見知らぬ天丼
俺の目の前にあるこれは一体なんだ?
いや、2980円もする越後屋の特上天丼だということはわかってるんだ。俺としてはどんぶりものに3k円って値段はどうかなと思うけどな。”ガーディアントルーパーズ”が6回もプレイできるじゃないか。
いやいやいや、問題はそこじゃない。
俺の目の前に偉そうに座っている脂ぎった男は我が社の人事部長様だ。婿養子とはいえ社長一族に名を連ねており、社内カーストではわりと上の方。俺にとっては雲の上の存在にあたる。
そもそも事の発端は……
昨日俺がケツ拭きをしてやらなかったせいで、同僚たちはノルマを果たせないまま帰ってしまったらしい。
そして今朝になって半数以上が来なかった。ノルマを果たせなければ粘着質の上司に皆の前で徹底的に叱責されるからな。メンタルの弱い人間にとってはとても耐えられない苦痛の時間だ。
病気と称して来なくなったりいつの間にか消えたりする奴は珍しくない職場だが、これまでになかった規模の集団失踪だ。
無断欠勤の上、連絡もつかないというから逃げたの確定だ。社畜としての洗脳がまとめて解けてしまったようだ。ブラック企業の屋台骨なんて案外脆いものだな。
これである程度仕事のできる連中が全員いなくなってしまったことになる。ああ、田端先輩が残ってるが、まさかあの人が集団エスケープをたきつけたんじゃないだろうな? 残されたのはまだ仕事に慣れていない派遣の人たちばかり。どう考えても今回のプロジェクトは終わったな。
その後のんびり重役出勤して来た直属の上司がヒラの俺に管理責任がどうのと詰め寄ってきたので、誰が管理責任者なのか思い出させてやると、逆上した上司は口から泡を吹いてわめき散らし始めた。
普段はろくに仕事をしなくても、管理責任者はこんな時に責任をとるのが仕事だよな。クビか? クビで済むかな?
自分のクビが危ないことに気づいた上司は少しおかしくなってしまったのかもしれない。過呼吸を繰り返しながらヒステリックに俺に暴言を吐き続けた。
こっちはもとからクビは覚悟の上なのでもはや怖いものなしだ。我を忘れて取り乱す上司がどんなに大声で怒鳴りつけてきても怖くもなんともない、むしろ滑稽ですらあった。
俺が平然としているのを見て上司は際限なくヒートアップし続け、騒ぎを聞きつけた重役連中まで覗きに来て予想外の大騒ぎになったのだが……
何故か昼休みに人事部長様に呼び出されて飯を食いに行こうと誘われた。
越後屋は会社の近くの少しお高い蕎麦屋だ。経営者がうちの社長の親戚で、重役連中の御用達の店になっている。
重役連中も社長一族だから、会社の経費で飲み食いすれば節税しながら一族に金を還流できるカラクリだ。
現在その越後屋の座敷席で、特上天丼を前に人事部長様と睨みあっている。
「ここの天丼には目がなくてね、私のおごりだ、遠慮なく食ってくれたまえ」
人事部長様はそう言うと海老天を一本口に放り込んでくちゃくちゃ食べ始めた。おごりならまあいいか、俺も割り箸を割る。
天丼というより天ぷら盛り合わせだな、うず高く積み上がった天ぷらの底の方に天つゆのかかったどんぶり飯が埋まっている。
突き出しのシュウマイ、春雨スープとカクテキ、ミニ蕎麦付きか。それなりに豪華だが寄せ集め感が半端ない。それにむさいおっさんと顔を突き合わせて食ってもなあ。
「私はね、若い頃は苦労は自分から買って出たもんだよ。ずっと努力していれば上の人間はちゃんと評価してくれているもんさ」
何言ってんだ、こいつ? こちとら入社以来5年間昇給なしでサービス残業強制されてんだぞ。
「キミは随分仕事ができるそうだが、会社に育ててもらった恩を忘れてはいかんよ」
社内教育はしない、即戦力しか採用しない方針じゃなかったのか? 人材育成に配慮してれば簡単に逃げたりしないだろう。状況が正しく認識できていないのか、わざと馬鹿のふりをしているのか?
適当に無視してひたすら食う。
越後屋の店主は店を開く前はとあるペーパーカンパニーの営業職だったそうだ。やる仕事がなくて調理師免許をネットの通信講座で取得したらしいから、料理の才能はある人なんだと思う。
宴会の時はプロの料理人を助っ人に雇うらしいが、普段は一人で店番をしているみたいだ。他の店員さんも見当たらないし、今の時間帯だと店主が頑張って一人で調理したんだろうな。
見た目は立派な海老天なのだが、いろいろ残念な味だ。まず、油の温度が低すぎたのか衣がべしゃべしゃだ。その上20センチ以上ある大きな海老は中まで熱が通っておらず半生状態。わざとレアにしてるんだろうか? べしゃべしゃの衣と相まって俺の口には合わない。ただ、失敗とは言い切れないんだよな。世の中にはひょっとしたらこういうのが好きな人もいるかもしれないと思える微妙なお味なのだ。レンコンは普通にさっくり揚がっていてなかなか美味いけどな。
「うちはアットホームなベンチャーだからさ、歯を食いしばって業績を上げてくれた者にはいずれ管理職への道も開けてくるってもんだ」
重役が皆社長一族なのは知ってるさ。まあ、一族にとってはアットホームといえなくもないのか。
我が社が万年赤字なのは税金対策のためだ。儲けた金は法の抜け穴を通って経営陣のポッケに消えて行く。
つまり俺たち社畜がどんなに頑張っても会社は赤字、業績不振を理由に給料は上がらないしボーナスも出ない。
管理職への道を餌にちらつかせるくらいなら給料を少しでも上げろよな。くだらん話のせいであまり美味くもない飯が不味くなるじゃないか。
天ぷらをあらかた片付けてご飯にとりかかる。天つゆに使われている鰹出汁は俺の好きな某有名メーカーのものだな、特有の甘みがあるのですぐにそれとわかる。いちいち出汁をとって作るより合理的ではあるが、3k円の特上天丼と考えるとなんとなくがっかりだ。
「江戸前の車海老は味も香りも一流だろう?」
人事部長様がえらく自慢する。確かに海老は大きかったが、半生のてんぷらはいろいろ中途半端だった。普通にしっかり火を通して欲しかったよ。
俺としては冷食のブラックタイガーの天丼の方が美味しいと思えるんだが、そんなことを言えば食通気取りのこいつはとことん馬鹿にしてくるだろうな。
「ま、キミも頑張れば毎日この程度の昼飯を食えるようになるさ。今日のこの食事を励みにしてせいぜい頑張ってくれたまえ」
我が社の人事部長様がこの程度の男だとは正直残念だ。こんなご機嫌とりをしなくても給料分の仕事はちゃんとしてやるよ。
まあ、俺なんかの機嫌をとらなくちゃならんとは、本気で経営が危ないのかもしれないな。
「近接さん、昨日の対戦見たッスよ」
ゲーセンに着くとジミー君が走り寄って来た。ここはいいな、本当に自分が生きてるって実感できる場所だ。
「昨日の対戦?クリスマスイベントのやつかな?」
「ヒューマノイドギアでプロレスなんて、まったくどんなモーション登録してるんスか?」
ヒューマノイドギアというのが、“ガーディアントルーパーズ”のロボット兵器の正式名称らしい。
「なんでヒューマノイドギアなんだろうねえ、ガーディアントルーパーにすべきだよな? タイトルなんだし」
「でも、米国版のタイトルはプラネットマセナリーズっスよ」
「プラネット、マ?」
「マセナリーズはまあ、傭兵って意味っスよ。ほら、俺たち傭兵って設定っスから」
そういやそんなストーリーもあったかもしれない。この手のゲームじゃありがち過ぎる設定なので気にしたこともなかった。
「日本版はそれじゃ売れそうにないからってタイトルが変更になったみたいッス。五十歩百歩な気がしないでもないっスけどね」
「もしかして洋ゲーだったのか? このゲーム」
「今更何言ってるんスか、メカデザ見ればわかるっしょ」
確かにメカデザインはなんとなく奇妙だとは思っていたが、見ただけで洋ゲーとわかるものかな? さすがはジミー君だ。デザイナーの卵だけのことはある。
まあ、面白ければそれでいい。洋ゲーだろうが別にかまわない。
「さて、クリスマストーナメントの続きをするかな」
「あ、トーナメント二戦目は明後日解禁っスよ」
何だって? せっかくの俺のモチベーションをどうしてくれる?
どうやら毎日プレイできない人間への配慮のようで、トーナメント一戦ごとに数日間開催されている仕様らしい。一日ゲーセンにいけないくらいで不戦敗とか面白くないからな。
「解禁日は早目に来て勝負をつけておく方がいいっスよ。出遅れると対戦相手がなかなか見つからずに苦労しそうっス」
なるほどそういうものか。よし、解禁日のサービス残業は全力でエスケープしよう。
何はともあれ筐体に乗り込む。トーナメントが駄目となると、とりあえず今日は新しくゲットした兵器のテストだよな。
ソードブレイカーとハンドランチャーPだ。どちらも小型なので簡易ラックに問題なく固定できる。試しに太腿の左右のラックに固定してみても特に干渉はない。
そういえばジミー君がモーション登録の話をしていた。
使用頻度の高い動作を一度登録しておけば、ボタンかコマンド入力に関連付けて実行できるらしい。
まあ、マクロみたいなものだろう。ゲームの中まで仕事を持ち込むみたいで嫌だな。俺は全て直接操作でいいや。
直接操作といっても、賢いAIが俺の操作のクセを覚えているので細かいミスなら修正してくれる。最初の頃と違って適当に操作してもほぼ思い通り動けるようになったのでずいぶんと楽だ。
要するにシチュエーションと俺の操作から俺の意図を判断し、多少の入力ミスには目をつぶって俺の望む通りに動いてくれてるんだろう。多分だけど。
プレイ時間が長くなればそれだけ俺の情報が蓄積され、AIはより賢くなるわけだ。今までの情報はパイロットカードに記録されてるんだろうな。
最初は武器を手にするだけで四苦八苦してたのが、今では武器をラックに固定することくらいほとんど無意識にできてしまう。無意識ってのがミソだろうな。操作手順をいちいち意識し過ぎると逆にわけがわからなくなってしまう。
射撃だとモーション登録は便利なんだろうが、剣で戦うなら直接操作で問題ないと思う。単にいちいち登録するのが面倒というのが一番の理由だけどな。
とりあえずプラズマランチャーから試してみるか。
プラズマランチャーはエネルギー系の銃の一種で、ボール状のプラズマを飛ばして攻撃する武器だ。拳銃サイズからバズーカみたいのまで結構いろんな種類があるが、弾速が遅いものが多く概して評判はよくない。
昨日ガチャチケから出てきたアイテムで、名称はハンドランチャーPとなっている、PはプラズマのPか?
銃身がやたら太くなったピストルのような外見。カッコイイ? かどうかは微妙な線だ。まあ、若干オモチャっぽいなとは思う。
試しに射ってみると丸い球雷のようなプラズマが飛び出す。
射出されたプラズマは急速に減速し、しばらく空中をふらふら漂った後に消滅する。
ここまで弾道が安定しないとロックオンしても意味ないな。これに比べればワイヤーアンカーの方がよっぽど正確な射撃が可能だ。
狙って当てるような武器じゃないが、命中判定はやたら広いから牽制用には使えるかな?
弾消し性能は高いし、当たれば威力もある。銃ではなく浮遊機雷だと考えた方がよさそうだ。
デメリットは下手をすると自分まで当たる危険があることだな。あと、単発なのにチャージ時間もそこそこ長い。
武器としては最軽量の部類なのでサブウエポンとして携行するにはいい。でもこれ、使う機会はあまりなさそうだよなあ。
次にソードブレイカーなんだが、見た目はアーミーナイフなのに分類上はシールド扱いになっている。こういうのゲームじゃたまにあるよな。開発チーム内の意思疎通が上手くいってなかったんだろうな。
攻撃力は低いが、見かけによらず耐久力が高い。敵弾を切り払うには便利かもしれない。
問題は当たり判定の小さいことだが、予備の武器だと考えれば許容範囲だ。ハンドランチャーに負けない最軽量っぷりが嬉しい。
気になるのがその名前の通りの武器破壊性能だ。どうやら実剣タイプの武器の耐久値をごっそり削ることができるようだ。カニメカの大鋏を一瞬で破壊してしまうチートぶりだ。
剣で戦う俺にとっては天敵といえる武器かもしれない。敵がソードブレイカーを装備して来たときの対策は必要だな。ビームソードを予備に携行するべきか?
この調子でいくとどんどん携行武器が増えてしまいそうだ。俺のリンクスは重武装タイプのサジタリウスとは違うのだから、積み過ぎて運動性が下がるのは悪手なのだろうな。