今夜秘密のカジノに行こう
よろよろと自分の病室にたどり着き、ベッドに倒れこむ。ギックリ腰はとうに治っているが、なし崩し的に入院したままになっている。ここなら万一心臓麻痺を起したとしても多分大丈夫なので、そういう意味では安心だ。
心臓がまだバクバクいっている。専用筐体のGにはだいぶ慣れはしたが、慣れたら慣れただけ動いてしまうので結局きついのは変らない。
プロゲーマー舐めてたなあ、前の仕事とは別の意味で大変だ。どんな仕事でも金を貰ってやる以上はきつくて当然か。
肉体的にも限界だが精神的にもまいっている。ここ数日射撃に力を入れていたせいで、自分の射撃がいかにダメか理解できてしまった。せいぜい初心者に毛が生えた程度、竹林君の足元にも及ばないレベルだ。
とんとん拍子に勝ち進んで、たまたまTOP3に残っていい気になっていた。俺の射撃の腕前が対戦相手に知られていたら、おそらくそこで詰んでいたと思う。
近接戦闘だって、運よくレオとぶつからなかったから駒を進めることができただけだ。プレイヤーの腕が互角ならリンクスじゃレオには勝てない。いや……機体性能のせいにするのはよくないな。リンクスもベティちゃんも最高の相棒だ。俺がまだまだ性能を引き出せていないだけだ。
こんな調子で次の大会を戦えるんだろうか? プレイヤー数はうなぎのぼりらしいし、操縦に慣れたベテランプレイヤーの層も厚くなってきている。前回出場者は徹底的に研究されるだろうし、TOP16にすら残れないかもしれない。
別に勝ちにこだわっているつもりはないが、何故かプレッシャーに押しつぶされそうだ。くそ、次の大会で負けたら田舎に帰って引き篭もろう。金ならそこそこ貯まったし、以前みたいに一日ワンプレイのペースでのんびり楽しめればいいさ。地元で筐体が置いてあるゲーセンを探して、近くのアパートでも借りて余生を送ろう。
何年後かはわからないが、いつか“ガーディアントルーパーズ”のサービスが終了する日がくるんだろうなあ。ネットワーク接続が前提で筐体単体では機能しないから、そうなったら二度とプレイできなくなる。ああ……諸行無常なことよのう。
暖かい。うたた寝をしている間にメイドロボが毛布をかけてくれていたようだ。
「ねえ、今晩私とデートしなあい?」
耳元で突然色っぽく囁かれて、完全に目が覚める。ゾクゾクっときた、半分くらいは悪寒だと思う。コケティッシュな美女が甘い吐息を吐きかけて来る。誰だこいつ? 胸の大きく開いたドレスに豹柄のショール。水商売風のコスプレをしたリンリンだった。
まあ、似合ってるけどさ。今オジサンは疲れてるんだ、そっと眠らせておいてくれよ。
「勘弁してくれよ、今日はもうのんびりするんだから」
時計を見ると17時半か、二時間近く寝てしまったみたいだ。昼寝にしては微妙な時間帯だったな。頭痛は治まっているが、今日はもうゲームはしたくない。風呂入って飯食って寝よう。
「何年寄りくさいこと言ってるのよ。今夜は秘密のカジノに案内したげるからさ。ねえ、行こうってば」
最近の若い娘は強引だなあ。デートのお誘いなんて二十代の頃ならドキドキしただろうが、オジサンはもう三十路だからなあ。色即是空、そういう情熱は枯れてしまったよ。青春時代なんて一瞬のはかない夢なのさ。
「美味しいお肉食べて元気出そうよ。本物の神戸牛が入荷したのよ、滅多にないわよ」
神戸牛か……そういえば初めて会った時もこいつ肉食ってたな、肉食系女子め。オジサンも牛の肉は大好きだぞ。パーティーじゃほとんど食えなかったし、一生に一度は味わってみたいな神戸ビーフ。
結局、食欲に負けてまんまと連れ出されてしまった。たまには気分転換に外出もいいかもしれない。こいつと一緒なら、多分テロリストの十人くらいは蹴散らしてくれるだろう。
リンリンに腕を組まれて地下街を歩く。考えてみればこの島に来て以来ホテルから出るのは初めてだ。若い娘が隣にいるのはまんざらでもないが、相手が相手だし鼻の下を伸ばす気にはなれないな。
黒眼鏡さんたちが数名つかず離れず着いて来ている。お仕事ご苦労様です。あの人達は結構給料もらってそうだけど、俺が移動するたびに振り回されてそんなに楽な仕事じゃないよな。この島の中は比較的安全らしいけれど、できるだけホテルに引きこもってあげた方がよさそうだ。
地下一階の筈なのに、天井はガラス張りでビルの夜景が見える。赤提灯の屋台なんかも出ていて、まるでここが地上みたいだ。
「外は屋台なんかももっと多いんだろうか?」
「物流業者以外は出ちゃいけないのよ。この島のルールでね」
ひょっとしてVTOL機の離発着のためか? いろいろ事情がありそうだが、地上に通行人がいなければ交通事故の防止にもなるだろうな。
ビルの谷底から見上げる夜空に宵の月が浮いている。風情があってなかなかよろしいが、わざわざ見てる人は誰もいないのな。
月面にキラリと光る光点がいくつも見える。あれが何なのか諸説あるが、ネット掲示板では発電用の超巨大な鏡という説が有力だ。あんなに沢山あったかなあ、以前は肉眼で見えるのはほんの数個だけだった。そういえばここ何年も真剣に月を眺めたことなんてなかった気がする。金もあるし、昔欲しかった高性能双眼鏡を買ってみようかな。月のクレーターまでくっきり見えるやつだ。買ってもほとんど使わない気もするが、果たして物欲に勝てるだろうか。
双眼鏡程度では月面の構造物を見るのは難しいかもしれない。天体望遠鏡の方がいいか? でもあまり大きいのは邪魔だしなあ。どちらにせよ、ブレ補正とかついてないクラッシックモデルがいいな。
倍率が10倍以下でいいなら、昭和期のアンティークがネットオークションで出回っている。昔の光学機器にはレンズやプリズムといったガラスの塊が入っているだけだが、それだけでちゃんと機能するのがすごい。バッテリーを必要としない驚異のメカニズムだ。最近の画像処理機能つきだと機密に触れるものは全てモザイクがかかってしまうし、ネットワークに常時接続しているから変なものを見ようとするだけでブラックリストに記録されてしまう。特にビリー氏関連の施設を撮影しようとするのはヤバいらしい。
月の開発もビリー氏傘下の企業が独占してるんだよなあ。秘密の設備は全部月の裏側に作られているという噂もあるが、それもあくまで噂だ。マスコミの情報ソースの大部分はビリー氏傘下の有料情報サイトだし、事実上の情報統制が敷かれていると考えていいだろう。
世界的お金持ちのビリー・レイス氏が率いる企業帝国。一人の苦学生がたった一代で築き上げたもので、アメリカンドリームにも程がある。彼は謎に包まれた人物で、科学者であり発明家であり実業家だという。ビリー氏自身の発明はほとんどなく、合衆国のここ十年の研究成果を一人で刈り取っただけだという批判もあるが、たとえそうだとしても普通の人間には到底真似できることじゃない。
俺なんかと比べれば正に月とスッポン、雲の上の存在だ。そもそも比較すること自体がおこがましい。そんなすごい人を俺は直接見たし声だって聞いた。それどころか間接的とはいえ今や俺の雇い主なんだよなあ。
屋台の並ぶ大通りから一歩裏通りに踏み込むと、途端に怪しさ倍増だ。外から見れば綺麗な街なのに、こんな薄汚れた場所もあるんだなあ。俺一人ならこんな物騒な場所には絶対に入らないんだが、リンリンは気にせずずんずん進んでいく。
こういった場所は掃除する者もいないのだろう、演出ではなく本当に汚い。疫病でも流行ったらえらいことになりそうだ。それでも営業している店があり、派手な電飾が輝いている。店の中で大音量で流している音楽が通りにまで聞こえてくる。不衛生で虚飾に満ちた粗野な街だが、ある種の異国情緒はあるな。
「ようよう兄ちゃん。上玉連れとるやんけ」
お約束のようにパンチパーマにサングラスのチンピラがからんでくる。いろいろすごすぎるビリー氏のことを考えていたせいか、こういった人間臭い馬鹿を見るとなんだか救われたような気になる。上見て暮らすな下見て暮らせだ。俺みたいな人間でも生きてていいんだなって思えるよ。
上玉って多分リンリンのことだろうな、笑ってしまう。やめときゃいいのに、何されても知らないぞ。まあ、何も知らなきゃ可愛い女の子に見えるか。知らぬが仏だ、まさか自分が今虎の尾を踏んだとは思うまい。いや、たとえるならむしろチョウチンアンコウのぴらぴらにおびき寄せられた小魚だろうか。餌に食いついたつもりが気が付いた時には丸のみにされてそうだ。
リンリンを置いて俺だけさっさと逃げようとしたら、きゃあとか可愛く怖がりながらしがみつかれてしまった。彼女の口の端が凶暴に笑っている。どうせ悪いこと考えてるんだよこの女は。
「だーほおっ! なたーけたことてくれてんじゃーっ」
いきなり乱入してきた派手な格好の男が、チンピラの頭を容赦なくはたいて無理やり土下座させる。
突然の展開に驚くが、闖入者は少なくとも敵ではなさそうだ。言葉は理解できないが、俺達に殺気は向けられていない。
「姐さんさーせんしたあっ。このアホはよーしつけときゃーすんで、大目にみたっーさい」
どうやら後から来た派手男はチンピラの上司か何かで、リンリンを知っているようだ。本気で怯えながら一緒に土下座している。まあ、リンリンを敵に回したら命がいくつあっても足りないだろうし、ひたすら謝るのが正解だ。なにしろ虫を殺すようにテロリストを始末する女だ。こいつに勝つには殺られる前に殺るしかないが、多分殺気に気づかれた瞬間に殺される。
目の前にはいつくばる二人の男、見た目はチャラいが結構強いぞ。特に後から来た方はナイフ使いのアキラといい勝負かもしれない。こんなのがゴロゴロいるこの島もおかしいが、そんな男を震え上がらせるリンリンの方がもっとおかしい。
「行きましょ」
チンピラ達を無視して俺の手を引いて歩き出すリンリン。彼女がチッと舌打ちするのが聞こえる、どうやらここで一暴れしたかったようだ。腕に覚えがあるからといって調子に乗りすぎじゃないか? あいつらだって拳銃を隠し持っていた。窮鼠猫を噛むってこともある、自分が負けるなんて想像もしていないのか? いや違うな、こいつはわざわざ自分の命を危険に晒してスリルを楽しんでるんだと思う。
今の騒ぎで彼女の右太腿に拳銃が吊り下げられてるのに気付いた。スカートで上手く誤魔化していたんでわからなかった。咄嗟にどうやって引き抜くのか見たかったような見たくなかったような……
さっきの派手な男はリンリンの情報を含めいろいろ知ってそうだったな、とりあえず顔は覚えておこう。あれだけ強いのに手下のためにあっさりプライドを捨てられるところを見ると、なかなかの人物かもしれない。
汚い路上にブルーシートを広げて何やら銀色のボルトのような物を売っている怪しい露店。置かれた懐中電灯の青白い明かりに、売り子の手がぼうっと浮かび上がる。煤けた印象の客達がぼんやり眺めているが、買う気はなさそうだ。
同じような店が狭い通りにいくつも並んでいる。中には電子パーツや銃弾を売ってる店もあるが、ボルトが一番多いな。こんな場所でネジなんか売ってどうするんだろう?
しばらくすると路地は終わって、再び広くて明るい通りに出る。あんな治安の悪そうな場所をわざわざ通る必要はなかったんじゃないのか? 近道なのかもしれないが、黒眼鏡さん達の苦労も少しは考えてやれよな。いや、ひょっとすると護衛をまくためにわざと路地裏を通ったのかもしれないぞ。
リンリンとナンシーはどうやらライバル関係にあるようだ。利益が一致すれば共闘もするが、味方同士というわけでもないらしい。
一般の観光客があまり歩いていないと思ったら、埋設されているワンボックスのチューブトレインみたいな交通機関を利用しているようだ。万博会場でビルの谷間を走り回ってた透明チューブの奴の改良版ぽい。埋めてあるのはコスト的な問題だろうが、せめて一部区間でも高架にすればいいデモンストレーションなのに。もちろん透明チューブで。
「玄関から玄関への直行便だろ? 乗ってみたかったなあ」
発車時点で到着までのスケジュールが全て計算済みのため渋滞しない夢の交通機関だが、この島以外ではほとんどインフラが整備されていない。将来的には小型化したものが宅配システムとして普及するかもしれない。
「あれはねえ、自分が荷物になった気分になるのよね。マフィアの幹部クラス以上は絶対に乗りたがらないわ」
制御コンピュータからの命令一つで車両ごと刑務所へ直行だからなあ。逮捕ならまだいいが、この島でビリー氏に敵対したら人知れず神隠しにあうかもな。
「アメリカ本土でやりすぎるとあっちのマスコミがうるさいけど。ほら、この島は日本の特区だから」
よくわからんが日本はいろいろチョロいってことか。この島全体がビリー氏のオモチャというか実験場で、俺はモルモットの一匹なのかもしれない。
「それで……ここがステーキハウスなのか?」
リンリンが立ち止まったのは白亜のビルの正面。透明なパネル越しに見上げた感じだと地上五階くらい、この島じゃちょっと小ぶりな建物だ。ライトアップされたモダンな入り口にはギリシャ神殿をモチーフにしたような大理石の柱が並ぶ。扉の両脇に制服を着た美形のボーイさんが待機している。立ってるだけならアンドロイドでいいのに、人件費の無駄遣いだな。
「ここは秘密のカジノよ。お肉食べに行く前に軽く一勝負していきましょ」
俺は基本的にはギャンブルは嫌いだ。いきなり相手の土俵で勝負とか、危険な香りしかしないじゃないか。神戸牛に釣り出された俺が馬鹿だったよ。
「秘密のカジノねえ」
あまりカジノっぽくないのは人が少ないせいだな。人間のバニーちゃんに案内されて暗い通路を進んでいくと、広いホールに出た。透明な床の下は池になっており、ものすごい数の錦鯉が泳いでいる。光源のほとんどが水中に設置されており、水面がゆらゆら揺れるたびに無数の魚の影が壁や天井を泳ぎ回る。なんとも成金趣味というか子供騙しの趣向だが、ここまで大がかりだとさすがにすごいな。
床には約二メートル四方のガラスのパネルが敷き詰められているんだが、踏み抜くのが怖くてつい金属製の枠の上に足を置いてしまう。普通に考えれば割れないように作ってるとは思うが、わざわざ試そうとは思わない。
ホールの奥には透き通ったガラスのテーブルがいくつか、さらに何かのオブジェと思われる大きな銀色の半球が並んでいる。
俺達をテーブルの一つに案内してくれたバニーちゃんにリンリンが十ドルチップを渡す。彼女はチップを胸に挟むと優雅に一礼して、自分のスタイルを見せつけるようにお尻を振り振り立ち去っていく。あざといんだが下品には見えずむしろカッコいい、さすがはプロだな。
「ここのチップの相場は十ドルくらいなんだけど、可愛い娘にカッコつけようと百ドルチップを渡す男も普通にいるわ」
カジノチップでチップを払うのか。ほんの数分案内するだけで十ドル以上とか、あの娘はチップだけで一晩にいくら稼ぐんだろう。
「静かな店だねえ」
「もっと静かになるわよ」
俺たちがガラスの椅子に腰を降ろすと、天井から透明半球が降りてきた。よく見るとテーブルの周囲の床は丸い一枚板になっている。
ドームにすっぽり覆われる、プシュっと音がして床と密着した。瞬間的に床も天蓋も銀色の鏡面仕様になる。なんだこれは? 静か過ぎる? 耳がおかしくなりそうなくらいだ。
「最新式の盗聴防止装置らしいわ。音も電波も全て遮断してしまうの」
なる程ねえ、マフィアが秘密の取り引きとかに使うんだろうな。隣に並んでいた銀色の透明半球はオブジェなんかじゃなくてすでに中に客が入ってたのか。
「でも、記録式の盗聴器には効果ないだろ?」
おそらく振動や電磁波なんかを完全に通さない仕組みなんだろうが、いくら外部と完璧に遮断したとしても、録音は防げない筈だ。
「レコーダーの類はこのカプセルに入れておけば大丈夫よ」
机の脇の銀色のケースは金庫のようだ。なんで全部銀色なんだろうな? スイッチ一つで鏡になるガラスはかなり昔からあるが、特に防音の機能とかはなかった筈だ。新しいテクノロジーか、それとも単なる演出か?
「普段は音声ログとかは別にとってない……まあ、体に変な物埋め込まれてたらわからないけどな」
冗談のつもりだったが、冗談にならないことに気がついた。入院したけど大丈夫だよな? いくらなんでもまさかな。
「何事にも絶対はないでしょうけど、別にかまわないわ。ここに二人きりで入ったって事実が重要なんだから」
意味深なことを言う奴だな。二人っきりでここで何をするつもりだ? まさかハニートラップか?
「ここの使用料は十分間で二百ドルするのよね。もったいないからポーカーでもやっとく?」
リンリンはそう言ってテーブルに置かれていたトランプをシャッフルし始める。
ああそうか、テーブルも椅子もオールガラスなのは盗聴器を隠してませんってアピールなんだな。鏡を使ったトリックで相手の手札を覗いたりできそうな気もするが。
「マフィアが大事な勝負事に使う特別なカジノ、というのは建前で。秘密の商談に使う場所なのよ。中立地帯だしね」
ここなら盗聴されないってことは逆に言えば他の場所は盗聴されてるってことだよな。当然俺の病室も。
「それで、君はどこまで知ってるんだ?」
普段は話せないような情報を聞き出すチャンスだが、咄嗟に何を聞けばいいのかわからない。自慢じゃないが頭の回転はそんなによくないんだ。
「私が知ってるのは、ビリー氏がランカーの中から自分の後継者を選ぼうとしてるって噂だけよ」
いきなり特大の爆弾情報だ。世界一のお金持ちのビリー氏の後継者選びだと? 確かにビリー氏は独身だし親族もいないという噂がある。だが事業の補佐役は大勢いるわけで、ゲームのランカーを跡継ぎに指名するなんてあり得ない。仮に俺が指名されたとしても、勤まるわけがない。
「それは言葉のあやだよ。あくまでビリー氏の趣味を引き継いで行く者達といった意味だと思う」
ダメ社員が社長の釣りの師匠になる的なノリだろうな。まあ、趣味のコネクションというだけでも侮りがたいものはあるが。
「私もそんなところだとは思うのよ。でも、万が一ってことがあるじゃない? 彼はやることなすこと規格外なんですもの」
それで目の色を変えてプレイヤー達をハニートラップで取り込もうとしてたのか。ビリー氏本人にも玉の輿狙いの美女が群がっていたようだが。
ビリー氏の冗談一つに振り回される人々の姿は滑稽だが、影響力があまりに大きすぎて洒落にならない。
「私はただ、ニンジャマスターに興味があっただけなんだけどね」
「言っとくが俺は忍者じゃないぞ」
「本物のニンジャはみんなそう言うのよ」
本物の忍者に会ったことがあるのかよ? まあ、簡単に忍者だと見破られるようでは忍者は勤まらないだろうけど。
「忍者はどうでもいいが、今の喋り方が君の素なんだな?」
リンリンは盗聴されている時にはいろんなキャラをわざとらしく演じてみせていた。あれはさりげなく俺に警告してくれてたんだよな? 盗聴されていないここでは演技をする必要はない筈だ。
「ああ、別に素って程でもないんだけど、衣装に合ったTPOがあるじゃない。あと、聞かせる相手にもよるわね。この商売は舐められちゃ仕事にならないのよ」
つまりその場のノリで喋りを変えてただけだったと。俺が勝手に勘違いしてただけか? それは……ちょっと恥ずかしいな。
「盗聴してる連中をからかってやろうってのももちろんあるけどな。盗み聞きには気づいてますよってね」
突然別人のように声色を変えるリンリン。こいつが一人二役で喋れば盗聴してる奴は勘違いするだろうな、まったくたいしたもんだ。
「相手が人間なら混乱するだろうが、AIは声紋で聞き分けてるからな」
専用の機材があれば声紋を誤魔化せないこともないが、声色を変えたくらいじゃ無理だ。そして膨大な声紋のデータベースを管理しているのもビリー氏傘下の企業の筈。
「最近のAIは賢いから逆にひっかかるのよ」
ひっかけてどうするんだよ? 監視システムに多少負荷がかかるかもしれないが、その程度はシステム全体から見れば誤差の範囲内だろう。だが、確かに優秀なAIであれば疑心暗鬼になって判断を誤る可能性もあるな。
なんでわざわざ嫌がらせみたいなことをするかなあ、担当者プログラマーは仕事が増えて泣いているかもしれない。建前としてはプライベート空間の盗聴は違法だから彼女が法的に罰せられることはないだろうが、公的なものであれ私的なものであれ不要な負荷をかけるのはマナー違反ではある。
結局、リンリンとポーカーはしなかった。無駄話をしてないでいろいろ聞き出せばよかったんだが、重要な情報を一つ手に入れることができたのでよしとしよう。
ビリー氏の後継者の噂はすでに関係者の間では公然の秘密のようだから、今さら俺が知ったところで特に問題はない筈だ。
問題は俺とリンリンが密室に一定時間いたという事実が残ったことか。秘密裏にどんな情報交換が行われたのか誰も知らないわけで、不確定情報に勝手に尾ひれがつくのは時間の問題だ。それこそがリンリンの狙いで、俺はまんまとはめられた形になる。
まあ、結果が必ずしも俺にとって不利になるとは限らない。この女が敵なのか味方なのか今のところ情報が少なすぎて判断のしようがないし、もうしばらく様子見だなあ。




