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俺のロボ  作者: 温泉卵
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悪い奴ほどよく食べる

 途中でリンリンに奇妙なカジノに連れ込まれはしたが、そもそも今夜の目的は神戸牛を食べることだ。知らなかった情報も聞けたし、無駄な寄り道だったとは思わないけどな。


 その店の入り口は通りから少し奥まった路地にあった。ステーキハウス“但馬の春”と書かれた小さな看板が出ている。和紙に書いたのを貼っつけてあるだけだが、黒々と毛筆で書かれた文字はかなりの達筆だ。字が綺麗だとこれだけでそれなりに見えてしまうからお得だな。他には食品サンプル等何もない。微かに肉の脂の焼ける匂いがするからここで間違いないんだろうけれど。


 指をちょいとかけるだけでカラカラと和風の引戸が軽快に滑る。指物師が作った本物の木でできているアンティークだ。

 

 キイキイ鳴く板張りの廊下も歴史を感じさせる。さすがにウグイス張りとかじゃないと思うが、どうなんだろうな? 下手に知ったかぶりをすると後で恥をかく、黙っているのが一番賢い。


「この床板は明治時代のものらしいわ。廃村の小学校から取り寄せたんですって」


 やはりウグイス張りじゃなかったようだな、思った通りだった。最近流行のビンテージ木材とかいう奴だな。百年以上昔に作られた古い建物や木造船、ワインの樽なんかに使われていた古材が高値で取引されているのだ。昔の校舎なんかにはやたらいい木が使われていたりするから、解体業者には宝の山だ。元の素性がいい板は軽く鉋をかけてやるだけで良材になるんだが、あえて手を加えずに使い込まれた風合いをそのまま楽しむのが通らしい。


 長い廊下は薄暗いが暖かい灯に照らされている。照明は全て本物の白熱電球が使用されているようだ。赤熱したフィラメントがオレンジ色に輝いている。使用する電気の多くが無駄な熱になってしまうというエジソンの発明品だ、エネルギーの無駄遣いもいいとこだな。今時こんな電球どこで売ってるんだろう? ガラス球の先っぽにバーナーで溶かしたようなツノが生えているが、まさか一つ一つ職人が手作りしてるのか? 金持ちは本当に酔狂なことをする。


 ステーキハウスは完全予約制らしく、受付で待たされることもなかった。IDチェックはしている筈だが、それらしい機械は上手く目につかないように隠されている。そういえば監視カメラも目立たない。今どきカメラが一つもないなんてことはないと思うが。


 店内は全席がカウンター席……鉄板を囲むテーブルの島が広い室内に八つ並んでいて、それぞれに担当の料理人がいる。客の目の前で焼いて食べさせてくれるスタイルのようだ。


「ヘラッシェー」


 俺達の担当の料理人は浅黒い肌のラテン系イケメンだった。やたら両手のコテをチャキチャキっとこすり合わせて油をなじませている。手際のよさをアピールしているつもりのようだが、俺はこういう過剰なパフォーマンスはあまり好きじゃない。特にイケメンにやられると自己主張×自己主張で胸やけがする……イケメン過ぎるのも考え物だな。女性客にはこういうのが評判よかったりするんだろうか?


「なんやー、奇遇やなあ。せっかくやしご一緒せえへん?」


 わざとらしい大根役者がやって来たぞ。承諾も待たずにストンと俺の隣に座ってしまう。このタイミングで偶然なんてことがあるもんか、なかなか巧妙な待ち伏せだな。


「ナンシー、テメエ。予約はどうした?」


 リンリンがとたんにガラが悪い声を上げる。一人で抜け駆けしようとしたところへ邪魔が入ったってわけで、彼女としては面白くないだろう。


 狐と狸の化かし合いか。はあ、両手に花だがこいつら二人だとちっとも嬉しくない。


「世の中金や、金さえあれば何でもできるんやで」


 黒眼鏡さんたちがいろいろ頑張ったんだろうな。あの人達も好きで仕事をやってるんだろうけど、たまに嫌になったりしないんだろうか? 仕事の後飲み屋で愚痴くらい言ってたりするかもな。


 ビリー氏の後継者候補というデマのせいで、大勢のスパイがトッププレイヤーにハニートラップを仕掛けようと狙ってることはわかった。だが、この二人はハニートラップのふりをしているだけみたいだな。リンリンの場合は俺を囮にして賞金首をおびき寄せてるんだろう。ナンシーは多分いいとこのお嬢だし、スリルのために火遊びしてるとかそんな感じかもしれない。

 

 性格にクセがありすぎるが、この二人のおかげで他の女達が寄ってこないのは正直助かる。最近じゃこいつらのことを一応は味方なんだと思いたくなってきている。これもストックホルム症候群という奴かもしれない。

 

 イケメンがタケノコの皮に乗せられた生の肉を保管庫からこれ見よがしに取り出す。ああ、綺麗にサシが入ってるね。確かにすごく美味そうなんだけれど思った程に食欲が沸かない、やっぱり疲れてるせいかなあ。とんでもない話を聞かされたせいで胃が重いし。


 慣れた手つきで肉の端を包丁でこそぎ取るイケメン。形を整えたんだろうが、その端切れを捨てるのはもったいないぞ。たった一グラムでもラーメン一杯より高価なお肉様だ。俺の心配を他所に、切り取った小さな肉片をバーナーで炙り始める。肉質を確認してるのか?


 表面の色が変わった肉片をいきなり小皿に入れると、スッと俺たちの前につき出して来る。食べてみろってことか? すでにリンリンはひょいとつまんで口に放り込んでいる。


 軽く炙っただけの生肉。調味料も香辛料も使われていないそれは舌の上でバターのように溶けてしまった。食欲がないと思っていたが箸をつけてみるとやはり美味い、これならいくらでも食えそうだ。


「なんやこれは、ただ焼いただけの肉やないか。こんなん料理とちゃうわ……とかそないなこと言うかいな。文句言うたら一見さんはここでサイナラってトラップや」


 ナンシーが怪しげな関西弁で一人漫才をしている。ただ炙った肉を食わされて怒る客とか、グルメドラマならよくありそうなシチュエーションだな。残念ながら俺の限られた人生経験じゃそんなドラマチックなトラブルは見たことも聞いたこともない、店に不満があれば黙って次から行かなきゃいいだけだし。


「そこまでは考え過ぎだろう。要するにいい肉を使ってますってアピールだな。味付けしない方がいろいろわかりやすいし」


「失礼します」


 女性の店員さんがグラスにワインを注いでくれる。最初の肉を口にしたこのタイミングで来るのは意図的なものだろうか? いい香りの赤ワインだ。瓶のラベルには“飯縄紅玉”と書かれている。イヅナコウギョク? イイヅナルビー? どう読むんだろうな。


 ぬるいワインは香りはよかったが、口に含むととんでもなく渋い。思わず頬っぺたがキュッっとなる、こりゃいくらなんでも渋すぎる。が、牛脂を洗い流してくれてさっぱりした。舌に残るのは肉本来の旨味だ。


「なんやこれ、あかんけどなんかクセになりそな味や。赤身肉にも合いそやな」


 確かに不味いのに嫌じゃないというなんとも不思議な渋さだ。この酒だけで飲む気にはとてもなれないが、肉と一緒だとすごくいい。


「味覚が鋭くなった気がするよな。クジラ肉とかにも合いそうだ」


 日本じゃ捕鯨は禁止されているが、増えすぎたミンククジラをアメリカの捕鯨船が乱獲してくれているおかげで普通にスーパーで冷凍クジラが買える。赤身肉以外は海上で捨てられてしまうため手に入らないが……


「クジラなんか牛肉の代用品やろ」


 アメリカじゃ安物のハンバーグの増量用やドッグフードの原料扱いらしいからな。もったいない話だ。


「俺は生姜醤油に一晩つけてから焼くクジラステーキが好きなんだ」


 うちの爺さんはクジラというと竜田揚げ派だったが、醤油漬けステーキにするとあの鉄臭い独特の風味が生姜とコラボして絶妙なんだ。この渋い赤ワインとも相性がいいだろう。


 脂っこい肉を口にしてとりあえずビールが飲みたかったのだが、たまにはワインもいいものだな。少しずつ舌で味わう。うーん、渋い。


 リンリンが静かだと思ったら、真剣な表情でもぐもぐしている。本当に肉が好きなんだな。


 いよいよメインの肉切れが鉄板の上に並べられていく。一枚二百グラムくらいかな? ジュウジュウ派手な音と共に香ばしい脂の香りが広がる。美味そうだけど、火力が強すぎやしないか?


「うちはウェルダンな」


「レアでお願いします」


「ヘラッシェー」


「無駄よ無駄。この店は焼き加減はミディアムレアしかないんだから」


 イケメン料理人は三切れの牛肉をせわしなく裏返している。肉の他には馬鹿でかいマッシュルームと、二つ割りにしたナスビ、それに青唐辛子が焼かれている。火が通り過ぎたのは端の方に寄せられていく。どうやら鉄板の場所によって温度が違うみたいだ。


「ああっ、それはあかん。あかんやろ」


 イケメン君がいきなりナイフでステーキを一口サイズに切り分け始めたのを見てナンシーが悲鳴を上げる。俺も叫びたい気分だ、せっかくの高級ステーキがこれじゃサイコロステーキになってしまう。


 他の料理人はどうしてる? 他所のグループの鉄板を見わたしても、やはり肉はサイコロにされてしまっている。でも隣の鉄板を担当している料理人は我らがイケメン君より数段腕がよさそうだ。初老の小男だが、動きに怖いくらい隙がない。


「たいしたもんだな」


 明快な目的のために洗練された動作というのは美しい。調理でも、戦闘でも。


「ええ、たいしたものよ。そういうのもやっぱり見ただけでわかるのね。ここの店長の予約は半年待ちなのよ。さすがに今日は頼めなかったわ」


 成程、あの料理人は店長なのか。俺が老人の動きに見入っているのに気付いたリンリンがいろいろ解説してくれる。あの男の考えた焼き方なら、この店のステーキが細かく刻まれてしまうのにも理由があるのだろう。全ての肉切れに最高の状態で火を通すためとかそんな所じゃないかな。


 イケメン兄ちゃんもそれなりに頑張っているが、店長と比べたらまだまだだな。確かに店長のコテの動きを正確にトレースしつつあるが、肉を上手に焼くという本来の目的を見失ってやしないか? 染み出た肉汁をナスに吸わせて誤魔化してはいるが、明らかに店長の焼いている肉より脂が抜けて縮んでしまっている。


 子供の頃から俺にはどちらのケーキが大きいのか正確に見分けることができるという特技があった。食べ物のことで卑しい真似をするなと爺さんに折檻されてからは封印していたつもりだったが、今でも食べ物を見比べればどっちが大きいか一瞬でわかってしまう。


 イケメン君の焼く肉の方がどんどん小さく縮んでいく。いかに神戸ビーフといえども、肉汁が抜けてしまっては味は落ちるだろう。鉄板の上の空気の揺らぎから察するに、店長の方は火を落としてほぼ余熱だけで調理しているようだ。あの店長、火力の調整のタイミングとかをイケメン君にちゃんと教えているのだろうか? 技術は盗んで覚えろとか言いだす古いタイプの人かもしれないな。


 イケメン君は焼きあがった肉に銅製のボウルで蓋をする。肉を休ませている間に冷めてしまわないようにしてるんだろうが、鉄板の温度が高すぎるからこうしている間にもどんどん肉汁が抜けてしまう。いいからさっさと食わせてくれよ。


 おあずけ状態で待たされてしまったが、永遠かと思われる時間が終わり、ようやくイケメン君が皿の準備を始めてくれた。やっとか。

 

 あとは盛り付けるだけかと思いきや、皿に盛る直前になって思い出したように岩塩とコショウをミルで挽いてふりかけている。


「なんやて。普通塩コショウは焼く前やろ。使うん忘れてたんちゃうやろな」


 店長の方を盗み見ると、やはり客に出す直前に塩をかけている。ということはやはり意図的にこのタイミングなんだろう。狙いは何だ?


 目の前に置かれた皿からステーキを一切れ箸でつまむ。あれ? 思った程焼き過ぎ感はないな。口に入れるとさすがにいい肉だけあって当然のように美味い。ミディアムレアとしては火が通り過ぎだが、ちゃんとプロの料理人の仕事だ。


 最後にふりかけられた粗挽きの岩塩はそれ程塩辛くはなく、それでも確かな塩気を舌に届けてくれる。


「なるほどな。ただ焼いて出すだけでも美味しい肉だから本来は調味料は必要ないんだ。食べる直前にほんの少しだけ岩塩を使ったのは悪くないアイディアだけど、これならつけ塩で食べさせても面白かったかもしれないな」


「ヘラッシェー」


「いい肉は何したって美味しいのよ。量が足りないのだけが問題よね。五百グラムは欲しいかも」


「ヘラッシェー」


「そやな。一ポンドくらいないと肉食べた気にならへんなあ。ところでこの人日本語わからんのとちゃう?」


「ヘラッシェー」


 ラテン系のイケメン君は相変わらず愛想のいい笑顔を見せている。最近は優秀な同時通訳アプリがあるからわざわざ外国語を覚える人間は少ないんだ。


 ナンシーがスペイン語っぽいので話しかけると、イケメン君は途端に饒舌に食いついて来た。


「情熱的に口説かれてるわね」


 だろうな。言葉はわからないが、さすがにそれくらいは俺でも見当がつく。


「この渋いワインは面白いな。神戸ビーフに負けないインパクトがある」


「でしょ。肉と一緒に飲んで初めて真価がわかるの。ホテルの担当に仕入れさせといたから、ルームサービスで届くわよ」


 そいつはありがたい。あのホテルの宿泊代もルームサービスも全部タダなんだよな。俺の部屋なのに利用しまくってるのはもっぱらリンリン達だけど。


「生肉はさすがにルームサービスじゃ無理か。今の病室のキッチンじゃ火力も足りないしな」


 店長が焼いているのを見て、俺もこんないい肉を自分で焼いてみたくなった。鉄板は無理でもダッチオーブンくらいならなんとかなるかもしれないな。分厚い鉄の余熱を生かすだけで肉料理は数段美味くなるからな。


「なんや面白い話してるやん。バーベキューするならうちも上等のお肉持って参加するで」


 イケメン君に飽きたナンシーまで食いついてくる。


「肉食いながら次の肉の相談か。二人ともどれだけ肉好きなんだよ」


「あんなあ。生きるってことは肉を食べるってことなんやで」


 哲学的な酔っぱらいの戯言だな。気を付けないとワインは結構酔う。うわばみのナンシーがボトル一本程度でどうなるわけでもないんだが。


「肉よりナスが美味いかも。神戸ビーフのエキスをたっぷり吸った最高のナスだぞ」


「私はナス嫌いだから肉とトレードしてあげるわ」


「うちもトレードしたる。ナスもマッシュも苦手やねん」


 嘘つけ、と思うが、すでに俺の皿に肉はない。代わりにナスとマッシュルームが山盛りだ。さすがにタンパク質がもうちょっと欲しかったな。神戸ビーフでなくてもいいから、すき焼き用の一番安い牛肉をぺぺっと炙ってこのナスに巻いて食べたらきっと最高だろうな。


 リンリンが注文した白ワインに牛脂の染みたマッシュルームが驚くほどマッチしたり、一度は俺に渡したマッシュルームをナンシーが取り戻して結局自分で食っちまったりいろいろあったが、まあ楽しかった。

 

 肉の奪い合いでバカ騒ぎしたりするのも学生時代に戻ったみたいで懐かしい。二人とも食い意地は張っているが、それほど卑しい感じがしないのは演技でやってるからだろうか? リンリンの肉好きは本性のような気もするけどな。


 何故かナンシーの食事代まで俺が払わされて、三千ドル程カジノチップが減ってしまう。今日の為替レートはチェックしてなかったが、ざっくり三十万円以上か。一回の食事代としてはとんでもないが、今日の俺の稼ぎと相殺するとこの程度の支出でもまだまだ黒字なんだよな。


 この金銭感覚に慣れてしまうのは危険な気がする。花形スポーツ選手や売れっ子アイドルが引退後に借金地獄にハマったりするのはよく聞く話だ。こういうのは収入がなくなってからが怖いんだ、いきなり生活レベルを落とすのは難しいからな。


 畳の上で大往生したいなら贅沢は敵だ。自炊すれば一ヶ月の食費は一万もあれば余裕でやっていける。

 

 ここはやっぱり。懐に余裕のある今のうちに、安くて美味くて栄養バランスの良い最高の貧乏飯ローテーションを完成させないとな。


 ベッドに転がり込んで今日の為替レートをチェックしようと携帯端末をいじっていると、掲示板が来月からのパンの大幅値上げの話題で盛り上がっているのが目についた。食パン価格が二倍以上になるかどうかについて激論が戦わされている。


 オーストラリアの熱波で小麦がほとんど実らなかったらしい。年明け早々小麦粉の卸売価格が最高値を更新し続けているとか大丈夫なんだろうな地球? このふざけた時代に、俺はどこまで生き延びることができるだろうか。

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