第20話「ボンバー・ヘッド・シャーク」(リンリン)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
モンスター博物館の館長室。僕は執務机の前に座り、十歳の女の子リンリンの報告を聞いている。
寄付による収入と、維持費の支出。リンリンがこの施設の経理を始めるまでは、出ていった金額をカチューシャ姫に告げ、その分寄付してもらうという、どんぶり勘定だった。しかし今では、無駄な支出を抑え、複数の貴族たちから寄付をつのり、わずかばりではあるが運営資金に余裕が生じるようになっている。それらはすべて、リンリンの堅実な仕事の結果だった。
リンリンは、数々の商船に乗りこみ、その才を買われて、商人の仕事を教えこまれた少女だ。彼女は奴隷であり、モンスター事典編纂事業を手伝うことで、解放奴隷を目指している。
そのリンリンは、僕より頭一つ分背が低い美少女だ。肌は日焼けしており元気そうで、髪は耳の辺りまでしかない。目が大きく、目と髪の色は、鈍い灰色に近い銀色だ。そして体には、奴隷の常として、布一枚しか身に着けていない。いちおう透けていないけど、目の毒だなあと毎回思う。
「トート様。報告は以上です。そして、こちらが私からの提案書です」
「提案書? 何を提案した内容なのかな」
雨漏りの修繕とかかなと思いながら、僕は書類を受け取り、中身を確かめる。それは、収蔵品の目録作りの提案書だった。
「トート様。今後、モンスター博物館を円滑に運営していく上で、収蔵品の目録は必要になります。ですので、予算を割くべきだと思います」
「うん。でも、僕とカチューシャ姫が手に入れてきたモンスターの一部は、きちんと記録を残して、しかるべき場所に収蔵しているよ」
「それは分かっています。当代のモンスター事典編纂事業では、獲得した品々や、参考文献は、きちんと整理されて情報がまとめられています。それは知っています。
問題は、過去の事業のものです。特に、初代モンスター鑑定士であるプリニウス様の残した膨大な書物や品々は、手つかずのまま放置されています。トート様も、調査の必要があると考え、地下書庫の地図を作製されているのだと思いますが」
確かにそうだ。このモンスター博物館は、地上部分と地下部分で構成されている。その地上部分は、僕やリンリン、博物館のスタッフたちで管理しているが、地下部分はまったく把握できていない。
何せ広い。それだけでなくモンスターもいる。目録を作るとなれば、地下書庫のモンスターたちを一掃する必要がある。
「さすがに無理じゃないかな」
僕は、弱気になって言う。
「ええ、このままでは無理です。ですから、計画が必要になってきます。モンスター退治の専門家を雇うなど、策を講じなければなりません」
何だか面倒なことになってきた。そう思い、助けを求めようとしたところで、タイミングよく館長室の扉が開いた。そして、ひらひらの白い服を着た、カチューシャ姫が飛びこんできた。
「トート。新しいモンスターの情報を手に入れたわよ!」
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きな青い目の美少女だ。すらりとした肢体に、小振りな胸で、身長は同年代の僕と同じぐらいである。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
そのカチューシャ姫は、僕とリンリンの前までやって来て、興奮気味に「モンスターよ、モンスター!」と声を上げた。
「カチューシャ姫、落ち着いてください。モンスターの情報が手に入ったのは分かりました。今回は、どんなモンスターなのですか?」
「ボンバー・ヘッド・シャークよ。港から少し離れた沖合で出たそうなの。どんなモンスターなのかしらね?」
僕は、何だか嫌な予感がして椅子から立ち、本棚に向かう。そして、『サメのひみつ』という本を取り出した。
「サメは、鰓裂が体の側面にある軟骨魚。体長は十四メートルから二十二センチほどと様々。体表は、歯と相同の盾鱗に覆われ、口中には何列にもおよぶ鋭い歯がある。感覚器官に優れており、二キロ先の動物を察知する聴覚に、百万倍に薄めた血をかぎ取る嗅覚、暗闇でも見ることのできる視覚に、動物が動く時に出す弱い電力を感知するロレンチーニ器官を持つ。この電磁波を調べられる器官を使い、砂の中の獲物も発見して捕食できる」
僕はさらにページをめくり、名前に関係のありそうなハンマーヘッド・シャークの説明を確認する。
「頭がまるで金槌のように見えるサメ。その形状の理由には諸説あり、ロレンチーニ器官などの感覚器の能力向上が進化の理由ではないかとされている。小魚、エビ、カニなど、何でも食べ、特にエイが好物である」
生物の発する電力を感知するロレンチーニ器官。それがキーワードのような気がする。しかし、それとボンバー・ヘッドという単語が結びつかない。
ボンバーと言うからには、爆発物なのだろう。僕は、海の生物や、船乗りの知識に詳しいリンリンに、何か話を聞いたことはないかと尋ねる。
「ボンバー・ヘッド・シャークですか。そういえば、船乗りたちの噂話で聞いたことがあります。頭が爆発したような形をしているそうです」
「ううん? よく分からないけど、どういった形状なの」
「そこまでは。私も実物を見たことはないですので」
強いか弱いか、さっぱり分からないモンスターだ。ただ、言えることは、相手はサメだ。サメといえば、恐ろしい相手と相場が決まっている。僕は、今回の調査の危険さを、カチューシャ姫に主張した。
「姫様。ボンバー・ヘッド・シャークは、よく分からないがサメです。きっと危ない奴に違いありません」
「だからこそ、調査して、モンスター事典に載せる価値があるんじゃないの?」
「しかし」
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「そうですね。モンスター事典の意義を忘れていました。姫様。レッツゴーです!」
「うん。さあ、海に行くわよ!」
僕たちはリンリンを引き連れて、海に行くことになった。
◇ ◇ ◇
海の上に着いた。船がぷかぷかと浮かんでいる。四、五人乗りの船の上には、僕とカチューシャ姫とリンリンがいる。船の中央には帆柱がある。しかし、今は帆を張っていない。櫂を出して、僕がゆるゆると漕いでいる。細かな移動は櫂の方が都合がよい。そういうわけで、唯一の男手である僕が、力仕事をしているのである。
「ボンバー・ヘッド・シャークは、現れないですね」
僕は、カチューシャ姫に声をかける。出なかったら帰りましょうという気持ちを、それとなくにじませる。
「うーん。この辺りで出たと聞いたんだけど」
カチューシャ姫は、海の中を覗きながら、落胆の声を漏らす。
いないのならば帰りませんか? 僕は、テレパシーを送りながら、カチューシャ姫の心変わりを待つ。しかし姫様は、僕の願いを打ち破るようにして、明るい声をかけてきた。
「海底にいるんじゃないかしら?」
「どうして、そう思うんですか?」
僕は、嫌な予感がする。もしかして、僕に海底に行くようにと言うつもりだろうか?
「ボンバー・ヘッド・シャークが、ハンマーヘッド・シャークの仲間ならば、ロレンチーニ器官で、海底の砂の中に隠れているエイを探しているんじゃないの?」
なるほど。カチューシャ姫の推理は、理にかなっているように思える。
姫様の声に追随するようにして、リンリンも自分の意見を述べた。
「そういえば、この海域は、水深が十メートル前後で、海底からは多くの海産物が取れるそうです。発見者も、そういった海産物を採集している時に、見かけたのではないでしょうか?」
僕は、感心してうなずく。リンリンの説も、説得力があるものだった。
「ということは、カチューシャ姫。どういうことでしょうか?」
僕は、この先の展開を半ば予見しながら、カチューシャ姫に尋ねる。
「トートが潜るということよ」
「潜ると、息ができないのですが」
「大丈夫よ。トートは不死だから」
「不死でも、苦しいですよ」
「私は苦しくないわよ」
あまりにも平然と言うカチューシャ姫に、僕は反論できなかった。これだから、王族というものは。僕は、そう思いながら、ため息交じりに上半身裸になって、準備運動をする。
「そういえばトート、筋肉がついてきたわね」
カチューシャ姫が、僕の体を見ながら言う。
「ええ、修行していますし」
「博物館でも、そうやって上半身裸になって、運動しているの? リンリンの目の毒じゃないの」
カチューシャ姫は、リンリンに視線を向ける。リンリンは、手で顔を押さえて、指のあいだから僕の肉体美を見ていた。
「いや、普段は服を着ていますよ。今から水に潜るから脱いだだけです」
「そうなの、怪しいわね」
焼き餅を焼いているのか、幼いリンリンのことを心配しているのか、いまいち分からない。準備運動を終えた僕は、槍を手にして船縁から海中に没し、海底へと泳ぎ始めた。
水面が遠ざかると、徐々に周囲が暗くなっていく。透明度はそれほど高くないのだろう。その海の水をかき分けて、下へ下へと進んでいく。
何かが見えた。サメに見える。体長は六メートルほど。その頭部は球形になっており、まるで爆発したように、無数の棘が飛び出ていた。
その様子は、まるでウニだった。頭にウニがついたサメ。その姿は、ボンバー・ヘッドと言われれば、なるほどと思えた。それ以外は、普通のサメに見えた。とはいえ、サメ自体が恐ろしい生物だ。僕は警戒しながら、ゆっくりと近づいていく。
僕の手には槍がある。これで一突きすれば勝てるのではないか。最近の僕は、少し戦闘能力が上がっている。あながち不可能ではないぞ。そう考える。
これは、カチューシャ姫にいいところを見せるチャンスかな? そう思い、槍を勢いよくボンバー・ヘッド・シャークの頭部目がけて突きだした。
スカッ。
水中では、空気中と抵抗が違う。僕の槍は、かなりゆっくり動き、ボンバー・ヘッド・シャークに簡単に避けられてしまった。
ボンバー・ヘッド・シャークは、僕から遠ざかったかと思うと、大きく弧を描き、Uターンして僕へと迫ってきた。
僕は慌てて槍を向けようとする。しかし、それよりも早く、ボンバー・ヘッド・シャークは、僕に頭突きをしてきた。無数の棘のついた、球形の頭で。
「ごば、ごば、ごば!!!」
僕は息を吐きながら悲鳴を上げる。巨大なウニが、背中に激突したようなものだ。これは痛い。僕は背中から血を出し、周囲を赤く染める。
しかし、幸いなことに僕は不死だ。血は海に拡散せず、僕のもとに戻ってくる。ボンバー・ヘッド・シャークは、ふたたび僕から遠ざかり、次の頭突きを狙って引き返してきた。
そういえば、サメは、能動的にブレーキをかける能力がないと、どこかで聞いたことがある。だから泳ぎ始めたら、速度の制御が利かなくなるのかもしれない。サメ全体がそうなのかは分からないが、少なくとも、ボンバー・ヘッド・シャークは、そうみたいだ。だから僕に頭突きをしたあと、距離を取って、ふたたび大きく弧を描いて、Uターンしてきたのだ。
僕は、海面に向けて、勢いよく泳ぐ。普通の体ならば潜水病になって危険な行動だが、不死のこの体ならば大丈夫だ。
「ぷはあっ」
水面に顔を出して、空気を吸いこんだ。そして、船の上の、カチューシャ姫とリンリンに顔を向けた。
「ボンバー・ヘッド・シャークがいました。僕に向けて、真っ直ぐに突っこんでくると思いますので、槍に火炎を付与してください!」
「分かったわ」
僕の槍の穂先に、赤々とした魔法の炎が点る。カチューシャ姫の魔法の力が、エネルギーとして具現化したものだ。
僕は、その槍の先端を、ボンバー・ヘッド・シャークに向ける。炎は水の中に入っても容易には消えない。僕は心を落ち着け、冷静に相手の姿を見て、サメの口に槍を突っこんだ。
槍は敵の喉に入った。僕はとげとげの頭に吹っ飛ばされて、空中に舞い上がった。
「ほんげえ~~~~!」
眼下に、カチューシャ姫とリンリンの乗る船が見える。この展開を予見していたのか、リンリンは救助用のロープを、僕の落下地点に向けて投げようとしていた。
いや、リンリンよ。展開に気づいていたのならば、飛ばされる前に僕を回収するとか、他にやりようは、なかったのか?
僕は、大きな水柱とともに、海に落下した。
「火炎槍、最大火力!」
カチューシャ姫の、可愛らしい声が大海原に響く。ハンマー・ヘッド・シャークは体内から焼き殺された。
僕は、リンリンの投げたロープで回収される。そして、鵜飼いの鵜よろしく、ロープでつながれたまま、ハンマー・ヘッド・シャークの死体回収作業をやらされた。
◇ ◇ ◇
それから三日ほど、僕はモンスター博物館の館長室で、ハンマー・ヘッド・シャークの項をひたすら書いた。そのあいだ、海の生物について詳しいリンリンを駆り出して、いろいろと手伝ってもらった。
怒濤の三日間が終わったあと、僕とリンリンは、仲よく館長室で死体のように横たわっていた。
「トート! ハンマー・ヘッド・シャークの原稿できた?」
いつものように、カチューシャ姫が、館長室に飛びこんできた。そして、床で仲よく寝ている僕とリンリンの姿を見て固まった。
「ふ、ふしだらな!」
「いえ、違います。カチューシャ姫!」
リンリンは、子供らしく熟睡していた。僕は、一人でカチューシャ姫に相対して、何もなかったですと、必死にアピールしまくった。
『第20話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:86ポイント
変動:+4ポイント
現在:90ポイント
→リンリンからの親愛度
直前:24ポイント
変動:+6ポイント
現在:30ポイント
今回のカチューシャ姫は、リンリンに少しだけ焼き餅を焼いていました。
というわけで、三周目ともなると、トートもかなり実力を上げてきています。




