胸は大きな美少女剣士
ここ数日、周囲の雰囲気がなんかピリピリしているし、兵隊さん達の数がめっきり減っている。国際情勢とかそういうのがやばいことになっているんじゃないだろうな?
携帯端末に使用制限がかけられているため、メジャーどころのニュースしか閲覧できないのが困るなあ。アメリカで大規模な暴動が起きてるみたいだが、最近はよくあることだし日本は関係なさそうだ。てっきりユーラシア連邦の方で何かあったかと思ったんだけどなあ。
大手はどこも同じ情報ソースを転載しているだけだから、情報は古くなるし何より面白くない。いちいち目を通すだけ時間の無駄か。時間は貴重だよ、イチイさんがみっちりスケジュールを入れてくれるせいでとにかく忙しい。
なんだかんだで一日十二時間は完全に拘束されてるよなあ。以前の職場に比べればこれでもかなりマシだが、健康で文化的な生活には程遠い気がする。今にして思えば入院中は天国だったかもしれん。またギックリ腰にでもならないかなあ。
スケジュール表に親善試合と小さく書かれているのを見たので、昼食は軽くしか食べなかった。ゲームの試合ならいくらでも平気だが、何だよ、実戦流剣道って? どうやらパワードスーツを着てチャンバラをするというコンセプトらしい。話を聞く限りじゃ楽しそうではある。
民間用のアシストスーツなら、学生時代に引っ越しバイトをした時に使ったことがある。確かに重い物を楽に運ぶことができたが、見た目的にあまりカッコよくなかったし、安全のためにあまり素早くは動けないようにリミッターがかかっていた。
陸軍の戦闘工兵が着ているのは、装甲とかついたメカメカしいやつで、結構ロボっぽい。ああいうのを着れるんなら面白いと思っていたのだが……
「わざわざ新品を用意してもらえるなんて、ひょっとしてあなた偉い人なの? 本当は専用のスーツなんてエースでもなけりゃ用意してもらえないのよ」
パッドにクリームを塗って俺の体に装着してくれている白衣の女性、推定50歳。せめてあと20年若くて美人だったらロボットアニメの王道的なシチュエーションなんだがな。いや、まあ、贅沢は言うまい。若くても美女でも残念な奴らもいるんだ。
彼女が整備兵なのか衛生兵なのかは知らないが、こういう仕事をするならせめて爪をどうにかして欲しい。熊みたいに伸びている爪の先がツンツン肌に当たって結構痛いんだ。というか、パッドの装着くらい自分でやりたい。これって心拍計の電極ベルトと似た様なもんだろ? 多分クリームなんか塗らなくても使えるし。俺の体形はわりと標準的だから、サポーターの長さを少し調整すれば電極はだいたい定位置にくるしな。そもそもこういうものは一人で装着できる仕様になっている。
「戦場帰りって雰囲気でもないわねえ。幹部候補生かしら?」
根掘り葉掘り聞かれてうっとおしいな。絶対これ任務じゃなくてただの好奇心だよ。こういうオバサンは前の会社にも大勢いたし。
「ただの見学者ですよ」
「何よ、それを早く言いなさいよ。ガキじゃないんだからこんなもん自分で着な。言っとくけどあたしはここで一番偉いんだかんね。所長だって飛ばしたことがあんだよ」
よくわからんが、勝手に勘違いして勝手に怒りだす。言われなくても自分で着るよ、パッドの位置を素早く調整しなおす。
「喧嘩売ってんのかい? 気に入らないねえ」
どうやらオバサンが貼ったパッドの位置まで動かしたことが更に勘に触ったようだ。自分の仕事を否定されたと思ったんだろうな。職人気質の板前さんとかならまだわかるんだが、適当な仕事をしておいて逆切れされても困る。
ん? 背後に殺気を感じてちょっと避ける。頸動脈を紙一重で長い爪がかすめていく、これは普通に殺人未遂だと思うな。そういえば俺は暗殺者に狙われてるんだった。
「痛い、イタイ」
俺が避けたせいで机の角を思い切り叩いてしまい、なんかオバサンの爪が折れてしまったようだ。生爪が剥がれてしまったらしく、しゃがみこんで身悶えしているが同情はしない。なんだよこの茶番は、こんなドジなスパイがいるわけないな。きっとただの暴力オバサンだ。パワハラか?
「そんなに爪を伸ばしてると危ないよ」
すごい顔で睨みつけてくるが、痛みで動けないみたいだな。俺は優しいから部屋の外にいた警備の兵隊さんに声をかけて引き渡す。厄介事を丸ごと押し付けたとも言う。医務室に連れて行ってもらえば大丈夫だろう。
さてと、電極サポーターはちゃんと装着できたし、あとはパワードスーツを着るというか乗り込む? 訓練用のものなので装甲の代わりにクッションで覆われている。モコモコだな、雪だるまの着ぐるみみたいでちょっと可愛い路線のデザインだ。これでも軍用のカッコいい奴と中身はだいたい一緒らしい。
服なのかロボなのか微妙なところではある。足の方から順番にビンディングをロックしていく。アニメとかだとこういうの一瞬で装着してるけど、あわてて挟んだりしたら痛いじゃ済まないぞ。
挟むと大変なのは簡易トイレだな。吸い上げ機能つきのオムツのちょっとすごい奴なんだが、毎回使い捨てのようだ。包装フィルムを破ってコネクターにセットする。使う気はさらさらないが、こういうのがあると確かに安心だ。実戦では漏らすことは珍しくないそうだから整備の人も安心だ。
うーん、コントロールパネルは胸部装甲の内側にあるのか。手を先にスーツに通してしまうとこの位置は操作できないんじゃなかろうか? 多分、正しい手順があるんだろうが、もうパズルだよ。マニュアルにも書いてない、というか多分マニュアルが一冊足りない。きっとあのオバサンがなくしたな。
とりあえず腕をロックする前に起動してみると、電極の信号を拾って認識し始める。問題なく足は動くようだ。腕を入れてヘルメットを装着すると、バイザーにメニューが表示される。腕を前に突き出すと、疑似ホログラムのキーボードが目の前に浮かんで見える。実際はバイザーの液晶に表示されているだけだから、慣れないと遠近感がつかみにくい。使えなくはないが、ミスタイプが多くてストレスがたまるよ。
階層メニューも直観的でなくわかりにくい。ハードウェアの問題というより、ソフトを担当した奴が駄目過ぎる、ベティちゃんの足元にも及ばんな。まあ、デフォルトの設定でも普通に動けるから問題はない。僅かなタイムラグで三半規管が混乱するせいか、歩くと足元が若干ふわふわするように感じる。
立ち上がると普段より視点が30センチ程高い。低い敷居だと普通に頭がぶつかるな。普段着にするにはオーバー過ぎるが、ホテルの警備員とかはこれを着ればいいのに。意外に装甲がしっかりしているから、防弾チョッキより数段安心だと思う。
なんか楽しくなって来たぞ。変なオバサンのせいで下がったテンションもⅤ字回復だ。
練習試合をするための『道場』には、発泡ゴム製の『畳』が敷かれていた。小学校の校庭なんかに使われているやつだ。転倒しても一応安心だな。
渡された武器はそのまんま竹刀だ。要するにこれでルール無用のチャンバラをやればいいのか。パワードスーツを覆うモコモコのクッションにセンサーが取り付けられていて、ダメージを判定してくれるらしい。
マニピュレーターのフィードバックはなかなかいい感じだ。バーチャルグローブに手を突っ込むだけの簡単操作で竹刀くらいなら難なく扱える、卵をちゃんと割れるか試してみたいぐらいだ。
「準備できたなら早速お手合わせ願いたい」
親善試合なんだし勝ちにこだわることもなかろうと思っていたんだが、相手の少尉さんは無茶苦茶やる気のようだ。
少尉って階級は士官学校を出たばかりの若造ばかりなので、勘違いしたままの生意気な奴も多いと聞いている。そういう手合いの鼻っ柱をいわゆる歓迎会でへし折るのもキンタの大事な仕事らしい。あいつ見た目は怖いから適任だな。
軍隊では上官の命令は絶対だが、それは権力ではなく責任によって担保されているということを叩きこむんだそうだ。具体的に何をやるかは知らないが、一生知らなくてもいいや。
礼をした俺の頭を狙っていきなり少尉君が竹刀を振り下ろしてくる。実戦流とやらはそういうのもアリなわけね。こういうのはお約束だしなんとなくやってきそうな気はしていたので、軽く下がって避ける。スーツに慣れてないせいで間合いが読みにくい。いつもよりちょっと大きく回避するのが無難かな。
相手のパワードスーツは16番のゼッケンがついている以外は俺のと同じみたいだ。使い込まれているせいか、白い筈のクッションがかなり汚れている。
機体性能も同じならよかったんだが、パワーもスピードも圧倒的に負けている。ちょっとズルい気もするが設定の違いかなあ? なにしろこっちはデフォルトのまんまだしな。
本人がそれを自覚しているかどうかは知らないが、力任せに一方的にねじ伏せようとして来る。技の一つ一つはなかなか洗練された動きなんだが、つなぎ方が強引過ぎて全体の流れとしてかみ合っていない。“ガーディアントルーパーズ”ではレオ使いに多いタイプだな。猛攻をしのげさえすれば、ある意味一番楽な手合いだよ。
名前は忘れたけれど、テロの時にナイフを振り回して来た男の娘の方がまだ強かった。あいつは対人戦のプロだったみたいだしな。場数を踏んで初めて見えてくることもある。
適当にピシピシっと小手とか胴を叩いてやるが、そういえば審判が見当たらないな。ライフゲージの表示もないしルールがよくわからん。本物の刀なら今のでダメージが通ったと思うんだがなあ。
そもそもパワードスーツが実戦で刀なんて使うんだろうか? むしろナイフというか、長めのアイスピックみたいなので装甲の隙間から中の人を刺す方が効果がありそうだ。いやいやいや、この程度の運動性能なら普通に銃火器が当たるぞ。アシストスーツより反応がいいといっても、生身の状態よりさらにワンテンポ遅れるレベルだし、拳銃弾すら避けられる気がしない。
その辺は本職の軍人さんがちゃんと考えているんだろうが、興味はあるよな。小銃の弾くらいは装甲で跳ね返せるのかもしれないが、刀だって装甲は貫けないだろう。“ガーディアントルーパーズ”で近接戦闘にメリットがあるのは、攻撃力が桁違いだからだ。その理屈でいくと、パワードスーツを軽く一刀両断にできるくらいの刀が欲しいよな。
でも、あくまでスポーツと考えれば竹刀で叩き合うのは悪くないよ、うん。ビシバシ叩き込んでも撃破にならないから、好きなだけ打ち込みの練習ができる。
少尉君が体ごと叩きつけるように突進して来るのを回り込んで躱す。基本的に俺はつばぜり合いはしない主義だ、“ガーディアントルーパーズ”のビームソードとかだと角度によってはすり抜けがあるしな。
“ガーディアントルーパーズ”に比べるとお互いにスローモーションで動いてるようなものなので、見切るのは造作もない。俺のスーツの方が動きが悪いが、ちょうどいいハンデだと思って焦らずのんびりいく。
多分だけど、このパワードスーツは人間が筋肉を動かす微弱な電気信号を拾って動いてるんだと思う。脳波とか神経とかかもしれないけど、まあとにかく体が出してる電気だろう。感圧センサーとの二段構えかもしれない。この方式だと人間の動きを越えることはできないわけで、すぐに限界がきてしまう。やはり“ガーディアントルーパーズ”の方が遙かに爽快感があるよ。リンクスの性能はまだまだ底が見えていない……俺が真の性能をまだまだ引き出せていないだけで、本当はもっとずっと強くなれる筈なんだよ。
なんか少尉君のすり足が異様に伸びてくると思ったら、足裏にローラーが仕込んであるみたいだ。この手のギミックは嫌いじゃない。まあ、使い方次第だよな。
ああ、スイッチはこれか? 少々踏み込むのにコツがいるが、踵とつま先がペダルになっているようだ。キュルキュルと音がして、モーターの焼ける匂いがしてくる。慣らし運転とかした方がよかったんだろうか? 今時のモーターは性能がいいし、大丈夫だということにしておこう。前進も後進もできるみたいだが、踏み込み過ぎると急に回転が上がって転倒しそうになる。やっぱり使いこなすには慣れが必要だよな。
少尉君はなんか調子にのって俺の周囲をローラーでぐるぐる走り回り始める。ヒットアンドウェイを気取ってるんだろうが、バッテリーとか大丈夫なんだろうか? すり抜けざまに左手一本で竹刀を払ってきたかと思うと、右手で俺の腕をとりにくる。
わざわざ竹刀を片手に持ち替えたから何か仕掛けてくるとは思ったんだよ。面白そうなのでわざと掴ませてやると、そのまま足払いが飛んで来る。柔道と剣道がフュージョンしてるなあ。
足払いにあえて逆らわず、むしろこっちもローラーを踏み込んで勢いをさらに加速させる。そのままだと転倒してしまうので左足のローラーを逆に回し、体をスピンさせてバランスをとる。
竹刀を裏拳の要領で叩き込んでやる……つもりだったのだが、間合いが近すぎて肘打ちのようになってしまった。なんとなくいい位置につけたのでそのまま力任せに背負い投げっぽくしてみる。
上手くいったと思ったらガツンと背中に衝撃。どうやら投げてる途中に蹴られてしまったようだ。なんでもありルールだと、投げ技はキレが悪いと反撃されるよなあ。
不安定な体勢から蹴りなんかするから、少尉君は受け身をとりそこなったようだ。変な落ち方をしたけど、大丈夫だろうか。ブースト機動がないから空中ダッシュはできないしな、せめてワイヤーアンカーくらいあればいいのに。
だがさすがはパワードスーツ、この程度なら中の人は無事みたいだ。なかなか頑丈だな。ヨタヨタしているがまだギブアップするつもりはないようだし、ここは寝技で追い打ちかな? パワードスーツの特性上、関節技なら中の人にもダメージが通るだろうしな。手加減し易くて痛い技って何かあったかなあ。
少尉君が寝技を警戒して必死で起き上がろうとしたところを、普通にショルダーロックで拘束する。隠し武器でも内蔵してない限りこれで詰んだよ?
「勝負あった。なんだ今の勝負は! ダメダメじゃねえか、テメエコラ、師匠に恥かかせる気か?」
観客席から飛び出して来た紺色の道着みたいなのを着たオッサンが審判だったみたいだ。少尉君は口汚く罵られて可哀想なくらいしょんぼりしてしまう。
「センセイこれは違うんです」
少尉君はなんか必死みたいだけど、こんな時に言い訳はカッコ悪いと思うぞ。この男がセンセイねえ……キンタが言ってた人だろうか?
「相手の力量も見抜けねえひよっこが、何勝手に始めてるんだよ。それでボロ負けしてりゃ世話ねえなあ、馬鹿なのか? 馬鹿だよな」
「あいつが生意気そうだからボコボコにしてやろうって皆が言うから……だから」
「どうせやるなら絶対に勝て! 負けちまったら意味ねえじゃねえか。せめて十人がかりで不意打ちくらいしろ……ってもてめえらの腕じゃ歯が立たねえか」
こいつら本当にろくでもないな。弟子が弟子なら師匠も師匠だ、ゲス過ぎていっそすがすがしい。手加減なんてしてやるんじゃなかったよ。それにしてもこのセンセイ、なんかどこかで見覚えがあると思ったら野球ゲームのオヤジじゃないか。一体何者だ?
渡された名刺には『ノザワ流機動格闘術最高師範 トミー・野沢』と書いてある。機動格闘術とかうさん臭さ大爆発なんだが、こいつが只者じゃないのもなんとなくわかるんだよなあ。戦えば勝てるとは思うんだが、ちょっと不気味な雰囲気がある。三段階変身くらい残してそうだ。
「いいか馬鹿ども! 相手はバケモノだ、テメエら井の中の蛙どもが束になってもかなわねんだよ。勝てない相手くらい一目でわかれよ、そしてビビって逃げろよ。そんくらい生まれたての小鹿ちゃんにだってできんだよ。戦場ならもう死んでるぞ、死んだ気になりやがれ、一から叩き直してやる。とりあえずお仕置き、特訓、フルコースいっとくか?」
少尉君に加えて観客席で見物していた生意気そうな若者達が集められ、ボロクソに叱られ始めた。今時の若者なら口答えの一つもしそうなもんだが、連中は怒り出すどころか皆が借りて来た猫のようにしゅんとしている。
そういえば米軍では訓練の際に、人格を徹底的に否定するような罵詈雑言を浴びせるという噂を聞いたことがある。兵士として生まれ変わらせるとか一種の洗脳だが、それくらいやらないと戦場では役に立たないのかもしれない。日本でそんな真似をすれば人権問題だが、現場ではある程度黙認されているのかもしれない。平和ボケしたまま戦場に送り込んでも、戦死者を量産するだけだろうしなあ。
「こうなった以上仕方ねえ。この商売、舐められちゃ終わりなんだよ。ノザワ流機動格闘術の真の恐ろしさを見せてやらあ。ナージャ出番だ、支度しな。勝ってこい、今夜は扇屋のエビグラタン食わせてやる」
「本当か、父ちゃん! 用意して来る」
観客席にいつの間にか紛れ込んでいたセーラー服のガングロギャルが更衣室に駆けていく。あの娘は一体何者だ? 水兵さんには見えないな、胸はすごく大きいが女子高生くらいのお年頃かな。制服がセーラー服なんて今時珍しい、場所も近いし樺太第一高校の生徒さんみたいだな。
「父ちゃんって……娘さんですか?」
「インドの山奥で拾って養子にした。なんたってエスパーだぜ、超強いぜぇ。オリンピックが今もまだあったら金メダルを総ナメにしてやったんだがな」
またエスパーの話か。まあ、インドの人ってエスパーとか得意そうではあるが、フィクションの世界の話だ。ハッタリをかまして試合前から俺を動揺させる作戦だな。
「お待たせしました、ナージャ・野沢です。よろしくお願いします」
流暢な日本語だ。娘さんの方はちゃんと礼儀正しくできる子じゃないか。彼女のパワードスーツは蛍光ピンクのクッションで覆われていて、何かのゆるキャラの着ぐるみのようだ。ファンシー? あまり汚れていないところを見ると、この娘の専用機かもしれないな。高校生がパワードスーツに乗ってもいいのか? スポーツってことで別にいいのかな。
「こちらこそよろしく」
ガングロじゃなくてインドの人だったか。確かに言われてみれば化粧っ気のない健康的なお肌をしている。リンリン達よりもさらに若いな、十代の肌は張りがあってきめ細かくて羨ましいよ。
整った顔の正真正銘の美少女だし、なにより腹黒じゃなさそうな点がいいよな。グラタンに一喜一憂するなんておぼこくて可愛いじゃないか。惜しいなあ、額に神秘的なホクロがあったら完璧だったのに。あれは化粧だったかな?
ナージャちゃんがヘルメットを装着するのを待って、一礼して試合を始める。彼女のスピードも少尉君のと同じくらいだな。やはり俺のスーツの設定に問題があるようだ。
彼女の動きは平凡なのに、妙にプレッシャーを感じる。技と技のつなぎ方が上手いのか、少尉君と逆だな。これは油断していると詰将棋みたいに追い込まれてしまう。
気を抜いたつもりはないのに、簡単に竹刀を叩き落とされてしまう。あれ? 今のは俺のミスか? 拾おうとすればその隙にやられる。こうなったら拳で戦うしかないが、少々相手が悪い。強いぞこの娘。
ナージャちゃんが少し下がる。どうやら竹刀を拾わせてくれるみたいだ。遠慮なく拾わせてもらおう。
やばいな、なんか負けてる気がする。やっぱり俺はミスしてない筈だぞ。理由もわからず押されているこの状況は……ナージャちゃんの方が数段格上?
動きを読んだつもりがことごとく裏目に出てしまう。逆に俺の動きが読まれているというのか?
「お嬢は世界一のラッキーガールだぜ! お前なんかがかなうもんかよ」
ギャラリーの一人がヤジを飛ばし、センセイにゲンコツで殴られるのが見えた。
ラッキーガール……運がいいってことか? そういえばエスパーがどうかといってたな。超能力なんて信じちゃいないが、インドの人なら神秘的な異能の一つや二つは持っていても不思議じゃない気がする。
運の存在は科学的に説明がつくんだろうか? とことんツイてる奴ってのはいるもんだし、運が悪い日は何をやっても上手くいかないよな。サイコロの目がここ一番って時に外れることはアマチュアギャンブラーなら皆知っている。プロが勝てるのは豪運かイカさまのどちらかだとリンリンも言ってたな。
俺はカジノで賭け事をしないことにしているが、リンリンの奴はギャンブル好きでいつも負けていた。あいつは銃弾の雨の中を無傷で抜けるほど悪運が強いくせに、ギャンブル運は可哀想なくらいにない。本人はギャンブルで負けることで悪いツキを落としてるんだとか言ってたが……運ってそういうものなのか?
理論はよくわからんが、俺の読みがことごとく裏をかかれるのがナージャちゃんの強運のせいだとしたら、勝ち目がないってことじゃないか。
ナージャちゃんは最後は必ず勝つことになっている物語の主人公と同じだよ。ノンフィクション作品とかだとたまたま運よく生き残った人が本を書いてるんだから、奇跡のような展開もまあ当然なんだが……ナージャちゃんの場合はそのご都合主義が現在進行形で起きるってわけか。
理不尽だよな、アニメの敵キャラにでもなった気分だ。俺がどんなにあがこうと定められた運命からは抜け出せないってわけか。
待てよ……俺としては別にこの試合で勝つ必要はないんだよ。彼女が絶対負けない異能者だとしたら、練習相手として理想的じゃないか。最近じゃ互角の勝負をしてくれる相手なんて貴重だからな。
細かい駆け引きはもうやめだ、試してみたかった技を次々に繰り出していく。ナージャちゃんは俺の予想外の動きでそのことごとく凌いでしまう。それがたまたまのラッキーなのか、狙ってやってるのかはもはやどうでもいいことだ。運も実力のうちだしな。
俺より強い相手がいてくれてこんなに嬉しいことはない。初心にかえって胸を借りる気で何度でも飛び込んでいく。だが楽しい時間というのはすぐに過ぎていくもののようだ。バイザーの隅でアラートが点滅し始める、パワードスーツのバッテリーが残り少なくなったらしい。ちょっと減りが早くないか? 二試合連続だったしこんなものかな。
最後に無心の一撃を振りおろす。ナージャちゃんの竹刀を弾き、そのままヘルメットを叩きつける。剣道なら面あり一本ってところだな。あれ? 俺が勝ってしまったぞ……異能はどうなった?
ふう、冷静に考えれば異能なんて現実にあるわけないじゃないか。俺としたことがあやうく騙されるところだったよ。運を操るなんていくらインドの人でも無理なんだよ。
この世にはエスパーも異能者も存在しないのさ。人の心の弱さがそういった迷信を信じたがるのだ。ナージャちゃんは超強い。それが現実だ。
「参りました」
ナージャちゃんがヘルメットを脱いで、剣道みたいに一礼する。慌てて俺も真似をする。
「あなたはどうしてあんなに戦えるんですか?」
「え、うーん。腹八分目だからかな?」
試合前に満腹は論外として、ハングリー過ぎても力は出ない。本当は六分目くらいがいいのかもしれないけれど、昔から八分目がいいって言うからな。
派手な技なんかばかりが注目されがちだが、結局勝負なんてのはそういう細かいことの積み重ねなんだよなあ。ナージャちゃんが呆れたような顔をして見ている、若い子にはちょっと地味なアドバイスだったかな。
「嘘だろ! なぜ負ける? お前の力は一体何なんだ!」
センセイが変な小芝居をしながら何やら叫んでいる。大袈裟だな、本気で異能とか信じちゃってる迷信深い人なのかもな。まあ、信じるのも信じないのも本人の自由だよ、他人に迷惑をかけない範囲で好きにすればいいさ。
「昔からよく言うだろ、勝とうと思うから負けるんだよ。娘さんあんなに頑張ったじゃないか、ちゃんとグラタン食わしてやりな」
「……言ったな、言ったからには言い出しっぺが全部奢れよ、当然俺の分も。武士に二言はないだろうな」
せこいセンセイだな、まあよかろう。扇屋とか言ったか、高級レストランだというのは聞いている。どうせすごくお高いんだろうが、最近はそういうのにも普通に慣れた。三人前で50万もあれば足りるだろう。
ナージャちゃんはすごい笑顔だ。まだまだ色気より食い気のお年頃って感じだな。ん? 結局この娘は目的を果たしたってことになるのか、確かにラッキーガールではあるかもな。