俺は彷徨う餃子の街を
俺は夢を見ている。多分、いや間違いなく悪夢だ。
俺達……俺と樺太で知り合った軍人さん達は、何故か魔法少女のコスプレをしたリンリンに襲撃されていた。理由は知らん、夢なんて理不尽なもんだ。
『キューリはピリ辛、畳がガンベルトおっ!』
謎の呪文を叫びながらリンリンが二丁拳銃を撃ちまくってくる。一方的にやられていく、味方の攻撃は何故かまったく当たらない。ヘリ部隊の人達は無理に狙おうとせずにいい感じにサブマシンガンで弾をバラまいてるので、流れ弾や跳弾が一発くらいは当たりそうなもんだが。不思議な呪文のせいなのか、お経みたいな謎BGMの効果なのか、とにかくリンリンは無敵モードだ。それとも、アイツもやたらと運がいいだけか? 豪運のナージャちゃんが味方にいてくれたらよかったのに、残念ながらそう都合よくはいかないようだ。俺の夢なのにな。
理不尽なのはそれだけじゃない。リロードしてる様子もないのに無限に撃って来る。映画の主人公なんかじゃよくある現象だからそれ程違和感は感じないが、俺の持ってる武器は何故か弾が入ってないリボルバーなんだよ。皆が次々と倒される中、急いで弾丸をこめようとしているのだが、思うように指が動かせず弾をとりこぼしてしまう。
頼りになりそうだったキンタもあっけなく秒殺されてしまい、そして俺だけが残った。右手には弾が入ってない拳銃……こいつをハンマー代わりにして殴るか、それとも投げつけるか? 俺が撃ってもどうせ当たらんだろうが、丸腰よりはマシかもな。
子供じみたカラフルなコスプレ……魔法少女といっても中身は大人の女なのでつんつるてんだ。へそとか見えてるし、胸も窮屈そうでなんか変態チックにエロい。そのリンリンと対峙する。
奴がニヤッと笑うと口が耳まで裂ける、妖怪か?
リンリンはくそ度胸はあるが、銃の腕はまあ並みだ。軍隊にだって彼女程度なら各部隊に一人くらいはいた。せいぜいその程度だ。それに所詮は拳銃、あくまで護身用の気休め程度の火器じゃあないか。殺気を見切れば避けるくらい造作もない。二丁拳銃だとフェイントが厄介だが、それなんかも二刀流と同じことだ。間合いに入ってしまえば二刀流の方がずっと怖いくらいだ。散弾でも榴弾でもないただの銃弾など所詮は点の攻撃、多少のスピードがあっても点が線になるに過ぎない。
そう、リンリンの攻撃なんぞ余裕で避けれる筈なんだが、まるで蜂蜜の中にいるように体が自由に動かない。俺は何度も撃たれ、そのたびに何度も巻き戻って延々と撃たれ続ける。攻撃自体は見切れているのに理不尽な話だ。いいかげんこんな夢から覚めたいんだけどなあ。
目が覚めたのは列車が急に速度を落としたせいだった。リンリンが俺にもたれかかって、口から涎を垂らして寝ていた。こいつ、ボディーガードの癖に何やってるんだよ。強い殺気をぶつけてやれば起きるだろうが、抜き打ちで撃たれそうなのでやめておく。新幹線への銃の持ち込みは違法な筈だが、絶対どこかに隠し持ってるに違いないんだ。女は隠す場所が一杯あるんだって自分で言ってたからな。
『キューリワピリカラ……』
突然聞こえたコケティッシュな声にギョッとする。リンリンの前のモニターで昔の魔女っ娘アニメが再生されていた。これを見ながら寝落ちしやがったみたいだ。俺の悪夢もこのせいか、寝てる時に変な呪文を耳元で聞かされれば、そりゃあ変な夢も見るだろうさ。
画面の中では奇天烈なコスチュームの女の子が、これまた珍妙な怪人相手に無双している。最近はマイノリティ相手の差別だとしてこの手の勧善懲悪ストーリーは禁止されているが、昔製作されたアニメを視聴するのは問題ないみたいだな。それも妙な話だが、多分いろんな利権とかがあるんだろう。
変電所のトラブルでしばらく徐行する旨のアナウンスが入り、さらにがくんと速度が落ちた。さすがにリンリンも目を覚まして……まるで居眠りなんてしてなかったかのように振舞い始める。証拠に寝顔を撮影しておけばよかったな。
徐行運転でなんとか宇都宮駅にたどり着いたのはいいが、今度は停車したまま動き出さない。本来ならもうリニアに乗り換えている時間だぞ。そもそもこの駅は通過する筈なんだよ、それでも何故か餃子弁当は車内販売されるんだけどな。
しばらく待ったが、復旧の見込みが立たずとのことで扉が開きっぱなしになってしまった。諦めた乗客がぞろぞろ降りていく。タクシーかバスに乗り換えて、とりあえず東京まで行くみたいだ。
「宇都宮といえば、餃子よね」
リンリンは全然困ってないな。忙しい企業戦士達と違って、俺達は別に大事な商談が待っているわけでもないからな。
餃子か、久しぶりかもな。丁度腹も減っている。ホームの売店でも駅弁が売られているが、せっかくだから駅を出て美味い店を探そうということになった。やはり餃子は焼きたてに限る。
さすが餃子の町だけあって、駅前にはシュールな餃子のモニュメントまであった。餃子愛に溢れている町のようだな。よく考えてみると、宇都宮で降りたのはこれが初めてかもしれない。
「トラック野郎の集まる店なら間違いないわ」
確かに大型トラックが沢山駐車してるが、単に車を留め易いだけってことも考えられるぞ。まあ、腹が減ってるしどこでもいいけどな。
派手なデコトラの脇をすり抜けて店に入る。この手の大型長距離トラックはナントカって言う交換式の大容量バッテリーを使っているから、普通の駐車場では充電できない。エネルギー密度は桁違いだが、専用の充電施設で結構時間をかけてチャージする必要がある。高性能なバッテリーなのに軍用車両に使われていないのは、インフラが機能しなくなったら終わりだからだろうな。確か海軍は魚雷の電池に使ってた筈だ。
漂って来る匂いだけで腹がキュウキュウ鳴く。店に入ると幸い二人席が空いていた。
リンリンが焼き餃子と水餃子を注文する。俺の分も注文してくれた? コイツに限ってそんな訳はないな、どっちも食べたかっただけだろう。俺も両方頼み、ついでにフライ餃子というのもお願いしてみる。常連らしい運転手の兄ちゃんが美味そうに食べていたのだ。
黄ばんだ壁に、かなり古い大型プロジェクターでニュース番組が投影されている。マイクが置いてあるところをみると、夜はカラオケに使うんだろうな。
今朝早くに大きな飛行機事故が起きたみたいだ。国際線の旅客機が千歳空港に不時着したのか、ちょうど俺達もその頃あの近くにいたよ。大型機の右の翼が半分くらい千切れてエンジンごとなくなっている、よくまあ墜落しなかったもんだ。落ちてたら大惨事だったよな。
昨夜から今朝にかけて国籍不明機の領空侵犯が相次いでいる件と、この事故との関連性についてコメンテーターが話している。ひょっとして俺達と関係あったりするんだろうか? まさかなあ。
最近メディアでよく見かける軍事評論家が、領空侵犯の度にスクランブルをかけるのは税金の無駄だと力説している。結局、領空侵犯機のことは途中からうやむやになってしまった。
素人目にもミサイル攻撃されたことは明らかなんだがな。そういえばこの評論家、ネットじゃユーラシア連邦のスパイって噂がある人物だ。ビリー氏の飼い犬って説もあるけどな。
そうこうするうちに水餃子が届いた。リンリンの奴は既にラー油をスタンバイさせている。俺は、そうだな、最初は酢と醤油だけでいただこう。
思ったより皮がもちもちプルプルしている。タマネギがたっぷりであっさりした感じだ。これならいくらでも食える気がする。
つるんと水餃子をたいらげてしまったところに、いいタイミングで焼き餃子が来た。今度はラー油も試そうか、焼きは焼きでこってり美味いんだよな。上手に羽付きで焼き上げる方がゆでるより難しいと思うんだが、値段は同じだ。焼きだと結構しっかりニンニクが効いているのがわかる。それなのになんだろう、なんだかほっこり優しい味だ。
ギトギト脂っぽいわけじゃないが、間違いなく冷たいビールと相性はいいだろう。隣で飲んでいる若者を羨ましく見ていたら、目が合ってしまった。
「何? オッサン、何? マブイ女連れてるからってチョーシくれてんじゃねーぞ、コラ」
「美味そうに飲むねえ。ああ、ビールが飲みたい」
「好きに飲めばいいじゃねえかよ。何? オッサン仕事か?」
「まあ、そんなとこだよねえ」
スパイに狙われるだけの簡単なお仕事だよ。さすがに酔っぱらうのはマズイ気がするんだよな。
「仕事があるだけラッキーじゃねえか。こちとら今朝から商売あがったりよ」
なんでも彼は個人経営のトラック野郎なんだそうだ。高速がものすごい渋滞で、仕方なく下の道に降りてみたがやっぱり車が流れておらず、とうとうこの近くで動けなくなったらしい。仕事にならずやけ酒ってわけか。
盆でも正月でもゴールデンウイークでもないのに、ここまでの渋滞は珍しいという。やっぱあれかな、新幹線が止まったせいかもしれないな。乗客が一斉にタクシーに乗り換えたことでバタフライ効果が起きたんじゃないだろうか。
最後に来たフライ餃子も美味かった。揚げ物を食ってさらにビールが飲みたくなったのは言うまでもない。半分をリンリンに強奪されてしまった。理不尽だ。
追加でもう一皿頼もうか迷っていると、突然電気が消える。客達が騒ぎ出し、厨房からカンカラカーンと鍋でも落としたような音が響いてくる。
「何? 停電? 地震? まさか戦争でも始まるんじゃねえだろうなあ」
トラック野郎の兄ちゃんが怯えている、態度はでかいのに案外ビビりだな。臆病な方が長生きできるらしいから、俺も少し見習うべきかもしれん。
心配しなくても戦争になっても徴兵とかないから、開戦してから訓練してたら間に合わないからな。局地的なゲリラ戦に巻き込まれるくらいはするかもしれないが。
最近は停電が起きるなんて地震かテロくらいのもんだが、地面は揺れちゃあいない。テロか? まさかな。本当に戦争だったらもう笑うしかない。
変電所のトラブルも、交通渋滞も、この停電も、全てが俺を狙ってるスパイ達の仕業だったりしてな。いやいや、さすがに自意識過剰だろう。いくらなんでもたった一人を狙うのにそこまで大騒ぎするわけがないさ。
しばらく待っても電気は復旧しなかった。食う物も食ったし支払いを済ませて店を出ようとしたら、リンリンがおごってくれると言い出す。絶対裏がありそうな気もするが、とりあえずラッキーだ。
まあ多分、俺が携帯端末を使ったら位置情報が流出するとか、その辺の理由なんだろうな。
「申訳ありません、やっぱり認証できないみたいです。こんな長い停電は初めてで、困ったなあ」
「通信回線も同時に落ちてるみたいね。現金払いでお願い」
「万札なんか出されてもお釣りがありませんよ」
レジで何かトラブルがあったようだ。クレジットカードは停電でも使えるもんだと思っていたが、そうでもないらしい。リンリンが渡した一万円札に店員が頭を抱えている、最近は現金を取り扱わない店も増えてきたよなあ。俺も万札と小銭しか持ってない。仕方ない、その辺のコンビニで何か買ってこよう……停電でも営業してるかな?
「釣りはいらないから、それを値段分包んでちょうだい」
リンリンが指差したのはお持ち帰り用の餃子弁当だ。なるほど、こいつ天才か。ナンシーも多分餃子は好きだろう。黒眼鏡さん達に差し入れても喜んでもらえそうだ。一万円分の餃子とか結構な量だが、余ったら俺も食うぞ。
店を出ると、街は異様な雰囲気に包まれていた。ああ、車が一台も動いてないのか。中の人達が必死の形相で携帯端末を操作している。携帯が使えない状況はさすがにヤバいかもな、このままじゃパニックが起きるかもしれない。現代人は携帯ゲームさえできればどんな時でも冷静でいられるのに。
「信号機までやられたとか、本格的にヤバいわね」
別系統だから本来なら停電中でも動く筈なんだよな? 同時多発テロって奴か? ハッキングしたのか物理的に攻撃したのかは知らないが、敵はただの素人じゃないようだ。えーマジで戦争?
「あ、いいもの見つけちゃった」
沈着冷静というか、マイペースな奴だな。なんだ、自転車屋? 結構お洒落な感じの店じゃないか。この状況なら確かに足は必要だろうが、スポーツ用の自転車ばかりで電動のは置いてないようだ。まさか、非常時だというのに足でこぐような自転車をわざわざ買うのか? 確かに電気もガソリンも必要ないが。
自転車屋に乗り込んだリンリンの買い物は俺の想像を超えていた。まさか自転車が百万近くするとは知らなかったし、そんな大金を現金で持ち歩いてる奴がいるとは思わなかった。こんなこともあろうかって……予測してたのかよ。
店で一番高い自転車を躊躇いもなくポンと買いやがった。オフロードも走れるいわゆるマウンテンバイクって奴だ。やんちゃな子供が喜びそうな太いブロックタイヤをはめてもらっている。
自転車以外にも、ヘルメットに服に予備のタイヤや工具一式まで揃えるつもりみたいだ。札束ごと渡して釣りはいらないわって……大人買いだな。値切り倒してトータルで半額くらいで買ってしまってるんだから、そりゃあ釣りはいらんだろう。悪魔みたいな買い物上手だ。
「問題はどこへ行くかよね。大阪まで走っちゃう?」
真顔で冗談を言う、まさか本気か? 一体何百キロあるんだよ。理論上は体力が続けば行けるのか? お高い自転車だし高性能なのかもしれんが、さすがに無茶だろう。
「行くあてがないんだったら、一度俺のアパートに寄ってみたいんだが」
長年住み慣れた狭くて小さい俺のアパートだ。結局、借りたままで家賃は払い続けている。ゲームの大会に招待された時は数日で戻る予定だったんで、冷蔵庫の中がずっと気になっていた。ほとんど空の筈だが、前の日に豚肉とか買ってた気もするんだよな。ミイラ化してるくらいならまだいいが、腐乱してたらさすがにまずい。
宇都宮って栃木だったよな、ここから直線距離で二百キロもないと思う。自転車で走る距離じゃないと思うが、大阪まで行くよりは現実的だ。
「ああ、それいいかもね。きっと奴らの盲点よ」
奴らって誰だよ。やはり俺はスパイに狙われてるんだな? それならヘリで救出に来てくれるくらいしてくれてもいいと思うんだよ。これだけ大騒ぎになってるんだ、もう十分に囮の役目は果たしたんじゃないかな。
自転車屋で買ったピチピチの派手な服が、スタイルのいいリンリンには結構似合っている。女は得だ。俺は……さすがにピチピチはちょっと恥ずかしいが、今年で三十だしいっそ開き直ることにした。奇抜なデザインのヘルメットとサングラスでなんとかそれっぽくは見える筈だ。どうせやるならとことん徹底すれば羞恥心なんて突き抜けてしまえる、気がする。
リンリンの奴は子供みたいに車輪の両脇にぶらさげる大きなカバンを欲しがってたが、俺達の買った自転車にはサスペンションが邪魔で取り付けられないとのこと。代りに妙な形のサイクリング用バックパックを買った。脱いだ服とか靴にお土産の餃子、工具や予備のタイヤなんかをどんどん詰め込んだから結構パンパンだ。一張羅の高級スーツが皺だらけになるな。
予備のタイヤが小さくコンパクトに畳まれていて驚いたよ、これも科学の力か。
科学と言えば、自転車用の靴にもすごいギミックが仕込まれている。見た目はよくある登山靴だが、靴底のコネクターで棒だけしかないペダルにドッキングする仕組みになっている。おそらくお高い自転車を乗り逃げされないための工夫だろう。自転車をこぐとカチンとロックされてしまう。足をひねればちゃんと外せるが、咄嗟に足が地面につかないのはちょと怖い。
かと思えば、変速機はわざわざクラシカルな機械式のを選んだみたいだ。AI制御のオートマ式もあったのに、レバーでワイヤーを引っ張って操作する骨董品を買った。シンプルで原始的だが、よく見ると結構精密なメカでマニア心をくすぐられる。
まあ、多分あれだ。電子制御の奴だとハッキングされる危険があるとかそういうことだろうな。
リンリンに追従して、渋滞している車を横目に餃子の町を出ていく。ルートは完全に彼女任せだ。なんか小さなナビみたいのを使っているみたいだが、パッシブでスタンドアローンなガジェットなのでこちらの位置情報がハッキングされる心配はないんだそうだ。何のことやらさっぱりわからんが、適当に頷いておいた。最近いろいろあり過ぎて、知ったかぶりに磨きがかかってきている。知らないことでも偉そうに頷いておけば、大抵は上手くいくもんだ。
オフロード用の自転車というのはいいチョイスだったかもしれない。バイクですら通れない脇道なんかでもスイスイ抜けていける。階段を自転車に乗ったまま下りたのには驚いたが、リンリンを見てると簡単そうにやっている。
結構怖いが、ここは男の意地を見せるでやんす。要するに度胸とバランスとタイミングだな。真似をしながら平気な顔でついていく。うむ、問題はないな。
警官に見つかったら怒られそうな気はするが、今は警察もそれどころじゃないだろう。最近は治安が悪いから、こんな時は火事場泥棒も多い、停電の混乱に乗じて略奪や放火も始まってる筈だ。そういえば非常時の放火は現行犯で射殺されるのが国際標準なんだよなあ。海外ニュースだと疑わしきは罰せよで問答無用でヘッドショットされていた。俺達はどう見ても放火犯には見えないよな? ただのサイクリストのバカップルだよ、うん。
コツをつかめばジャンプも意外に簡単だった。山道をショートカットして木の根を飛び越えていくのは楽しい。お高い自転車だけあって上等のサスペンションがショックをやわらかーく吸収してくれるみたいだ。それにブレーキがなんかしっかり止まるのがいい。握力だけで作動する油圧式のディスクブレーキは、強力かつデリケートな制動を可能にしてくれる。岩のエッジにタイヤをひっかけて、ブレーキの握り込みだけでミリ単位でバランスがとれる。アナログな操作はリンクスの操縦に通じる部分があるな。
靴のロックの意味もわかった、ペダルに足が固定されているので空中に跳び上がっても安定したアクションができる。てっきり盗難防止用かと思ったが違ったな。
階段を上る時は横向きに一段ずつピョンピョンジャンプしていくのが楽しいが、ぶっちゃけ自転車を担いで上がった方が早い。ナノカーボン製のフレームはものすごく軽い、片手でも楽に持てる、多分五キロもないんじゃないかな。さすがは軌道エレベーターにも使われている新素材だ。まあ、高級釣り竿も持ってるから今更驚かないが。
ナノカーボンでロボを作ったら余裕で水に浮くよなあ。リンクスも浮くけどさらにもっと軽くできそうだ。ただし、一回戦闘すればボロボロの使い捨てになりそうだ。やっぱり自己修復できるリンクスの方が高性能だな。
リンリンが幹線道路を避けて進むせいで、上り下りが余計に増えて結構体力を使う。なんか違法ドローンっぽいのが空を飛び回っているが、リンリンは気にしてないみたいなので俺も無視する。まあ、スパイが俺達を探してるにしても、まさかサイクリングしてるとは思うまい。
自転車はガソリンもバッテリーもいらないが、エネルギー補給は必要だ。腹が減ったので山の中の公園で餃子弁当を食べることにする。水飲み場で自転車用の水筒を満タンにする。お高い自転車だとドリンクホルダーまでちゃんとついてるんだな、至れり尽くせりだ。
「さすが本場の餃子は冷めても美味しいわね」
「美味いのはいいけど、多分俺達かなりニンニク臭くなってるぞ」
ニンニクの匂いが身体中にしみついて臭い。自分達じゃ鼻が慣れて案外気づかないもんだな、汗まで臭い。多分、今他の人間に出会ったら俺達は物凄く匂ってると思う。
「ニンニクは疲労回復にいいのよ。それに私はアイドルじゃないから臭くても問題ないし」
「それは理屈だ」
まあ、確かに餃子を食って元気がもりもり出た気はするけどな。すでに日が傾きつつあるが、この山を下りてしまえばアパートまではもう一息だ。
リンリンの奴は下りでも容赦なく漕ぐからいくらでもスピードが出る。サングラスをしてなきゃ空気抵抗で目がやばかったな。下手したら百キロ出てるんじゃないか? いや、そこまではないか。
ビュンビュン飛ばしながら峠道のヘアピンをハングオンして曲がる。こりゃ一瞬のミスで崖の外に吹っ飛ぶな、何考えてるんだあいつは? いや、多分何も考えずに命懸けのゲームを楽しんでるんだ。俺はミスするつもりはないが、果たしてタイヤが持つかな? さっき休息した時見たら、タイヤのブロックは削れて半分くらいになっていた。最新の科学でもゴムがすり減るのはどうしようもないらしい。
死と隣り合わせのコーナリング、これを楽しいと思ってしまうあたり俺も恐怖心がどうかしてしまったな。
リンリンの狂気が伝染したのかもしれない。いや、あのテロに巻き込まれた時に恐怖心をどこかに落っことしたのか、これも一種のPTSDかもな。
コーナーを曲がる一瞬、頭上を飛び越えていくロボの幻が見えた気がした。西日を浴びて光学迷彩がブレたような感じだったが、下から見上げた時のスキュータムに似たシルエットだった気がする。
よそ見をしてる暇はなかったので確認はできなかったが、まさかな。疲れて幻が見えたのかもしれない。雲か何かを見間違えたんだろう。ロボの幻影まで見るとか、俺も相当だな。
市街地に入ったので、さすがにリンリンもスピードを落とした。やれやれだぜ、追いかけていくのがやっとで、ジェットコースターに乗ってる気分だった。
「この私についてこれるとは、さすがニンジャマスターね」
俺を持ち上げたと思わせておいて、実は自分が凄いとアピールしてるわけだな。その程度はお見通しだぜ。
実際のところはどうなんだろうな? お高い自転車の性能なのか、リンリンがテクニシャンなのか。俺が見よう見まねで追いつけるんだから、やっぱ自転車が凄いんだな。