ランネイ・チャンという女(前)
俺宛にずいぶんと立派な招待状が送られてきた。ホテルのロイヤルスイートにずっと滞在していることは、親兄弟にすら教えていない、なのに何故だ?
同じ招待状がリンリン宛にも来ている。あいつのせいか? 最近はほぼ毎晩泊まっているみたいだし、いつの間にか完全に居候状態だな。部屋は余ってるから別にいいけれど。
招待状の差出人は全日本蟋蟀愛好会だと? 漢字が読めないが、虫へんってことはどうせ昆虫か爬虫類の類だろうな。カマキリ? サソリ? うーん……コオロギだろうか? 携帯端末で確認すると、やはりコオロギで正解だった。我ながら勘が冴えてるぜ、漢字は苦手だが選択問題なら自信があるんだよ。
もちろん俺はコオロギなんて一度たりとも愛好した覚えはない。別に嫌いでもないが、故郷じゃああいった虫は、その辺の草むらで勝手に鳴いてるもんだったからな。そういえば都会じゃ見かけない、ひょっとしてレアなのか?
そういえばリンリンの奴は部屋で一生懸命に鈴虫を飼ってるみたいだ。爺さんにキュウリのヘタとかをよくもらっている。あいつがペットを飼うなんて似合わないと思うが、意外に可愛い趣味だよな。
コオロギも鈴虫も似たようなもんだし、多分リンリンが愛好会の会員なんだろう。
招待状を見せてやると、素早く自分の分をさっと奪い取りやがった。真剣な顔で開封して目を通している。虫がそんなに好きだったのか? マニアなのか?
「さすがは地獄耳のチャンね。ボウズがクビになったのをさっそく嗅ぎつけたみたい。さっそく仕掛けてくるとは予想外、というか予想通り?」
クビになった坊主って、あの坊主のことだろうか? あいつまで昆虫マニアだったのか? いや、まあ、他人の趣味なんてどうでもいいが、あいつこそ似合わないなあ。
「宛名を間違えて俺にまで来たぞ」
「あいつがクビになったんで、さっそくダンナに乗り換えようって魂胆ね。多分」
アイツって坊主のことだよな? どうも話が見えない。一から全部説明して欲しいんだが、それも面倒だ。
まあいいか、細かいことをいちいち気にしてたら禿げるっていうしな。俺はまだ大丈夫だが、まだまだ毛根は元気な筈だが。
「会場はこのホテル内か、面白そうだし俺も行ってみるかな? 食堂フロアのヌーベルシノワ崑崙が会場ってことは、中華料理が出るんだな」
あの店には何度か行ったことがあるが、一番安いヤムチャセットでも数万円する高級店だ。フランス料理風中華というか、創作料理っぽいのが出てくる。
あそこのエビチリ餃子はなかなか美味かった。そもそもエビチリは日本発祥らしいんだけれども、あのトマトケチャップの真赤な色がいかにも中華っぽいと思う。
ヌーベルシノワ崑崙の一番人気はクラブ・ラングーンという揚げ春巻きで、ビリー氏の大好物だそうだ。サンフランシスコスタイルってことで、カニカマとチーズがこれでもかというくらい詰め込まれている。
確かに揚げたてはなかなか美味いが、中身の大半がとろけたチーズなんで、主にカロリー的な意味で危険な食べ物だ。ビリー氏は冷たいコーラと一緒にあんなのをドカ食いするんだよ、それで太らないのが謎だ。
面白いのは、そんなジャンクフードを、ビリー氏にあやかりたい世界のVIPがこぞって食べにくることだな。
ヌーベルシノワ崑崙なら警備体制もしっかりしてるし、殺し屋に襲撃される危険もないだろう。俺もまだまだ若いんだし、たまになら脂っこい料理も問題ない筈だ。揚げ春巻きはパスするけど。
中華料理を食べに行くだけなのに、リンリンは何を考えたのかわざわざ海賊のコスプレに着替えて来る。カリブ海にでも出没しそうなパイレーツスタイルで、サーベルもピストルもやたらリアルだ。この女はこういう趣味に惜しげもなく金をつぎ込むから、すぐ金がなくなるんだよ。老後のことなんてこれっぽっちも考えちゃいない。
「仮装パーティーなのか? コオロギ愛好会なのに?」
「これもTPOって奴でさあ」
すでに口調が海賊だな、演技は始まっているらしい。明らかにTPOを間違えてるけどな。
俺は無難に背広だな。かつてジャパニーズビジネスマンは、背広一つで24時間戦い続けたという。世界中どこでもこれさえ着ておけば間違いないという、まさに伝説級の装備だ。
ヌーベルシノワ崑崙が貸し切りになるのは別に珍しくはない。政治家が各国の要人を接待するのによく利用されるからな。
コオロギ愛好会によくそんな金があるもんだよ、すごい会費を請求されそうだな。
中ではすでに宴会が始まっていた。出席者は全員チャイナ風のコスプレをしている、コオロギは関係ないのか? 若い娘さんが着るチャイナドレスはよいものだが、野郎は……まあどうでもいいな。
この状況でリンリンが何故チャイナドレスにしなかったのかが謎だが、どうせ一人だけ違うコスで目立ちたかったとかそんなだろう。だが、残念だったな。この場じゃ背広姿の俺が一番目立ってるよ。
部屋中からうるさいくらいコオロギの鳴き声が聞こえるな。確かにコオロギ愛好会で間違いなさそうなのだが、これはもはや騒音だ。虫の音を愛でるとかそういう次元じゃない。
テーブルに並んでいる陶器の鉢の中身は、料理ではなく活きたコオロギのようだ。まさか踊り食いか?
奥のステージで司会の人が場を盛り上げようとなんか頑張っている。彼の後ろの大型スクリーンには、コオロギの姿がアップで映し出されている。
ガラスのリングに二匹のコオロギを入れて、相撲をとらせているのか。筆を持った二人の男が、セコンドをしている。コオロギにちょっかいを出して、戦うように仕向けているんだな。
客達がスクリーンを見ながら、高額のカジノチップをやり取りしているところを見ると、コオロギバトルの勝敗で賭博をしているようだ。
コオロギ愛好って、こういう意味かよ。面白そうではあるな。
「これはこれは柿崎先生、ようこそおいで下さいました。初めまして、私はエドワード・チャンいいます。今後ともよろしく」
肩で風をきりながら堂々と近づいて来たのは、恰幅のいい中年の紳士だ。
「あんたの顔を立てて来てやったぜ、チャンのダンナよ」
「おまえさんは相変わらずのようだね。何にでも噛みついていると、長生きできないよ」
「こちとら真っ白な灰になるまで完全燃焼するタイプなんだよ。長生きなんてしたくもない」
リンリンがなんだか男前なことを言ってるが、どうせアニメか何かのセリフだろう。
周囲に押し殺したような殺気が五つ程。一応これでも気配を消しているつもりのようだ。この男のガードマンかな?
つまり、目の前の小太りの紳士は、なかなかのVIPってことだな。エドワード? 名前は西洋風だが、見た目は黄色人種だよなあ。
待てよ、エドワード・チャンといえば、特区最大のチャイニーズマフィアのボスと同じ名前じゃないか。この男の尋常じゃないオーラは……ひょっとするとひょっとするぞ。
「えーと、初めましてチャン大人。マイネームイズ柿崎、ナイスミーチュー」
握手するとチャン大人は結構な力でグイっと握ってくる。まさか俺の右手を封じておいて、子分達に襲わせる策か?
いや、そこまでの殺気じゃないんだが……ただの握手にしちゃ、チャン大人も護衛達もピリピリし過ぎだろう。マフィアだからか? 常在戦場ってか? アルカポネのテーマが脳内再生されるじゃないか。
いざとなったらチャン大人を人質にするか? 重心の動きとか見ると、ある程度の体術は心得ていそうだが、センセイより弱そうだ。
いや、この男が影武者だという可能性もあるか。噂ではエドワード・チャンは希代の策士で、武闘派揃いのロシアンマフィアさえ手玉に取っているという。そんな男がノコノコ人前に姿を現すか?
いや待てよ、影武者だと思わせておいて実は本物? 裏の裏のそのまた裏までありそうだよな。
ほんの数秒の間に、俺達の間では凄まじい頭脳戦が繰り広げられた。そして何事もなく握手は終わる。まあ、なかなかやるな。
「柿崎先生のことは随分調べさせていただきました。うちの飼い犬がご迷惑をかけたようです」
俺は犬好きじゃないが、嫌いでもないぞ。そもそもこのホテルに犬は入れないしな。盲導犬はOKの筈だが、見たことない。ロボット犬の方がコスパがいいからだ。
いや、この場合の飼い犬というのは、チャン大人の部下のことだろう。坊主と組んで俺を狙っていた殺し屋のことか? それなら話がつながるかもな。
「ああ。なるほどね」
「私どもとしましてはケジメをつけなければ面子に関わることです。その件については後程片付けることにしましょう。せっかくの闘蟋ですから、まずはお賭けになりませんか」
コオロギファイトのルールはシンプルで、赤か青かどちらかの虫に賭ければいいみたいだ。俺にはどちらのコオロギも同じに見えるが、他の客達はちゃんと区別がつくみたいだな。
リンリンが赤に賭けたので、俺は青の虫に賭ける。こいつはやる気がありそうだし、きっとやってくれる。
人間に筆でからかわれて怒ったコオロギ達が、互いに噛みつこうとしてバトルがスタートする。あれ? コオロギってこんなに好戦的だっけ? 日本にいるのとは種類が違うんだろうか? あの筆に秘密があるのかもしれないな。
赤のコオロギがやる気をなくして逃げ出すと、青のコオロギはそれ以上追いかけずにキリキリと嬉しそうに鳴く。勝どきか! 何これ面白いぞ。
カジノチップが増えて戻って来る。リンリンの賭けたチップは没収された。他の客達は高額チップを山積みにして賭けているな。一試合で億単位で金が飛び交っているようだ。
回転が速いのもコオロギファイトのいいところかもしれない。勝った方のコオロギが必ず鳴くので、判定も単純明快だしな。
俺は全チップを賭け続け、どんどん増やしていく。リンリンも俺と同じ虫に賭けることにしたようだ。
どうやら殺気の強い虫に賭ければほぼ間違いない様だ。たまに例外もあるが、そんな時はなんとなく勘でわかる。これが本当の虫の知らせだな。
「いやあ、さすがですな……」
チャン大人は余裕の表情だ。他の負けた客達は笑ってないけどな。賭博のシステムはよく知らないが、どんな結果になっても胴元は儲かるようになってるんじゃないのか?
ギャンブルで勝つのは愉快ではあるんだけれど、マテリアルで稼ぐ金額に比べればはした金なのが悲しい。リンリン程無邪気には喜べないな。
ん? 何かおかしいぞ。次の試合、どっちの虫に賭けても負けそうな気がするな。何か嫌な感じだ。
「俺は降りるよ」
勝ちの目が読めない時に、無理することもないからな。
「よし、あたしも降りる。これだけ勝ちゃあ、勝ち逃げも悪くないねえ」
俺達が賭けをやめた後も、何事もなく試合は続く。他の客達が一喜一憂しているのを横目に、周囲の様子を冷静に観察してみる。
コオロギを操る筆にでも、何か細工してるんじゃないか? カジノチップを賭けた後にいかさまを仕掛けられたら、絶対に勝てないじゃないか。
まあ、ルーレットだって腕のいいディーラーは狙った数字に玉を落とせるらしいしな。ギャンブルってそういうものだ。嫌なら最初から賭けなきゃいいだけの話だ。
全ての試合が終わると、コオロギの入った鉢は手際よく運び出されて行った。あの鉢それぞれに、一匹ずつコオロギが入れられているようだな。なかなか贅沢な飼育方法じゃないか。
勝ちぬくたびにコオロギの価値は跳ね上がり、世界最強のコオロギともなればクルーザーが買えるくらいの値がつくんだそうだ。虫なんてどうせすぐ死ぬのにな。でも、そのレベルのコオロギになると一試合で元がとれるくらい稼いでくれるらしい。
種馬ならぬ種虫としても重要らしくて、強い虫の子孫はやっぱり強いんだそうだ。コオロギ界のサラブレッドだな。
バトルに使うコオロギは遺伝子改良されていて、一年中何度も繁殖するんだそうだ。頼むから屋外に逃がさないでくれよ。
「さて、闘蟋はお楽しみいただけたでしょうか。会員の皆様には秋の本格シーズンに向けて、今後とも秘術を尽くして励んで欲しいと思います。本日はシメに特別試合を用意しました。最後までたっぷりご堪能ください」
ジャーンと銅鑼が鳴って、新しく入れ替えられたステージにスポットライトが当たる。舞台のセットごとどんでん返しできるようになっているのか。仕掛けはアナログだけれど良くできてるよ。
ステージ中央では生きた子豚が台にくくりつけられてもがいている。ああ、解体ショー的な演出かあ。こういうのは趣味じゃないからやめて欲しいな。
そもそも新鮮な豚肉って美味いのだろうか? 熟成肉が美味いのは知っているが。
スポットライトを浴びているのは、上半身裸のマッチョな小男だ。刃の広い刀を構えている。ああいうの青龍刀って言うんだっけ? なんかアニメで見たことがあるな。
アチョーとか言うのかと思ったら、無言で刀を振り下ろす。太刀筋は我流か、だがなかなかの腕だ。
子豚はほとんど苦しまなかっただろう。
「切り裂きジョージとか言うイギリス辺りから流れて来た殺し屋です。何度か面倒を見てやったら、身内になれたと勘違いしたようでしてね。調子に乗り過ぎです。柿崎先生にもご迷惑をかけました」
俺を狙ってた殺し屋があいつなのか。そりゃあ一大事だ。
「奴の始末は先生にお任せします。煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。ただ……相手も縛られた豚じゃない。黙って殺されはせんでしょうなあ」
チャン大人はガハハとボスっぽく笑う。なんだよそれは? 俺にあいつとリアルバトルしろってことか? 俺はコオロギじゃないぞ……って、皆賭け始めてるな。リンリンは俺に全賭けか、くそっ、こうなったら俺も自分に全賭けだ。
切り裂きジョージとやらは舞台から飛び降りると、真っ直ぐ俺めがけて走ってくる。いきなり場外乱闘かよ。周りにいた連中は、一糸乱れず場所をあける。はいはい……最初から仕組まれてたんだねえ。
あの男、決して弱くはない。というか、これまでリアルで会った人間の中では最強クラスだぞ。センセイよりも多分強い。
ナージャちゃんは理不尽な強運が強過ぎるから別枠だが、あのジョージにはどうもナージャちゃんみたいな異能者の匂いがするんだよなあ。
いや、まあ、三十にもなった大人が異能者とか、考えるだけでも恥ずかしいんだけれども、実際に不思議な事象は起きている。きっと何か理由はある筈なんだ。
切り裂きジョージが異能者だろうがそうじゃなかろうが、かなり不味い状況ではあるな。さすがに刀を持った殺し屋相手に、素手はキツイ。せめてモップくらいあればなあ。
欲しいのは硬くて長いモノだ。
「ほらよ、ダンナ」
リンリンがサーベルを抜き放ち、放り投げてよこす。キャッチするとずっしりと重い。しっかり刃もついているし、これって本物じゃないのか? 横着せずに手渡ししろよ、危ないなあ。
カジノ特区でも、こういうのは普通に銃刀法違反じゃないかと思うんだが? いや、今はそんなことを気にしている場合ではないな。
ブンッと片手で振ってみる。なるほど、重心はこんなもんか、悪くはないかな。少なくとも素手よりはよっぽどいい。
映画なんかでおなじみの、カリブ海で海賊が持ってそうな刀だ。カトラスって言うんだっけ? 相手の刀も似たようなタイプだが、あっちの方がリーチも重さもある。できれば俺もあっちが使いたい。まあ、ハンデということにしといてやろう。
俺が武器を手にしたのを見て、間合いの外で足を止めやがった。丸腰の相手を本気で斬る気だったようだな。リンリンが刀を渡してくれなきゃ、さすがにちょっと厳しかったかな?
「ジャックだかジャッキーだか知らんが、人を殺し慣れてますよって感じだよな」
「ジョージですよ、柿崎先生」
「どうせ本名じゃあるまい?」
リアルで命懸けの立ち回りをやるのは久しぶりだな。やはりゲームとは緊張感が違う。
アドレナリンがドバドバ噴き出す感覚が気持ちいい。この全能感、負ける気がしないというか、死ぬのが怖くないな。わかってるぜジョージ、お前も今同じ気分なんだろ?
ジョージは見たことのない構えだ。清国に伝わっていた古い武術も、センセイにいろいろ教えてもらっているが、どれとも違う。
もっとも、カンフー映画なんかでよく見るのは、芸能として発展した流派らしい。人を殺すための実用的な流派は、人目に触れないように密かに伝えられている可能性はあるな。
別に全ての武術の流派を極める必要はないが、初見殺しみたいな技もあるので、知っているのと知らないのとでは大違いだ。そういう意味ではセンセイの知識量は役に立つな。あれでもう少し人格がまともなら尊敬してもいいんだがなあ。
切り裂きジョージの太刀筋はなんとなく読めるんだが、どうも奴の攻撃を避けられる気がしないんだよな。やはり異能者なのか? 不思議な強制力が働いているようだ。ナージャちゃんは強運だったが、こいつは必中だろうか?
馬鹿馬鹿しいとは思うが、考えている暇はないな。
まっすぐな突きが来る。太刀筋に迷いがなく、なかなか大したスピードだ。
避けられる気がしないので、あえて切らせてやることにする。肉を切らせて骨を断つって、昔から言うしな。
ただし、痛いのは嫌なので薄皮一枚だけだ。
ギリギリの調整は、回避するより難しい。俺の脳が判断するより早く、奴の刀が飛び込んで来てしまった。
首筋にスッと冷たい感覚が走る。こりゃあ思ったより深く切られたな、血管まで届いてるかもしれん。
ジョージの刀が吹っ飛んでいって、後ろのテーブルに突き刺さる。切断された手首が、しっかり刀を握ったままくっついたままだ。何これキモイ、執念のようなものを感じるな。
考えるより先に、反射的に奴の右腕もろとも斬り飛ばしてしまった。いわゆる、体が覚えてるって奴だな。
ゲームでは飛んで来るビームをほぼ無意識に切払っているからなあ。そりゃあ、ビームに比べれば遅い突きだったし、こうなるよなあ。
ジョージは刀を失っても止まることなく、すかさず鋭い蹴りが目前に迫る。ここでハイキックかよ!
完全に油断していた。まさか利き腕を失ってもまだ攻撃してくるとは……予想外だった。俺もまだまだ甘かった!
だが、俺の体は意識しなくても反射的に反応するんだよな。そのままカウンターで見事に膝関節を断ち割る。
会心の一撃だ! ああ、奴の必殺キックが、俺の構えた刀に正面から命中したんだな。刃筋を立てて上手く受け止めなければ、刀の方がへし折られていたかもしれない。
生きた人間の骨というものは、思っていたより弾力があるんだな。鉈で木を割るのとは違った、ヌルリとした手応えが伝わってくる。
ほとんど相手の力を利用して、刃こぼれ一つなく綺麗に切れた。壮絶に自爆しやがったな。まあ、対応できなければ俺の方が首をへし折られてたんだが。
膝から下を失い、ジョージはとめどなく血を流す。よく立っていられるよ、シュール過ぎる光景だ。
流血は床の赤じゅうたんが吸ってしまうので、案外目立たない。
そういえばレッドカーペットは、本来は流れる血を誤魔化すためのものだとどこかで聞いたことがある。本当か嘘かは知らんがな。
背後でボトリと音がしたので思わず振り返る。机に刺さっていたジョージの刀から、手首が落ちたみたいだ。
なんとなくでその刀を引き抜くと、周囲がどよめく。俺がジョージに刀を渡してやるとでも思ったか? まあ、そういうのも面白いかもしれないな、フェアプレイ精神だ。ぶっちゃけ、もう少し戦いたいというのもある。
このままじゃ俺はいいとこなしだからな。ようやくエンジンが温まって来たし、本気の実力って奴を見せてやるぜ。
ジョージの刀は重さはカトラスの倍以上あり、片手で持つのは少々重い。重心は先端寄りだが、鉈のように使うには悪くないだろう。
意外に薄く、左右に振るとビヨンビヨンしなる。これって、板バネをそれっぽく成形しただけじゃないのかな? 刃なんてグラインダーで適当に削っただけっぽい。でも、さっき子豚の首を綺麗に落としてたよな。
ジョージは当然のように、俺から剣を受け取ろうと手を伸ばして来る。ちょっと図々しいんじゃないの?
突然、妙な殺気を感じたので思わず右に頭を反らすと、ヒュウっと何かが左のこめかみをかすめて行った。俺の貴重な髪の毛が、まとめて数十本持っていかれたようだ。頭皮まで削られたのか、ちょっとヒリヒリする。
おいおい、今あいつ、口からミサイルみたいなの発射しなかったか? サイボーグかよ? いや、単にロケット花火をくわえてただけかもしれないが……油断大敵だなおい。
咄嗟にジョージに刀を投げつける。刃物を投擲するコツは、適度な回転運動だ。回せば回すほど安定するが、軌道を読まれやすくなるので、命中まで数回転って感じで手首のスナップを軽くかけながら手を放す。
投げのモーションだけで一秒近くかかる。当然相手は避けるだろうが、口から変なのを吐き出す余裕はなくなる筈だ。
俺は飛んでいく刀を追いかけるように、体ごと飛び込んで行く。奴が回避したその先を、斬ってやる。
だが、切り裂きジョージはまたしても俺の予想を超えてきやがった。棒立ちのまま、投げた刀を避けようともしない。
左肩にかなり深く突き刺さった刀は、奴の左腕はほぼ切断してしまう。追撃の必要あるのかこれ? 俺が一瞬躊躇する間に、バランスをとれなくなったのか、失血し過ぎてヤバいのか、ジョージはバタッと床に倒れた。
まだ何か隠し玉を持っていそうだし、油断せずに少し間合いをとって様子を伺う。体の一部をサイボーグ化してる可能性が高いよな。
殺人マシーンみたいだった男だったが、ここに来て初めて怯えを見せる。芋虫みたいに這いずって、必死で俺から逃げようとする。
俺のことをバケモノを見るような目で見て、本気で怯えている。これも油断を誘う演技か?
「どうしました? とどめを刺さないのですか? 人は殺せませんか?」
チャン大人が挑発するように言ってくる。いや、その手にはのらないよ。
特区でも殺人は立派な犯罪だしな。人を殺すところをマフィアに見られたりしたら、それをネタにとことん強請られる。
最初からそれが狙いだったのかもしれない。
「今日のところは賢いコオロギ達を見習いたいと思います。彼が戦意を喪失した時点で勝負はつきました」
チャン大人が手を叩くと、スタッフの皆さんが手慣れた様子で失神したジョージを片付け始める。
現代の医学なら脳さえ無事ならなんとでもなる。病院にかつぎ込めば助かるだろうが、マフィアが失敗した殺し屋をわざわざ生かしておくかなあ?
ハードボイルド系の映画なんかだと、マフィアの掟は容赦なく厳しい。もちろん、ああいったものはほとんどフィクションだろうが、現実の方がヌルいなんてことはないと思う。
「お見事お見事。さすがは柿崎先生です。私が見込んだだけのことはあります」
チャン大人がしらじらしく拍手すると、周囲の他の客達もそれにならう。
殺し屋をけしかけといてよく言うぜ。ある意味、切り裂きジョージも被害者だよな、同情はしないけれど。
「お若いのになかなか腕が立ちますな。あの方の後継者候補に選ばれるだけの力をお持ちのようだ」
拍手をしながら、横から狐目の男がしゃしゃり出てくる。俺より多少は年上みたいだが、虎の威を借る狐って感じのいけすかない男だ。
あの方ってどの方だ? イマイチ話が見えないが、そこはいつものようにポーカーフェイスで誤魔化すのさ。
「私のファミリーに無礼な男は不要ですね」
あ、チャン大人がなんとなく不機嫌だ。確かに、話をしている時にこんな風に割り込まれたら腹立つよな。
今のは俺は悪くないよ? 俺もこいつの態度のはちょっとイラッとしてるし。
チャン大人が咳払いすると、二人の屈強な黒服がすっと狐目の男の後ろに立ち、有無を言わせず押さえつける。
この二人のことはずっと気になってたんだよな。異能の匂いはしないが、地力じゃ切り裂きジョージより上だ。二対一で戦えば相当苦戦するよ、せめて現実世界でバスターソードくらい使えれば話は別なんだが。
いや待て、さすがにその発想は痛々し過ぎやしないか? 現実でゲームの武器が使えたらとか、小学生までなら微笑ましいが、中学生以上でその発想は相当痛々しいぞ。
ああ、だから昔から中二病って言うんだな。確かに中一ならギリギリ許される気がする。
「お許しくださいチャン大人! 私が悪うございました!!」
さっきまでの偉そうな態度はどこへやら。泣きわめいて許しを請う狐目。何やら外国語で叫び出すが、携帯端末の同時翻訳が未対応のようで意味不明だ。ローカル過ぎる方言なのか、それとも隠語か? 特定の禁止用語って可能性もあるな。
チャン大人やリンリンは、ちゃんと言葉がわかってるって顔だな。
リンリンは何気に語学力が高いからな。この女もたいがい正体不明なんだよ、本当に日本人かどうかもわからない。
チャン大人が頷くと、海側の窓が開け放たれ、狐目の男は勢いよく放り出される。
ここが何階だと思ってるんだよ! 海面までは50メートル以上あるな。しかも、コンクリートの消波ブロックがゴロゴロ転がっているあたりだ。まず助からんだろうなあ。
リンリンは平然としている。他の客達も何もなかったかのように振る舞っている。こいつら全員グルじゃないのか?
チャン大人、恐ろしい男だ。虫も殺さぬような顔をしていても、やっぱりマフィアのボスだった。