第13話「ドリル・シー・アネモネ」(リンリン)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
モンスター博物館の朝が始まった。博物館と言うからには、ただ収蔵品を集めているだけでなく、来館者にその品々を見せることもある。また、資料を購入したり、研究のための様々な品物を入手したりもする。もっと言うと、組織や建物を維持するための計画を立て、資金繰りをしたりもしないといけないのである。
そういった金の流れの管理を、僕のような素人の中学生ができるはずもない。世の多くの中学生と同じように、僕は数学が苦手なのだ。当たり前のように、計算間違えをしたりする。それに、最大のスポンサーであるカチューシャ姫から与えられるお金を、どう使えばよいのか理解できようはずもない。
このモンスター博物館には、そういった仕事にうってつけの人間が一人いる。本当は僕の身の回りの世話をさせるために、カチューシャ姫が買ってきたのだが、そんなことに彼女の時間を使うのはもったいない。それこそ才能の無駄使いである。
というわけで、この博物館の出納は、十歳の女の子リンリンによって、とても見事に管理されているのである。
朝のラジオ体操を終えた僕は、そんなリンリンの仕事ぶりを見るために、事務室を訪れた。扉をこっそりと開けて、部屋の中を見る。山のように詰まれた書類の向こうに、幼い女の子の姿が見えた。
数々の商船に乗りこみ、その才を買われて、商人の仕事を教えこまれた少女。奴隷であり、モンスター事典編纂事業を手伝うことで、解放奴隷を目指している女の子。
そのリンリンは、僕より頭一つ分背が低い美少女だ。肌は日焼けしており元気そうで、髪は耳の辺りまでしかない。目が大きく、目と髪の色は、鈍い灰色に近い銀色。そして体には、奴隷の常として、布一枚しか身に着けていない。いちおう透けていないけど、目の毒だなあと毎回思う。
「あれ、トート様。そこで何をしているのですか?」
僕に気づいたリンリンが、目をこちらに向けた。
「うん。リンリンの仕事ぶりを見ていたんだ。月並みな感想だけど、すごいね」
「そんなことはないですよ。でも、やりがいはあります。それに、この建物は、たくさんの本がありますから、仕事の合間に、自分で勉強もできますし。今も、仕事をしながら、まだ習得していない言語の、辞書を読んでいました」
「そ、そう。すごいね」
リンリンは、呆れるほど頭がよくて、成長することに貪欲だ。僕も、カチューシャ姫の期待に応えられるように、がんばっているのだけど、才能も努力の量も、リンリンには圧倒的に負けている。
「そうそう。また暇な時間に、平民語を教えてよ」
「分かりました。でも、トート様は王族に仕えているわけですから、あまり必要ないと思いますよ。配下も、たくさんいるわけですから」
「そうは言ってもね。僕は、自分でできることは、自分でやりたい人間なんだ。それが当たり前の世界で育ったからね」
「そうですか、変わっていますね」
リンリンは、少し首を傾げたあと、「この仕事を手早く片づけますね」と言い、辞書を閉じて、仕事の速度を上げた。
さて、僕は僕で、できることをしよう。館長室に戻った僕は、最近密かに手に入れたマンガを読み始めた。ああ、勉強になるなあ。知識は何も、文字の本から仕入れなくてもよい。マンガの形を入り口にして、そこから難しい本に進んでもよいのだ。
まあ、僕は、入り口をうろうろするのが得意なのだけど。
「トート。新しいモンスターの情報を手に入れたわよ!」
扉がバタンと開き、いつものようにカチューシャ姫が、白い服をひらひらさせながら、部屋に飛びこんできた。
僕は驚いてマンガを取り落とす。開いたページは、際どい服装の女の子が、少しだけエッチなポーズをしていた。その絵を見たカチューシャ姫の動きが止まる。少しもじもじしたあと、目をそらして顔を赤くした。
「そういえば、トートも、そういった年頃なのよね。でも、駄目よ。そんなもの見てちゃ」
ち、違います。たまたま開いたページが、少しエッチだっただけで、他のページは、とても真面目な内容なんですよ。僕は『マンガでわかる生命誕生のひみつ』という本を読んでいたのですよ。
しかし、小心者の僕は、そんなことを言えず、「す、すみません」と言い、おろおろするしかなかった。
「それで、カチューシャ姫。今度は、どんなモンスターが出たのですか?」
僕は、床に転がったマンガを回収しながら尋ねる。
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きな青い目の美少女だ。すらりとした肢体に、小振りな胸で、身長は同年代の僕と同じぐらいである。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
そのカチューシャ姫に、僕は今日のモンスターについて聞いたのだ。
「ドリル・シー・アネモネという名前のモンスターらしいわよ」
僕は沈黙する。どんなモンスターか想像がつかなかった。僕とカチューシャ姫は、その状態のまま、しばらく互いを見つめ合った。
「トート様。仕事が終わりました」
開いている扉を抜けて、リンリンが部屋に入ってきた。そして、静止している僕とカチューシャ姫を見て、「あの、お邪魔でしたでしょうか」と言い、回れ右をした。
「全然邪魔じゃないから!」
「そうそう。リンリンもいなさい!」
微妙な空気になっていた僕とカチューシャ姫は、リンリンを引き留めて、話に参加させることにした。
「それで、今度は、何という名前のモンスターなんですか?」
リンリンが僕に尋ねてくる。
「ドリル・シー・アネモネというらしいんだけど」
「シー・アネモネは、イソギンチャクですよね?」
多くの言葉に精通しており、特に海産物について詳しいリンリンは、間を置かずに答えた。
「なるほど、イソギンチャクか。ちょっと調べてみよう」
僕は、館長室の本棚から、『イソギンチャクのひみつ』という本を取り出す。そして、カチューシャ姫とリンリンの前で、読み始めた。
「円筒形の無脊椎動物で、上面を口盤、下面を足盤と呼ぶ。口の周りには、毒のある触手を持つ。時速数センチほどの速度で歩くことができ、雌雄異体で、群体を作らず、個別生活を送る。また、他の生物と共生することが多い。
触手には、刺胞と呼ばれる袋状の構造があり、内部に長い針が、巻きこまれていたり、折りたたまれていたりする。この針から毒液を注入する。時に人を殺すほどの毒を放つ種もいる」
どうやら僕は、イソギンチャクという生物について、あまり把握していなかったようだ。ドリル・シー・アネモネが、モンスターとして報告されているということは、強い毒性を持っていたり、体が巨大だったりするのだろう。
そして名前のとおりならば、ドリルが触手についているはずだ。これは、ろくなことにならないぞ。僕の第六感が、大音量で警告音を鳴らす。
「カチューシャ姫。海に出没するモンスターのようですが、僕たちは陸上の生物なので、あえて戦いに行く必要はないかと存じます」
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「姫様。喜んで、お供させていただきます」
「それと、リンリン。あなたも行くわよ。海は得意でしょう?」
カチューシャ姫は、たまたまこの部屋に入ってきたリンリンに、声をかける。
「そうですね。海は慣れています。でも、何だか強うそうなモンスターですね」
「大丈夫よ。トートが、身を挺してかばってくれるわよ」
何だかよく分からないうちに、僕は、カチューシャ姫とリンリンを、我が身を盾にして守る係に決定していた。
◇ ◇ ◇
海に来た。岩礁に波がぶつかり、派手な波飛沫を上げている。これが海水浴なら、僕の心は浮き立っていただろう。しかし、そういった目的でこの場所を訪れたわけではない。モンスターを探して、実際に手合わせして、あまつさえ倒して、体の一部を持ち帰ろうとしているのだ。
ドリル・シー・アネモネ。日本語に訳すならば、らせん穿孔イソギンチャク。ああ、強そうな名前だ。僕は、出会う前からふらふらになる。
カチューシャ姫は、海ということで大はしゃぎしている。リンリンは、黙々と、今回の冒険の費用を計算している。僕は、素人でも扱える偉大な武器、槍を持って、磯をうろついている。
「ドリル・シー・アネモネ、いないですね。このまま、帰りませんか、カチューシャ姫」
「そうね、このままでは出てこないかもしれないわね。囮が必要な可能性があるわね」
「囮ですか。魚でも捕まえて、撒き餌でもしますか?」
「トートが最適だと思うわ」
「あの、僕、お腹が痛くなってきたんですけど。熱もあるような。これは重大な疾患の可能性があります。大事を取って、安静にする必要があると思います」
「そう。私の命令が聞けないのね。不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「何だか元気になりました。海に入って、ドリル・シー・アネモネをおびき出してみせます」
僕は、海水の中にじゃばじゃばと入って、モンスターに、懸命に襲われようとした。
ちくり。足に何か痛みが走った。触手かな? ギュイーーン! 何か機械的な音がして、足の痛みが増大した。
「ふんぎゃー!」
僕は悲鳴を上げる。一瞬のうちに視界が水で覆われて、水中に引きずりこまれた。僕は懸命に息をしようとする。無駄だった。無駄なら諦めればいい。苦しいが死ぬことはない。僕は不死なのだから。
視界の先に、巨大なイソギンチャクの姿があった。大きさは、馬車ほど。その体から、綱引きのロープのような触手が何十本も伸びている。その先にドリルがついている。その一本が僕の足を貫き、海中に引きずりこんだのだ。
いつもならば、僕が攻撃を受けたら、そのあとにはカチューシャ姫が控えている。しかし、ここは水中だ。姫様がやって来て、火炎球を放つことはできない。ましてや、白銀の剣を振るうこともできない。自分で何とかする必要がある。そのことに僕は戦慄する。
まずは、気持ちを落ち着けろ。深呼吸、深呼吸。
「ぐわぼわ、ぼわぐわっ!!!」
深呼吸しようとした僕は、派手に水を吸いこんでしまう。その時である。頭上に大きな影が現れた。船だ。そこから、ロープが垂れてくる。僕はそのロープをつかむ。足の拘束は、槍で触手を切って逃れる。
「ぶはっ」
海面に出た。リンリンが船を出してくれたのだ。船上には、リンリンとカチューシャ姫がいる。僕は、姫様に報告する。
「この真下に、馬車ぐらいのサイズのイソギンチャクがいます! 触手の先がドリルです。毒はないみたいです!」
「分かったわ。倒すわよ!」
どうやって?
僕は、疑問に思いながら、とりあえず船へと泳ぎ着こうとする。ふたたび足に痛みが走った。僕の足は、ドリル・シー・アネモネに貫かれる。
「げぶ、げぶ、げぶ!」
駄目だ、死ぬ。死なないけど。
必死に体を動かす僕に、カチューシャ姫が声をかけてきた。
「トート。槍を敵に突き立てなさい。……火炎槍、点火!」
槍の穂先に、炎が点る。それは、水に触れても消えない、魔法の炎だった。
なるほど。僕は、カチューシャ姫の作戦を悟る。そして、ドリル・シー・アネモネに身を任せて、その巨大な口へと引っ張られた。
「ぐばべ!」
食らえ!
僕は、ドリル・シー・アネモネの口の中に、槍を突き立てる。そして、足にからんでいる触手を引きちぎり、一気に水上へと向かう。水から顔が出た。僕はカチューシャ姫に報告する。
「刺してきました!」
「火炎槍、最大火力」
水中から、無数の泡が上がった。沸騰した水が気体となり、水面へと上昇してきているのだ。
何かが浮き上がってきた。こんがりと焼けた、ドリル・シー・アネモネだ。僕とカチューシャ姫とリンリンは、その死体にロープをかけ、岸辺まで運んでいった。
◇ ◇ ◇
それから三日ほど、僕はモンスター事典のドリル・シー・アネモネの項を執筆した。海の生物に詳しいリンリンに協力してもらいながら、周辺知識も豊富に盛りこんだ。ついでに、語学も教えてもらった。
三日経ったあと、僕とリンリンは、宮殿のカチューシャ姫の部屋に向かった。部屋で姫様は、両手にドリルをつけて遊んでいた。
「……何をしているんですか、カチューシャ姫?」
僕は、反応に困って尋ねる。
「ドリルって、格好いいよね。だから、真似していたの。男のロマンなんでしょう!」
カチューシャ姫は、この世界の貴族のたしなみとして、マンガをたくさん読んでいる。だから、ドリルが格好いいという刷りこみがあるのだろう。
「どう思う、リンリン?」
僕は、かたわらの十歳の女の子に尋ねる。
「聞かないでください。私は奴隷の身分なんですから」
どうやら、格好悪いと思ったようだ。
しかし、カチューシャ姫は上機嫌だ。仕方がないので僕とリンリンは、ドリルを装備したカチューシャ姫に、「素敵です! 似合っています!」と、お世辞の言葉をかけ続けた。
『第13話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:45ポイント
変動:+4ポイント
現在:49ポイント
→リンリンからの親愛度
直前:20ポイント
変動:+4ポイント
現在:24ポイント
今回は、トートががんばって戦う回でした。戦闘は素人でも、不死なので、がんばればそれなりに活躍できます。
というわけで、トートくんが普通に活躍するお話でした。




