第1話「出会いは異世界へのドロップで」
中学校から帰ってくるなり、僕はパソコンを立ち上げた。ネトゲの画面が表示される。いつものように、自分の部屋で、僕はゲームを開始した。
僕は、キーボードとマウスを操作して、剣を振るい、魔法をかける。そこでは僕は、歴戦の勇者だった。
そう。これはゲームの中の世界だ。それは僕も分かっている。
学校の僕と、家の僕は違う。クラスの中では空気でしかない僕は、ゲームの世界では、周囲に頼られる英雄だ。それだけではない。僕は、ネットゲーマーたちのあいだで、二つ名で呼ばれる存在なのだ。
僕には、ネット内だけで通じる異名がある。『歩くモンスター事典』である。家にいる時間をフルに使ってゲームをしている僕は、経験値を稼ぐだけでなく、そこで得た経験や、ネットで集めた知識を元に、『モンスター事典』Wikiを立ち上げて更新している。
クラスで、友人の輪に入ることなく孤立している僕は、ネットでは、運営者や開発者も一目置く重要人物なのだ。
僕は「どりゃー!」と叫びながら、マウスのボタンを連打する。巨大なドラゴンを前にして、僕は興奮しながらキャラクターを操作する。その時である。目の前の空間がねじ曲がった。僕の目の前の世界が暗転した。そして僕は、だだっ広い荒野に現れた。
……うん?
僕は、動きを止めて、目だけを動かす。
「やったー、ドロップ・アイテムよ!」
可愛らしい女の子の声が響いた。僕の頭の上には、はてなマークが無数に飛ぶ。
いったい何が起きたんだ? 声の主は誰だろう。そして、ドロップ・アイテムとは、どういうことなのか?
振り向くと、そこには金髪碧眼のお姫様が立っていた。そう。お姫様としか言いようのない、容姿の少女がいたのだ。そして彼女は、僕を指差していた。
その少女の年齢は、僕と同じぐらいだった。きれいな長い金髪で、大きな青い目。肌は抜けるように白く、刺繍の入った豪奢な白い服をまとっている。美少女だ。高貴な雰囲気をまとっており、天真爛漫な無邪気さを感じる。この女の子が、お姫様でなくて、何だというのだ。
いや、外見だけ見て、お姫様と決めつけるのは早計だ。そう思いつつ、僕はその少女をぼうっとながめる。やばい。一目惚れだ。僕の人生では、まずお目にかかれないような、完璧な容姿の女の子に、僕の心臓は大きな音を立てる。
それにしても、この女の子はどういった人物なのか? 外見は、北欧系の美少女なのに、口にしたのは日本語だった。僕は、少女に声をかけようとして躊躇する。もしかして、僕は異世界に召喚されたのか? その疑念が頭をよぎる。
最近、異世界に召喚されたり、転送されたりした人の手記を、ネットでよく見かける。ネット上の体験談投稿サイト『ノンフィクション・ライターになろう』は、異世界ファンタジー物で溢れている。
もしかして世界的に、異世界に迷いこむ現象が流行っているのか? もし、ここが異世界ならば大変だ。言葉は通じるのか? いや、さっき言葉は聞き取れた。言語の問題は大丈夫そうだ。僕はそう考えながら、少女に声をかけようとする。
しかし、僕の台詞は、割りこまれた。お姫様は、僕の言葉を遮るようにしてしゃべりだしたのだ。
「えいっ、不死化隷属の魔法!!」
はい? 僕は、魔法の光に包まれた。そして、一瞬だけ謎の映像が見えた。それは、僕の心臓に鎖がからみ、その鎖の根元がお姫様の右手に握られているというものだ。
あの、えーと、嫌な予感がするのですが。僕は、おそるおそる、目の前のお姫様に、話しかけてみる。
「あの、あなたは、どちら様でしょうか?」
「私の名前は、カチューシャ=バルダントよ。バルダント王国の第三王妃シュシュの第二王女。カチューシャ姫と呼んでね!」
どうやら、お姫様という僕の予想は正しかったようだ。そして、異世界に来たことは間違いなさそうだ。それにしても、彼女と僕は、日本語で会話をしている。いったい、どういうことなのだろう?
「カチューシャ姫。聞きたいことが、たくさんあるのですが」
「いいわよ。何でも答えてあげる」
「ここはどこですか?」
「バルダント王国の首都の郊外よ」
「僕は、なぜここにいるのですか?」
「モンスターを倒したドロップ・アイテムとして、ここに落ちてきたからよ」
「ええと、この世界では、モンスターを倒すと、異世界の人が落ちてくるのですか?」
「少し違うわね。特定のモンスターを倒すと、異世界の物品や人間が得られるの。具体的に言うと、特定のモンスターを倒すと次元の裂け目が開くから、欲しいものを選んで衝撃を与えると、こちらの世界に落下するの」
ふむふむ、つまり、目の前にいるカチューシャ姫は、次元の裂け目で僕を見て、僕をドロップさせたというわけか。
「あの、つかぬ事を伺いますが、もしかしてカチューシャ姫は、僕に一目惚れしたのでしょうか?」
僕は、自信たっぷりに尋ねる。僕がカチューシャ姫に一目惚れしたのだから、その逆もあり得ると思ったからだ。
「ううん。違うわよ」
あっさりと否定された。それだけでなく、少し困った顔をされた。
「モンスターを倒したあと、ドロップさせる前に、次元の裂け目をしばらく観察していたの。そうしたら、あなたは『歩くモンスター事典』と呼ばれていることが分かったの。これは使えると思ったわけ」
カチューシャ姫は、にこにこしながら言う。
僕は、話が飲みこめずにこめかみを押さえる。僕のパソコンの画面を見て、僕が『歩くモンスター事典』と呼ばれていることを知ったということなのか? ということは、彼女は日本語も読めるというわけだ。ここは日本なのか、異世界なのか。
「カチューシャ姫は、なぜ、日本語をしゃべったり、読んだりできるのですか?」
「この世界には、あなたの世界、それもニホン国からのドロップ・アイテムが、たくさんあるからよ」
笑顔でカチューシャ姫は答える。どういうことだろうと僕は思う。
「どんなドロップ・アイテムがあるのですか?」
まずは、そこから尋ねてみる。
「人間のドロップ・アイテムだと。小説家とかマンガ家とか、シナリオライターとか、ゲーム開発者とか。クリエイター系が多いわね」
なんですと? 僕は、腰を抜かさんばかりに驚く。もしかして、消えた小説家とかマンガ家は、異世界にドロップしていたのだろうか?
「あと、マンガや小説もたくさんドロップしているわよ。ただし、アニメやゲームは、電気がこちらの世界にないので、みんなドロップさせていないわね」
姫様は、自分もマンガが好きだと主張する。
僕は、頭を押さえて考える。脳細胞をフル回転させた結果、何となく話が飲みこめてきた。
この世界には、日本からの人や品物がけっこうドロップしているのだ。だから、知識や教養がある人は、僕の使う言語、つまり日本語をマスターしているのだ。
「でも、最初に僕がドロップした時の喜びの声も、日本語でしたよね? 普通は、この国の言葉で叫ぶんじゃないですか」
新しい疑問が湧いてきた。
「この国では、上流階級の人間は、ニホン語をしゃべるわよ」
「えっ?」
「元々はね、貴族階級の儀式用の言葉として、異世界語を採用していたの。だけど、マンガやライトノベルを読むために、多くの人がニホン語を勉強して、そちらが日常語になってしまったの。
だから、王族や貴族、その周辺の人々は、みんなニホン語を使うわよ。上流階級の子供の家庭教師に、ニホン人を当てる人も多いしね」
衝撃の事実に、僕は卒倒しそうになる。
「あの、それで、『歩くモンスター事典』と呼ばれている僕を、なぜドロップさせたのでしょうか?」
どんな理由で呼ばれたのだろうかと思い、僕は尋ねる。
「うん。私ね、政略結婚をさせられそうになっているの」
「お姫様だからですか?」
「そう。私は、第三王妃の第二王女でしょう。だから、かなりぼんくらな、隣国の第三王子辺りに、嫁がされそうなの」
「それは嫌ですね」
「でしょう。だから、過去の歴史をひもといて、政略結婚をまぬがれた、王家の女性の前例を探したの」
「必死に探したのでしょうね」
「そりゃあもう必死にね。それで、一つの事例を見つけたの。
その女性の名前はフラウ。彼女は、『モンスター事典編纂事業』を立ち上げて、ドロップ・アイテムのプリニウスという人と、生涯をかけて『モンスター事典』を作り上げたの。だから、私も、政略結婚をまぬがれるために、同じ事業を立ち上げようと決めたのよ」
「それで僕を?」
「そうよ。『歩くモンスター事典』なんでしょう?」
カチューシャ姫は、お日様のように明るい顔で言った。
僕は、だんだん恐ろしくなってきた。これは、何か重大な勘違いをされているのではないか?
僕はただの中学生だ。確かに、モンスター知識や、雑学知識は、そんじょそこらの大人顔負けなものを持っている。しかし、ちゃんとした事典を作った経験はない。そんな僕が、異世界のモンスター事典を執筆するのは、さすがに無理なのではないか。
それに、前例として挙げられた、モンスター事典を作った人の名前も気になる。
「以前にモンスター事典を作った人について質問なのですが」
「モンスター鑑定士のプリニウスさんね」
「そう。その人は、もしかして、『博物誌』という書物を、書いた人ではないでしょうか?」
「そういえば、そんな話を聞いたことがあるわね。彼は、ヴェスヴィオ火山の噴火で死ぬ寸前に、こちらの世界にドロップされたそうよ」
ヴェスヴィオ火山の噴火は、ポンペイの町が壊滅した歴史上のイベントだ。予想が当たったことに、僕は青ざめる。
「そのプリニウスさんは、僕の記憶が正しければ、ローマ時代の人で、日本語はしゃべれなかったと思うのですが」
「うん。最初は、謎の言葉をしゃべっていたそうよ。でも、すごい勢いでニホン語を覚えたの。一ヶ月ぐらいで、ぺらぺらになったという話が残っているわ」
カチューシャ姫は、嬉しそうに話す。
そうだろうな、と僕は思う。ドロップしたというプリニウスは、おそらくローマ時代の大プリニウスだ。彼が、この世界に来たのならば、すごい勢いで言葉を覚えてもおかしくない。そして、とてつもない速さで、世界の事物を記録し始めるはずだ。
プリニウスの正式な名前は、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス。古代ローマの博物学者にして、ローマ帝国の海外領土総督を歴任した人物だ。そして、史上初の百科全書、全三十七巻の『博物誌』を著した歴史上の人物だ。それと同じレベルのことを、僕もしなければならないのか……。
「あの、帰らせていただきます」
僕好みの美少女を前にして、僕は気弱な声を漏らす。
「駄目よ。不死化隷属の魔法を、もうかけたから」
カチューシャ姫は、僕のことをじっと見る。そういえば最初の方に、そういった魔法をかけられたなと思い出す。
「あの、それは、どういった魔法なんですか?」
「不死化、つまり死ななくなる代わりに、隷属、魔法を使った人の言うことに逆らえなくなる魔法よ」
「逆らうと、どうなるんですか?」
「私が魔法を解いて、あなたは死体になる」
「……あの、えーと……」
「それに、私が死んでも、魔法が解けるわ。その場合も、あなたは死体になる」
僕は数秒沈黙する。そして、おそるおそるカチューシャ姫に質問した。
「それはつまり、僕がカチューシャ姫に逆らうか、カチューシャ姫が死ぬと、僕が死ぬということですか?」
「そうよ」
「逆に言うと、それ以外の条件では、死なないということでしょうか?」
「そうよ。チートな能力でしょう。素敵に無敵!」
カチューシャ姫は、可愛らしく、嬉しそうに小首を傾げる。
ちょ、ちょっと待った~~~!
僕は、カチューシャ姫の姿を今一度見る。右手には白銀に輝く剣、左手には黄金に輝く魔法の杖を持っている。それは、ちゃちな装備ではない。プロ仕様に見える装備だ。
確か、カチューシャ姫は、モンスターを倒して僕をゲットしたと言っていた。
ガチだ。この人、ガチだ。おそらく、ひ弱なオタクの僕では、百回勝負をしても、勝てそうにない。
「ねえ、若いモンスター鑑定士さん。あなた、名前は何て言うの?」
姫様は、僕に体を寄せてきた。甘い砂糖菓子のような香りが、僕の鼻腔を満たす。僕は、その匂いにめろめろになりながら声を返す。
「遠野桐士郎です」
「トーノ・トーシロウ? 長いわね。呼び名はトートにしましょう」
「はあ」
逆らう気力もない。僕が、がっくりと肩を落としていると、カチューシャ姫は、僕に顔を近づけてきた。
僕と姫様は、同じ中学生ぐらいの年齢なので、背の高さはほとんど同じだ。カチューシャ姫は、つと背を伸ばして、僕の額に軽く口づけをした。僕は、顔を真っ赤に染めて、姫様の姿をまじまじと見る。
「これで契約完了よ。あなたは正式に私の下僕。そして、同じ事業をするパートナーよ」
「パートナーですか?」
「そう。『モンスター事典編纂事業』のね。というわけで、あなたは今日から、モンスター鑑定士トートとして振る舞ってちょうだい。王宮でも、それで通すわよ」
「えっ? 大丈夫なんですか」
「大丈夫よ。だいたい、こっちの世界にドロップしてくる人は、マンガ家とか小説家とか、怪しげなクリエイターが多いのよ。だから知識階級や芸術階級として一目置かれるの。そういった人間しか、なぜか次元の裂け目の近くにはいないのよね」
「はあ、そんなものですか」
「そう。だから、あなたは胸を張っていればいいの。そして、私と一緒に、『モンスター事典』をこの世界で作るのよ!」
カチューシャ姫は笑みを漏らして、剣と杖を腰にしまった。
「さあ、行くわよ!」
カチューシャ姫は、僕の手を取って歩きだす。荒野の中、向かう先には城壁に守られた街がある。その中央には、壮麗な城が見える。
僕は、そっと横を向く。カチューシャ姫は、この上ない美少女だった。
整った顔、大きな目、長いまつげ、美しい肌。長い金髪は、光を弾いて周囲を明るくしている。華麗な刺繍の入った外出着は、まばゆいほど白い。その服をまとった体は、華奢でとても可愛らしい。細い腰に、すらりとした足。股下は長く、胸はわずかにふくらみを見せている。
一目惚れした弱さだなあ。それに、一蓮托生になったみたいだし。僕は、カチューシャ姫の細い指に軽く力をこめて、手を握り返した。
モンスター鑑定士トートか。僕は自分につけられた名前について考える。
トートは、古代エジプトの、知恵を司る神の名だ。悪い名前ではない。むしろ、『モンスター事典』を編纂する人物に、相応しい名前だ。これから、どんなことになるのか分からない。だけど、カチューシャ姫が死なない限り、僕が死ぬことはないらしい。つまり、これは無敵の能力だ。確かにチートだ。
それにしても、この世界は、やたらと僕のいた世界と親和性が高いなあ。その謎も、そのうち解こう。そして、元の世界に帰る方法も、探り当てなければならない。プリニウスさんがこの世界にやって来た時に、なぜすでにニホン語があったのかも気になる。いったい、この先どうなるのやら。
……こうして、『モンスター事典編纂事業』という名の、僕とカチューシャ姫の、笑えない冒険が始まった。そして、僕と姫様は、数々の冒険に身を投じることになる……。
『第1話』終わり
→カチューシャ姫からの親愛度
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というわけで、カチューシャ姫とモンスター鑑定士トートの冒険が始まります。楽しんでいただければ幸いです。