・カーテンに食べられるという寸法です。
これが、質屋の地下宝物庫の、侵入者撃退のからくりだったんです」
カチューシャ姫とバレッタさんは、感嘆の声を上げる。僕は二人に褒められた。ふっ。僕は頭脳派ですから。僕は、得意満面な顔をする。
「よっしゃ、宝箱だ!」
バレッタさんが声を上げた。
壁の先に、宝箱があった。蓋には鍵がかかっている。バレッタさんは、リュックサックから道具を出して、器用に鍵を外した。
「中身は何かな?」
バレッタさんは、嬉々としながら蓋を開ける。中には宝石が入っていた。バレッタさんは、その宝石を、半分ほど自分のリュックサックに入れる。そして、僕とカチューシャ姫に、ひとつかみずつ、お裾分けをくれた。
「半分は残すんですか?」
「ああ、拾った者は一割という話が、トートの世界にあるだろう。私は、王族の生まれだから五割だ」
すごい理屈だ。しかし、宝石の一部を受け取った手前、反論もできず、僕たちは塩を元の位置に戻して、地下宝物庫をあとにした。
◇ ◇ ◇
それから三日ほど、僕はモンスター事典の、ラビリンス・カーテンの項を執筆した。書き上げた僕は、その原稿を持って、宮殿のカチューシャ姫の部屋に行った。
「カチューシャ姫。原稿ができました!」
しかし、そこには姫様はいなかった。不思議に思った僕は、メイドさんに尋ねてみた。
「あの、トート様。姫様は、外都の下町グルメに詳しいという方と、スイーツ探訪に行くと言い、連日部屋を空けています」
外都の下町グルメに詳しい人? スイーツ探訪? バレッタさんか!
おそらく、手に入れた宝石を換金して、豪遊をしているのだろう。僕が仕事をしているのをよそに、二人でおいしいものを食べまくっていたのだ。ず、ずるい!
僕が、仲間はずれを嘆いていると、カチューシャ姫が戻ってきた。
「あれ、トート。原稿上がったの?」
カチューシャ姫は、僕に近づいてきて原稿を読み始める。甘い香りがする。それは、砂糖とバターをたっぷりと使ったケーキの匂いだった。
「姫様。お菓子を食べに行っていたのですか?」
「うん?」
姫様は、分かんないといった顔をする。その口元には、生クリームのあとがあった。僕は、指ですくって食べたい衝動を必死にこらえて、カチューシャ姫が原稿を読み終わるのを待った。
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:90ポイント
変動:+5ポイント
現在:95ポイント
→バレッタさんからの親愛度
直前: 2ポイント
変動:+10ポイント
現在: 12ポイント
少しずつ、活躍を増しているトート。
今回、地下宝物庫の謎を解いたトートは、バレッタさんに一目置かれることになりました。
というわけで、三周目ともなると、トートもかなりの実力を身につけてきました。




