ハンドレッドナイブズ
リンリンたちの勝利に俺も油断していたのだろう。頚動脈にナイフを当てられるまで殺気に気付かなかったとは情けない。
いや、なんとなく異様な雰囲気は感じていたんだが、隣で女装男子がフリフリのミニスカドレスなんか着ているもんだから、てっきりそういう系のアブノーマルなオーラが出ているんだと思ったのだ。
生臭坊主の取り巻きの男の娘の一人、仲間達にはアキラと呼ばれていたそいつは、化粧のせいかまだ少年のようにも見える。実際は十八~二十歳ってところかな? もっとも、整形で容姿を弄っていればその限りじゃないが。
アキラは手を負傷したと言って戦いには参加せず厨房に残っていた。外見は大人しそうな少女だったのだが、よくもまあ猫をかぶってたもんだ、今はリンリンより獰猛な目つきをしている。こうして隣に並ぶと身長は俺と大差ない、まあ、中身は男だしな。
そういえば、テロリストを手引きした奴が味方の中に紛れ込んでるかもしれないと隊長クンが言っていた。
「手間をかけさせるようなら、殺すよ」
アキラが俺の首に押し当てているナイフは、多分コンバットナイフって奴だ。刃渡りは二十センチくらい、ブレード部分も含めて全体がマットブラックでいかにもミリタリー風だ。本当に軍用品なのかもしれない。
肌に触れた刃がひんやり冷たいが、材質は金属か? なんとなくだがセラミックとかじゃない気がする。
一年前ならこんなごついナイフで脅されたりすれば、怖くて動けなくなってただろうな。だが、Xキャリヴァーを普段使いしている今の俺にとっては、笑ってしまうぐらいに小さい凶器だ。
“ガーディアントルーパーズ”にのめりこんだせいで、こんな状況でも冷静でいられる。考えてみればゲームから学べることっていろいろあるよな。
「銃をゆっくり床に置け、こいつに怪我されちゃあんたらだっていろいろマズイんだろ?」
俺を人質にしたアキラが意味深なことを言う。少なくともこいつの中では俺はなかなかの重要人物みたいだ。
といっても厨房に残ったメンバーの中で銃を携行してるのはオリガだけ。彼女が言われたとおりにすると、アキラはすかさずつま先で銃を冷蔵庫の下に蹴りこむ。
銃を奪って自分で使おうとしなかったところを見ると……ひょっとしてアキラも俺みたいに射撃が苦手な口か?
ナイフの持ち方は随分サマになっているが、近接オンリーでもプロとしてやっていけるんだろうか? そういうのちょっとカッコイイじゃないか。少しだけアキラにシンパシーを感じてしまう、ストックホルム症候群ってやつだろうか。
料理長の爺さんがアキラの指示に従って台車のコンテナに残っていた武器を全部ダストシュートに捨てる。シュレッダーが壊れるから硬い物は放り込むなって注意書きが貼ってあるんだけどお構いなしだ。
ダストシュートは小さい子が落ちると危ないから、日本国内じゃ禁止されてるんじゃなかったかな。外国の映画なんかじゃ悪い奴らが殺した相手をバラバラにして放り込んだりするんだよ。そういう展開にならないことを祈る。
幸いなことに、アキラはそんなスプラッターなことは考えていなかったようだ。気絶している生臭坊主を運ぶのに台車を使いたかったのだろう。
やはりプレイヤーを誘拐するのが奴らの目的か。
「おい、お前が押していくんだよ」
え? 俺もかよ。やっぱりそうなるのか。
俺は右手にゴム製の手錠みたいのを嵌められてしまう。内側の粘着シートは一度腕に貼ると簡単には剥がせそうにない、むわっと接着剤特有の匂いがする。
鎖ではなく二メートル程のワイヤーで対になるアキラの左手の手錠とつながっている。ある程度自由に動けるが、逃げられないってことだな。
「裏切ったりするのはいけないと思うの。怒ったりしないからおよしなさいよ、いい子だから、ね」
オリガが悪戯っ子を諭す保母さんみたいなことを言う。この娘の天然っぽいキャラは演技じゃなさそうなんだよな。
「ウゼーよババア。こいつら二人は俺のおかげで命拾いするんだ。感謝しろよ、なあ」
なるほどそうか、拉致られれば少なくとも命だけは助かるのか。行き先はやっぱり屋上だろうな。一体何が待ち受けているかはわからないが、ここは成り行きに任せるのも一つの手ではある。
ババアと言われたオリガは露骨に嫌な顔をしていた、こういうわかりやすい娘はなんか癒されるよな。腹の中で何考えてるのか読めないリンリンとは好対照だ。まったく、世の中にはいろんな奴がいるもんだ。三人娘たちとも一度ゆっくり話がしてみたかったな。
俺を人質にアキラが出て行くと、勝利の喜びにわいていたレストランの雰囲気が一変する。
「何の真似だよアキラ君!」
アキラの仲間の一人が声をかけてくる、どうやらこの裏切りはこいつの単独行動みたいだな。他の男の娘たちは今のところ味方と考えてよさそうだ。
「妙な真似はするなよ。こいつらは大事な鍵なんだろ、殺すわけにはいかないよな? 俺は簡単に殺せるけどな」
アキラが大声を張り上げる。
すでに展望レストラン内のテロリストは一掃されており、アキラにとっては完全な敵地だ。
銃を手にした連中が俺たちを取り囲むが、アキラが俺の首にナイフを突きつけているせいで手が出せないでいる。
マーシャの腕ならこいつを狙撃するくらいわけないだろうが、アキラも特に彼女を警戒しているようで凄い目で睨みつけている。銃を構えるより先に人質を殺せるぞってことか。
外国じゃ人質の安全よりテロリストの射殺を優先したりもするようだが、そんな強硬策に出る雰囲気でもない。どうやら俺の命はたいした値打ちがあるみたいだ。そういえば鍵がどうとか言ってたな、何かの隠語か?
それにしても、御伽噺のさらわれるお姫様的なポジションにまさか自分がなるとは思わなかった。こういう役回りをオッサンがやっても絵にならないよなあ、なんかかっこ悪いだけだ。
映画のヒーローなら、こんなピンチは裏拳一発かましてさっそうとワンカットで切り抜けるんだけどな。アキラがザコキャラなら俺だってカッコよくそうしたいよ。けどな、こいつの強さは本物だ、多分ボスキャラレベルだ。
アキラに素手で挑むのはハンデがありすぎる、無理ゲーだ。だけどこれが本当にゲームだとしたら俺はどうした? ハードモードは大好物だ、間違いなく喜んでチャレンジするだろう。
そう考えると急に闘志が湧いて来たから不思議だ、周囲を味方に囲まれているせいもあるかな。別にアキラを倒すまでできなくてもいい、一瞬でもナイフをなんとかすればマーシャが狙撃してくれるだろう。
そうだよ、味方の援護射撃があるんだ。ハードモードという程じゃない。
「うー、いてて」
突然聞こえた間抜けな声に思わずビクッとしてしまう。気絶していた生臭坊主にやっと意識が戻ったようだ。
アキラの注意が俺から一瞬それる。
千載一遇のチャンスに考えるより先に身体が動く。突きつけられているコンバットナイフの側面に頭突きをかけ、アキラが奇襲にひるんだ隙に一旦距離をとる。
達人ならナイフの刃に噛み付いて奪い取るくらいするんだろうが、さすがにそこまでは無理だった。
だけど一応成功したぞ。勢いでなんとかやっちまったぜ。
「なんだなんだ、この俺とタイマンのチェーンデスマッチがしたいってか? 面白いじゃねえか、その勝負うけてたつぜ」
アキラが大声で芝居がかったことを言う。
何言ってるんだこいつ? チラッとマーシャを盗み見る。アキラを狙撃する絶好のチャンスなのに何してるんだあの女は? 弾切れか? リンリンが何故かニヤニヤしながらこっちを見ている。あいつら一体どういうつもりだ? このまま俺一人に戦わせるつもりか? まさか、タイマン勝負には手を出さないとか前時代的な風習でもあるのか?
状況がまるでわかっていない生臭坊主は、台車に縛り付けられたままつぶらな瞳でキョロキョロしている。
「シイッ」
アキラは余所見をした俺の一瞬の隙を見逃さなかった。鋭く息を吐き出しながら目にも止まらぬ突きを繰り出してくる。ナイフにこだわるだけあってなかなかたいした技のキレだ、速過ぎて本当に見えなかった。人並み程度の俺の動体視力では、まったく目がついていけてない。
まあ、別に目に見えなくても攻撃を避けることはできるけどな。
これでもゲームじゃ音速で飛来する弾を普通に切り払ってるんだ。別に動体視力に頼らずとも、見えなければ心の中でイメージすればいい。そもそも目で見てから動いてたんじゃ間に合わないしな、イメージした少し先の未来にタイミングを合わせて先行入力しておくのがコツなのだ。
もちろん現実はゲームとは違うのだが……視覚のみに頼らず、一瞬先の未来まで相手の動きをイメージする。無茶苦茶際どかったが、素早いナイフの突きをなんとか避けることができた。
アキラの視線や息遣い、重心の動きなど、ヒントは山ほどある。ナイフの動きは捉えきれなくても、いつどこに突きが来るのかイメージできればなんとかかわせる。
まあ、初見の攻撃なんで予想以上に伸びてきたのには驚いたが、こんなこともあろうかと横に避けていて助かった。こんなところもゲームで近接戦する時と要領は同じだ。
これならなんとかなるかもしれない。
なるほどな、コンバットナイフというのはそう使うのか。なかなかに見事なものだ、優れた技には動きに無駄がなく、洗練された美しさがある。
この技は我流じゃないな、誰かに教わった型を正確にトレースしている感じだ。
どんなに優れた技でも万能ではない。自分で編み出した技なら状況に合わせて改良進化させていけばいいのだが、アキラの奴はまるでモーション登録したように同じ動きをしている。
おかげで一度見てしまえば回避は格段に楽になる。初見の攻撃に関しては、とにかく気合をいれて避けるしかないが。
問題はやはり俺の体力か。
自分が歳をとったと思いたくはないのだが、若者との身体能力の差はいかんともしがたい。このままいくとスタミナがそう長くは持たないぞ。
守備に徹して体力を温存してはいるが、ジリ貧になりつつある。
せめて相手のナイフを弾ける武器があればだいぶ楽になるんだがな、選べる選択肢が回避だけというのは縛りプレイすぎる。
ん? そういえばジャージのズボンのポケットに金属の重みを感じる。
さっきプラニコフの回収に使ったアルミのカラビナだ、用済みになったので無意識にポケットに突っ込んでいたらしい。
カラビナってのは本来は登山用品でジュラルミン製なのだが、こいつは爺さんがフライパンをぶらさげるのに使ってたやつだから、インテリア用の安い奴だと思う。そういうなんちゃって商品は、普通の柔らかいアルミ製で、絶対登山に使うなと注意書きがしてあることも多い。
アルミの奴でも、環の一部がバネ仕掛けで開閉するギミックになっていて、いろんな物に一瞬で引っ掛けることができる。見た目もカッコイイし、整理整頓にはなかなか便利なアイテムではあるのだ。
握りこめばメリケンサックの代用に使えないかな? 軽すぎるからたいして攻撃力は期待できないが、ナイフの刃を止めるくらいはできそうだ。少なくとも指の骨よりは硬いだろうしな。
俺がポケットに手を突っ込んだ隙をアキラが見逃すはずもなく、大胆に踏み込んだ突きが来る。
かろうじてかわしたところに突きからの斬り上げか、予備動作の少ない小技は予測しにくいので厄介だな。無理な姿勢でかわしたために危なくバランスを崩しそうになる。少々やばかったがなんとか左手にカラビナを握り締めるのに成功した。
「なんだよそのオモチャは?」
アキラはカラビナに明らかに戸惑っている。知らない武器を使う相手と戦うのはなかなか厄介なものだからな、たとえそれがただのアルミの環っかだとしてもだ。
これがもしナイフなら、一見互角のようだが俺はすごく不利になっただろう。当然ながらこいつはナイフ対ナイフの戦い方なら熟知している筈だからな。素人がうかつにナイフで斬りつけたりすればまさに据え膳、ネギを背負ったカモが飛び込んでいくようなもんだ。
その点カラビナなら、間違いなく奴にとっては初見の武器だ。普通こんなもので戦う奴はいない。
「舐めた真似しやがって、俺の百の奥義の一つ、その体に刻んでやらあ」
何かカッコイイキことを言いながら素早い三連突きを繰り出して来る。三発目の突きはそのまま横なぎに払って、さらにV字に素早く切り返してくるというトリッキーな攻撃。実質五連撃だな。
言うだけあってなかなかの技だ。ナイフの動きを目で追っていたら絶対に避けきれなかっただろうな、まあ、アキラの視線と筋肉の動きで最後に切り返しが来るのまでは読めたわけだが。
問題ない、相手は強敵には違いないがちゃんと戦いになっている。
体力を温存するためできるだけ最小限の動きで避ける。リアルでこんな真似は正気の沙汰じゃないと思うのだが、何故か恐怖心が麻痺してしまったようで怖くない。それに、達人相手なら紙一重で避ける方がむしろ安全だ。
アキラの振り回すナイフの残像がなんとか見えるようになってきたが、肉眼に頼りすぎるとフェイントに引っかかりやすくもなる。ほどほどに見なかったことにしよう。
心眼でイメージするのだ、余計な情報は必要ない、相手の攻撃が当たる箇所さえ予測できれば、あとはタイミングを合わせるだけだ。ゲームと同じと考えれば何も難しくない。
俺に避けられ続けて頭にきたのか? 今度はえらく大技を仕掛けて来る。八連撃くらいか? いや、もっと続きそうだな。
これはさすがに全部は読みきれない、終盤の攻撃はどんなのが来るのかわからないので、途中で中断させることにする。
奴がナイフを切り返す瞬間が狙い目だな。動きが止まったタイミングに合わせて、握り締めたカラビナで弾く。
ガチっとアルミが欠ける鈍い音、思った程には削られていない。これならあと何回かはナイフを受けても大丈夫だろう。
指も少し切ったみたいだ。赤い、温かい血が指の間から滴り落ちていく。さっきから血なんて嫌と言うほど見てるのに変だな、自分の血だというだけで不思議なくらい興奮してしまう。
頭の芯まで冷たく沸騰していくような感覚、思考速度が跳ね上がっていく。さっきまで悲鳴を上げていた身体にも力が満ちて、まったく苦しくなくなった。
これは……調子がいい時の感覚だな。“ガーディアントルーパーズ”をプレイしている最中に何度かこの境地に達したことがあるのでわかる。
滅多にあることじゃないんだが。そうか、自分の血を見ればスイッチが入るのか、随分簡単じゃないか。
別に俺がスーパーマンになったわけじゃない、このモードはいわゆる火事場の馬鹿力みたいなものだ。人間には命の危機に瀕したらリミッターを解除する機能が備わってるらしい。
そもそも限界を超えちゃたらマズイから普段はリミッターがかかっているわけで、それを安易に解除したりすると体がボロボロに壊れてしまう。ゲームのやりすぎでリミッターが外れやすくなってきてるんだろうな、あまり喜ぶようなことでもない。
だが今は力を出し惜しみしているような場合じゃない。好都合じゃないか。
「面白い、面白いよあんた。もう手加減はやめだ、商売抜きで殺してやんよ」
俺にナイフを弾かれたことで、アキラのスイッチも入ってしまったみたいだ。
今まで本気じゃなかったのかよ? まあ、なんとなくそんな気もしてたけどな。俺、絶体絶命のピンチ……くそう、何かわくわくしてきたぜ、たまらんな。
アキラはバトルジャンキーってやつなんだろうか。いや、ひょっとしたら男は皆そうなのかもしれないな。きっとおサルだった頃から延々と受け継がれてきた野生のDNAが闘争を求めてるんだな。
俺だってリミッターが外れて結構ワイルドな気分になってきている。そうだよ、闘う男は誰も自分が負けるなんて思わないんだ。勇敢な馬鹿になればいいんだ。
アキラの殺気がこれまでにないくらいに高まり、弾ける。これは相当でかいのが来るぞ。
俺の左目めがけてだしぬけに突きが飛んで来る、俺の動体視力じゃまったく見えない馬鹿げたスピードだが、本能というやつはたいしたもんだ、反射的に目が閉じてしまう。
が、この突きは囮だな。フェイントだ。大丈夫、避けなくても届きはしない。
本来なら戦いの最中に目を閉じるなんて自殺行為なんだろうが、肉眼じゃほとんど動きを追えない俺にとっては、一瞬目を閉じるくらいたいした問題じゃない。
直前に見えた奴の重心移動で、一呼吸後に本命の蹴りが来るのはわかってるんだ。おそらく俺の顎を狙ったハイキックが来る。
全身のバネをいかしてムチのようにしならせた回し蹴りがあり得ない速度で迫る。まったく、最近の若い連中ときたら足が長くて羨ましいぜ。おまけに関節も柔らかい、よくこんなに足が上がるもんだ。
蹴り技そのものは見事といっていい、初見でなくても対処は難しいだろう。わかっていても防げない攻撃というのもあるんだな。それにたとえ蹴りを腕で防いだとしても、防御した腕ごと簡単にへし折られてしまうだろう。こいつ、ナイフがなくても無茶苦茶強いんじゃないか?
これがチェーンデスマッチじゃなければ危なかったかもしれない。
右手のワイヤーをたぐって奴の懐に飛び込む。離れていても相手の袖をつかんでるようなもんだ、これはこれで便利じゃないか。
アキラは俺が蹴りを後ろに避けると読んでいたようだが、逆に俺が突っ込んだことでインパクトポイントを外し、ワイヤーで腕を引っぱられてさらにバランスも崩す。
タイミングや重心のブレた蹴りなど威力は半減する、奴の懐に飛び込んだ俺は難なく高く上げられた太腿を抱え込むことができた。
アキラの外見はミニスカの美少女。だがここでそんなの気にしたら負けだ。
捕まえた足をそのまま上に持ち上げて転倒させ、寝技で仕留めようとするも、アキラは予想以上に股関節が柔らかかった。バレリーナのように片足を頭上に上げた姿勢でも倒れない。
無理な体勢にもかかわらずナイフで斬りつけてきたので、残念だが捕まえた足を解放して一歩下がる。
離れる瞬間に、相手の軸足の膝に軽くローキックを入れておく。咄嗟のことで児戯にも等しい威力の蹴りだが、関節が伸びきったタイミングで当てたから多少のダメージはあるだろう。
命懸けの応酬の結果が、相手の膝をぺちっと蹴っただけというのはなんともしまらないが、本来なら腕を折られていたのだと考えれば大戦果といえなくもない。
力と力の真っ向勝負も豪快で面白いんだが、こういった高速で連続じゃんけんを積み重ねていくような駆け引きも勝負の醍醐味だ。どうしても見た目は地味になるけどな。
ふむ、どうやら俺はこの戦いを楽しんでいるようだな。それはそれで悪くない。
「くっ、まだまだあっ」
息をつく間も与えてくれない。相変わらず電光石火のナイフのラッシュが降り注ぐ。が、攻撃に今までの冴えがない。さっきの俺の蹴りで左膝を少し痛めたみたいだ、たったそれだけでこうも変わるのか。フットワークの重要さを再認識する。
あの蹴りは単なるラッキーヒットだったが、チャンスを見逃さないのは基本中の基本だしな。運を捕まえるのも実力のうちだ。
相変わらず不利な状況に変わりはないが、流れは変わりつつある。勝負事においてはこの流れに上手く乗れるかどうかが実力以上に大事だったりする。
俺に押し倒されそうになったことで、寝技の可能性を警戒し始めたのだろう。近づくのを嫌ったアキラは蹴りを混ぜるのをやめて、ワイヤーの限界まで間合いをあけるようになった。アウトレンジから超絶技巧のナイフ技のみを連続で仕掛けて来る。
さっきみたいにワイヤーを引っ張る手はもう使えないか。
下半身の動きが多少悪くなったとはいえ、アキラの手慣れたナイフの攻撃はまだまだ恐ろしく速い。こいつは常日頃から身体が覚えるまで繰り返し訓練しているんだろうな、そういった努力の積み重ねは決して無駄にはならないものだ。普通の人間なら目がついていかないスピードでナイフがひらひらと舞う。
ナイフの刃渡り二十センチがそのまま俺たちのリーチの差だ、たかが二十センチがこの状況では絶対的なアドバンテージを生み出している。
奴の立場で考えるなら、一方的に有利な間合いをキープして戦おうというのも間違っちゃいないだろう。ただ、蹴り技とのコンビネーションがなくなったことでアキラの技がずいぶん読みやすくなった。これは俺にとって好都合だ、ナイフだけの攻撃なんて当たる気がしないぞ。
俺が下がれば奴が突っ込んでくるし、俺が迫れば奴は逃げる。まるでダンスでも踊ってるみたいだな。
振り回されるナイフを丁寧に紙一重で見切っていく。たまに少し皮膚が裂けて血が出るが、多分衝撃波か何かだろう、刃にはギリギリ触れていない筈だ。
今の俺にはこれまでにないくらいはっきりと、一瞬先の未来がイメージできている。気持ちいい。刃がかすめる度に、自分の肉体を正確に操れるようになっているのがわかる。つまりそれは、俺が強くなり続けているということだ。この感覚、リンクスを操縦している時に感じていた全能感にも似ている。
限界を超えて酷使され続けた筋肉は悲鳴を上げているが、俺の脳は痛みを無視して正確に指令を送り続けている。動けているうちはまだまだ大丈夫だ。
意外なことに、アキラの方が先に息があがってきた。神がかっていた奴の動きは失われ、ミスが目立ち始めている。
一方的にナイフを振り回し続けたせいで俺より消耗が激しかったこともあるだろうが、精神的なプレッシャーも大きかったようだ。これだけの集中力を持続させ続ける戦いなんて、現実じゃ滅多にないだろうしな。俺はゲームで慣れてるけど。
「くそっ、この妖怪ジジイが! なんで当たらないんだよっ、お前本当に人間なのかっ」
アキラの苦し紛れの攻撃が続く。目が慣れてきたせいか、俺には相手の全ての動きが今ははっきり見える。
絶好調だが、好事魔多しとも言うしな。こんな時に俺がよくやらかすミスが、回避のタイミングを先走りすぎてしまうことだ。
避けるタイミングが遅すぎれば敵に斬られるが、あまり早く避ければ相手に対応する時間を与えることにもなる。
不毛ないたちごっこにならないためにも、斬られる直前ギリギリのところで避けるのが正解なのだ。
自分の調子がよすぎると、相手の動きがまだるっこしく見えてきて、ついつい先走って動きがちになる。過ぎたるは及ばざる如し、相手が遅くなってきたならこちらも合わせてゆっくり動かないとな。
だけど、待てよ……ナイフの動きがこれだけはっきり見えてるんなら、捕まえてしまえばいいんじゃないか?
アクション映画なんかだと、敵のナイフを奪い取るなんてわりと簡単にやってるぞ。あのくらい俺にもできそうに思える。
まずはイメージし、正確に実行するのだ。
簡単なようで難しい。遅くなってきたように見えても、アキラの動きはまだまだ速かった。
だが、俺の意図を察したアキラが警戒し、攻撃の手を緩める。そこに生じた一瞬の隙を見逃さない、ここだっ。
ナイフを引こうとしたアキラの手首を素手で捕まえ、捻って身体ごと床に叩きつける。上手く相手の勢いを利用できたので、たいして力も使わずに済んだ。
すでにヨレヨレだったアキラは受身もとらず頭から落ちる。結構な勢いだった、下がふかふかの絨毯じゃなければ多分死んでたな。
これは試合じゃない、遠慮なくアキラの肘を踏み砕く。それほど力をこめた訳ではないが、手加減はしなかった。これで右手はもう使えまい、人間の体って驚くほど脆いものだな。
己の負けを悟ったのだろう、アキラの殺気が一瞬で消える。開き直るようにそのまま大の字に寝転がってしまった。
「俺の負けだ。殺せよ、バケモノめ」
失礼な奴だな、相手が自分より強かったら化け物扱いか?
お前だって相当の化け物だと思うぞ。だが、そうだな、命を賭けた勝負の中で得たものは確かにあった。今の俺はちょっと強いかもしれない。
アキラの捨てたコンバットナイフを拾い上げる。こんなに小さくてもずっしりと重いな、こいつをあれだけ振り回し続けていればそりゃあ体力もなくなるだろう。無駄な動きが多すぎたんだ。
「殺せよ、さあ殺せ」
殺せ殺せとうるさい奴だ。天邪鬼な俺としては逆に殺意が沸かない。殺さなくても、腕と足の腱を切っておけば無力化できるんじゃないか? ある意味では殺すより残酷なことかもしれないが。
うっ……さっきまで頑張った反動が今頃どばっと来た。頭がふわふわして思考がまとまらなくなってくる、一瞬居眠りしそうになったかもしれない。
突然頭上から聞こえるヘリの爆音。
「アハハ、時間切れだ。これでぜーんぶ終わり、本日の演目は全て終了しました。みんなまとめて吹っ飛んじまえよ、もう」
アキラの奴、何を言ってるんだ? ああそうか、爆弾ね、そういえばそんな筋書きだったかな。
意識が浮上して現実の世界との歯車が再び噛み合い始める。同時に体中から痛みが押し寄せる、脳内麻薬が切れてきたのかな?
とっくに限界を超えていた俺の全身の筋肉がうずきはじめる。こりゃキツイ、体中に焼けた釘を差し込まれてるみたいだ。
痛い、ものすごく痛い、しかも痛みはどんどんひどくなってくる。
もう無理だ、これ以上一秒だって我慢できない。どうせならさっさと爆発してくれないかな。この痛みからすぐ解放されるなら、死ぬのもそう悪くないとも思える。
ヘリの音は遠ざかっていったが、一向に爆発する気配はない。くそっ、テロリストめ、俺を苦しめるためにわざと爆発を引き伸ばしてるんだな。
痛みに耐え切れず床にへたりこむが、楽な姿勢になって気を抜くと激痛はますます激しくなる。立ったままの方がマシだったか?
「みんな聞こえてるかー、爆薬は全部処理したでー、安心してやー」
突然の館内放送。スピーカーから聞こえてくる怪しい関西弁には聞き覚えがある。一瞬の沈黙の後、周囲から爆発するような歓声が上がる。
「それからテロリストは今すぐ降参したら命は保証したる。あんたらのリーダーは手ぶらで逃げよった、抵抗は無意味や。三分過ぎたらそれ以降は容赦なく皆殺しやから覚悟しときや」
おどけているようでドスのきいた声。あいつもリンリンに劣らず結構黒いところがあるな。
そうか、爆発はなしか。結局俺は生き延びたのか。
アキラはあっさり降伏し、隊長クンがガムテープみたいのでぐるぐる巻きに拘束する。俺が砕いた肘は紫色に腫れあがっているが、手当てせず放置だ。傷ついている人間は他に山ほどいる。
俺の手錠はスプレーみたいので簡単に剥がしてもらえた。派手な赤い痣が残る。
これにて一件落着なのか? 何か大事なことを忘れている気がするが、とりあえず今はどうでもいい。鎮痛剤か麻酔薬、何でもいいから早くこの痛みを止めてくれ。
床にへたり込んだまま、人間の尊厳をかけて痛みと戦う。気を抜くと失禁しそうなのだ。命を拾ったのは素直に嬉しいが、大勢の前で恥ずかしいところを見られるわけにはいかない。
まあ、戦闘中に漏らした奴も大勢いる筈だから気にすることもないんだが、それでも嫌だ。俺は負けないぞ。何事も精神力だ、人の意思の力は不可能を可能にするんだ。さあ、立ち上がれ俺。意地でも無事にトイレまでたどり着いてやる。




