第10話「アシッド・ミスト」(ロータス様)
バルダント王国の首都バルト。その街は三重の壁に囲まれている。その壁に囲まれた街の一番内側は王城で、その次は王侯貴族の住む内都、そして一番外側は、平民たちの暮らす外都である。
僕、中学生の遠野桐士郎――この世界では『モンスター鑑定士トート』――は、内都の『モンスター博物館』で館長をしている。なぜならば、この世界に僕をドロップさせたカチューシャ姫が、自身の政略結婚を防ぐために『モンスター事典編纂事業』を立ち上げたからだ。
カチューシャ姫の可憐な容姿に惚れた僕は、姫様と一緒にモンスターを倒しながら、事典を作ることになった。いや本当は、カチューシャ姫に、不死化隷属の魔法をかけられたので、逆らえないだけなのですが……。
というわけで、今日もカチューシャ姫の無茶振りが始まるのだった。
◇ ◇ ◇
「マ、マンガ雑誌を手に入れたぞ……」
モンスター博物館の館長室で、僕は一人興奮していた。カチューシャ姫のいるこの世界には、ドロップ・アイテムとして、僕の世界の創作物や創作者が落ちてくる。だから、最新のマンガ雑誌が手に入ることもあるのだ。僕は、感涙にむせびながら、その雑誌を読み始めた。
「うっ、話が飛びすぎている」
僕は、その事実に気づいて、がっくりする。そうなのだ。僕がこの異世界に来て、かなりの時間が経っている。その間に、僕のいた世界では時が進んでいるのだ。そのおかげで、僕が読んでいた連載マンガは、よく分からないところまで話が進行しており、どういったストーリーなのか、さっぱり分からないものになっていた。
「……仕方がない。少しエッチなラブコメでも読んで、心を慰めるか」
それならば、話の筋など分からなくてもいい。パンチラとか、パンチラとか、パンチラとかで楽しめる。僕は、そういった姿を鑑賞するために、ページを開いた。
その時である。部屋の扉が勢いよく開いた。そして、僕のご主人様であるカチューシャ姫が、いつもの明るい声で、飛びこんできた。
「トート。新しいモンスターの情報が手に入ったわよ!」
片手を上げて、服をひらひらとさせながら、カチューシャ姫は、僕のもとまで駆けてくる。僕は慌てて、ちょっとエッチなページを、大急ぎで閉じた。
カチューシャ姫は、美しく長い金髪に、大きな青い目の美少女だ。すらりとした肢体に、小振りな胸で、身長は同年代の僕と同じぐらいである。華奢な体から可憐に見えるけど、剣の腕は立つし、魔法も使えるおてんばさんだ。そして、僕を振り回すご主人様でもある。
「どうしたの、トート?」
僕の心臓は、まだ大きく鳴っている。そんな僕の顔をのぞきこみながら、カチューシャ姫は尋ねてきた。
「いえ、何でもありません」
先ほどまで、ちょっとエッチなマンガを読んでいたとは言えず、しどろもどろになりながら答える。
「それで、今回は、どんなモンスターの情報が手に入ったのですか?」
「アシッド・ミストという名前のモンスターらしいの」
「アシッドは酸という意味ですね。ミストは、霧、かすみ、もやを表す言葉ですね。つなげると、酸の霧。囲まれると溶けそうですね」
「そうね。トートが溶けても大丈夫だけど、私が溶けると大変ね」
「僕が溶けるのも、大変だと思いますよ」
「大丈夫よ。トートは不死だから」
「でも、痛いですよ。そこはかとなく」
同情を誘う僕の台詞を無視して、カチューシャ姫は一人で考えこむ。
「霧って、どうやって倒せばいいの?」
「ちょっと待ってください。調べますから」
僕は、手近な本棚から『霧のひみつ』という本を取り出す。そこには、霧の特徴が書いてあった。
「地面や水面の近くで、水蒸気が凝結して、小さな水滴になったもの」
倒し方は書いていない。当たり前だ。普通は、霧と戦ったりしない。
「水なら、炎で吹き飛ばせばいいんじゃない?」
カチューシャ姫は、黄金の杖を僕に見せる。
「周囲に拡散して、一気に広がるかもしれませんよ。酸だから、ひどいことになりませんか?」
カチューシャ姫は、炎の魔法が得意だ。だから、燃やすことを考えたのだろう。しかし、空気が膨張すれば、周囲に広がる。離れたところから攻撃しても、酸の霧に巻きこまれる可能性がある。
では、物理的な攻撃はどうか? それも難しいだろう。剣で霧と戦えるとは思えない。どうしたものかと僕は考える。
「どうしますか、カチューシャ姫?」
「そうね。こんな時は、ロータス師匠よ。師匠なら、何とかしてくれるわ」
姫様は、可愛く拳を握りながら力説する。
ロータス様は、カチューシャ姫の魔法のお師匠様だ。魔法大学の敷地内にある魔法の塔に住んでいる。見た目は幼女だけど、実年齢は百歳をゆうに超えている大魔法使いだ。頼ることはやぶさかではないが、どこか抜けたところのある人なので、一緒に行っても、僕の被害が増えるだけの気がする。
「あの。今回のモンスター調査はやめにしませんか?」
僕は日和った台詞を吐く。
「不死化隷属の魔法を忘れたの?」
カチューシャ姫は、にこやかに言う。逆らうと僕が死ぬ。カチューシャ姫が死んでも、僕は死ぬ。
「姫様。喜んで、お供させていただきます」
僕は、きりりと表情を引き締めて言う。
「よろしい。じゃあ、ロータス師匠のところまで行くわよ!」
僕と姫様は、玄関に停めた馬車に乗り、出発した。
◇ ◇ ◇
内都の一角にある魔法大学。その敷地内にある塔の前で、馬車は停車した。二十階建てはありそうなひょろ長い塔に、カチューシャ姫の魔法の師匠、ロータス様は住んでいる。カチューシャ姫と僕は、馬車を降り、その塔に入り、らせん階段をのぼり始めた。
「ロータス師匠! カチューシャ=バルダントです。下僕のトートも連れてきました!」
塔の中腹で、カチューシャ姫は、扉を勢いよく開けた。ピンクの家具に、ピンクの壁。ピンクの実験機器に、ピンクのベッド。そこは少女趣味全開の部屋だった。そして、その中央に、淡い桃色のふりふりの服を着た、小学校低学年ぐらいの少女がいて、マンガを読んでいる。
ロータス様である。若返りの魔法で、若返りすぎて、幼女になってしまったお方だ。そのロータス様は、薄いピンクの髪の毛で、目つきが鋭く、どことなく攻撃的だった。そして、背は低く、体はお子様体型だった。
「ちょっと、カチューシャ、何よ! 部屋に入る時は、ノックをしなさいと言ったでしょう!」
ロータス様は、顔を真っ赤に染めながら、非難の声を上げる。僕は、ロータス様の手元を見る。薄い本が広げられていた。ボーイズラブ系の同人誌だ。きっと、いいところだったのだろう。先ほどの僕と同じだ。なぜ、カチューシャ姫は、毎度そういったタイミングで、人のプライベート空間に侵入するのだろうか?
「どうしたんですか、ロータス師匠。また、BL系マンガを読んでいたのですか?」
「いや、まあ、その、うん。そんなところだ」
きっと、エッチなシーンだったのだ。もじもじしているロータス様の様子を見て、僕はそう判断する。
「それで、カチューシャ。今日は何の用だ?」
「モンスター事典編纂事業です」
「ああ、例のあれか。私には関係ないな」
幼女のロータス様は、ピンクの椅子で、尊大にふんぞり返る。
「じゃあ、私が貸したマンガを、全部返してください。ロータス師匠は整理が下手だから、いくつか紛失しているでしょう。でも全部です」
「ぐぬぬ、卑怯な!」
ロータス様は、両拳を可愛く握る。大魔法使いのくせに、借りたマンガを返せずに、言いなりになるロータス様は、強いのか弱いのか、よく分からない人だ。
「ねえ、ロータス師匠。一緒に冒険に行きましょう!」
カチューシャ姫は、ロータス様の椅子の横でひざまずく。そして、おねだりするような目で見上げる。その真っ直ぐな目に見つめられたロータス様は、心にやましいところのある大人のように目をそらす。
「くっ、分かった。今回だけだぞ」
「ありがとうございます。ロータス師匠!」
姫様は、ぱっと明るい顔をする。ロータス様は、仕方がないといった表情で、奥の部屋に行き、よそ行きのローブに着替えて戻ってきた。
◇ ◇ ◇
馬車は、王都の外へと走っていく。向かう先は、湖の近くの遺跡である。馬車に揺られながら移動するあいだ、僕はロータス様に、アシッド・ミストについて尋ねた。
「トートよ、お前の予想はおおむね正しい。霧のモンスターに火をぶつけた場合、一撃で倒せなければ、周囲に拡散して、被害を受ける可能性が高い」
「では、どうすればよいのでしょうか?」
「逆のことをすればいいんだよ。凍らせるんだ。霧は水滴だからな。風で一ヶ所に集めて、氷にして固めればいい。カチューシャには無理だろうがな。私にならできる」
幼女のロータス様は、えっへんといった様子で、得意顔をする。
「そうなんですか、カチューシャ姫?」
「うん。私は炎を出せるけど、細かなことはできないから」
ロータス様は、姫様の言葉にうなずき、続きを語る。
「魔法と言われているものは、いわば精神によるエネルギーや次元の制御だ。自分の体に溜めたエネルギーを放出するだけの発火なら、ある程度の訓練を積めば、素質がある者なら習得できる。
だが、動きを制御したり、空間や時間を操作したり、条件で処理を分岐したりするのは難易度が高いんだ。理論の理解と、技術の習得が不可欠になる。カチューシャは、私の弟子だが、大変おおざっぱな性格だ。潜在能力は高いが、今のところエネルギーを放出するぐらいしかできない」
部屋を片づけることができない、おおざっぱな性格のロータス様は、自分のことを棚に上げて言った。
「不死化隷属の魔法は?」
カチューシャ姫が、火炎程度しか扱えないのならば、不死化隷属の魔法は高度すぎるように思えた。
「あれは、私が儀式をして、カチューシャの右手に、チャージしてやったんだよ。一回だけ使えるようにな。まさか、お前のような、ちんちくりんを不死化隷属させるとは、思ってもいなかったがな」
す、すみません。もっと屈強な英雄タイプだったら、よかったのですが。この話を続けると、ねちねちと言われそうな気がしたので、話をそらすことにした。
「そういえば以前、次元の裂け目やドロップ・アイテムの仕組みにも、魔法の理論が関わっていると言いましたよね」
僕は、自身が次元を越えてきた経験から、ロータス様に尋ねる。
「ああ。次元精神干渉の話だな。巨大な質量が、重力によって空間を歪ませるように、強い精神力や想像力は、次元を歪ませるんだよ。
そういった心理的な力は、次元を歪ませるだけでなく、次元の海の中でリズムを刻み、精神波を発生させる。そして、離れた世界の次元精神干渉源と、共振するんだ。
その共振現象が、二つの世界のあいだで多発すると、トンネル状の通路が形成される。私たちのいる世界と、トートのいる世界のあいだでは、そのトンネルが頻繁に発生している。そして、あまりにも高頻度にできているので、次元的な距離が近くなっている。
モンスターの中には、そういった次元精神干渉をするものがいるんだ。そして、死の瞬間に、扉を開いたりする。まあ、その話は難しいから、お前には時期尚早だろう」
ロータス様は、自慢げに話す。そうしているうちに、目的の遺跡が見える場所に着いた。
◇ ◇ ◇
遺跡の周囲は、木が生えておらず、動物の骨が多数転がっていた。近くには湖がある。地元では、酸の海と呼ばれている危険な場所だ。その光景を前にして、ロータス様は、額に指を当てて、渋い顔をした。
「何か、思い出しかけているのだがな」
その声に反応して、カチューシャ姫が振り向く。
「ロータス師匠。もしかして、また、ロータス師匠が作ったモンスターがいる場所なんですか?」
以前、そういったことがあった。カチューシャ姫は、その可能性を指摘しているのだ。
「いや、そうかもしれない。あるいは、そうではないかもしれない。時間と事象は不確定な存在だ。私の記憶は、その揺らぎの中で、いくつかの可能性を孕んでいるのだ」
意味不明なことを言いながら、ロータス様は、したり顔をする。
「とりあえず、行きましょう、トート」
「はい。カチューシャ姫」
僕たちは、ロータス様を無視して会話をする。
「トートが先頭で、次はロータス師匠。最後は私で行くわよ」
カチューシャ姫は、勝手に隊列を決めた。
「あの、僕が先頭なのは?」
「アシッド・ミストの襲撃を、いち早く察知するためよ」
「おい、カチューシャ。私が二番目なのは?」
「トートがやられたら、即座に反撃してもらうためです」
「それで、お前は私のうしろで、何をするんだ?」
「勝敗を見届けます」
ロータス様は、ぶつぶつと小声で文句を言う。僕は、そうか囮かと思い、ため息を吐く。そして、僕、ロータス様、カチューシャ姫の一列縦隊で、遺跡へと歩きだした。
◇ ◇ ◇
遺跡が近づいてきた。何だか、肌がぴりぴりする。どことなく、周囲の景色がぼやけて見える。これは、どういうことかなと思いながら、僕は足を動かし続ける。
ぽたり。僕の体から何かが落ちた。うん? 何だろう。足下を見ると、布きれが落ちている。
最初、何が起きているのか分からなかった。僕は、自分の体を触り、服が崩れていることを知る。つまり、あれだ。酸で服が溶けているのだ。僕は、そのことを姫様たちに伝えるために、振り向いた。
「カチューシャ姫、ロータス様。ぶっ!!!!!!!!!」
二人の服が、溶け始めていた。カチューシャ姫の純白の服は、ずり落ちかけ、ロータス様のピンクの服は、はだけかけていた。
「キャー、トートのエッチ!!!」
「み、見るな、トート。前を向け!!!」
女性陣の声に弾かれるようにして、僕は前を向く。
どうやら僕たちは、気づかないうちに、アシッド・ミストのど真ん中に入りこんでいたようだ。そして、アシッド・ミストは、こっそりと僕たちの服を溶かしていたのだ。これは、羞恥心を誘う、精神攻撃! これは是非、モンスター事典に記述しなければと、僕は思う。そして、そのことを話そうとして、背後に顔を向けた。
「カチューシャ姫」
「キャー!!!」
「こらっ!!!」
「ほげーっ!!!」
カチューシャ姫は、火炎球を僕に放った。ロータス様は、大火球を僕に放った。あの、ロータス様、精密な制御とやらは、どこに行ったのですか?
僕のそんな疑問を無視して、二人の女性陣は、続けざまに炎を僕にぶつけてきた。
僕は黒焦げになった。アシッド・ミストからの攻撃では、服を失っただけなのに、仲間からの攻撃では、体が丸焦げになった。
そうこうしているうちに、霧が晴れてきた。何度も炸裂した炎が、この辺りから霧を遠ざけたのだろう。アシッド・ミストは、徐々に後退して、湖の中に消えていく。どうやら、酸の海と呼ばれる湖から、出てきたらしい。
「どうしますか、カチューシャ姫?」
特に倒す必要もなさそうなモンスターだ。どうも、服を溶かすぐらいしか力がないようだ。それに、体の一部も簡単に手に入る。
「こっちを見ちゃ駄目よ!」
今や真っ裸になった、カチューシャ姫が、胸と大事なところを両手で隠しながら言った。ロータス様は、いつの間にか、そのカチューシャ姫の背後に隠れていた。僕は、ロータス様に声をかける。
「あの、ロータス様。大魔法使いなんですから、ちゃちゃっと服でも出せませんか?」
「そんな都合のよい魔法があるか」
「ないんですか?」
「ない」
「でもまあ、アシッド・ミストは、名前の割りに、それほど怖いモンスターではなかったですね」
僕は、アシッド・ミストの感想を言う。するとロータス様は、なぜかぷりぷりと怒って、声を返した。
「何を言っているのだ、トート。戦争の時に、一方の陣営をアシッド・ミストが襲うとどうなる? 真っ裸だぞ。戦争どころではないだろう。それも、効果範囲が広い」
「ああ、それは、確かにそうですね。でも、よく、そんな使い方を思いつきますね」
「当然だ。あれは、その昔、私が魔法実験の末に作り出したものだからだ」
「えっ?」
「あっ!」
ロータス様は、思い出したぞといった顔をした。そして、すまなさそうに、僕たちから目をそらした。
◇ ◇ ◇
それから三日ほど、ロータス様は、モンスター博物館に出張して、モンスター事典のアシッド・ミストの項を執筆させられた。僕は、その監視のために、横に座って、マンガを読み続けた。
「なぜ、師匠である私が、弟子であるカチューシャのために働かねばならないのだ!」
「あんな卑猥なものを放置していた責任です。それに、作った本人が、一番詳しいと思いますし」
マンガの返却を盾に取られているロータス様は、カチューシャ姫に逆らえないようだった。まあ、自分が作ったモンスターを忘れる人が、人に借りたものをきちんと返せるとは思えないしなあ。
そして、アシッド・ミストの項が完成した。
「疲れた。もう帰る!」
ロータス様は、やつれた顔で、カチューシャ姫に言った。
「師匠、また協力してくださいね~!」
「嫌だ」
「私とトートを真っ裸にしてもてあそんだことを、お父様に言いますよ」
「うっ! くっ!」
ロータス様は、何度かうめいたあと、仕方がなさそうに承諾の返事をした。
どうやら、ロータス様は、相変わらずカチューシャ姫に頭が上がらないようだ。僕は、ロータス様を塔へと送りながら、「大変ですねえ」と同情の声をかけた。
『第10話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
直前:29ポイント
変動:+5ポイント
現在:34ポイント
→ロータス様からの親愛度
直前: 5ポイント
変動:+5ポイント
現在:10ポイント
今回は、お色気回です。
ヒロインが裸になるのは、お約束だなあと思います。




