第11話「アダマント・アリゲーター」(キリカさん)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
「さあて、少しは予習をしておこうかな」
モンスター博物館の館長室。机の上に山積みになった本の前で、僕は言った。
目の前にある本は、伝説の初代モンスター鑑定士プリニウスと、その主人フラウが編纂した、いにしえのモンスター事典の一部だ。僕は、カチューシャ姫との共同作業を円滑に進めるために、少しずつ古い本をひもといては、中身を確認しているのだ。
「ふむふむ。ヌーディスト・ピーチ。食べた人間たちが、なぜか服を脱ぎたくなり、裸で歩きだす。幻覚機能を持つ実をつける植物。トリプル・エックス。目撃した男性たちの性欲を増進させ、行動不能にさせる幻覚攻撃をおこなう動物」
世の中には不思議がいっぱいだ。僕は、初代モンスター事典の幻獣の章を読み、人間に幻を見せる様々な生物がいることに、驚きを隠せなかった。
「しかし、イラストが、妙にエロいな」
それぞれのモンスターのページには、出現時の出来事を伝える図画が差し挟まれている。それは、かなり写実的な絵で、僕は体が熱くなるのを禁じ得なかった。
「これも、幻獣の効果かな。僕の体の一部に血流が集まる幻を、本を通して発揮しているのかもしれない」
片手でページをめくりながら、僕はもぞもぞとした。
その時である。館長室の扉が、勢いよく開いた。
「トート。新しいモンスターの情報が、手に入ったわよ!」
「ひゃ、ひゃい!!」
僕は、慌てて返事をする。開け放たれた扉からは、純白のドレスに身を包んだ、カチューシャ姫が、たたたたたと駆けてくる。姫様は、僕の前まで来て、頬を紅潮させながら、「モンスターの情報よ!」と、繰り返した。
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きな青い目の美少女だ。すらりとした肢体に、小振りな胸で、身長は同年代の僕と同じぐらいである。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
「ど、どんなモンスターですか?」
幻獣のせいで異常ステータスになった僕は、心臓をどくどくと言わせながら尋ねる。
「アダマント・アリゲーターよ」
名前から、にわかにその能力を想像できない。僕は、『アダマントのひみつ』という本を、本棚から取り出して、その意味を確かめる。
「アダマントは、ダイヤモンドと語源を同一にする言葉。征服されない、を意味するアダマスという言葉から派生し、非常に硬い金属を指す。アダマンチウム、アダマンタイトの形でも用いられる。
時代によっては、磁石を意味するようになったり、磁力を遮るという話も出たりする。多くの場合は、非常に硬い物質の代名詞として用いられる。
ということですので、とにかく硬いようですね」
僕は、カチューシャ姫に告げたあと、今度は『アリゲーターのひみつ』という本を、棚から取り出す。
「アリゲーターは、ワニの種類の一つ。ワニの中では、脳の容積が小さく、比較的おとなしいとされている。全長は、二から四メートルで、最大でも六メートル。
ワニ全般の特徴として、強い歯と顎で対象を捕らえ、自身を急速に回転させて、相手をばらばらに引きちぎる。また、顎や尾で一撃を加えて気絶させ、水中に引きずりこみ、溺死させる攻撃も得意。
体は、骨の板で補強された硬い鱗板に覆われている。種類によっては、腹部の鱗板にまで、骨の補強がおよぶ。
こういった攻守ともに優れたワニ類にも弱点がある。卵の時と、卵から孵化した直後である」
僕は、頭の中で、アダマント・アリゲーターが、どんな生き物なのかを考える。何物をも突き通さない、とても硬い鱗板で全身を覆われたワニ。ワニとしては温和であるが、戦うとなると、人間では太刀打ちできない戦闘力を持つ。
僕は、ちらりとカチューシャ姫を見る。カチューシャ姫は、剣も魔法もできるが、アダマントの鱗板を切り裂いて、敵を倒せるだろうか? さすがに無理ではないか。僕は、そのことを、カチューシャ姫に告げる。
「大丈夫よ。卵の時と、孵化した時は、弱いんでしょう?」
「目撃情報があったということは、成体のアダマント・アリゲーターがいるのだと思います」
「そういえば、そうね。近隣住民を襲って食べているという話だったから」
二人のあいだに沈黙が下りる。
「心配しないで。二人でがんばれば倒せるわよ」
「えー、無理だと思います。僕が食べられるだけです」
「問題ないわ。トートは不死なんだから」
「大問題ですよ。不死でも痛いんですから」
僕はカチューシャ姫に屈しなかった。ぎりぎりのところまで交渉して、危険なモンスターに会いに行くのを避けたかった。モンスター事典は編纂しなければならないけど、できれば弱いモンスターでページを埋めたい。その方が、僕へのダメージが少ないからだ。
「カチューシャ姫の剣と魔法では、アダマント・アリゲーターにダメージを与えられない可能性があります」
「うーん、それはそうね」
姫様は、僕の意見ももっともだと感じたようだ。これで、諦めてくれればと僕は思う。
「仕方がないわね。そういう時は、アダマント・アリゲーターを倒せそうな人と、一緒に行けばいいのよ」
「誰ですか?」
「キリカよ」
カチューシャ姫の、剣の師匠だ。庶民が住む外都で、道場を開いている、きりりとしたお姉さんである。あの人なら、アダマントだろうと、ダイヤモンドだろうと、真っ二つにできそうだ。
「でも、勝てるか分からないですよね。今回のモンスターは強そうなので、スルーしませんか?」
「行くわよ、キリカの道場に」
「あの……」
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「姫様。喜んで、お供させていただきます」
僕は逆らうことができず、姫様の言葉に従うことになった。
◇ ◇ ◇
馬車は内都を抜け、平民たちの住む外都に入る。細い道を、何度も折れ曲がりながら進んだあと、町道場の前で停まった。僕と姫様は、馬車から降りて、入り口から中を覗く。畳によく似た模様の、石床が見える。そこには、黒髪ポニーテールの袴姿の女性がいて、稽古をしていた。
「キリカ~!」
「これは、カチューシャ姫。何用でございますか?」
姫様は、道場の中に駆けていく。僕は、そのうしろに従いながら、キリカさんの姿をながめる。
年齢は二十歳より少し若い。背筋がぴんと張っていて、上半身は白い着物で、下半身は紺の袴である。ちょうど、薙刀女子のような出で立ちだ。黒いストレートの髪は腰ほどもあり、ちょんまげのような位置で結んであり、ポニーテールにしてある。
そのキリカさんが素早く足を動かした。キリカさんの体が、残像とともに消える。
ドフッ!!!!!!
カチューシャ姫が、くの字になり、空中に舞い上がった。キリカさんがその下で、拳を高々と上げている。しばらく空中に舞ったカチューシャ姫は、石床に落下して、つぶれたトマトのように、血を周囲にぶちまけた。
「あわわわわ」
カチューシャ姫が死ねば、僕が死ぬ。僕は、パニックになって声を漏らす。
「姫様。隙が多すぎです。私が暗殺者なら、姫様は死んでいました」
いや、あなた、殺す気満々でしょう~~~~~~~~~! 僕があたふたとしていると、キリカさんは、僕に顔を向けた。
ふっ、と音がして、キリカさんの姿がふたたび消えた。
「ほんげえっ!」
僕の体も、カチューシャ姫のようにくの字になり、空中に舞い上がる。いや、カチューシャ姫よりも高く上がり、天井に激突した。
「ごふっ!」
吐血した僕は、落下して石床に激突する。
「トートは不死だから、姫様よりも強い力で殴った。殴られたくなければ、もっと修行を積め」
そう、僕は、最近、週一でキリカさんに指導を仰いでいる。僕は、カチューシャ姫の弟弟子でもあるのだ。だから、隙があれば、キリカさんに打ちのめされる。僕と、カチューシャ姫は、冷たい石床の上で、しばらくのび続けた。
五分が経った。
「もう、相変わらず、キリカは容赦がないんだから」
「これも姫様のためです」
「あの、キリカさん。姫様を殺すのだけは、やめてください。僕も死にますので」
「大丈夫だ。姫様は、見た目は可憐だが、とても頑丈だ。王族は、戦の前線に出て、生き残っている家系だ。少々のことをしても死なない。安心しろ」
どういう理屈ですか? よく分からないけど、この世界では、王族はかなり強いらしい。
湯飲みが出された。僕とカチューシャ姫は、お茶をすすりながら、今日訪問した理由を伝える。
「なるほど、アダマント・アリゲーターですね」
「そうなの。キリカ、切れる?」
「やってみましょう。切り刻めばよいのですね?」
「うん」
キリカさんは、道場の奥に行く。そして、妖刀ムラマサを腰に差して戻ってきた。
「行きましょう。剣の修行には、真剣での戦いが一番です。本物の生物を切ることでしか得られない経験がありますから」
キリカさんの目は、怪しく閃く。やばい。血を求めている目だ。僕は、先行きに不安を感じながら、カチューシャ姫とキリカさんとともに、馬車に乗りこんだ。
◇ ◇ ◇
馬車は王都を離れて、郊外へと向かう。川沿いの街道を進み、そこから森に入り、しばらく時間が経った。
「そろそろですか姫様?」
「聞いた話では、そのはずよ」
周囲の草木の密度は上がっていき、とうとう馬車では移動できなくなってしまった。
「この先は歩きね」
「何だか、やばそうな場所ですね」
先ほどまでは、ヨーロッパの森という感じだったのに、いつの間にか、アマゾンの密林といった風情になっている。
「この辺りは、火山があって、気温が高いのよ。だから南国の生き物が多数生息しているそうよ」
なるほど。王国の土地は広い。そういった場所があっても不思議ではない。しばらく歩くと、川縁にたどり着いた。
「ここですか?」
「そうよ。ワニが出そうな感じでしょう」
「そうですね。ワニの一匹や二匹がいても、不思議ではない雰囲気ですね」
その時である。川から、巨大なワニの口が現れた。その瞬間、カチューシャ姫と、キリカさんは、素早く後退した。
川縁には僕一人。餌を求めて、顔を出したアダマント・アリゲーターの前には、僕しかいない。アダマント・アリゲーターは、大きく口を開く。その口には、無数の牙が並んでいた。
ああ、これは、食べられるな。絶望とともに、そう思う。アダマント・アリゲーターの口が勢いよく閉じた。僕の胴体は、肉を引きちぎる音とともに分断された。僕の胴体は、手品の胴体切断ショーさながらに、真っ二つになってしまった。
「うぎゃ~~~~~!」
悲鳴を上げて、僕は地面に落下する。上半身と下半身で、それぞれ別々に匍匐前進して、川縁から逃れようとする。
大きな足が、水面から地上に出てきて、アダマント・アリゲーターが全身を露わにした。その姿は、いかにも金属質といった鱗板で覆われており、全長は六メートルほどあった。僕は、必死に這って逃げる。そのあいだに体は徐々にくっつき、傷口はふさがりだした。
「カチューシャ姫、キリカさん。アダマント・アリゲーターです!」
僕は、二人の足下まで移動して告げる。
カチューシャ姫は、黄金の杖と、白銀の剣を抜いている。キリカさんは、妖刀ムラマサを構えている。二人の姿は頼もしい。しかし、敵は巨大で頑丈だ。アダマントの防御力に、アリゲーターの攻撃力を持っている。倒せるのだろうかと不安になる。
「えいっ!」
カチューシャ姫が飛び出して、アダマント・アリゲーターに切りつけた。鋭い音とともに、刃は弾き返され、姫様は驚いた顔をする。やはり、姫様の剣の腕では無理か。アダマント・アリゲーターは、じろりとカチューシャ姫をにらみ、尾を素早く動かした。
「危ないです。姫様!」
僕は、修復途中の体で立ち上がり、カチューシャ姫を突き飛ばす。僕は、金棒のような尾の一撃を食らい、ふたたび上半身と下半身に分離する。うわあ~~~ん。もう嫌だ、こんな体。その時である。強烈な殺気が、川縁の空気を緊張させた。
「相手にとって、不足なし」
キリカさんだ。妖刀ムラマサを上段に構えたキリカさんは、圧倒的気迫でアダマント・アリゲーターをにらんでいる。その殺気に対抗するように、アダマント・アリゲーターはキリカさんの正面に立つ。六メートルの巨体の敵が、白い着物に紺の袴のキリカさんの前で咆吼する。
森が揺れた。その声を打ち破るようにして、キリカさんが気合いの声とともに、刀を振る。鋭い音とともに、刃が弾き返された。僕は、その様子に絶望を感じる。キリカさんの刀でも倒せないとなると、どうすればいいんだ? このままでは、僕たち三人は、地元の犠牲者たちのように、アダマント・アリゲーターの餌になってしまう。
アダマント・アリゲーターが、のそりと歩く。キリカさんが立ち位置を変えた。鋭い音が連続で響く。僕は、キリカさんの動きに唖然とする。まるで、精密機械のように、敵の口の根元に連続で刀を振り下ろしている。
「きえぇぇ~~~~~~~~ぃい!」
薩摩示現流のような声とともに、これまでとは違う音が響いた。連撃により、アダマンタイトの鱗版が砕けたのだ。その亀裂に刀の切っ先を突き入れ、キリカさんは、肉と骨を内部から切り裂く。
アダマント・アリゲーターの上顎が、ぶらりと下がった。予想外の攻撃だったのだろう。アダマント・アリゲーターは絶叫を上げる。
「姫様! アダマント・アリゲーターの口を、今からこじ開けます。中に、火炎球をぶちこんでください」
「分かりました~!」
「あの、僕は、何をすればよいでしょうか?」
「役に立たん。そこら辺で、踊っておけ」
「はい!」
僕は、よよいのよい、と踊る。
カチューシャ姫は、黄金の杖をアダマント・アリゲーターに向ける。キリカさんは、敵の上顎を完全に切断する。開いた口から、喉の奥が見えた。その場所に、火炎球が叩きこまれる。
高い防御力の敵を倒すセオリーの一つ。内部からの攻撃が成功した。数発の火炎球ののち、アダマント・アリゲーターは動かなくなった。僕たちは、ワニ肉のおいしそうな匂いを嗅ぎ、その場でバーベキューをして、その肉を頬張った。
◇ ◇ ◇
それから、三日ほど、僕はモンスター事典の原稿を、缶詰になって執筆した。原稿が完成した僕は、宮殿のカチューシャ姫の部屋を訪れた。そこには、なぜかキリカさんもいた。
「えっ?」
僕は襟首をつかまれ、激しい音とともに、床に叩きつけられた。全身の骨が折れる音が、部屋に響く。
「隙だらけだぞ。修行が足りない」
ちょ、無茶を言わないでくださいよ~~~~~!
僕は原稿をかき集めて、カチューシャ姫に手渡した。そして、これ以上、ダメージを食らわないように、そそくさと退室して、モンスター博物館に逃げ帰った。
『第11話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:34ポイント
変動:+1ポイント
現在:35ポイント
→キリカさんからの親愛度
直前: 5ポイント
変動:+1ポイント
現在: 6ポイント
今回は、トートが踏んだり蹴ったりの回です。
キリカさんのような、きりりとした女性は、嫌いではないです。はい。




