夜明け前に
リンリンがごそごそ席を立ったせいで目が覚めた。トイレかな? いつの間にか左手の空が明るくなってきている。左が東ってことは南に向かってるんだよな、このまま大阪湾まで飛ぶんだろうか。一晩中飛び続けているし、もうすぐ到着か? プロペラ機はそこまで速くないか。
二式大艇とか大昔の飛行機だし、リニアより遅いくらいだと思う。こんなのでフワフワ飛んでたら、ユーラシア連邦の旧式ジェットが相手でもいいカモだよ。ならず者達が領空侵犯して来ても、空軍の飛行機が落としてくれると信じるしかないな。
この飛行艇、ドンガラは骨董品でもキャビンは旅客機か何かの与圧ブロックをそのままはめ込んだ構造になっていて、空調も行き届いていて快適に過ごせる。尾部の銃座とかは展望室になっているみたいだけど、寒過ぎるので飛行中はお勧めできないとのこと。普通は飛んでる時に景色を眺めるもんだろう。
「これ使ってください」
犀川大佐にバーチャルゴーグルみたいなのを手渡される。映画でも見てろってことかと思ってスイッチを入れると、何の変哲もない空が映る。ひょっとして、この機体のどこかに設置されているカメラからの映像か? チャンネルボタンを押していくと、コクピットや翼の先端、銃座の展望台など、カメラが次々に切り替わる。これはちょっと面白いな。
高感度カメラなのか肉眼より随分明るく見える。ズームとかもできる……が、操作ボタンを押しても反応しないのもあるな。どうも故障中のも多いみたいだ。右側面の展望台のカメラは完動品のようで、視点までぐりぐり操作できる。あまり調子に乗って動かし過ぎると壊れるかもしれないな。壊したらやっぱり弁償だろうか?
元から壊れてたっていう定番の言い訳は……案外通用するかもな。どうもデータ取りの役目を終えた後は、数年間放置されてたみたいだ。機械ってのはメンテしてなきゃわりとすぐに壊れるもんなんだよ。特に長い間使わないでほったらかすのが一番まずいらしい、電子回路なんかも湿気で駄目になったりするからな。
カメラはともかく、モーターとか他の大事な部品が壊れてたらヤバいよな。飛行艇だから海の上に不時着もできそうだが、荒れた冬の海とかシャレにならん。タイタニック号の映画みたいになるのは嫌だ。
まあ、冒険大活劇が大好きな大佐のことだし、不時着にみせかけて潜水艦に乗り換えるくらい考えてそうだけどな。そういえば軍と自衛隊との共同訓練の映像で、飛行艇から潜水艦に補給しているシーンを見た。作業してる人達はズブ濡れになって波と戦っていたな。俺は軟弱者だから、ああいうガッツのある男達には正直頭が下がる。
俺には絶対無理だ。夏ならともかく寒い時期に海水に浸かるとか勘弁して欲しい。大佐がこれ以上妙な事を考えないことを祈ろう。
まだロボを操縦する時のGとかなら、いくらでも耐えてみせるんだがな。冬の海に飛び込むくらいならテロリストとの銃撃戦に巻き込まれる方がマシ……いや、どっちも願い下げだ。
そういえば、犀川大佐は現場の兵隊さん達に妙なカリスマがある。泥まみれの戦車を洗浄している整備兵達に、熱い缶コーヒーを差し入れしているところを何度も見た。中には感動して泣いている人までいたよ。たかが缶コーヒーでそこまで喜んだわけじゃない、偉い人が自分達をちゃんと見てくれていたというのが嬉しかったんだろう。
まあ、ご本人は普段は空調完備のオフィスで快適に過ごしてるんだけどな。人気取りの上手い策士という気がしないでもない。
中央の偉い人達から、そのうちクーデターでも起こすんじゃないかと警戒されて、左遷されてきたって噂もある。確かになかなかクセのあるオッサンで、見た目通りの昼行燈じゃなさそうだ。なんでまた俺のご機嫌取りみたいなことしてるんだろうな?
それもこれも俺には関係なくなる話だけどな。大阪のホテルに帰れば、またゲーム三昧の生活に戻れるんだ。飽きるまでゲームして、美味い物を食って、上等の酒を飲んで、風呂に入って寝るんだ。ほんと、あの場所は俺にとって天国だよ。
軍ともこれでおさらばかと思うと、感慨深いものはあるけどな。最後にこんな面白い体験をさせてくれた大佐には一応感謝しておくか。
大佐が貸してくれたバーチャルゴーグルにはマニュアルも何もないが、とりあえずボタンを適当に押しまくって大体の機能は理解した。
カメラを最大ズームにすると、水平線の向こうに雪山が見える。あれは八甲田山か? それとも日本アルプスだろうか。山なんて真剣に眺めたことなかったから、なかなか違いはわからない。富士山が見えれば間違いなくわかるんだが、どうも見当たらないようだ。
今どの辺を飛んでいるのかますますわからなくなってきた。携帯端末のGPSは使うなって言われてるから困ったもんだ。どうも通信会社経由で居場所がバレる危険があるらしい。
むしろそういうのを上手く使えばスパイを釣り出せそうなもんじゃないか……俺の考えつくことくらい軍の防諜組織はすでにやってるんだろうなあ。スパイ狩りとかいつの時代の話だよ、法律とかそういうのは大丈夫なんだろうか。
「何? 着替え覗いてたの?」
話しかけられてバーチャルゴーグルを外す。カジュアルな衣装に着替えたリンリンが戻って来ている。長いと思ったらトイレじゃなかったのか、更衣室に着替えが用意されていたみたいだ。日帰りハイキングに行く女子大生みたいな恰好だな。プチアウトドア派ってやつか?
「うん? このゴーグルで更衣室のカメラも覗けるんですか? 犀川さん」
別にリンリンの着替えを見たかったわけじゃないが、大佐の意図を確認しておく必要はありそうだ。こういうのもハニートラップって言うんだろうか? 変化球どころか大暴投って気がするが。
「軍事機密ですな」
嘘つけ。だが大佐はあくまで真面目な顔で堂々としている。たいした狸オヤジだよ。
スパイ対策のためには、あらゆる場所にカメラは必要だと思うけどな。映画なんかじゃスパイはトイレで悠々と爆弾の準備をしたりするが、実際にそこまでザルなんだろうか?
覗き疑惑は、リンリンが気にせず寝てしまったのでうやむやになった。良く寝る奴だ。
空はもうすっかり明るくなっている。小腹が減ってきたが、機内食とかはないらしい。もうすぐご馳走だから我慢だそうだ。目的地が近いみたいだな。
前方に陸地が見えてきたので、機首カメラの映像が面白くなる。まるで自分が飛んでるみたいだ。ゲームで慣れてはいても、やっぱり本物は迫力が違うな。違いは何だろうな? 墜落したらリアルに死ぬくらいか。
一応軍用機なんだしパラシュートくらいあるだろうが、訓練してない素人には無理かな。そういえば旅客機には何故パラシュートが用意されていないんだろう。勝手に飛び降りる奴が続出するからか?
「どうです? 見えてきましたか?」
大佐が嬉しそうに言う。見えるって何がだよ、空港か? ひょっとしてあの湖のことか? 飛行艇だしな。
「脱出行のゴールがカルデラ湖とか、ロマンですなあ」
「なるほど、火山の噴火口にできた湖ってやつですか? でもあんまり丸くないですよ」
火口だと言われればそう見えないこともないが、随分歪んだ形をしている。ゲームのステージのカルデラ湖はほぼ真円で、周囲の崖ももっと絶壁だった。
「準備が間に合った中ではベストのロケーションなんで勘弁してくださいよ、あはは」
いや、別にこだわっちゃいないけどな。俺は早く安全な場所でゆっくり寝たいだけだ。
だが、ぐんぐん迫る水面の迫力に眠気も吹き飛ぶ。まあ、着水の瞬間は思ったよりあっけなかったけどな。
水に浮かんでしまえば、飛行艇は普通に船だな。思ったより小回りもきくみたいだ。コストを度外視できるなら釣り船とかにもできるかもしれない。大富豪が日帰りでカジキマグロを釣りに飛ぶとか面白いかもな。まあ、某国民的釣りゲームなら南太平洋まで一瞬で移動できるけれど。
「こうしてみると飛行艇もなかなかいいものじゃないですか」
社交辞令もあるが、楽しかったのは本当だ。あとは濡れずに上陸できれば言うことなしだよ。
「まあそうなんですが、本気で運用するとなると専用のスロープを用意したりで維持費はなかなかかかります。反重力装置が普及して滑走路がなくなった世界でなら、案外重宝するかもしれませんがね」
飛行機が用済みなら飛行艇だって必要なくなるだろうに。反重力装置ねえ、ロボのエンジンにも使うんだったな。やはりこれからはロボの時代か? いや、武装さえ対等なら人型である優位性はぶっちゃけそれ程ない。ビームガン搭載のヘリとかでいいから、とにかく数を揃えて連携するのが実戦では最強な気がする。さすがのリンクスでも、そんなのが一ダース以上同時に来たらかなり厄介だ。まあ、相手の錬度次第ではあるが。
梯子をかけてもらって観光船か何かの桟橋に降りる。結局最後まで濡れずに済んだな。俺の中で飛行艇の評価はうなぎのぼりだ。いいタイミングでちょうど日の出だな、青春映画のシーンみたいだ。パイロットの人達も降りて来て、飛行艇を背景に皆で記念撮影する。皆まだ若いな、イケメン揃いで立ち居振る舞いも颯爽としている。写真の中で背広姿の俺だけが謎のモブキャラって感じだった。リンリンは何を着てても美味しいとこ持っていくよな。
たった一晩だが、世話になった二式大艇を振り返る。グレーに塗装されていることもあって、こうして見ると普通に現用機に見えるなあ。博物館とかで展示する時はやっぱり塗りなおすんだろうか。よく見ると各部のキャノピーも、一体成型したのか窓枠の格子がついていない。マニアが見たら怒るだろうなあ。あ、降りる前に後部の展望室を見学させてもらえばよかったな。
どうやらここは観光地らしく、お洒落なペンションが建ち並んでいる。リンリンはまったく違和感がないが、軍服姿の大佐は浮きまくりだ。俺はなあ……背広でリゾートに来たって別にいいじゃないか。
数分歩いて大佐が予約してくれていたホテルに到着。湖が見えるなかなか瀟洒な建物だ。あ、飛行艇が飛び去って行くのが見えた。せっかくの珍品なのに、この時間じゃ目撃者はほとんどいないだろうなあ。
“アメマスのふるさと支笏湖へようこそ ご宿泊所 ペトロナスカムイ”
看板にはそう書かれている。支笏湖ってどこだったかな。なんとなく響きが北海道っぽいんだけど。それよりアメマスってなんだよ、この湖って釣りスポットなのか? 大佐もなかなか接待というものをわかっていらっしゃる。
まずはゆっくり一泊して、ご馳走を堪能して。しばらく釣り三昧の日々が送れるか、と思ったら甘かった。
フロントでいきなりくじの入った箱を渡された。訳も分からず三角くじを引くと3と書いてあった。何かのイベントかと思ったんだが……まあ、ある意味イベントには違いなかったんだが。
「三番ですか、札幌まで車で送らせましょう。急いでください」
釣りは、ご馳走はどうなった?
「七番ならマス料理を堪能した後、ヘリで新千歳空港までご案内したのですが。残念でしたな」
本当に時間がないらしく、ホットサンドの包みと魔法瓶を手渡されてリンリンと二人で駐車場へ。黒塗りの車が待ち構えていた。
「ここでお別れです。いや何、またすぐお会いすることになるでしょう」
にこやかに俺達に手を振る大佐。気になるのは駐車場に整列しているカップル達だ。何故か男は皆背広姿で、パートナーの若い女性達の服装はリンリンのとそっくりだ。こういうのが最近流行のファッションなのか? まさかそんなわけない、どう考えても俺達の影武者要員に集められたエージェントだろう。
女の子達は見た目は女子大生風でも、どいつもこいつも熊でも殴り倒せそうなオーラをまとってやがる。男達はなあ……俺はあんなに強面じゃないぞ、もっとこう爽やかな感じの好青年だ。まあ、スパイと交戦する可能性もあるわけだし、腕っぷしの強い連中を集めたらこうなったんだろう。
「まだまだよね」
「ああ」
リンリンが小さく呟いたので相槌を打っておく。納得いかんよな。
それにしても大佐の奴、自分は名物のマス料理とかちゃっかり食っていく魂胆に違いない。なんだかんだで釣りだって楽しむんじゃないかな。
いや、俺を囮にしてスパイを釣り出すのが目的なんだろう、そういう仕事なのはまあわかる。だが、スパイ狩りの餌なら影武者だけでもいいじゃないか。
待てよ。俺の安全を最優先するなら、俺だけ密かに樺太から大阪のホテルまでVTOLで直行するのが一番だった筈だ。
わざわざあんな骨董品の飛行艇を引っ張り出して見せたのは、ユーラシア連邦上層部のメンツを潰して挑発するためか。上から命令されれば、スパイ達は成功の見込みがなくとも動かざるを得なくなる。
俺っていつからそんな大物になったんだ? スパイを釣る餌にするために、大佐が盛りまくった偽情報を流したのかもしれないな。エスパーとか騒がれていたのもそれなら納得だ。
札幌ってことは、おそらく北海道新幹線に乗るんだろうな。リニアに乗り換えなくても夕方までには大阪に着けるな。何事もなければの話だが。